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第5章『地平の燎火』(31)

 

 ブラフォードが父、ベルゼビア公との対立を選んだことを、誰よりも驚きなく見つめたのはスキアだった。


 スキアに王都の内通者の存在を伝えてファルシオンの暗殺を防ぎ、一方でベルゼビア暗殺に失敗したスキアを生かし、そしてエアリディアルのもとに金糸雀とともに送り込んだ。

 エアリディアルが入ったこの広間へと忍び込む方法を探していたスキアを、捕らえたように見せかけて、招き入れた。


 それらの行動が何を意図してなのか判らず、どこまで信を置けばいいかも判りはしない。

 そしてまた、ブラフォードはスキアに、自らの意図を理解させる必要などなかっただろう。スキアが彼の意図通りに動けば、それで良かった。


 だからスキアには、ブラフォードへの恩義など無い。






「自分の選択を、理解しているのか」


 ベルゼビアは自分との対峙を選んだ息子を、冷淡な眼差しで見据えた。似た色の双眸が受け止める。


「充分に――故に今一度申し上げる」


 ブラフォードはもう一歩、父との間を詰めた。


趨勢(すうせい)は決した。貴方の晩節を、これ以上汚すべきではない」

「……お前には失望した」


 声に含まれた響きにヒヤリとしたものを感じ取り、レオアリスはベルゼビアへ視線を当てた。

 ベルゼビアが右腕を上げ、その手を招くように握る。

 ざわりと、身の毛が()()()

 これまでで、最大の――


 今まで砕けた石の槍が、一斉に、無数に、空を打ち、立ち上がる。その細く鋭利な切っ先は視界に入るだけでも百に近い。

 グランスレイ達近衛師団隊士が、エアリディアルと王妃を背に囲い込み、守る。


「父、」


 ブラフォードが言葉を重ねる間すら与えず、石の槍が打ち出された。

 アルジマールの早い詠唱が流れ、レオアリスが床を蹴る。


 レオアリスの手にした剣が青白い光を纏い、踏み込み、振るう、その一呼吸で数十の石の槍を断ち切る。切り裂いた槍の向こうから波状にもう一打――、レオアリスが踏み出す。

 降り注ぐ石槍の幾筋かレオアリスの腕や足を掠めて血を散らし、しかしそれもまた、二振り目の剣撃が切って落とした。


 だが剣は青白い光の中で、高く刀身を鳴らしたかと思うと、手の中の柄に一筋、(ひび)を走らせた。


「!」


 レオアリスの手から、柄を失った剣が硬質な音を立てて落ちる。

 数十を数える槍が、頭上から降り注ぐ。

 レオアリスは鳩尾へ手を当てた。

 アルジマールが叫ぶ。


「後ろへ!」

「院――」


 アルジマールの翳した光の盾がレオアリス達の前面に広がり、残りの石の槍を弾く。

 石槍はそのまま、全てベルゼビアへと切っ先を返し、射出された。


 単に消せばいいだけのことだ。ベルゼビア自身にとっては。


 だが、ベルゼビアは自らに迫るそれを消そうともせず、躱そうとすらせずに、椅子に背を凭れたまま変わらない冷淡な面で見据えた。

 瞬間に、ベルゼビアの意図を悟る。

 幕引きを、自らの手で果たすつもりだと――


「父君――!」


 駆け込んでいたブラフォードは、父の前に立ちはだかり、石槍へ両腕を広げた。

 鈍く、肉を貫く音が響く。




 ベルゼビアは、それまで一度も背を起こすことすらなかった椅子から、立ち上がった。


「――」


 双眸が、有り得ないものを見るように一点に凍りついている。

 石の槍が貫いたのは、ブラフォードだ。

 そして、ブラフォードの身体に覆い被さるように床に引き倒した、スキアの背を。


「スキア!」


 エアリディアルは高く声を上げ、隊士達の間を抜け出して倒れたスキアへ駆け寄った。流れ出す血で濡れるのも構わず床にしゃがみ込み、スキアの顔を覗き込む。

 肩、脇腹、それから左の肩甲骨の横を石槍が貫き、血が止めどなく流れ出している。


「スキア! しっかりしてください! ――アルジマール様!」


 アルジマールはスキアの傍らに膝を下ろし、眉をしかめ、それでもスキアの身体に手を当てた。その手を、震えながら持ち上がったスキアの手が、力無く抑える。

 スキアは眉を寄せ、呻きとともに、掠れた声を押し出した。口の端から血が溢れ、咳き込む度に服の胸元を濡らしていく。


「ア……アル、マール、様――、彼の治癒、を、先に……生きて、王都で、証、言を……」

「良い――」


 遮ったのはブラフォードだ。スキアの身体を経てなお、石の槍はブラフォードの右胸に達している。

 ブラフォードはスキアの身体を抱えて身を起こし、まだ身に突き立つ石槍の痛みに顔を歪めながらも、自分を見下ろして立ち尽くしている父、ベルゼビアを見つめた。


「父君――これが幕です」

「ブラフォード――」


 暗い色の双眸は初めて揺らぎ、ブラフォードの姿を捉えている。

 薄い唇が、歪む。


「……愚かな。お前は、予備だと言ったはずだ。その為に使うべき命を」


 ベルゼビアは手を動かしかけ、それが何らかの意味を生む前に、手を下ろした。

 今槍を消せば、血が吹き出す。


「愚かなのは、貴方の方だ。予備……予備とは――」


 ブラフォードは父の様子を笑うように、口元に微かな笑みを滲ませた。抑えた呼吸の間から声を押し出す。


「ベルゼビア存続の為の、予備――、嫡子たる兄君が亡くなった場合ではなく、二者択一の一方」


 息を吐く。既に意識のないスキアを見下ろし、頬を歪めた。


「……自らの尊厳は貫き、その上で私を、王家側に付かせる――いずれの結末においても、ベルゼビアの存続を図ろう、などと」


 ベルゼビアは、ブラフォードが自らの意図に反して動いていることに気付いていた。気付いた上で敢えて、ラフォードの行動を遮らなかった。


「貴方はそのように私を、動かした」


 予備とはそういうことだ。


「貴方は、貴方の野望が潰えた時――、私を切り離し、王都に赦免させることを、図ったのだ」


 スキアがその大半を受けたとはいえ、ブラフォードの傷は深い。視線を上げていることも苦しいのか、ブラフォードは半ば瞼を落とし、荒い息を繰り返している。

 ベルゼビアはブラフォードと対比的な表情を張り付かせた。


「ベルゼビアは存続せねばならない」


 レオアリスは落としていた視線を、ブラフォードからベルゼビアへ移した。眉根に苦い想いを乗せる。ブラフォードの姿は、重なるのだ。


「……そんなふうにしか心を示せないのですか。あなた方は」


 ベルゼビアの視線がレオアリスへ動く。それを正面から見据えた。

 自らの子に対し、家の存続、そんなことだけに重きを置いて――、父と、ただ『家』という形を通して向き合う、そこに浮かぶ想いはレオアリスには解らない。けれど。


「目を向けるべきところは、もっと他にあるはずだ」


 それがもたらすものが何だったか、傍らで見ていたから、知っている。

 そしてまた、望まず割かれたファルシオンの切なる願いと苦しみも。


「『家』を存続させることが、そこまで重要ですか。結局、家を割いても? ならばそれは、何の為の――誰の為の尊厳なのですか」

「――」


 アルジマールは治癒の手を止めて立ち上がり、普段の彼とは別人に思える表情で、促した。


「ベルゼビア公。投降を。今なら、御子息は名誉を保てる」


 ベルゼビアはしばらく、無言のままブラフォードを見ていた。





 エアリディアルはスキアを抱え、その面に落としていた視線を上げた。

 日没は過ぎた。

 両軍は、今まさにぶつからんとしている。それを止めなくてはならない。


 レオアリスも息を吐き、アルジマールを振り返った。


「アルジマール院長、終わらせましょう。王妃殿下と王女殿下を本隊へ」

「いいえ」


 エアリディアルはきっぱりと首を振った。

 藤色の瞳が淡い光を宿す。


「殿下?」

「片方だけしか止まりません。それでは血が流れてしまいます――アルジマール様。わたくしを、戦場(あのば)へ。王都軍とベルゼビア軍との中間の場所へ、送ってください」


 エアリディアルの意図を読み取り、アルジマールは承服しかねて眉を寄せた。

 エアリディアルがその姿を示し、戦いを止める。それは最も確実な方法だろう。


「しかし、万が一、止まらなかったら」


「お願いいたします。わたくしの、役割を果たさせてください」






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