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第6章『空と汀(みぎわ)』(17)

 

「公」


 ボードヴィルを見下ろす王都軍本陣では、明日の開戦に向けて兵士達が最後の準備を着々と進めていた。

 特に、風竜、ルシファー分断の為の術式構築を行う法術士団の天幕は、本陣の中央に円形に並べられ出入りが絶えることがない。

 法術院長アルジマールはこの夜合流し、明け方、法術を展開、二者を分断する手筈になっていた。


 本陣内を視察していたアスタロトを呼び止め、どことなく陰を含んだ面持ちで歩み寄ったのはタウゼンだ。高い位置にあるタウゼンの顔を見上げる。


「どうした」

「王都から、伝令使です」


 作戦に関して火急の用だろうかと身構えたアスタロトへ、タウゼンは思いもかけない言葉を告げた。


「ベルゼビア公爵家のブラフォード殿が、亡くなられたと」

「――え?」


 すぐには言葉の意味が飲み込めず、アスタロトはタウゼンの言葉を口の中で繰り返した。


 亡くなった。


「……ブラフォードが――?」

「先日の負傷が癒えず――ブラフォード殿は法術による治癒を拒否しておられました故」

「――そう……」

「亡くなる間際、ブラフォード殿は暫定的に王家直轄となっていた所領、そして爵位を、正式に返上したとのことです」


 アスタロトは束の間、タウゼンを見つめた。

 返上――爵位を。


 ベルゼビア公爵家の――これまで国を支えてきた機能、四大公爵家の一角の、それは完全な消失を意味していた。

 その事実の余りの大きさへの、不安。


 そしてもう一つ、爵位返上という言葉のもたらした感情。


「それから、こちらを。貴方宛です。伝令使と共に届けられました」


 タウゼンが差し出されたのは一通の封筒だ。

 アスタロトへ手渡すとタウゼンは右腕を胸に当てて敬礼し、ただ来た方向へ戻っていく。

 アスタロトもまた、封筒を手に、枯れかけた芝を踏んで歩き出した。


 兵達がアスタロトの姿を認め敬礼を向けてくる。アスタロトはそれに一つ一つ応えながら、どこか違う場所でブラフォードのことを考えていた。


 温かい想い出とは無縁の、幼なじみ。

 最後に見たブラフォードは寝台に横になっていた。血の気の失せた面が印象に残っている。

 法術の治癒を受けろと、そう勧めたけれど、軽口のように流された。

 あの時から決めていたのだろう。


『自然に命が尽きるまで、できることをする』


 そう言った。

 爵位を返上し、けじめを付けることがブラフォードの元々の意図だったのだろうか。


 アスタロトは立ち止まり、空を見上げた。

 風が髪を揺らして過ぎる。

 暮れかけた白く遠い空と、西陽が投げ掛ける輝く朱金と橙色の筋。



『王はお前たち二人をお認めにはなるまい』



 あの時――

 ブラフォードの言ったあの言葉が、アスタロトの中に眠っていた想いを起こし、曖昧さに形を与えた。


 もしかしたら、あの言葉がなければ、アスタロトはその後の想いを抱くことはなかったのだろうか。

 ルシファーの想いを呼び起こすことはなかっただろうか。

 もしかしたら。


 アスタロトはただそれまで通りに正規軍将軍として、王と共にイスに赴き、王の身を守る為に炎を振るえていただろうか。


「そんなの……」


 ばかばかしい。ばかばかしいと、そう思う。


 ブラフォードのせいなんかじゃない。

 ならルシファーが言ったから? 同じように、王は認めないだろうと。


「違う」


 全部違う。

 誰かのせいなどでもない。

 全てアスタロト自身の選んだ道で、自分の負うもので、

 全て、自分のものだから。何もかも。


 ふと、アスタロトは瞳を見開いた。

 イスで、あの時自分を包んだ黄金の光が、瞳の奥を染める。


 最後に聞いた、王の声――



『そなた自身を見つめよ――』





『何に縛られる』




「――」


 アスタロトは見開いた瞳に空を映した。

 つい先ほどまで白々と色の失せていた空は宵闇の澄んだ灰色と群青が、まるい天蓋の半ばほどを覆い始めている。

 あの時の、重く深い海の青と異なりながら。


 ――そうだ。

 誰もアスタロトを縛りはしていない。

 縛っていたのは自分だ。

 自分自身。


 アスタロトはボードヴィルとは反対側の丘の上に立ち、それから手にしていた封筒を持ち上げた。

 銀に近い淡い灰色の封筒。宛名は正規軍将軍の立場ではなく、アスタロト公爵家当主となっている。

 指先を差し込み微かな音を立て、封蝋を剥がす。


 夕刻の冷えて寂寞とした風がアスタロトの足元を抜け、軍服の裾や括った髪を靡かせていく。

 沈む夕陽と空の夕映の中で、アスタロトは便箋に綴られた文字に瞳を落とした。


 便箋は二枚。

 書き出しは、先日の見舞いへの謝辞。

 らしくない、と笑い、その先の文字を目で追って小さく息を飲む。


『あの時伝えるべきだったことがある』


 元西方公のことだと。


(――ファーの……?)


 予期していなかった内容に、アスタロトは驚きを覚え、一度背後のボードヴィルを振り返った。

 最後の西陽を受けるボードヴィル砦城の姿。

 便箋に視線を戻し、走らせる。


 ベルゼビア公爵から聞いた話であり、それが何かの役に立つかは判らないが、とブラフォードの文字が前置きする。

 ブラフォードは父公爵に、ルシファーの離反の意図を尋ねたことがある。

 その時の答えは端的なものだった。


『王が国を見捨てた事がきっかけだったのだろう』

『より正確に言うのならば、西方公自身を』


(――)


 じっと文字を見つめる。

 今は二代目で、初代が没し、王が後継者としてどこからか連れてきたのだと。


 それ以上は尋ねず、確かでも無い。これだけの情報では何の足しにもならないかもしれないが――

 ブラフォードは簡潔に詫びて締め括っている。


(王が、見捨てたこと)


 アスタロトは呟いてみた。

 見捨てた――王が、国を。


(――違う)


 王は、この先も国が――この大地に暮らす人々が在り続けるために、あの場に居た。

 けれどルシファーには、見捨てたと、そう思えたのだろうか。

 それともそれは、今のことだけでは無いのだろうか。

 大戦の始まり。西海の皇太子が亡くなったとき。


(ファー自身に聞いてみなくちゃ、わからない)


 息を吐き、再び視線を便箋に落とす。

 さほど長くはない文章の綴り。

 もう一枚、重ねられた便箋を捲る。


「――」


 たった三行。

 もうそれで、手紙はおしまいだ。

 この手紙に綴られた、ブラフォードの最後の言葉。


 アスタロトはそれを、ただじっと見つめた。




 お前はそのままでいればいい


 その炎は誰よりも美しい


 叶うのであれば一度だけ、自分の為に向けられるその色を見たかった




 風が頬を撫でていく。

 もう辺りは夕闇が落ち、陽は遠く、西の彼方に地平線を浮かび上がらせているだけだ。


 喉の奥の塊が、どうしようもなく熱を持つ。

 込み上がる嗚咽を(こら)え――、けれど、代わりに押し出されるように涙が溢れるのを抑えられなかった。


「……何、言ってんだ」


 止め処なく。

 喉の奥の苦しい塊も頬を伝う熱も、アスタロトが今ここにいるからだ。

 喪われて悲しいと想うことも。

 生きて。


「生きてれば――、いつか、見れただろ……っ」


 アスタロトがこうして今、思い掛けない気持ちを抱えているように、生きていれば今と違う光景が、必ず見える。





 アスタロトは涙の筋の残る頬のまま、顔を上げた。

 すぐそこに、ボードヴィルに今いるだろう女性を想う。


(ファー。私は、ファーと同じ道は選ばない)


 彼女のように、立場に望みを隔てられること――

 それは確かに、辛い。


 けれどいつでも、自分の道は自分で選べる。

 その悔恨も、その先にあるものも、自分自身のものだ。それが愛おしい。

 自分を縛ると思っていた立場も、生まれ持った炎も。


(貴女と違う道を行くよ)


 だから彼女の決着には、自分がしっかり向き合いたい。

 息を吐く。


 身体の、胸の奥に、仄かな熱を感じる。



 アスタロトは身を巡らせ、束の間そこに立ったまま、夕闇の中に隠れたボードヴィルの砦城を見透かしていた。




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