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第七章『輝く青』(3)

 

 カラヴィアス達の交わす会話がしばらくの間隣室で聞こえていたが、程なくその声も聞こえなくなった。。

 床の上に落ちた窓の格子の影は斜めに部屋の奥へと伸びている。今はおそらく午後の三刻を回っているくらいだろう。


 レオアリスは寝台の上で起こしていた身体を、重ねた枕の上に預けた。自然と息を吐く。

 丸二日も眠って目が覚めたばかりだからではあるが、全体的に身体が重く、少し動かすだけで息が切れる。

 このまま目を閉じれば、すぐにでも意識は落ちていきそうだ。

 それが必要だとも分かる。

 十月の半ばから、そこそこの連戦を重ねているところでもある。


(けど、身体がこんなに重いってのは――これ、復調するのにどれだけ眠ればいいんだ?)


 自分自身に前例がなく全く判断がつかない。

 深い眠りを回復の手段とするのが剣士の種族特性のようだが、ユージュは数日から長ければ数か月も眠ったといい、ザインも剣を失った後はユージュほど長い期間ではないものの、断続的な眠りを繰り返したようだ。


(バインドは、長かった、と思う)


 剣を失い、そしてレオアリスの前に現れるまでに、十七年。


(薬で戻さなければ、それだけ掛かるのか)


 その間は行動が大幅に制限される。

 剣士とはだいぶ面倒臭い種族だと、改めてその感覚が強くなった。


(薬で、どのくらいで戻る?)


 ザインは数日間苦しんだと言っていたが、何日かかったのかをしっかりと聞いておけば良かった。

 アスタロトの言ったとおり、西海との戦いはこの狩月の内に行われるとなれば、そんなに長く行動を制限されている訳にはいかない。カラヴィアスの口振りでは、西海戦に間に合うようだったが。


 剣を戻し、身体を復調させ、西海と、ナジャルに対する。

 いつかの、海面の下に感じた存在、それから王城の謁見の間に現れた存在。


『あの強大な存在と、君はどう戦うつもりなのかな』

『食い尽くした末に尚欲する怪物だ。膨れ上がり過ぎて僕らの剣も通りにくい』


 剣が戻っても、それだけでは難しい。

 カラヴィアスの双眸が過ぎる。


『限界を理解しろ』


(戦い方――)


『剣に頼るな』



(――父さんは)


 夢の中で、剣は自分自身だと告げた。

 カラヴィアスは、一部に過ぎないと言った。



 もっと深く考えたいと思いながら、疲労の伸ばす手に、意識はまた沈んで行った。












 白く輝く長大な鯨が、悠然と海を行く。

 海面は嵐で波が高く立ち荒れていたが、水深七十間(約210m)もの深くを航行するファロスファレナには、さほど影響を及ぼさない。



 西海第二軍副官、第一隊大将ミュイルは、上官であるレイラジェの前に片膝を下ろした。ミュイルの並びには第二隊大将ゲイラ、第三隊大将ノウジ、第四隊大将アルビオルが揃っている。


 そしてもう一人、客人としてこの第二軍軍都ファロスファレナに身を置いている、アレウス王国近衛師団第一大隊中将ヴィルトールは彼等とレイラジェとの間に立っていた。


 ミュイルが一つ、膝を進める。


『閣下、皇都イスについては未だ、我が方への派兵の動きは見られません』


 先日の第一軍強襲要塞ギヨールとの一戦以来、状況は凪とも言っていい。却って不気味だが、フォルカロル等の目が今どこへ向いているか、そこを考えれば当然とも言えた。


『アレウスに対する前に戦力を削りたくないと、イスはそう考えているでしょう』

『左様です』


 第三隊ノウジが大きく頷く。ノウジはミュイルより若い――と言ってもヴィルトールからは西海人、彼等自身が変異種と呼ぶ種の外見は年齢が測りにくいが、その若さに相応しく、血気盛んな口振りだ。


『ナジャルの手にいまだ六万の兵があるとはいえ、我等第二軍もその三分の一弱もの兵数、加えてこのファロスファレナがあるのです。行き掛けの駄賃に手を出せるものではございません』

『ナジャルの手元の六万よりも、ナジャル一体の方が厄介だがな』


 第二隊ゲイラはうんざりと口にする。


『それにフォルカロルはともかく、ヴォダ将軍の剣は侮り難い』

『なんの、如何な瞬速ヴォダ将軍の剣技もレイラジェ閣下には及びますまい』


 ミュイルはアルビオルの発言を待ったが、アルビオルは普段の寡黙さのまま、レイラジェに面を向けている。ミュイルもレイラジェへ、双眸を戻した。


『閣下、とはいえ我等としては、ギヨール戦で蒙った被害千七百と十二名、決して少ないものではなく、また住民達も本来の家を失ったままの状況です。イスの目が我等から逸れているのはやはり幸いと言えるでしょう』


 レイラジェは失った左脚、膝から下を今は義足に変えていた。威厳を損なってはいない。だがレイラジェの武に深い敬愛を抱いているミュイルとしては、その武に僅かでも翳りを生じさせたナジャルへの憤りは抑え難かった。


 本心は、ナジャルを彼等の手で討ち滅ぼしたい。その為にすぐにでも、ファロスファレナをイスへ向けたい思いだ。

 だが、彼等第二軍に勝機はほぼ考えられず、そしてまた、彼等の本旨本懐はナジャルの打倒ではない。

 それは経過点に過ぎず、その先こそが彼等の目指すものだった。


 一度、斜め前に立つヴィルトールへ視線を向ける。


『イスが地上への派兵を目論んでいるだろうこの間、事態が大きく動き出す前に、アレウス王国王都と今一歩踏み込んだ調整が必要と考えます』


 ゲイラを含め、大将全員が同意を示して頷く。

 レイラジェは四人の大将達を見渡した。


『貴様等の言う通り、現状は渦巻き始める前ぎりぎりの辺域にあるようなものだ。イスが地上への派兵を再開すれば、地上から見た渦の中心には我等もまた等しく存在することとなる。今動かねば、渦の中に巻き込まれてからでは地上には到底手は届くまい』


 レイラジェの双眼がヴィルトールへと動く。


『ヴィルトール殿』


 ヴィルトールは姿勢を整えた。

 予想外の状況から西海の軍都に身を置きはしたが、これからが、ヴィルトールにとっても本当の目的だ。


『アレウス王国と対話を望む。それに当たり貴殿の考えをお聞きしたい』


 傍らに控えている通訳の兵がレイラジェの言葉を伝え、ヴィルトールは頷いた。


「私の考えはレイラジェ将軍や大将殿方と同様です。我が国もボードヴィルを平定した今、次に――いえ、最終的に、西海との決着を早期に図ろうと考えるでしょう。国土を回復するには戦乱を長引かせないことこそが第一です」


 自分の言葉が西海の言語に変換されるのを聞くのは、新鮮な気分だ。

 そしてそれこそが、両国間をつなぐ役割の重要さを感じさせた。


「今、我が国の兵数は七万弱、兵数自体はイスの軍に勝っています。しかし国内の治安維持を考えれば、イスとの戦いに割ける兵数はその七割から、最大でも八割といったところが妥当です」


 長引けば国内の情勢が不安定になるばかりだ。可能な限り短期間で戦いを終わらせる必要があり、その為の大きな要素の一つが両国間の和平への動きだった。


「我が国が海域に攻め入る手段を有していない以上、戦場は西海との国境沿いの地上部を主とすると考えています。そうなると数の優劣はそれほど問題になりません。我が国にとっての問題は一つ」


 ゲイラが先ほど、口にした。


「ナジャルの存在です」


 途方もない、底の見えない怪物だ。

 倒す術があるのか――例えば、アルジマールの法術やアスタロトの炎、レオアリスの剣が――それに今は確証を求めず、ヴィルトールは言葉を継いだ。


「あなた方には、我が国に対して和平への意志と、そしてナジャルに対する意思をまず示して頂きたいのです。それを持って私が対話の場を必ず整えます」


 必ずは言い過ぎか、と内心苦笑する。


(まあロットバルトが整えてくれるだろう)


 全幅の信頼を置かれ、相手がどう思うかはともかく。


(丸投げとも言うかもね)


 まずはレイラジェ達第二軍を、アレウス国がイスに対する戦力と認めることで和平交渉が動き出す。


「ですからやはり、差し出がましいことながら、第二軍の兵力は維持拡大していただくべきと考えます」


 レイラジェは口元に笑みを浮かべた。


『それぞれ、約束しよう』

「ありがとうございます」


『ヴィルトール殿。長く留めてしまったが、貴殿にはすぐにでも、地上に戻って頂く必要があろうな』

「はい。それとレイラジェ将軍、もう一つ、お願いがございます」


 続くヴィルトールの言葉を聞き、レイラジェはミュイル達を再び見渡してから頷いた。


『良かろう』






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