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第7章『輝く青』(8)

 

「失踪とは、二人とも同時にですか」

「二人とも同時にです。いえ、正確なことはわかりません。私共が事態を知ったときは、既に二人とも果樹園からいなくなっていました」


 セイモアの視線はまたイリヤへと注がれた。そこにイリヤがいることを安堵するように、目元が和らぐ。


「失踪を知ったのはいつ頃のことですか」

「四月、半ばだったはずです」

「失踪の原因は分かっているのですか」

「大体は。街の調査で――」


 セイモアはカスパールを見た。

 ロットバルトが引き取る。


「その点は、私からもご説明できますが、まずカスパール領事からお話し頂きます。カスパール領事のもと、ロカの領事館が当時の一連の事件を捜査しています」


 ロットバルトが促し、領事のカスパールが証言台に立ち、解放されたセイモアは息を吐いて椅子に腰掛けた。


「ロカの領事を拝命しております、アンドレア・カスパールと申します。真実を語ることを誓約いたします。私共領事館ではハインツ夫妻を、ヴェルナー侯爵からお預かりしておりました」

「事件について調査したことを詳しくお話しください」


 法廷内の視線は今度はカスパール領事に集中した。


「ハインツ夫妻の失踪が分かる前、もう一つ、ロカでは事件がございました。その、関連していると思われるので、そこからお話ししたいのですが――」

「もう一つの事件? どのような」

「ハインツ夫妻のお世話を担当していたバーチ・コリントという領事館員が、街道沿いで殺害されているのが発見されたのです。四月二十四日でした」


 鋭く息を飲む音と、そして驚きの声が聞こえた。

 発したのはイリヤだ。

 カスパールとセイモアを、瞳を見開き見つめる。


「コリントさんが――何で」


 セイモアが鎮痛な面持ちで顔を振った。


「我々は物盗りだと最初――でもそれはやはり違って、君の失踪に関連しているのだと、調査で判った。私のせいだ。私があの日、君達の様子を見に行くよう頼んでしまったから、バーチは――」

「それは、後ほど」


 ロットバルトは二人の間で始まりそうな会話を制し、法廷内に詫びて、再びカスパールを促した。カスパールが続ける。


「コリントは離れて暮らしているハインツ夫妻が街に来た時や、時折果樹園まで出向いて世話をしていました。その、お二人の様子を時折ヴェルナー侯爵へお伝えする必要もございました」


 ロットバルトが頷く。


「そのように、ヴェルナー家から領事に依頼しておりました」

「先ほどセイモア医師がお話したように、コリントはお二人の様子を見に行って、その帰り道で何者かに殺害されたのです」


 主席司法官が手を挙げる。


「裁判長、証言に関連する質問をお許し頂きたい」

「許可する」


 主席司法官は領事へ向き直った。

 関係者も傍聴席も、質問を挟んで整理する必要があると考えていた頃合いだ。


「カスパール領事にお尋ねします。領事館はコリント氏の死亡が、ハインツ夫妻の失踪と関連していると考えているのですか」

「そうだと思います」

「思いますでは証拠になりません。あなた方は調査の結果、そうお考えになったのでしょう。それは何故ですか。明確な証拠はあるのでしょうか」


 カスパールはロットバルトを見た。


「不十分でも構わないでしょう。貴方は被告人ではありませんし、この証言一つで全てが解決するものではありません。宜しいでしょうか、裁判長」

「構いません」


 カスパールがほっと息を吐く。


「――わ、我が街では、いえ、我が街の周辺は久しくそうした物盗りや野盗などは発生していませんでした。もうかれこれ五年ほどは。近隣の街でもそのような噂などは聞いておりません。そうした中でハインツ夫妻が失踪したと同じ時に、ハインツ夫妻の様子を見に行ったコリントが殺されたのは、偶然とは思えませんでした」

「では、すぐにヴェルナー侯爵へそのことを報せたのですか」

「いえ……ご報告したのは三日後の、二十七日のことです。誠に恐縮の至りですが、私共は当初、コリントが殺されたのは物取りの仕業と考えており、ヴェルナー侯爵家からの使者がハインツ夫妻の様子を訪ねてくるまで、ハインツ夫妻との関連には思い至らず……夫妻の果樹園を訪ねておりませんでした」


 主席司法官は納得しかねる顔をしたが、質問を変えた。


「それでは、あなた方がハインツ夫妻が失踪したと考えた理由は、何だったのでしょう」

「多くのことが途中で放り出されていたのです。果樹園の林檎が収穫途中で籠の中に入ってそのままおかれていましたし、台所に切りかけの野菜があったことと、それから窓が開いていて、扉も戸締りがされていなかったことなどから、そう判断しました」

「その事を客観的に示せますか」


 調査書類を一揃い持って来ていると、カスパールが答える。


「正規軍の捜査もございました」

「正規軍? ロカが要請したのですか?」


 主席司法官の問いをロットバルトが引き取る。


「この件については当時、前当主が正規軍へ、捜査を要請しております」


 ロットバルトは裁判長の許可を得て、関係者席に戻っていたタウゼンへ話を向けた。


「タウゼン殿。ロカの件については、我が父、前侯爵がヴェルナーの名で捜索依頼を行っていることを、貴方も記憶されていると思います」


 タウゼンは話の流れの中で正規軍の関わりに思い至っていたのだろう、すぐに答えた。


「確かに、前侯爵から書面でご依頼を受け、南方第四大隊から一班を出し果樹園、またその近辺を捜査しております。セイモア医師とカスパール領事の証言と同じく、収穫や食事の支度が途中で放り出されていたこと、衣類などが持ち出された様子がなかったことなどから勘案し、家人は連れ去られた或いは何らかの事情があってその場を急に離れたとの結論に至りました。現場の様子を見るに、前者ではないかと。そして行方は恐縮の至りですが、発見できませんでした。そのように報告を受け、前侯爵へ御報告申し上げました」


 レオアリスはタウゼンの証言を聞きながら、イリヤ達の捜索にヴィルトールを派遣し、それが今に繋がっていることを考えた。


 ヴィルトールがイリヤの痕跡を辿ってボードヴィルへ辿り着き、半年間をイリヤと共にボードヴィルに在り、そして今、西海の穏健派と行動を共にしていることを。

 その奇縁――だがそこに想いを馳せるよりまず、あの時ヴィルトール達が捜索に入った正規軍と顔を合わせないよう動いたことが今、重要な要素となっていることが解る。


 もし近衛師団が動いていた事が明らかになっていたら、それは即ち王家の案件となり、イリヤが王家とは無関係であることを証明しようとしているロットバルトの立論は成立しない。


 ただ、初めはロットバルトの取った方法は無謀ではないかと危惧したが、次第にレオアリスも理解して来た。

 今示されている一つ一つは単純な事実を並べ、法廷内に示しているだけだ。

 その一つ一つには状況を一気にひっくり返すもの、判決を大きく左右するものなどない。


 例えば王家の威権を以ってイリヤの罪を免じると決めれば、それは受け入れられるだろう。受け入れざるを得ないと、そう言い換えるべきか。

 ただそれも一時のことだ。権力によって判決を捻じ曲げればそれは(ひず)みを生じ、いずれより大きな反動となって返ってくる。

 今の不安定な国内情勢ではなおさら、その反動が生じるのは早く、そして大きい。


 だから単純な事実一つ一つをこの場で示し、積み重ねていくことによって、僅かずつ、自然な流れで法廷内の意識を変えて行くこと。

 ボードヴィルでの半年間がどのように創られたかを複数の視点から明らかにし、この場で、誰もが納得できる、総合的な観点からの結論を導ける状況を作り上げること。


 それをロットバルトは(おこな)っている。

 イリヤをミオスティリヤではなくし、そして彼の『謀反の意思』を払拭し、その上で適切な判決へ促す。

 その為に手にしている札を一枚一枚、やや冗長とも感じられるやり方を取りこの場に示している。


(それにしたって、一歩間違えばヴェルナーが破滅する――)


 ただそれでも、イリヤ本人には反旗を翻す意志など無かったのだ、と示そうとするなら、『それを示そうとする者』が『何故それをするのか』が重要になってくるのだ。第三者にとって――法廷にとって。

 この場合はヴェルナー侯爵家が、自らの不利益を排除する為に。

 そういう見せ方だ。


 鳩尾に手を当てる。

 痛みが一瞬増し、そして波が引く。それがずっと繰り返されている。


 自分はここでは、任せて見ているしかない。例えこの剣がふた振り揃っていたとしても、剣によってこの場からイリヤを救い、ファルシオンの想いを守ることなどできはしない。

 椅子の背に深くもたれ、目を閉じる。



「上将、戻られますか」


 フレイザーがそう尋ねたが、レオアリスは首を振った。


「有難う。でも大丈夫だ。最後まで聞く」


(それでも早く、剣を戻したい)


 自分がこの後立つべき場所の為に。


「私が今、この場でこのように証言しているのは、イリヤ・ハインツの縁者として、彼自身の意思の潔白を証明する為です。そこにヴェルナーにとっての利があるからでもあります。或いは不利益な状況を生む疑念をこの法廷の場で正式に否定し、払拭する為――」


 ロットバルトの声が法廷に流れている。


「当然、我々が今回のボードヴィルの件が我々に何を齎すか理解した時、かなり慌てたことは事実です。この場に御列席の方々にもご想像が付くかと思いますが」

「失礼ながら――」


 主席司法官がロットバルトへ視線を据える。


「『ミオスティリヤ』を名乗る者がイリヤ・ハインツだったと、侯爵はいつお知りになったのですか」


 きわどさを含んだ質問だ。

 何故知り得たのか。

 知り得た上で、どう行動したのか、時期によって異なる。


「ヴェルナーで彼と直接会っていたのは私一人です。今回、ある経緯により疑念を持ってはいましたが、王都に護送された彼を目にし、改めて確証を得ました」


 声の響きの僅かすらも変えず、ロットバルトは(うそぶ)いた。

 蒼い瞳を主席司法官からイリヤへ向ける。


 イリヤは既にロットバルトの意図を察し――そしてそれが恐らくファルシオンの意図であることを察し、努めて表情を抑え、目の前に示される証言を聞いている。


「我々――ヴェルナーは、イリヤ・ハインツは既に死んだものと考えておりました。お恥ずかしながらヴェルナーにとっては、言葉を飾らずに申し上げれば彼の存在は醜聞でもあります。徹底的な調査をしようとまでは考えず、もしヴェルナーに対して何らかの要望があった場合――つまりは夫妻を拉致した相手からですが――」


 ロットバルトは一旦、言葉を切った。


「その段階で適切に対処する予定でおりました。まさか彼がほぼ二千里を隔てたボードヴィルへ連れて行かれ、そして『ミオスティリヤ』として仕立てられようとは、考えが及ばず――、加えて事件の数日の後に、前当主が身罷りましたので」


 ヴェルナーにとってはハインツ夫妻の行方は、瑣末事だった。


「ただ、詫びなくてはならない方はおります」


 ロットバルトは視線を上げ、裁判官席の上にある、王の列席用の部屋へ向けた。そこにいるファルシオンへ。

 張り出し台の奥に、小さな影が揺れる。


「今回の件で、御自身の兄君が生きておられるのではと――そうお考えになり、御心を痛められただろう王太子殿下に。我々はイリヤ・ハインツが姿を消した時点で徹底的に調査し、ボードヴィルの『ミオスティリヤ』がイリヤ・ハインツであると、それを王太子殿下にお伝えする責務がございました。或いは彼がそう仕立てられる前に、それを回避できたかもしれません。それについては、恐縮の至りと申し上げねばなりません」


 ロットバルトは「それと、もう一人にも――だからこそ私が、ボードヴィルに掲げられた王太子旗の真実に疑念をいただいたのですが」とそう言い、だがそれは後のことだと付け加え、視線を裁判官席へ戻した。


「この件についてもうお一人、重要な証言をいただきたいと考えております」


 ほんの少し前に「もう一人」と言った人物とは違うようだ。


「事前に要望しておりましたが、本法廷の重要参考人でもあるサランセラム伯――ヒースウッド伯爵をここへお呼びする事は叶いますか」


 挙げられた名前に、再び法廷内が騒めいた。

 重要参考人――ボードヴィルの一件においては、今、被告人席に連座していてもおかしくない立場だ。

 騒めきの中で、裁判長は左右の裁判官を確認し、頷いた。


「では、本法廷としてヒースウッド伯爵へ、重要参考人として出廷を求めます」



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