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第6章『空と汀(みぎわ)』(13)

 

 エンデの街の上には厚い雲が低く垂れ込め、今にも雨を降らせそうだった。


 この一帯をエンドノリア地方といい、西方第六大隊の軍都エンデはその最大都市だ。

 人口およそ二万、大河シメノスとその支流に挟まれた三角州に、低い石積みの、だが堅牢な塁壁と共に築かれた城郭都市で、 二つの川が天然の堀の役割を為している。

 エンデの街から少し離れた場所には西基幹街道がシメノスに並走し、そして周辺には緑豊かな農地が広がっていた。


 エンデ近郊は穀物などの農産品の収穫量が毎年豊かだが、このエンドノリア地方はもう一つ、北に位置するカトゥシュ森林を始めとした森林地帯も多いことから、建材となる木材を扱う林業が盛んに行われ、産出された木材はシメノスを利用して王都やフィオリ・アル・レガージュへ運ばれていた。




 五月、西海との不可侵条約が破棄され二国間の戦いが始まると、サランセリア地方から戦火を逃れて来た人々が、天幕を張り、荷車を並べてエンデ周辺を埋め始めた。

 難を逃れる人々の動きは止まることがなく、すぐに天幕の数は千を越し、人々の数は天幕の四倍を超えた。

 加えて、ヴァン・グレッグの西方軍が壊滅的敗戦を喫した第一次サランセリア戦役の直後から、半月も経たない七月末には八千人に近い数の人々が救済を求めてエンデ周辺に集まり、衣食住や働き口、衛生面など様々な問題が生じた。


 エンデが難民の救済から生活支援へ方針を切り替えたのは、八月に入ってのことだ。

 王太子ファルシオンの命により、エンデは難民達を働き手として受け入れ、西海軍の侵入を防ぐ為の防御柵のエンデ周辺への設置、シメノス護岸整備や橋の架け替え、エンデ内の街の修繕、農地の収穫支援など、様々な対策を打ち出した。兵士として正規軍に加わる者も少ない数ではなく、エンデの正規軍は新兵の訓練に余念がない。

 今では街の外周に簡素ではあるが、小さいながらも家屋が立ち並び、エンデの街は規模を増したように見えていた。


 ただ、いずれも希望者は終戦後元の土地へ戻ること、その際の蓄財の支援であり、帰農、帰村への支援を前提としたものだ。戦乱の一刻も早い終結と周辺域の回復を望まれているのは変わっていない。

 この十一月、エンデには国内の各地から正規軍の各隊が集い始め、難民達の視線も、エンデ住民達の視線も、これから始まる新たな戦いの行く末と、そして彼ら自身の暮らしの先行きを、じっと見つめていた。





 十一月七日の午前十刻、アルジマールの設置した転位陣を利用し、レオアリス達はルベル・カリマの二人との会見の場であるエンデに入った。

 まず迎えたのは北方将軍ランドリー、参謀長コーエンス、第四大隊から第七大隊の各大将、エンリケ、カッツェ、ブラン、マイヨール。西方第五大隊大将ゲイツ、そして、ワッツだ。


(ワッツ――)


 レオアリスは転位陣の前に膝をついていた彼等の中にワッツの姿を認め、深い安堵と共に息を吐いた。ワッツの面が上がり、一度レオアリスと目が合うと、変わらない巌のような顔でにやりと笑う。

 転位陣からアスタロトがまず進み出て、タウゼンとハイマンス、アルノーがそれに続いた。レオアリスとフレイザーが転位陣を出ると転位陣が帯びていた光は、ごく微かに揺れるのみになった。


 アスタロトが深呼吸をするのが分かる。レオアリスは斜め前に立つアスタロトへ視線を向けた。

 ここはルベル・カリマの二人の剣士に会う為だけの場ではない。

 ボードヴィルと西海に対する正規軍の本陣であり、アスタロトが入ったこの瞬間から、エンデと西方域は戦いへの最終準備段階に入ったことになる。


 ランドリーがアスタロトへ深く一礼し、立ち上がる。


「閣下のお越しに感謝申し上げます。我等北方軍そして西方軍を始め、正規軍一同、閣下をお支えし、此度の戦いに勝利することを胸に期しております」

「ああ」


 アスタロトは真紅の瞳に決然とした光を宿し、頷いた。


「必ず、そうしよう」


 ランドリーとその周囲へ笑みを向ける。北方軍参謀長コーエンスの名を、エンリケ達各大将の名をそれぞれ呼び、先月の第二次サランセリア戦役を経ての勝利と無事を喜ぶ。


 その顔をまた西方第五大隊大将ゲイツへ向ける。アスタロトが以前、七月の西方軍大敗時、重傷を負って生還したゲイツに会ったのもこのエンデだった。

 当時の負傷が窺えるのは軍服で隠されていない面の幾筋かの傷のみだが、完全に消えずに残ったその傷が、かつての――ヴァン・グレッグと西方軍のおよそ半数を失った戦いの苛烈さを物語っていた。


「ゲイツ、回復したようで良かった。もう身体は大事ないか」

「十分、お役に立てます」


 ゲイツが笑みを浮かべる。アスタロトはしっかり頷いた。それから傍らのワッツへと、視線を移す。


「ワッツも――良く無事に戻ってくれた」


 ワッツもまた笑みを刷いて応え、頭を伏せた。

 アスタロトは改めて、自分を迎える部下達を見回した。


「あと少し。ボードヴィルと、西海。それで終わらせよう」


 ランドリー達が深く上体を伏せる。

 数呼吸置き、ランドリーは身を起こした。各大将達はその場に残ることを示して一歩下がる。


「こちらへ。まずはルベル・カリマの剣士とお会いいただきます」


 アスタロトはアルノーを促し、それから、レオアリスと瞳を合わせた。

 前を行くアスタロト達を追って、レオアリスとフレイザーも歩き出す。フレイザーが向ける視線に自分のそれを返し、レオアリスは転位陣のある中庭を横切り、エンデの城内へ入った。


 扉を潜ってすぐの大広間は広く、幾つもの柱が支える二階までの吹き抜けになっている。高い天井の弧を描く梁から鎖で吊り下げられた燭台が、灯りを灯し等間隔に並んでいる。

 ルベル・カリマの二人の剣士との会談の為に用意された場所は二階の広間だった。


 二階へ上がる階段へ、大広間を横切りながら、レオアリスは見上げた高い天井が含む陰影の中にプラドの姿を描いた。

 ザインとやや似たところはあるが、プラドの面持ちはザインよりも厳しい。この国を出て数百年、戦場を渡り歩いて来た者の纏う空気、なのかもしれない。


『俺はこの国に三人を置いて来たことを後悔している。母も兄も、妹も命を落とした。ルフトも失われた。だからレオアリス、お前を連れに来た』


 ルベル・カリマも、そう言うのだろうか。

 この国をどう捉え、どう考えているのか。


『お前が剣士をどう解釈しているか知らないが、剣士とは、失う者だ』


 右手が、無意識に鳩尾を掴む。

 背中にそっと手のひらが当てられ、レオアリスは瞳を上げた。フレイザーが側で微笑んでいる。レオアリスは自分の右手に気付き、握っていた指を緩めた。


「――ありがとう」


 そういうと、もう一度フレイザーはにこりと笑った。


「ザインさんの氏族でしょう。何となく、雰囲気は分かる気がします」

「そうだな」

「あっ、レオアリス」


 階段を上がっていたアスタロトが踊り場に立ち止まり、ややせかせかとレオアリスを振り返った。その面には先ほどまでとは異なる、なんとも言い難い表情を浮かべている。


「ごめん、言ってなかった。ルベル・カリマの、特に年下の方、ザインさんに似てるかどうかは、ちょっと――」

「ちょっと……?」

「カラヴィアス殿は確かに似てたけど。うん」


 先導していたワッツが太い笑い声を立てる。


「公は良くご存じでいらっしゃる」

「それは――ねえアルノー」

「私からは何とも」

「どういうこと――ですか」


 レオアリスが訝しそうに問うと、アスタロトはますます困った顔をした。


「え、うん――何ていうか――」


 首を傾げる。頭の後ろで一つに括った髪がさらりと肩にこぼれた。


「……同い年?」

「――」


 これがアスタロトならではの言い方なのか、それともルベル・カリマに何か問題があるのか。


(わかんねぇ)


 レオアリスの眉根にアスタロトとはまた別種の困惑が浮かぶ。しかしアスタロトだけならともかく、アルノーまで微妙な反応というとさすがに後者な気がする。

 フレイザーと目が合って、


「……楽しみですね?」


 フレイザーは怖いものを見るように微笑んだ。





 会談の場として用意された広間に入った瞬間、


「お前がレオアリスか!」


 飛んで来たのは若く――どこか幼さを含んだ――鋭い声だ。

 レオアリス達は驚いて、広間の入り口で立ち止まった。一人の少年がずかずかと大股で近寄ってくる。奥の卓にはもう一人、青年が腰掛けていた。


 二人がルベル・カリマのティルファングと、レーヴァレインだろうと――そう考える間もなく、少年はレオアリスの前に真っ直ぐ近寄って右手を上げ、


「いい加減迷惑してたんだ! 僕を見るたんびに皆レオアリスレオアリスレオアリスレオアリスって――!」


 その指先をレオアリスへ突き付けた。


「何なんだ!」


 レオアリスは束の間、間近に突き付けられた指先を見ていた。


「……え。何なんだって……」


 何だろう。

 いや、何を言っているのだろう。

 良く判らないがとりあえず、アスタロト達の複雑そうな様子の理由は良く判った。


「魔獣狩りをしてるのは僕なんだから、讃えるならこの僕、ティルファング様を讃えるべきだろっ? それなのに剣士と見りゃレオアリスレオアリスって、ちょっと見りゃ違うってわかりそうなもんじゃないか」


 ザインの姿と、プラドとティエラの姿が脳裏に浮かぶ。

 剣士は皆、落ち着いた大人の雰囲気を漂わせているのだと、漠然と思っていた。


「――」


 レオアリスの視線が自然とアスタロトへ流れる。アスタロトは「言った通りだろ」と言わんばかりの顔だが、レオアリスが言いたいのはそれではない。

 少年がずい、と近寄る。その分近付く指先を避ける為に、レオアリスはやや後ろへ反った。フレイザーが苦笑を零しつつ、レオアリスに一歩近寄った。


「それで、お前は」

「ティルファング」


 穏やかな声がティルファングの名を呼んだ。途端にティルファングはふわふわした黒髪に縁取られた少女のような顔を痙攣らせ、指を下ろした。

 やはり彼がティルファングなんだなと、改めて確認しつつ、レオアリスはティルファングから卓に座ったままの青年――レーヴァレインへ視線を移した。


 彼はティルファングより十歳ほど年長の、二十代前半くらいだろうか。同じく黒髪の、緩く波打つ髪を頭の後ろで一つに纏めた長身の青年だ。整った面で、端然とした姿勢のまま微笑みをティルファングへ向けている。優しそう、なのだが。


「気が済んだ?」


(怖い)


 ロットバルトが時折冷えた笑みを見せるが、それとも違う。


「――レーヴ、僕」

「済んだかな?」


 室内はひやりと冷えた。

 ティルファングはもごもごと口を動かしたが言い訳を諦め、見るからに打ち萎れてとぼとぼレーヴァレインの隣に戻っていく。

 青年――正確には青年ではないのだろうが――の黒い瞳が椅子の横に立ったティルファングを見上げる。


「注意したのは何度目かな」

「この件は二度……すみませんでした」

「謝るのは俺にじゃないよね」

「――ごめん」


 レオアリスへそう言い、レーヴァレインからじろりと見つめられ、「なさい」と付け加えた。「あ、いや」とレオアリスも返す。


 レーヴァレインは溜息を吐いた。


「君はもう、百年も生きてるだろう」

「……そう、だけど」

「今まで一番歳下だったけど、もうお兄さんだよね」


 ティルファングの可憐な眉根が歪む。タウゼンとランドリーは自分の子供の幼い頃を思い出し、遠い目をした。


「別に、血はつながってないし」

「そもそも歳下は彼だけじゃないじゃないか。一族にはザインの娘のユージュだっているんだよ」

「ユージュは歳上だし!」

「あ、そうか」

「あの」


 レオアリスはこの状況を改める義務はこの面子の中では自分にあると、一歩前へ出た。

 正規軍側はタウゼンを始め皆沈黙している。


「とりあえず、座って話をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「ああ、すみません、本当に。身内が失礼致しました」


 レーヴァレインはそう言って一度立ち上がり、その性質を窺わせるように穏やかに頭を下げた。


「戸惑われたでしょう。正規軍将軍を初めわざわざ御足労いただき、私も今日は終始改まった場になると考えておりましたので。まずは仕切り直しをさせてください」


 アスタロトがティルファングへ、得意げに満面の笑みを浮かべる。


「ふふん、怒られてやんの。私なんかもうお姉さんだって、アーシアがうちに来た三つの時に自覚してたし!」

「何だよ! 僕だってなぁ」

「とにかく!」


 レオアリスがまた始まりそうな不毛な会話を断ち切る。


「まずはお話を。アスタロト、お前も煽るな」


 アスタロトが唇を尖らせている。会ったのはこれで二度目だろうにと溜息がちに視線を転じれば、同じく唇を尖らせたティルファングの顔が目に入った。


「……二人とも、似てるな」


 これまで誰もが言葉に出しては言いにくかったことを、レオアリスはずばりと口にした。扉の前で腕を組んでいたワッツがにやりと笑う。


「似てない!」

「失敬な! 何を根拠に言ってるんだ、全く似てないよっ! ね!」


 憤慨するアスタロトに同意を求められ、アルノーやタウゼンは複雑な顔をして視線を外らせた。





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