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第5章『地平の燎火』(23)

 

 狩月、十一月一日、午後一刻。

 王都を発ったアスタロト揮下四千の兵は、東方軍本隊の駐屯するベンゲルの街を経てその兵を一万に増やし、ヴィルヘルミナの手前半里まで到着。同時に、東のレランツァの街を起点に進軍した二万九千の部隊と、ヴィルヘルミナの街を挟んで布陣した。





 総大将アスタロトはまず、ヴィルヘルミナを挟んだ三万九千の兵をその場に(とど)め、使者を送り出した。

 使者に立ったのは東方軍第二大隊大将ホークと部下五名、法術士団中将一名。


 ベルゼビアは離反した東方軍第三大隊を中心に、賛同した周辺諸侯の私兵を合わせ総数一万、嫡子マンフリートを総大将とし、街壁前面に横長台形の方陣を敷き、陣と北西街門との間にマンフリートの本陣を置いている。


 ホークはヴィルヘルミナの陣の正面、北西街門を見渡す位置に着くと、そこからは単騎進み出て、ベルゼビアの兵達の顔が見えるほどに近付き、騎馬を止めた。

 背後の自軍よりも当然、ベルゼビア軍の切っ先が近い。


(自軍より、か。つい半年前まで、あの三分の一は自軍だったのにな)


 ホークは内心で苦笑した。

 両陣の誰一人動かず、遠間に互いを見据えている。あの中には言葉を交わしたことがある者もいる。


(同じ国の兵同士――)


 その複雑な思いがこの緊張に現れているようだ。


(ファルシオン殿下だけに負わせるなどせん)


 ホークは更にもう半馬身、馬を進めた。

 互いに掲げた旗が風を受け、音を立てる。


 旗は双方とも二種類。

 王都軍は暗紅色の王家の旗と、深い藍色に染めた正規軍旗。

 ベルゼビア軍は、盾に白薔薇を野苺の葉や花実が囲む王妃クラウディアの紋章旗、そしてベルゼビア公爵旗。


 ホークは懐から出した書状を紐解いて目の前に掲げ、そこに記された声明を、声を張って読み上げた。法術がその声を拾っていく。


「正規東方軍第二大隊大将、デステア・ホークである! 国王代理、王太子ファルシオン殿下よりの令旨を、ここに宣告する!」


 ファルシオンの名を聞いたからか、国王代理の響きにか、街の前に陣を張るベルゼビアの兵士達の間に緊張が走る。


「――此度の戦い、同国人同士が相争う戦いを前に、これを嘆き、深く憂う。されど我が想い、我が願いと同様、この戦いを真に望む者などなく、みな同じ憂いを有しているものと信じる。故に――

「この豊かなるヴィルヘルミナを守護するベルゼビア卿に対し、この地を争いで踏みにじる前に、相争うことを止め、我が母と姉を我がもとに返し、英明なる判断をされんことを求める」


 ホークは書状を丁寧に巻き上げ、再び懐に収めた。

 もう一度正面を見渡す。


「国王代理、王太子殿下の御意志のもと、今一度、最終の猶予を設ける! 刻限はこの日没――、王妃殿下、並びに王女殿下を開放し、ベルゼビア卿、及びその一族が投降するのであれば、王太子殿下は多大なる温情を以ってその意志を受け止められるだろう!」






 ベルゼビアの総大将マンフリートは法術によって本陣にまで届く言葉に、眉をしかめた。


「王太子の温情か。有り難いお言葉だ。とは言え、自ら無血を貫くわけではない」

「いかがいたしますか」


 問う側近へ、マンフリートは父に良く似た酷薄な眼差しを返した。


「数で勝るからと既に勝利を得たつもりとは、愚にもつかぬ。我等の――四公たる我が父が、幼子(おさなご)に頭を垂れ投降するなど、有り得んのだ」


 緊張した面持ちの側近へ、マンフリートは卓の上に置いていた水晶へ、手のひら掲げた。


「我が父が何故に、東方公として四大公の一角にいるか――それを今、面前にお示しになられる」






 それはホーク達が自陣に戻った直後だった。

 靴底に触れた感覚に、アスタロトは前方へ、鋭く瞳を向けた。


「公?」


 タウゼンが気付いて眉を上げる。アスタロトは前方――自軍とベルゼビア軍との間に注いでいた瞳を一度、瞬かせた。

 予感だ。


 いや、アスタロトは良く知っているのだから。


「――タウゼン……兵を退かせろ! すぐに退がらせるんだ!」


 アスタロトの突然の指示にタウゼンは、問い返す間も無く右手を高く上げた。


「全軍を、後退させよ――!」


 伝令の兵が騎馬を走らせる、それそのものが、もどかしく感じられた。

 足元に地響きが伝わる。周囲の兵達が騒めいた。

 真っ直ぐに前方に据えていたアスタロトの瞳の中で、大地に砂煙が吹き上がった。


 それは瞬く間に横に広がり、壁のように舞い上がり――

 唐突に、どっと押し寄せた。


 タウゼンが睨み据える。


「砂塵?!」

「違う、――早く」


 兵はゆっくりと後退し始めている。だが。

 砂塵は地響きと共に雪崩れ来て、その境に()()が見えた。


 大地が陥没していく。

 砂塵が次々と地を食らうように、砂を巻き上げ、王都軍へと迫り来る。

 気付いた王都軍の兵列は、大地の崩落に飲み込まれる恐怖に駆られ、互いに押し合うように後退した。


「――ッ!」


 前方へ駆け出そうとしたアスタロトは、叩きつけ吹き寄せた砂塵に腕をかざし、目をぎゅっと瞑った。

 すぐに目を開け、砂塵に覆われた前方を睨む。


 アスタロトの――、タウゼン達の視線の先で、それまで王都軍最前列の兵がいた地面が、深さ一間近く陥没していた。

 もうもうと砂煙を上げ崩れ落ちる地と砂に、前二列、百騎余りが後退が間に合わず、騎馬ごと飲まれ、穿たれた亀裂の底に落ちていた。



 砂煙が晴れた時には、地形は変わっていた。

 兵士達はまだ後ずさりしながら、呆然と、目の前の光景を食い入り見つめている。


 それまで平らだった大地は、ヴィルヘルミナの街の方角へおよそ十間、横はほぼ四半里に渡って、抉り取られたような光景が広がっていた。








 地響きは丘の上に建つベルゼビアの城にも、足元から這い上がるように伝わった。

 コンラッドは城の三階の回廊から、北側の空を見上げた。

 コンラッドの居る場所からは見えないが、街の外壁の向こうには砂塵が上がり、街へ相対する王都軍の布陣を霞ませている。


 マンフリートに託された力は、王都軍に打撃と脅威を与えただろう。

 ただあの地響きは、ヴィルヘルミナの街の人々にも不安を覚えさせるに十分なものだ。

 脳裏に浮かんだ言葉は、口に出さなくてもコンラッドにとっては不敬に当たるものであり、それを頭の隅に押しやった。


 扉を叩き、中からの返答を待って把手を回す。

 コンラッドはエアリディアルの前に膝を落とし、頭を伏せた。


「王女殿下、湯浴みのご用意が整っております」


 室内は白々として、今ここにいるのはエアリディアルとコンラッド、二人だけだ。


「本当に、呼ばない限りは誰も来ないのですね。心配になってしまいました」


 エアリディアルは珍しく、声を零し苦笑混じりに微笑んだ。昨日婚礼の品々を届けてから、コンラッドがここへ来たのはほぼ一日振りだった。

 時折、金糸雀(かなりあ)の澄んだ囀りが室内に弾む。

 けれどエアリディアルの面からは、たった今ほのかに滲んだ微笑みもすぐに拭われた。


「今の地響きは、何のものですか」


 コンラッドは僅かに身を起こした。


「――つい半刻前、王都の軍が到着したと聞いております。畏れながら私は、それ以上は把握しておりません。ですが、ご心配なさいませんよう」


 そう言ってエアリディアルを見上げる。エアリディアルはコンラッドの瞳を見つめ返した。


「……わかりました」


 コンラッドが立ち上がり、半歩、後ろへ下がる。


「こちらへ――」

「いいえ」


 体の前で両手を重ね背筋を伸ばす。王女の纏う威厳――その声と瞳が、凛としてコンラッドを捉える。


「ベルゼビア公爵との、面会を希望いたします」


 ぴんと空気が張った。コンラッドは再び膝を落としながら、エアリディアルの視線を受け止めきれず、わずかにそらして泳がせる。


「――それは、私の一存では」

「私も同じなのです」


 やや困惑気味な視線を返す。

 その視線へ、エアリディアルはもう一度微笑んだ。


「貴方は、わたくしとブラフォード様との婚姻を、喜ばしいこととお考えになりますか」

「もちろんです」


 藤色の瞳が柔らかな光を帯びる。


「この地の人々もでしょうか」

「当然、みな喜ぶことと」

「では、この国の人々はどうでしょう」


 コンラッドは黙して、目線の高さにあるエアリディアルの重ねた両手を見つめた。

 今、ヴィルヘルミナの街へ王都軍が寄せている以上、コンラッドが答えられることは限られている。


「――そもそも伯爵以上の婚姻は、国主たる国王陛下の許可をいただくべきこと――。陛下が御不在である以上、わたくしの一存で決めて良いことではありません」


 逸らそうとした視線が、藤色の柔らかな、だがその奥に光を宿した瞳に引き寄せられる。


「許可をいただく代理権者としての第一は、王太子である我が弟、ファルシオンです。けれど今、ファルシオンがその許可を下すとは思えません」


 鳥籠の中の金糸雀が、澄んだ歌声を散らす。


「故に、わたくしとの婚姻を望まれるのであれば、我が母の立ち会いのもと、公爵と今一度、このお話をしなくてはなりません」


 エアリディアルは白い頬に穏やかな微笑みを浮かべた。


「どうぞ、公爵に取り次ぎを」









 騒めきの中、ミラーはアスタロトに近づき、馬を降りた。


「閣下。兵達が動揺しています」


 彼等の戴く『炎帝公』アスタロトと同様、西方公は風、北方公は水、そして東方公は地を統べる。

 その力をベルゼビアは、これまで用いたことがなかった。

 今、まざまざと見せつけられ、改めて思い知らされた状態だ。

 兵達にとっては数の有利も一瞬で覆ったように感じられているだろう。


「陽が落ちればなおさら、足場の不利は大きく影響します。今の行為をベルゼビアの返答とみなし、陽のある内に片を付けることをお考えになりますか」


 束の間考え、アスタロトは首を振った。

 争いが本意なのではなく、何より大事なのは、王妃と王女を救うことだ。

 レオアリス達が日没までに、二人を救おうと動いている。


「ベルゼビアもあんな大規模なことは、立て続けにはできない。私達は王太子殿下の名のもと、期限を設けた。予定通り、日没まで待つ」


 ミラーが黙礼し、馬体を返しかけた時、副将ホメイユが駆け寄った。


「閣下、金糸雀(かなりあ)が戻りました」







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