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第5章『地平の燎火』(22)


「おはよう、大将殿」


 朝の光に満ちた廊下を小柄なアルジマールがとことこと歩いてくる。

 レオアリスの横でクライフは、手を当てて口元を隠しこっそりと囁いた。


「相変わらず朝の光が似合わないっすね」


 いつもの灰色の長衣を纏い顔も(かず)きで目元まで覆っているのだが、確かに爽やかな朝の風景の中に一点、不穏さを加えている。

 ちなみに法術院長であるアルジマールの長衣は灰色一辺倒ではなく、白、灰、銀の絹糸で刺繍を施した本来とても美しい仕立てなので、不穏な空気は本人の醸し出すものだ。


「失礼を言うものではない」


 グランスレイに(たしな)められ、クライフは首を竦めた。

 クライフの囁きなど知らず、


「大将殿、ちょっといいかな」


 アルジマールは上げた指先をちょいちょいと動かしてレオアリスを呼んだ。


「何ですか?」


 うかつに近寄ったレオアリスの鳩尾に、招いた手を当てる。


「――待っ」


 ぎょっとして身を引いた瞬間、アルジマールの手のひらが虹色の光を帯びた。


「――ッ!」


 呼吸すら忘れる苦痛が鳩尾から迫り上がり、レオアリスは呻き声も出せずに、床に膝を落とした。一瞬、意識が飛びかけたほどだ。


「上将ッ!」


 クライフとグランスレイが青くなって駆け寄る。グランスレイは蹲るレオアリスの背に手を当て、クライフは眉を怒らせてアルジマールの肩を掴んだ。


「何すンすか院長! これからヴィルヘルミナに行こうって時に腹裂こうとか」

「そんなことしてないよぅ。ていうか、君やっぱりまだ痛みがあるだろう」


 レオアリスは苦痛を噛み殺していた顔をようやく上げ、アルジマールを見上げた。目に薄ら涙が滲んでいる。


「――いや、これ……半分以上あんたのせいだろ……」

「違うってば。問題なければ全く痛くないし」

「本当かよ……いや、だからって……」


 全く悪びれない顔をしているアルジマールにそれ以上何と返せばいいか適切な悪態を思いつけず、ふざけんなよ……と呟き、レオアリスはそれらを溜息に換えて立ち上がった。

 まだ鈍い痛みの残る鳩尾をさする。


「それで。何の為ですか、今のは」

「君は今回、剣は出さないでおくように」


 レオアリスが眉を寄せる。


「それは無理です。王妃殿下方を救出するのに、剣無しでは」

「今回だけで戦いは終わらないだろ。この先、風竜と――ナジャルとの戦いは避けられない。温存だよ」

「――」


 眉を寄せたまま、ただアルジマールの言う事にも一理ある、とは頷く。


「なるべく」

「君自身、今の状態でそんなにひょいひょい剣を出してたら、下手したら残りの一振りにも影響があるって解ってるだろ?」

「――え?」

「え?」


 瞳と瞳がぶつかる。

 一拍間を置いて、アルジマールは瞳を細めずいと詰め寄った。


「解ってるよね?」

「いや……そう、なんですかね?」


 アルジマールは盛大に呆れた顔をした。


「君ね、自分の状態を――、違うな、まあそうか、君まだ経験少ないから自分の状態あんま推測できないんだろ。言うなればまだ剣士初級だもんね」

「いや、初級とかそれ良くわから」

「やっぱ一回中見せてもらった方がいいよねぇ」

「無いですから!」


 レオアリスとクライフと、グランスレイの声が重なった。

 アルジマールが頬を膨らませる。

 何の話をしているのだろう。


 クライフはじろりと、アルジマールの頭巾に隠れた頭頂を睨んだ。


「じゃ何で昨日の軍議の時に言わなかったんすか。言ってくれてたらもっと違う手を考えたでしょ」

「今、単独で動けて勝算が一番あるのが大将殿と僕だろ」

「まあそうっす」

「僕、一人じゃやだし」


 クライフの眉間にしわが寄る。


「僕もう歳だし、法術って本来遠くからちくちくどかんとやるものだし。近寄られたら詠唱切られて殴られてすぐ死んじゃうんだから前衛護衛が必須なんだよ? それにほら、金糸雀(かなりあ)も来たことだし」

「それは軍議終わった、昨日の夜でしょ。軍議の時判ってなかったじゃないですか。それにだからこそ剣は必要だと思いますが」


 クライフの抗議にアルジマールは頭巾を被った顔を上げ、にこにこした。


「大将殿はいるだけで牽制になるから、大丈夫だよ」


 適当なことを言い、ほらほら行こう、と相変わらずにこにこしながらアルジマールは先に立って歩いて行く。


「とにかく、大将殿が僕をちゃんと守りながら戦えるよう僕がばっちり補助するから、よろしくね」


 その背中を眺め、レオアリスはもう一度、息を吐いた。


「頼もしいんだか胡散臭いんだか――」


 とりあえず、もうアルジマールに手招きされても近寄らないようにしよう。

 そう誓い、まだ鳩尾に当てたままだった右手の、手のひらを一度見て、レオアリスもまた歩き出した。







 王城南東に面した前庭に、今日これからヴィルヘルミナへ赴く正規軍南方及び北方第二大隊の兵四千名と、近衛師団第一大隊隊士百名が整然と並んでいる。

 冷たさを増した風が城壁の向こうから王城へと吹き渡り、もうすぐ冬が来ることを感じさせた。


 この時期、冬に備えて栄養を蓄えた獲物を狩ることから、十一月は狩月の名を持つ。

 王都北には王直轄の狩場を有し、年に数回、諸侯の参加する狩猟の会を催すのも慣例となっていたが、今年はまだ一度もその機会はないままだ。

 毎年王都全体で祝っていた秋の収穫祭も、今年は行われていない。


 そうした季節に根差した文化や風習が失われていくのが戦争なのだと、ファルシオンはまだ幼い思考の中で、それを憂えている。


「殿下」


 スランザールに促され、ファルシオンは王城二階の扉を出て、兵達が居並ぶ前庭を見渡す露台へと進み出た。

 朝の光が差し、幼い王子の柔らかな前髪を風が煽る。


 広い前庭を兵士達が埋め尽くし、彼等の革と鋼の兜や鎧の肩当てが、朝日を砕くように弾いている。旗手の掲げる旗が風に音を立てる。


「――これから、ベルゼビア卿との戦いに赴くみなに、私はお願いをしたい」


 ファルシオンは更に進み出て手摺に手を置き、やや身を乗り出すようにして、兵士達と向き合った。

 兵士達は直立し、身動ぎ一つなくファルシオンを見つめてくれている。


「――私は、できることなら、ヴィルヘルミナの人たちも、そこの兵士たちも、つらい思いをして欲しくない。その一人ひとりが、この国にくらす、同じ人たちだから」


 兵達の顔も一人ひとり、見ることができる。


「きっとここにいるみなも、そう思って、戦わなくちゃならないことに、辛い想いをしているのではないかと思う。それでも」


 一番手前には、総大将であるアスタロト、タウゼン、ハイマンス、ミラー。アルジマール。

 そして次列にはグランスレイとクライフ、レオアリスが立つ。

 ファルシオンは声を強めた。


「みなに私は、戦ってくれとお願いする。私がそう、お願いする」


 だから、兵士達はファルシオンの願いを聞いて、ファルシオンの意思で戦いに赴くのだ。


「その上で、私は、みながまずは、無事で王都に帰ってきてくれることを――まっている」





 矛盾を孕んだ言葉だ。レオアリスはファルシオンを見上げた。

 きっとファルシオン自身があの言葉のように、何度も何度も思い悩んでいるのだろう。

 兵達がファルシオンの名を呼び、応える響き。

 その波に似た響きを聞きながら、レオアリスは鳩尾にそっと手を当てた。


 アルジマールはああ言ったが、剣を使わず王妃とエアリディアルを救い出すのは難しい。

 ただ、ファルシオンはやはり自国の兵同士が戦うことを悲しみ悩んでいて、ならばその苦悩を柔げ、その願いを叶えたいとも思う。

 そしてやはりレオアリス自身にも、同じ兵を斬ることには当然、躊躇いがある。


(だったら、その為に必要なことをやるしかない)






 ファルシオンの見送る前で、並ぶ兵達の足元が陽光よりもなお眩しい光を浮かび上がらせる。

 アルジマールと法術院が敷いた転位陣だ。


 ほんの十日前、西海軍との戦いに西へ赴いた時と同様に、そして今度は東の地ヴィルへリアへと――、転位陣は兵達を運び始めた。









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