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第7章『輝く青』(6)

 


『我等が地、我等が国のこの西辺サランセリア地方は、生まれながらにして西海と国境を接する苛烈な試練を負った地であり、また誇るべき要衝の地である。

 そしてこの軍都ボードヴィルこそは、国家護持にあたる西方最大の砦である。


 不可侵条約が破棄され、西方軍が壊滅的な損害を受けたこの危急の時、我等はこれまで我等が享受した国と国王陛下の恩恵に報い、要衝たるその役割を最大限に発揮せんと立ち上がった。



 我等が叛逆の誹りを受けている事は承知している。

 王都は我等を糾弾したが、そうせざるを得ないのだ。それもまた、我等は理解している。


 御旗として立たれたミオスティリヤ殿下、かの労しき第二王妃シーリィア妃殿下の御子の御意志は、ただこの国の危急存亡の危機からの救済と、そして平穏の復活であられる。

 十九年前、国王陛下が自ら定められた法を押し、シーリィア妃殿下とミオスティリヤ殿下をお助けになられた事を、王都が公然と認める事は不可能である。この国内が混乱している現在ならば尚更にである。

 だからこそ、このボードヴィルがミオスティリヤ殿下とそのお志をお支えし、殿下と共に忍従の時を耐え、この国の危急存亡の時に立ち向かわなくてはならない。


 まずは西海軍を正しき国境の向こうへ押し戻す事──

 その為に、我等の意を汲み、共に戦う志高き者は必ず現れると、我等は確信している。

 幼い御身で国王代理という重責を担われるファルシオン殿下は、我等にとっても至宝である。

 だが王都は遠く、護るべき王太子ファルシオン殿下もまた遠い。


 しかしながらそれは、我等にとって、幸運であると敢えて言おう。

 西海の侵略に曝されるこの地より、王都もファルシオン殿下も遠く隔てられている事は、幸運である。




 この危急に対しこの地に掲げる旗として、ミオスティリヤ殿下以上に相応しい御方は他に無く、そしてまた、幼いファルシオン殿下に寄り添い、お支えする事ができる方も、ミオスティリヤ殿下を置いて他には無い。




 今、意志ある諸兄等に問う。

 この危急の時に、この地が西海に呑まれるを座して待つか。

 それとも我等と共に立ち上がり、国の為、民の為、剣持ち盾を掲げ闘うか。

 王都との不幸なすれ違いは、一命を賭す兵士等の為にもこの誤解を解かねばならないが、それはまた後日の話である。

 我等はまず、眼前の国家の危機に団結し、一丸となって当たらん。



 改めて告げる。

 この文は、意志ある諸兄にその志の貴きを問うものである』




 その内容は紛れもなく、周辺諸侯に対し、ミオスティリヤの旗のもとに集うことを呼びかけたものだ。


「とても高い志を伺える内容です。今これをお聞きになり、ここに書かれた内容の事実はともかく、感銘を受けられた方も中にはおられるのではないかとさえ思えるものです。国家の危機を憂い、そして、周辺諸侯に共に戦えと訴えている」


 だが、書かれた内容が問題だ。

 レオアリスは奥歯を噛んだ。


 『ミオスティリヤ』が、第二王妃シーリィアの遺児であること。

 そして、王がかつて、自らの法を傾け、二人の命を助けたと。

 その一切が、認められるものでは無い。

 そして。


「この檄文の中で、コーネリアス・ヒースウッドは彼等が擁するミオスティリヤこそが国家を救う存在だとし、そして恐れ多くも王太子ファルシオン殿下を、それに値しない存在だと、そう明言しております」


 そう受け取ろうと思えば、受け取れてしまう。


「この檄文により、コーネリアス・ヒースウッドがボードヴィルに兵力を集めようとした意図は明らかです。そしてまた、この内容にも関わらず、彼等は王都からの勧告に一度たりとも応えず、西海軍に対して積極的に兵を出そうともしなかった。それが事実です」


 主席司法官が手にしていた書面を、法廷事務官に手渡す。書面は裁判官席に運ばれた。


「また、たった今お聞き頂いたこの檄文の内容を見るに、コーネリアス・ヒースウッドは自らを劇中の人物の如く捉え、振る舞う傾向があったと考えられます。それにより、自ら置かれた立場に酔い、自らこそが『王太子殿下』を支えるのだと妄想し、その為に被告人イリヤ・ハインツをその座に据えたのだと推察されます」


 イリヤは顔を跳ね上げた。


「それこそ、恣意的な印象に基づいて――」

「被告人は許可なく発言をせぬよう。もう一度法廷を乱す行為があれば、法廷を一旦打ち切らざるを得ない」

「すみません――。裁判長、発言を許可願います」

「現時点で被告人の発言は不要である」


 言い募ろうとした言葉を飲み込み、イリヤは乗り出しかけていた体を戻した。


 レオアリスは手を置いていた椅子の肘を掴んだ。

 今の段階では、イリヤの、そしてボードヴィルの印象は良いものではない。ここで法廷が中断するのは、その印象を引きずることになり、良いことでは無かった。


 ただ法廷が続いたとして、イリヤの印象、そしてこの状況を改善するほどの材料を、イリヤ自身は持っていないのだ。


(弁護人を、せめて付けるべきだ)


 今回は、この一回で結審することは無いはずだ。迅速さが求められたとしても、最低でも二回。

 もう少し、今日の内にせめて、イリヤ自身の印象を改める材料を示せるといいのだが――西海との和平に関する事項か、それとも。


(でもこの状況で西海との和平を持ち出しても、却って逆効果になる)


 西海との癒着、保身、そうした印象を持たれ、イリヤの野心と取られるだろう。

 イリヤを補佐できる立場の人間が、誰もいないのが苦しい。


(ヴィルトールが――いや)


 ヴィルトールの関わりの示し方は難しい。近衛師団の関わり――近衛師団がこの件を、王家に関わるものと捉えていたという認識に繋がりかねない。それはイリヤの命数を一息に断つものだ。


「被告人、イリヤ・ハインツ。現時点で、客観的事実に基づく反論はあるか」

「――ありません」


 イリヤは短く、そう答えた。


「タウゼン将軍、ご協力有難うございます」


 裁判官席からの証言終了の言葉に、タウゼンが軽く黙礼し証人席を出る。


「暫時、休憩とする」


 裁判長が木槌で卓を叩き、それを合図に法定は一旦休廷に入った。再開は半刻後。

 レオアリスはゆっくり、息を吐いた。

 この場面での休廷がどう影響するか。


 ほんのわずかな休憩を挟むだけとはいえ、再開した後、イリヤにとって有利な材料が出てくるのかはほとんど期待が持てない。そして半刻の間に傍聴人も関係者も、裁判官もまた、前半の公訴内容と証言に考えを巡らせ、結審への一定の方向性をそこに見るだろう。

 良い方向に向かうとは考え難かった。


 意図した方向へ持っていくことができないまま、イリヤの罪が確定して終わってしまうのではないか。

 そうなれば、イリヤは――

 ファルシオンは。


 二度もこの国は、イリヤの存在を殺すことになるのか。今度は命そのものも含め。


「上将」


 フレイザーの呼び掛けは、この法廷の先行きに不安を感じているとも、レオアリスの体調を気遣っているとも取れる。

 今の自分にできることはほとんど無い。ただ、この先このままの方向で進むのであれば、本当にそんなことを言っていていいのか。鳩尾の熱が増す。


 レオアリスは椅子に深くもたれ、急く意識を抑える為に目を閉じた。


「――この先を、見るしかない」

「はい」


 フレイザーも一度イリヤと会っている。あの時、レオアリスとロットバルト以外はイリヤに関する真実を知らないままに、近衛師団としての任務のもとに動いていたが、推測した上で言葉に出さなかったことはやはりあっただろう。

 フレイザーもファルシオンがいた一角に思わしげな視線を向けた。







 半刻後、法廷は再開された。


「続いて、被告人イリヤ・ハインツがシーリィア第二王妃の遺児を名乗り、それによって王太子の立場を僭称した件について、原告側に示すべき事実があれば述べよ」


 レオアリスは休憩の間も退出せず二階の半個室に身体を休めたままでいたが、再開を告げる木槌の音に身を起こし、それから、先程までとは違う点に気付いて、やや身を乗り出した。


 関係者席に今はロットバルトが腰掛けている。そしてその横にルスウェント伯爵。

 ワッツがすり鉢状になった関係人席の上、扉近くに座っていた。


「――」


 何か動こうというのだろうか。

 原告席では主席司法官が立ち上がる。原告席の机の上には、新たに一枚の布が折り畳まれ置かれていた。


「被告人、イリヤ・ハインツが第二王妃の遺児を詐称した事は先ほどの檄文にも示され、そしてまた、彼が更に王太子を僭称した事は、ボードヴィルに掲げられた王太子旗に模した旗からも明らかです」


 控えていた補佐官と事務官が立ち上がり、机上に畳んでいた布を持ち上げ、広げる。

 全ての視線がその布――旗に集まった。


 暗紅色の布地に王位継承者を表す銀糸で王家の紋章が描かれ、王子を意味する緑の若草が紋章を囲んでいる。王太子旗を表す意匠だ。

 だが、ファルシオンの旗の若草は、希望と誠実を表す待雪草と君子蘭。


 今掲げられた王太子旗を彩るのは、勿忘草(ミオスティリヤ)――


 法廷内に呻き声に似た響きが流れる。


「これそのものが、イリヤ・ハインツの犯した重罪を明白に示しております」


 主席司法官は机の横へ一歩、出た。

 左手を机に置き、右手を延べる。


「そもそも、故第二王妃殿下は御子を御身に抱いたまま身罷られました。御子出産の事実はありません。その事を、国王陛下と、第一王妃殿下、そして全ての国民が悼んだのです。御子の立場を詐称する事そのものが余りに不敬であり、容認すべからざる不遜と言わざるを得ません」


 それを真実として押し通さなくてはならないと理解しているにも関わらず、主席司法官の言葉はレオアリスにさえ、心を踏みにじるような言葉に感じられた。

 法廷の中心に立ち、そしてこの言葉を聞いているイリヤにとってはどれほどだろう。想いを秘めねばならないファルシオンにも。


 幾つかの想いを知り得ず、主席司法官は残酷なまでに淡々と彼自身の任務をこなして行く。


「ミオスティリヤの名は無論王家の系譜には示されておらず、ミオスティリヤ――忘れな草という意味を持つ名が、第二王妃の御子に贈られうようとしていたと証明する事すら、誰一人叶うものではありません。偽りを真実と飾り立て、人心を惑わし、ボードヴィルの兵士達を従わせ、近隣諸侯を己が元に集めようとした事こそが、彼等の私利私欲、権勢欲、そして国家への反逆の意図を何より示していると言えます」


 主席司法官は裁判官席から、被告人席のイリヤへ、厳しく責める視線を向けた。


「彼はこの国、そして国民に。また王太子ファルシオン殿下に、国王陛下に――そして第二王妃殿下とその喪われた御子に対し、詫びなければなりません」


 フレイザーが肩に手を置いたのは、自分が咄嗟に身を起こそうとしていたからか。


(――そうじゃない)


 言い聞かせるように唱える。

 憤りを向けるべきは、原告という職務を果たす為にあの場に立っている司法官にではない。

 静かに息を吐く。


 まだフレイザーの手は肩に置かれたままで、レオアリスは苦笑し、それをフレイザーへ向けた。


「心配しなくても大丈夫だ。馬鹿なことはしない」

「いえ――」


 裁判官長の声が法廷に響く。一旦原告に着座するよう求め、「次に」と続けた。


「この件については再度、証人による証言を求めます」


 その声が呼んだのは、思いがけない名だった。


「被告側証人として、イルファレス侯――」


 被告側、という言葉にレオアリスは顔を上げた。


「ロットバルト・アレス・ヴェルナー侯爵」


 一瞬の静けさののち、法廷内が騒めきに満ちた。

 証人として、ヴェルナー侯爵当人の名が呼ばれたのだ。それまで黙していた傍聴人達が思わず声を洩らす。


「ヴェルナー侯爵御自身が?」

「何故……」

「被告人側――? 被告人側として、一体何について証言をされるのか」


 騒めきの中ロットバルトは先ほどのタウゼンと同様、狭い階段を降りると証人席に進み出て、右に裁判官の姿を、正面に告発者としての司法官達を、そして左に、被告席の狭い囲いの中に一人立つイリヤの姿を置き、立った。


 傍らに控えたのはヴェルナー侯爵家の長老会筆頭、ルスウェント伯爵だ。


 裁判長が宣誓を促し、ロットバルトは胸の前に右手を軽く添えた。


「アレウス王国の法と、法廷の尊厳において、真実を語ることを宣誓します」



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