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第6章『空と汀(みぎわ)』(11)

 

「侯爵、どちらへ――お探ししておりました」


 王城の玄関広間に入るなり駆け寄って来た四人の秘書官と、そこに主計官長ドルトの姿まであるのに苦笑を返し、ロットバルトは彼等の前に足を止めた。


「急な案件が?」


 秘書官はいえ、と恐縮そうに首を振った。


「ですが、ご所在が判らず心配致しました。ご不明の間に御身に何かあれば」

「警護が付いていますし、そもそも近衛師団に所属していた身として護身程度なら心得ています。あまり心配することはない」


 それにあの場より安全な所など、そうは無いだろう。

 困った秘書官達に代わって嗜めるように言ったのはドルトだ。三十代後半の、日をあまり浴びていない細い面で眉を寄せる。


「そのような問題では」

「ああ、いえ。不要な心配を掛けてしまったのは確かですね」


 そう言って笑ってみせると、秘書官は困惑と安堵の入り混じった顔で目礼した。もう一つ約束しなければ、彼等は秘書官という立場として支障もあるだろう。


「今後は可能な限り、行き先は明確にするように気を付けましょう。それはそうと二刻から会議でしょう。手許に資料はありますか」

「こちらです」


 ドルトから差し出された書類に視線を落とし、説明を聞きながら歩く。周囲を取り囲まれて歩くのは大仰だが、資料に集中できるという点では悪くはない。


 五枚ほどの紙面に几帳面に書き込まれたそれはドルトが取りまとめて(したた)めたものだ。ここ半年の収支、財政状況の推移と、そして今後半年の推計。

 国を健全に維持する為に、削減できる範囲と補強すべき範囲。税収を好転させる為の措置、その一方で民の、とりわけ西方地域に暮らす人々の生活を維持する為の支援。


 幾つか質問、確認を繰り返し書類の情報を入れながら、思考の一方で先程の庭を思い返す。

 朝の協議で和平の話を明確に打ち出さなかったのは、和平を決定事項として提示するのではなく、諸侯が国の先行きを考えるその方向性の一つに自らの意思で和平を挙げることが望ましかったからだ。だが理由のもう一面に、レオアリスの感情を(おもんばか)ったからでもある。


(慮った、か)


 やや皮肉な想いが浮かぶ。

 和平は国の大局だ。その大局を前にして個人の感情を慮るのは、打算的な思考が強い。


(だから剣士の氏族は快く思わないのだろう)


 今回、諸侯よりも先に、混乱すると解った上でレオアリスへ情報を入れたのは、今後の十四侯の協議の場で和平を取り上げた時、レオアリスがその考えを受け止める下地を作る為でもあった。


 まだレオアリスは未来(さき)を見ていない。彼が見ているのはあくまで今、目の前のことだ。

 場合によっては、意識はまだ半年前のあの時点にある。それは今日改めて面と向かってみて、再認識した。


(仕方ない。目覚めてまだ漸く半月――たったそれだけで、それも王の関わることについて、彼が意識を変えるなど無理な話だ)


 時間が要る。

 だが周囲は刻々と、否応なしに変化している。国はボードヴィル、そして西海との戦いにおいてレオアリスの剣士としての能力に頼らざるを得ないが、彼が前を見るのを待つ訳にはいかない。


 その溝に気付かないままで進んで行くのは、レオアリス自身にとっても周囲にとっても良い結果は生まないと、それは容易に想像できた。

 







 浮上した皇都イスの皇城の、その昏い謁見の間を両開きの大扉から玉座へ、真っ直ぐに敷かれた黒い絨毯の上を西海第二軍将軍レイラジェはゆっくりとした足取りで歩いた。


 玉座への(きざはし)の下には、今、三つの影がある。

 第一軍将軍フォルカロル、第三軍将軍ヴォダ。

 そして三の鉾第一序列、ナジャル。

 影を纏う玉座に目を向ければ、そこに座す海皇の姿が窺える。


『ずいぶん遅いお出ましだな、レイラジェ』


 フォルカロルの忌々しそうな声がレイラジェを迎える。

『海皇陛下をお待たせするとは、貴様も随分と偉くなったものだ』

『これでも最優先で(まか)り越した。今、我が第二軍都ファロスファレナは、このイスから最も距離が開いたところを航行している』


 そう返しつつもレイラジェは、階の上の玉座へ跪いた。


『御前に、只今参上いたしました』


 玉座から落ちる声はない。だがレイラジェは間を置かず顔を上げ、立ち上がった。階の左右に立つ三人へ顔を戻す。


『お待たせした』


 フォルカロルが苦く顔をしかめる。ヴォダはレイラジェと同じく歪に突き出した頭を巡らせ、対角に立つレイラジェを見た。


『悠長なことだ。先の敗戦の結果、我が方は未だアレウスを超える八万の兵を有するとは言え、悠長に構えておれる数でもない。逆にアレウスは剣士が戻り、そして元々のその一人に加え、王都侵攻の際にもう一人、剣士の存在を確認している』

『たかが剣士の一人や二人、何の違いがある。今一度、総力を持って地上を侵攻するに、ややてこずるかどうかだけの話よ』


 忌々しく断じたフォルカロルへ、ヴォダは嘲りの色を浮かべた。


『何を言う。そもそも剣士すらないアレウス軍に対し、貴様の杜撰な指揮で四万近くを失ったのではないか』

『無礼な! この私に』

『無礼も何も、貴様は総大将の器ではないという証左だと、いい加減認めよ』

『この私に――』

『内輪揉めは止せ』


 レイラジェは短く言い、その顔をナジャルへと向けた。


『ナジャル殿にお聞きしたい。この軍議、何の為に開いたのか。言い合いを観賞するほど我々は暇でも、お互いへの興味がある訳でもあるまい』

『左様――』


 ナジャルは口元に三日月を浮かべるように笑い、袖の中に組んでいた腕を解いた。その動きは謁見の間を満たす海水が無いにも関わらず、重い何かが三人の身を包んで押しやるようだ。


『我々にはそのようなものは無い。ヴォダの言う通り、悠長に構えておれるものでもない。アレウスの王都を落とせず、サランセリアでは大敗を喫した。三の鉾からガウスを失い、第四軍とプーケールも失った』

『負けてはいない! 我等にはまだ八万の兵があり、対してアレウスは実働四万前後であろうが。我等の優位は崩れぬ』


 フォルカロルが噛みつく。ナジャルはそれへ、薄い刃の笑みを当てる。


『地上で戦うのだ、我等は。二倍程度の数の優位性など価値はない』

『何を言う』

『内輪揉めが広がっただけではないか』


 溜息を吐き、レイラジェは三人を見回した。


『第四軍とプーケールを失い、そして今三の鉾はナジャル殿、貴殿一人しか居られない。貴殿が吐き出す死者の軍も先の敗戦時に焼かれ、あとどれほども残っていまい。この状態でまだ戦うと?』


 ナジャルは鷹揚に、広げた両手を持ち上げた。


『当然だ。それが海皇陛下の御意志であり、そして陛下は我等の完全なる勝利と、勝利による地上の覇権をお望みなのだ』


 それは本当に、()()()()()()()()()、と――


 レイラジェは喉元まで上がった問いを抑えた。

 ナジャルの笑みが深まる。


『だが、まだ戦うのかと問う、貴殿の考えは我にも理解できる』


 そう言って、フォルカロル、ヴォダ、そしてまたレイラジェへ、視線を動かす。


『先の敗戦により、この海はやや騒めいている。それを落ち着かせる方が先であろうなぁ。アレウスは置いておいて良い。まずボードヴィル、そこの竜と風の主を相手取る必要がある。せいぜいが時間を稼いでもらい、その間、我等が体制を立て直すことができよう』

『内部の安定が先だと言うのか』


 フォルカロルの言葉にナジャルは頷いた。


『その通り』

『第四軍を再編し、三の鉾を新たに定めるのか』

『いやいや――』


 ナジャルは血のような赤い口腔を覗かせ、笑った。


『それとはまた別だ』

『別?』

『以前も、海皇陛下が貴殿らに下知されたはずだ。忘れているようだが』


 ヴォダは怪訝そうな顔をした。


『陛下が――? 何の話だ』

『穏健派の存在』


 謁見の間を照らす天井からの陽射しが揺れる。

 レイラジェは嗤うナジャルを双眸を細めて眺め、ヴォダと、フォルカロルへその瞳を映した。

 フォルカロルが侮蔑の笑みを浮かべる。


『何を言い出すかと思えば、それか』


 下らないと言うように肩を一つ竦めた。


『穏健派か。そのような暗がりに隠れ潜む者達がどれほどの脅威になると? ナジャルよ、その穏健派とやらの姿を貴様見たことがあるのか』

『無い。今は取るに足らぬ。だが小さくとも身中の虫は駆除せねば、いずれ身を食い荒らすこともあろう』

『これはしたり――三の鉾筆頭ともあろう古の王が、腹に入れて溶かすだけの存在に怯えるとは』


 フォルカロルは嬉々として、ナジャルの言葉を嘲った。


『まあ、それも無理なかろうな。こうも三の鉾に名を連ねた者が次々破れるのであれば。ビュルゲル、ヴェパール、レイモア、ガウス、ゼーレイ。ここまで三の鉾が弱体化しているなど、かつて無かった状態だ。残ったのはナジャル、貴様一人のみ。いっそ全てが終わるまで、どこか穴蔵の中にでも隠れていたらどうだ。私が代わりをしてやろう』


 ヴォダは苛々とフォルカロルを睨み据えた。


『いい加減にしろ。レイラジェの言う通りよ。これ以上内輪揉めを続けるのであれば俺は退出する。フォルカロル、貴様の失策で蒙った兵の増強が急務なんでな』

『何だと』


 やり取りを注意深く眺めていたレイラジェは、不意に、その視線を引かれるように階へ向けた。その上へ。

 壇上に(わだかま)る影。それが動く。


『穏健派――』


 (くら)い階の上から、どこか軋む響きを宿した海皇の声が落ちる。

 フォルカロルもヴォダも、口を閉ざした。


『かつての我が子の心に添おうとする忠心は麗しい。だが、先の大戦で、弔いは存分に済ませている。あれも満足したであろう』


 レイラジェは眉一筋動かさず、階の上に凝る影を見上げている。


『穏健派とやらは未だ四百年前の波間を漂う幽鬼に過ぎん。もはや潮流に乗れぬもの――早急に排除せよ』





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