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第3章「陰と陽」(8)

 クライフは遣り遂げた。

 無理無謀と思われる事でも、信念を持って真剣に取り組めば実現できるのだと、クライフは証明してみせた。

「見事に埋まったわねー、客席。予想外だわ」

「なりふり構わなかったからね、いやぁすごいすごい」

 フレイザーとヴィルトールは心から感心し、満席になった客席を眺めた。

 クライフが売り言葉に買い言葉でロットバルトと約束した女性客八割の基準を、しっかり満たしている。

「クライフは勝ち誇ってたし、これはロットバルトが約束を果たすしかないなぁ」

 午後は天幕の前に立ち、客寄せをする事になる。

 ロットバルトは先ほど客席の様子を眺め、眉に不本意さを載せつつも何も言わず楽屋に消えた。そこでクライフと鉢合ったらしく、つい今さっきまでクライフの勝ち誇った声が聞こえていたところだ。

 フレイザーは思い出してくすりと笑った。

「不満っそーだったけど、クライフはうるさいし意外と義理堅いからやるわよね。見たかったわ~」

「君はユージュの案内だろう、副将とさ」

 フレイザーはさっと顔を赤くした。

「早いうち一旦家に戻らないとね。副将が迎えに来るって言ってたじゃないか」

 ユージュがいるからだが、あのグランスレイがわざわざ迎えに行く事そのものが好ましい行動だ。

 グランスレイは元々生真面目でもあるし、昨日レオアリスが「人が多いからグランスレイがいた方がいい」と言ったのも効いている。

(おかげでクライフが自棄になったというか、客寄せに打ち込んだんだけどな)

 ヴィルトールは可笑しそうに胸の内で笑ったが、クライフの不幸の九割くらいはヴィルトールに原因があるのは間違いない。

(今日はクライフの酒に付き合わないと駄目か)

 それはともかく、「頑張らないとね」と、ヴィルトールは本来の意味で発破をかけた。

「有り難う――」

 フレイザーは気恥ずかしそうに瞳を伏せたが、すぐに決意を表すように顔を上げた。

 翡翠色の瞳が強い意思に輝いている。

「クライフも頑張って勝負に勝ったし、私も頑張らなくちゃ!」

(あああ、可哀想……)

 ヴィルトールはそっと目頭を押さえた。

「行ってくるわ! 報告は明日ね」




 そして今回一番影響を蒙ったのは、一見この勝負には全く関係無いと思われるレオアリスかもしれない。

 ロットバルトの心情はともかく約束は果たされ、午後の舞台もほぼ十割の女性客で満員御礼となり、クライフの思惑どおり、この日の投票数のおかげで近衛師団第一大隊が暫定首位に立った。

 それはそれとして、二回目の舞台も無事終わった夕刻、予定どおり祝祭へ行こうとレオアリスがロットバルトと二人、出掛けに楽屋にいたクライフを誘ったが「えっ、これから街に出るんですか!?」と慌てふためき何やらもごもごとよく聞き取れない理由で断られたのに疑問を感じつつ、舞台の天幕を張っている王城の第一層を抜け城壁の正門を出て賑やかな上層に入った所で、ロットバルトを見付けた舞台の客だった娘達が周囲を取り巻き、あっという間に増えて動けなくなってしまった。

 昼間の客寄せと舞台が利き過ぎたようだ。

 ただ最後の最後でどこか近寄りがたいらしく、娘さん達は照れた様子でおよそ二人分の空間を空け、きゃあきゃあと騒いでいた。

 空間が空いている分、何だか曝されている感じでいたたまれない。

「――はぁ。これはもう駄目だな」

「済みません。普段はここまではならないんですが」

 さらりと言われてレオアリスは横目でロットバルトを見上げた。

(何故泰然と?)

 いや、まあ騒いだって仕方がない。自然とこうなったのだから誰のせいとも言えないし――と思っていたら、娘達が何やら互いに言い争いを始め、順番だの午前中にそう説明されただの一人一刻付き合う約束で投票しただの、次第にこの状況に至った流れが見えてきた。

 午前中の客席を満員にしたクライフの手腕も。

「――クライフ……無理矢理でも連れてくりゃ良かった……」

 クライフが慌てた素振りで誘いを断った理由が良く判った。帰ったら一言言ってやろう、と、いつもは笑って済ますレオアリスもさすがに思う。

 とにかく王城を出たばかりの所だったのがまだましと言えた。

 が、すぐそこに見える城門が、この状況ではなかなか遠い。

「どう抜け出すかな……」

 ただし、レオアリスが蒙った不幸とは、娘達に囲まれたこの状況ではない。これはクライフ辺りが見たらある意味垂涎ものの状況でもある。

 ではなく、不幸はそこに差し伸べられた救いの手の方だった。

 二人を取り囲んだ輪の外から、ワッツの声が響いた。城門の方からだ。

「お、大将! そんなトコいねぇでうち寄ってきねぇ! おめぇ等ご案内しな!」

「うぃす!!」

 威勢のいい野太い声の合唱が返り、あの剃り上げた頭は見えないのだがどうやらワッツと正規軍の兵士達がこの場を収めてくれそうな気配にほっとしつつも「案内って何だ?」とレオアリスが疑問を感じた時、娘達の輪から凄まじい悲鳴と罵倒が沸き上がった。

「きゃああああ!!」

「ちょっと何あんた達!」

「この変態ー !」

「いやぁぁあ! マジ最低ー !」

「近寄るんじゃないわよ!」

 揺るぎなく織り上げられていた人垣が積み木を崩すようにわっと崩れる。

「な、何だ?」

 何が起こったのか判断がつく前に、娘達の空けた道を悠然と通り、ワッツがレオアリス達の正面に立った。

 ずしん、と音がしたように思える。

 最初に認識したのは鮮やかな、赤い衣装だった。

「あれ……?」

(だ……誰だ?)

 眩暈がする。

 夜会に集う貴婦人達が纏うような華やかな、ふわりと裾の広がった衣装の、大胆に深く開けられた襟刳りからワッツのゴツイ筋骨隆々の胸がはみ出し、肩も腕も胴も筋肉が、もはやそうとは見えない華麗な絹の衣装をはち切りそうなほどぱつんぱつんに張らせていた。

(――)

 くらり。

 女装、という言葉もすぐには浮かんで来なかった。

 普段は剃り上げた岩のような頭に今は赤毛のかつらを被り、白粉を塗り込め、真っ赤な口紅を引いている。

 ワッツはその唇で、にやりと笑った。

「大変ですなぁ、大将。ま、お助けしますよ、俺達で」

「――俺達……?」

 複数形にして欲しく無い。

 しかしワッツは自分の後ろに居る似たり寄ったりの扮装をした人外――いや、部下達へ、顎をしゃくった。十人以上いる。

「おう、お連れしな! お二人様ご案内ィー !」

「うぃす!!!!」

 何やら黄色の華やかな衣装が近づいてきたかと思うと、がつりとした腕が伸び、ふわり、と足元が浮かび上がる。

 園遊会や夜会で流れるような優雅な香水の香りが漂った。

(ひぃぃ!)

 ぎゃああ、と娘達の怒りの悲鳴が上がる。

「ちょっとォ! 止めてよー !」

「いやー、ロットバルト様ぁ!」

「返せ変態ー !」

 轟轟たる非難もものともせず、ワッツとその部下二十名は肩にレオアリスとロットバルトを抱え、ざっざっざっざっと二列縦隊で小気味の良い足音を響かせつつ、何やら威勢のいい行進歌を声を張り上げて歌いながら、娘達の間を抜け城門へ突き進んだ。




「ここ最近で一番ひどい気分だな」

 ロットバルトがうんざりした面持ちで、長椅子の上から冷えきった視線を投げる。それをまるで痛痒なく正面から受け止め、がはは、とワッツが笑った。

「注目引いただろ! 客寄せの一環の見せ物って奴よ。なかなか客が入ってこなくてなぁ、何でだか。でもあれだな、ヴェルナーのダンナも王の剣士も連れて来たってのに、あの娘達ぁ誰もついて来なかったな?」

 レオアリスはばん!と目の前の卓を叩いて立ち上がった。

「当ったり前だ! 誰があの百鬼夜行について来るんだ! わざわざガタイのいい奴等ばっか揃えやがって、嫌がらせじゃねぇか!」

 この「店」にいるのは魑魅魍魎、いや、無理矢理華麗な衣装を身に纏った西方軍第一大隊選り抜き、三十名の強面(こわもて)達だ。狭い。天幕内が。

 二人が連れて来られたこの天幕はレオアリス達のものと同様、西方軍第一大隊が出し物を出す為の天幕で、つまり今目の前に展開されているこれがワッツ達の出し物という事になる。

 ほとんど宴会芸が突き抜けた結果でしかない。

 何で彼等はこんな事になってしまったのだろう。

 とにかく天幕を開けた瞬間に女装した筋肉の満ち満ちている空間に、率先して入りたいと思う訳が無い。

「でも助かっただろ?」

「いや、こっちのがいっぱいいっぱいだ」

「うはは。やってる方は結構楽しいぜ、全員見た瞬間真っ青になってよ。なぁ!」

 ワッツは近くにいた青い衣装の部下に同意を求めた。

「自分は優勝目指しておりますから、引かれると残念であります!」

 普通こう装ったら言葉くらいそれらしく変えるものだが、全員口調は訓練中のそれで余計怖い。

「肝試し大会に変えたら客が入るんじゃねえの?」

 ふう、とレオアリスは息を吐き、長椅子に座った。ワッツをじっと見る。

「何だ?」

「俺はあんたと、もっとちゃんと話したかった。もうすぐ話せなくなるだろう」

 ワッツは三日後には西方第七軍へ赴任する。そうすれば、しばらくは会う事が無い。

 ワッツがいなくなると――寂しくなる。それが一番素直な気持ちだ。

「――」

 じっと見つめた結果――レオアリスは力を使い果たしてがっくりとうなだれた。

「無理」

「何が無理でぇ」

 ワッツは張り裂けそうな衣装の袖をきしませ、太い腕を長椅子の背に載せた。

「ま、湿っぽいのは性に合わねぇし、一生顔を合わせないって訳でもないからな。この程度で充分だぜ」

 岩のような顔の中の、澄んだ緑色の瞳を向ける。

「お前さんも思うところはあるだろうがよ、一里の控えは俺とウィンスター殿を信頼して任せてくれ」

「当たり前だ、信頼してる」

 そう、焦る必要はないし、不安に思う事もない。

 レオアリス一人が王の護りではない。アヴァロンやアスタロト、セルファンが王に同行し、ワッツ達西方第七軍が控える。

 万が一何か不測の事態が生じても、問題は無い。

 自分が感じる漠然とした不安は、改めてワッツと話すと軽くなるように思えた。

 レオアリスはぐっと顔を上げ、真剣な顔をした。

「――着替えてくれ、頼むから」

「わはは」

 卓越しに腕を伸ばしてワッツはレオアリスの肩を何度か叩き、隣のロットバルトへ顔を向けた。

「ヴェルナー中将、こいつを頼むぜ、目ぇ離すとえれぇ無茶するからな」

「……ヴィルトール中将と同じ事を言いますね」

「ヴィルトール?」

 レオアリスが訝しそうに繰り返す。

「いや――。まあ慣れてますよ、無茶は」

「何だそりゃ。しねぇっての。……大体今回は、何もしようがない」

「今回だけじゃないぜ」

「いやいやいや。次回以降も無いし」

 外見はともかく、ワッツはいつもどおりの懐の深さを感じられる飄々とした口調で、どうだかな、と言った。

 ロットバルトが――レオアリスは感心するところだが、ワッツの扮装にはもうすっかり動じていない様子で口を開く。

「西方第七軍について、一つ気になる事があります。昨日のアルジマール院長による復元をルシファーが知った経路」

 レオアリスはちらりとワッツを見た。そうか、ワッツが第七軍だ、と、今までとは違う視点で思う。

「内通者か、会話を聞かれたか、それは調査を待つところですが、どちらにしろ第七軍も内密に調べる必要があるでしょう」

 ワッツは緑の小さな眼を細め、太い腕を組んだ。

「――ヴァン・グレッグ将軍閣下からも指示があった。ウィンスター殿にも内密の指示だってな。まあ大将を疑ってる訳じゃねえんだが、あそこは王城(ここ)みてぇに王の防御陣が張ってねぇからな、ある程度調べるまでは俺一人に留めとくのがいいだろう」

「気を付けろよ」

 レオアリスがそう言うとワッツは可笑しそうに頬を引き上げた。

「いいねぇ、しっかり成長しやがって。お前からそう言われるのは全く悪い気分じゃねぇ」

 長椅子を軋ませ、ワッツが大きな右手を差し出す。

「まあ、厄介な事も多いが、宜しく頼みますよ、近衛師団大将」

 その手をしっかり握り返し、レオアリスは席を立った。「――残念だ」

 少しばかり慣れてしまったし。

「次会うまでの最後の記憶がこれって」




「あれ」

「お」

 レオアリスとトゥレスとセルファンはほとんど同時にお互いを見つけ、顔を見合わせた。

 ワッツ達西方軍第一大隊の異世界な天幕を出て、清涼な夕刻の空気の中を師団の士官棟に戻ろうと、大通りを歩いていた時だ。

「珍しいな」

 トゥレスが全員の気持ちを代弁する。それぞれ第一層の西、北、東に区域を分けている近衛師団の大将三人が、たまたま路上で揃うのは非常に珍しい。

 反対側にいたトゥレスは一台馬車が通り過ぎるのを待って、通りを横切りレオアリス達の前まで来た。セルファンは城の方から歩いてくる。

「参謀殿がいるって事は今仕事帰りか?」

「いや、祝祭に行こうと思って――たんだがまあ色々」

「色々?」

 セルファンもトゥレスの横に立つ。隊士達が珍しい顔ぶれに気付き、緊張ぎみに敬礼して過ぎる。

「トゥレスとセルファンはどうしたんだ。二人とも西(ここ)にいるなんて珍しい」

 二人とも部下の同行も無く私服だから、個人的にどこかへ行くところだろう。街の方から来たトゥレスは帰りかもしれない。

 セルファンは生真面目で少し神経質気味な面をレオアリスへ向けた。長い黒髪を右の耳の下辺りで一つに束ねて肩の前に垂らしている。軍人というよりは文官の風情があった。

「それぞれの演目の視察をしている。一応、他の隊がどんな状況か確認しておく必要があるからな」

「視察って、祝祭をかよ。真面目だなァ、相変わらず」

 トゥレスが吹き出し、セルファンを斜めに見て腕を組んだ。

「まあ俺も似たようなモンだけどな。俺は西方第一が強烈だって聞いて、面白そうだから見に来たのさ。何ならこれから一緒に行かないか」

「俺はいい。もう充分だ」

 レオアリスは素早く断った。あそこに二度も行く気力はない。

「何だ、もう行ったのか。どうだった?」

「――人による」

 トゥレスは短く笑った。

「お前はお前で気を回すね。まあそりゃ強烈だったんだろうな! じゃ俺達二人で行くか」

 セルファンの肩に腕を回し、トゥレスは睨み付けたセルファンに構わず揺さ振った。

 レオアリスはふと、その仕草が起こした風の流れにある独特の匂いが漂った事に気付き、視線を向けた。

 微かだが――血の匂い。

「どっちか怪我でもしてるのか? 血の匂いがする」

「血? ――いいや」

 トゥレスは瞳を細めてレオアリスを見つめ、それから首を傾け、お、と言ってセルファンの左手を示した。

「お前じゃないか? 袖口に血が付いてるぜ」

「……ああ」

 指で示された左手を持ち上げ、セルファンが眉をしかめた。袖口に数滴程度の血が付いている。

「昼の訓練で少し――誤って腕を切った。皮膚程度だがな」

「そんなの判るのかレオアリス、すごいな」

「うん……」

 切り傷程度のもの、だろうか。

「にしてもセルファン、気合い入れすぎなんじゃないか? 条約再締結への同行が決まったからってなぁ」

 セルファンの瞳が、僅かに苛立った光を浮かべる。

「私が気負っているというのか、失礼な」

「おい怒るなよ、冗談だって――、なぁレオアリス」

「え? いや……」

 レオアリスは咄嗟の返答に戸惑って言葉を濁した。セルファンはトゥレスを睨んだが、トゥレスは気にした様子もない。

「まあでもそんなに気負う必要は無いだろう。陛下は今回、お前とお前んとこの第三大隊が適任だとお考えになってお選びになったんだ」

「――」

「驚いたは驚いたが――あそこにいた大抵は、レオアリスが選ばれると思っていただろうからな。それは正直俺もだ」

「トゥレス」

 咎めるというより困惑が強い口調でレオアリスはトゥレスを呼んだ。セルファンが口を開く。

「当然、誰でも想定外だっただろう」

 黒に近い青い瞳でセルファンはトゥレスを睨み、それからレオアリスへ向けた。

「だが我々は近衛師団の一隊を預かる身として、三人同列の立場にある。何度も言うようだがそれを忘れるな。一人だけ特別という事ではない」

「――」

 レオアリスはセルファンの瞳を受け止め、見つめ返す。

「おいおい、険悪になるなよ、全員任務外なんだし」

「トゥレス大将、第二大隊は第二大隊で責務は重いでしょう」

 ロットバルトの声は沈殿した空気に、新しい空気を入れるような効果があった。

「第一、第三大隊が個々の任務を負う以上、通常の王城警護は必然的に第二大隊へ負荷がかかる」

 トゥレスはロットバルトを見て、にやりと口元を歪めた。

「ああ、そういう事だ。ったく、第一と第三は派手でいいぜ。俺からすればどっちも羨ましいね」

「――すまん」

 セルファンがトゥレスへ詫びる。

「ええ? いや、別にお前等がどうこうって訳じゃあねぇって」

「――」

「真面目だねぇ。じゃセルファン、悪いと思ってるなら西方第一の出し物に付き合えよ」

「それとこれとは話が違うぞ。任務上の負担は任務上で返すもの」

「堅い、堅いっての! いいからほら行くぜ! またな、レオアリス、参謀殿。時間があれば第二(うち)の出し物も見に来てくれ。一票入れてくれりゃいいから」

 さっさと手を振るとトゥレスはセルファンの肩に腕をがっちりと回したまま、彼を押し出すように天幕の立つ城門へと歩いて行く。

 レオアリスは彼等を束の間見送ってから士官棟へ戻ろうと身体を戻し、足を止めた。ロットバルトがまだ二人の後姿へ視線を向けている。

「ロットバルト?」

「トゥレス大将は少し場を掻き回し過ぎるな。いつもこうですか」

「? そうかな。……まあ大体そうかもしれないな。気を使ってくれてるのは判る」

「――なるほど」

「何だよ」

 ロットバルトはもう歩き出し、数歩先にいたレオアリスに並んだ。

「いえ。それより先ほど、血の匂いを気にされていましたが」

「ああ――」

 レオアリスは頷き、それから呟いた。「セルファンの腕か……」

「疑問があったように見えました」

 今も、というように蒼い瞳が向けられる。

「疑問、て言うか――切り傷程度にしては、匂いが強かったからな。ただ、実際はもっと傷が深くても、少し抑えて言ったのかもしれない。そもそも俺の気のせいかもしれないし」

 緩い風が吹き、街路樹の銀杏のが枝葉を揺らす。

 レオアリスは風の吹いて来る先にあの優雅な姿を探し、この先風が吹くごとに何度と無くそう考えるのだろうと、頭の片隅で思った。




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