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第6章『空と汀(みぎわ)』(16)

 

 晴れ渡った空の下、ボードヴィル砦城から望むサランセラム丘陵の上を王都軍の黒い群れが埋め、時折、陣中に立てられた旗のはためく音が風の音の中に混じって届いていた。


 街は王都軍が姿を現した昼過ぎこそ狭い通りを住民達が埋め、驚きと不安に顔を見合わせ騒めいていたが、午後の四刻を過ぎようとしている今、通りに出ていた人々も家の中に篭り、扉と窓を固く閉ざして息を潜めている。

 彼等を包んでいる不安は先月までのそれとは異なるものだ。

 先月まで、ボードヴィルの敵は西海軍だった。だが今回は正規軍――王都が、このボードヴィルへ派兵した軍だ。


 それはボードヴィルに罪有りと、そう王都が判断したことに他ならない。

 そしてまた、砦城がミオスティリヤ付きだった近衛師団中将ヴィルトールと左軍中将ワッツに対し、王子暗殺の罪を標榜し断罪したことも住民達の不安と――不審に、拍車をかけていた。




「ヒースウッド上級大将殿」


 少将ソローは砦城二階で、石造りの暗い廊下の先にヒースウッドの姿を見つけ、硬い足音を鳴らし駆け寄った。


「な、何だ」


 肩を跳ねたように、見えた。ヒースウッドが振り返る。

 ソローは一瞬、若い面の眉を寄せたが、ヒースウッドに気付かれる前に感情を排して頬を張り詰めた。


「王都軍から、一騎、こちらへ向かっています」

「何――」


 ヒースウッドはソローと共に馬に飛び乗って砦城を駆け出し、黒い板塀の家々が並ぶ通りを駆け抜け、街門へ向かった。

 街門前で馬を止め、街壁の階段を駆け上る。

 外壁の上に身を押し上げるとさっと風が吹いた。


 街門の上は広い物見台になっている。煉瓦造りの小屋を門の上に重ねた造りで、窓が横長に細く開けられているのは、前方の監視の為と、門前に迫る敵へ矢を射掛ける為のものだ。丘陵側に張り出した露台が一つ。

 ヒースウッドはその露台の上に立った。白銀の鎧が身体を覆い、西に傾いて行く陽光を弾く。

 手をかざし、目を細める。


 ソローの報告通り、騎馬が丘を下り、この街門へと近づいてくるところだ。たった一騎。使者だろう。

 騎上の男は身体を灰色の外套ですっかり覆い、目深に頭巾を被り、急ぎもせず、かといって騎馬を止めることもなく、まっすぐにボードヴィルへと向かってくる。その向こうの丘に厳然として揺れる正規軍と王家の旗。


 前面が泥地化したままであれば、と。

 ヒースウッドは湧き上がるその考えを首を振って払った。

 胸を反らし息を吸い込む。


「使者殿に申し上げる!」


 使者は声を聞き止めたのか、馬の脚を止めた。

 距離はおよそ二十間(約60m)。

 使者を射ようと思えば確実に狙える距離だが、ヒースウッドは兵士達を街壁に上げてはいなかった。


 交渉の為だ。

 兵も、武器も見せない。


「我がボードヴィルの真意を、王太子殿下にお伝えしたい!」


 ヒースウッドは自分の声が届いているか、それを確かめようと一度口を噤んだ。

 先ほどまで吹き付けていた風は止まっている。訪れた静けさの中、使者は聞こえているという合図にか、ヒースウッドの視線の先で片手を上げた。

 ヒースウッドは息を吐いた。再び胸を反らせる。


「――我等、ボードヴィルに、王都に反旗を翻す意志は無い! 我等は西海の侵攻を受ける火急の時において、この西の果てで国の防壁たらんとした――その意志は、例え外からは見えずとも、我等ボードヴィルの正規軍兵士一人一人の中に明らかにある!」


 更に声を張る。


「事実、我等は一度たりとも、王都へ弓を引いてはいない! 王都は我等の行動を、何をもって反旗と受け取られたのか――! それは決して我等の真意では無いと、改めてお伝えする!」


 男は馬の首に手をあて宥めるように叩きつつも、そのままヒースウッドの言葉に耳を傾けている。


「我等がお支えするミオスティリヤ殿下は、国王代理たる王太子殿下、ファルシオン殿下の実の兄君であらせられる! ファルシオン殿下が我等の国の王太子として厳然とあられるように、ミオスティリヤ殿下もまた、この国の為に、この国の盾とならんと志され、このボードヴィルにあられる! それは決して、私利私欲の為ではないのだ!」


 ヒースウッドは踏み出し、張り出した露台の手すりに両手をついた。


「ミオスティリヤ殿下に罪など無い! 殿下をお支えする我が部下達にも――!」


 使者は黙して聞いている。


「万が一!」


 ヒースウッドは、もう一歩、王都を説得する言葉を探した。


「万が一、罪があるとすれば――それは」


 ルシファーの言葉が耳元に甦る。



『そうね、それから』



 鼓動が鳴り響く。



『ヴィルトールと、ワッツ――』




 ヒースウッドは一度、固く目を閉じた。


「それは、私欲を以ってミオスティリヤ殿下を掲げんとし、それが叶わないと知った後は、共謀してミオスティリヤ殿下の志を貶め、命を奪わんとした、メヘナ子爵と――」


 心臓が飛び出しそうに跳ねている。

 ヒースウッドはその鼓動を抑え込み、代わりに言葉を押し出した。


「王都、近衛師団第一大隊中将、ヴィルトール――そして一度はこのボードヴィルに所属した、西方第七大隊左軍中将ワッツ。この三名にある!」


 身体全体が鼓動に合わせて揺れている。

 呼吸が荒い。


「わ――我等は」


 息苦しさの中で、肩で呼吸をしながら喉を張る。


「まず、メヘナ子爵を、罪人として、差し出す用意がある! 我等の意――真意を、王太子殿下へ、お伝え願いたい! ミオスティリヤ殿下の御心を――! そしてお二人が、兄弟の再会を果たされ、ミオスティリヤ殿下が王太子殿下をお支えし、この難局を乗り切ること――我等ボードヴィルは第一にそれを、望んでいる!」


 風が再び流れて行く。

 今度はヒースウッドの背後から、丘へ。

 ヒースウッドが口を閉ざしたのを見て取ったのか、使者は纏った外套を揺らし騎馬を進め始めた。街門へ、次第に近付いてくる姿が大きくヒースウッドへ迫る。


 門へ――ヒースウッドが立つ露台へ、使者はあと五間のところで再び騎馬を止めた。大柄な筋肉質の体格が良く分かる。

 ヒースウッドは目を見開いた。頭から全身、外套で覆っているが。


「――まさか」

「――残念だが、ヒースウッド」


 届いた声に、ヒースウッドは尚も耳を疑った。

 疑いたかった。

 使者の右腕が上がり、顔を覆っていた頭巾を取り払う。

 現れた見知った顔に、ヒースウッドは思わず呻いて後退りした。


「――ワ――ワッツ中将……!」


 自らの罪が自分の中にどっと流れ込むように思えた。足元がよろめく。


「俺とお前の意見はやや合わねぇ」


 ワッツの太い声が緩い風を抜ける。


「それになぁ」


 晒した面をヒースウッドの更に向こう、ボードヴィル砦城の大屋根へと上げる。


「元西方公、及び風竜を掲げている限り、王都はボードヴィルの意志を反旗と取るしかねぇ」





『あのお方と、守護竜は、このボードヴィルを守ろうとされているのです!』


 引いてはこの国を守ろうとしているのだと、ヒースウッドはあの場で、体を揺さぶり続ける鼓動の中懸命に抗弁を試みた。

 よろめき踏み外しそうになる脚を支え、街門内の階段を降りる。街門前広間には少将ソローが結果を待っている。


 目眩がする。

 だが、それは使者がワッツだったという理由からではない。

 ワッツが告げた言葉が。


『お前さんは知らねぇんだろうが、風竜は半年前、王都に出現し王城を襲撃してる。ルシファーはその時、風竜と共にいた』

『それによってファルシオン殿下のお命が、危険に晒された』



(――知っている、いや、お、王都襲撃は……知らなかったが……)


 詳しく聞いた訳ではないが――半年前――あの明け方。

 部屋の片隅に蹲っていたルシファーの姿が、ヒースウッドの脳裏に明瞭に浮かぶ。

 右肩には深い刀傷がありありと刻まれ、まだ乾かないその傷口から真紅の血を流していた。

 白い面の中に浮き上がる、熱を帯びた暁の瞳。



『何故――』


 虚な、微かな喘ぎ。


『ああ、ああ……、何故かしら、みんな選ばないわ、何故』



 嘆き。


 何故、自分自身を選ばないのか、と。


 誰に対して言った言葉なのかも知らない。けれど――

 ヒースウッドの握った両拳の中で、爪が掌に食い込む。

 あれほどまでに傷付き、震えていた姿。


(私は……)


 何をして来たのか、その怪我はなんなのか、あの明け方、恐ろしい感覚がヒースウッドを襲いつつもそれ以上に、か細く今にも失われそうな姿に胸を掴まれ、ヒースウッドは誓ったのだ。

 この存在を守らなくてはならない、と。

 ルシファーの意図を恐れるよりも――その存在を失う事を恐れた。


 自分の罪は分かっている。

 ソローはヒースウッドを見ている。街門前広場には二小隊の兵士も詰めている。

 ワッツの声はソロー達に聞こえただろうか。

 聞こえていたはずだ。


「ヒースウッド上級大将殿」


 ソローの眼差しを、ヒースウッドは見ていなかった。


「どうなさるおつもりですか」


 ソローはやや苛立った声を、もう一段高めた。


「ヒースウッド殿!」


 ヒースウッドははっと瞬きし、ソローの面を見た。ソローだけではなく幾つもの目が自分を見ている。兵士達。それから窓を僅かに開けて覗いている住民達。


「どのようになさいますか。投降か、このまま門を閉ざし続けるのか」

「……す、少し」


 乾いた唇を舐める。その舌も干からびているようだ。


「少し考えたい。まだ王都を、説得する方法はあるはずだと」

「――兵達には」

「お……、落ち着くよう良く言い含めるのだ。我等にはミオスティリヤ殿下と、守護竜とあの方がおられる。必ず、道を見つけ、兵達の、兵達と、住民達の命を保証すると」


 ソローはヒースウッドを底光りのする目で見つめ、右腕を胸に当て、一礼した。





 ワッツはヒースウッドの姿が消えた街門上と、そしてその向こうにいるだろうボードヴィルの兵達に向け、もう一度声を張り上げた。


「聞け――! 王都に召喚したヒースウッド伯爵は、ボードヴィルでの企てを認めている!」


 街壁の向こうからは反応はない。だが壁の向こうの兵達や街の住民達の顔を、ワッツは思い浮かべることができる。


「王都――アレウス王国はここに、ボードヴィルへ宣戦布告を明言する!」


 そしてイリヤ。


「一晩待つ――」


 手綱を握り、分厚い胸を張り、更に一段、肺の底から声を押し出した。


「ファルシオン殿下に恭順の意を示し、道を改めるのであれば、兵達の罪は問わない! 一晩の間に熟考し、自らの意思で門を開け!」







「ソロー。ヒースウッドは何と言っていた」


 大股に歩み寄って来る右軍中将エメルの姿にソローは足を止めた。右腕を胸に当て敬礼のまま待つ間、ソローはエメルの足音を数え、その奥でもう一つのことを考えていた。エメルとヒースウッドはそれほど折り合いが良くない。特に最近はエメルの上にそれが見え隠れしていた。


「王都の返答は」

「我々の主張は認められていません」


 はっきりと言い切ったソローへ、エメルは予想どおり、顔を歪めて侮蔑を吐き出した。


「ふん。当然だろう。あのような主張が通ると思っているヒースウッドがおめでたいのだ。あの男はいつでもそうだ」


 ソローは答えず黙っている。それへまたエメルは鼻を鳴らした。


「使者はワッツ中将でした」

「ワッツ?! 何だと、それは本当か」


 エメルは眉を怒らせソローへ詰め寄った。「しぶとい奴だ――どんな時でも生き残る」

 忌々しく呟く。ワッツが半年前に王都の西方第一大隊から赴任してきて、さほど付き合いがある訳ではない。だがエメルには負い目があった。


 一里の控えの任務に共に赴いた折、エメルはワッツへ、そして大将ウィンスターへ、ヒースウッド達の裏切りを密告した。自分の保身の為だ。それは上手く行った。エメルは一度王都軍へ河岸(かし)を変え――正確にはヒースウッドの企みに乗ることで既に立場を変えている――そしてまた、バージェス戦線で辛うじて生き延び、ボードヴィルに戻って三度、立場を変えた。


 そのことを、ワッツはこれまで何も言わなかった。

 知らなかったからか、疑問に思っていたが敢えて知らないふりをしたのか。

 何か思惑があってのことならば――

 エメルは舌の奥に苦さを覚えた。


「中将。王都軍は明日の朝まで猶予を設けました。ファルシオン殿下に恭順し、道を改めるのであれば、赦すと」


 二人の視線が、それぞれの、少しずつ異なる思惑を持って交わされる。

 ソローは再び敬礼した。


「ヒースウッド殿は待てと仰いましたが、もはやこのボードヴィルは終わりです。ならば兵達には戦う必要がないでしょう。そして街の住民達も、彼等の生活を守らなくてはなりません。義理立てや理想は、もう意味がない――私は兵達に、包み隠さず伝えます」


 エメルは粘っこい目でソローの口元を見ていたが、敬礼し立ち去ろうとするソローを引き止めた。


「待て、ソロー」


 振り返ったソローへ、一歩近寄り、声を潜める。


「兵達は赦されるだろう。民は当然だ。だが、将校は違う」

「――それは」


 ソローが喉仏を動かす。彼自身そう考えていたのだろう。頬が張り詰めている。


「しかし」

「将校はただ降っても赦されん。責を負って斬首か、それとも絞首刑か。いずれにしてもこれだけのことをしたのだ。ヒースウッド一人の首では治らんぞ」

「――」

「兵達と同様、ヒースウッドに甘言を弄されただけの貴様等将校達もまた、罪を負う義理など無い。私欲でこのボードヴィルを操ったのはヒースウッドだ。そうだろう」

「し、しかし――そうは言っても、このまま残って王都軍と戦う訳には」

「何を言っている。俺はそんなこと一言も言っていないぞ。まあ聞け」


 エメルは首を振り、一歩ソローへ近寄った。声を潜める。


「功を立てればいい」

「功? ですから」

「違うと言っているだろう。王都に対してだ。このボードヴィルの中で」

「それは」

「耳を貸せ」


 ソローもまた、一歩、エメルへと近付く。


「今、このボードヴィルには簒奪を企む者がいる」


 エメルは粘っこく囁いた。


「我々は正規軍だ。簒奪者を捕え、王都軍へ差し出して正しい場所に戻る」






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