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第5章『地平の燎火』(18)


 濃紺の夜空には、星が散りばめられている。

 秋も深まり、やがてすぐそこに冬の空気が漂い出すこの時期、空は少しずつ遠くなっていく。

 エアリディアルは灯りを落とした部屋の窓辺に立ち、硝子の向こうに揺れるヴィルヘルミナの街の灯りを見つめていた。


 篝火の揺れる丘を挟んで広がる街の風景は、今のこの街が置かれた状況など知らぬげに穏やかだ。

 それでもベルゼビアの昨夜の宣言は、既に街の住民達にも知れ渡っているだろう。

 数日後、街の正面へ王都からの兵が列をなし現われた時、人々はどのような想いを抱くのか。


「このようなこと――同じ国の中で争ってどうなると言うのでしょう」


 淡い銀色の、波打つ絹の髪を揺らし、エアリディアルは俯いた。


「どうして」

「仕方がありませんな」


 不意に掛けられた声に、エアリディアルは息を飲み、振り返った。

 部屋の扉にいつの間にかブラフォードが立っている。


「――前触れも無く、訪れるなど――」


 呼吸を整え、向き直る。


 今朝から、これまで部屋付きだった女官達はいなくなっていた。

 床に伏したままの母と共に。

 時折来る女官達は今まで見たことの無い顔触れで、必要最小限の言葉しか発しない。


「失礼いたしました。しかし廊下で呼ばわっても、誰も案内に出てこないもので、勝手ながら入らせて頂きました」


 判り切っているはずの事を(うそぶ)き、ブラフォードは部屋の中央へと、鷹揚に歩いた。


「そこで――足を止めてください。お互い、礼節を(わきま)えてお話いたしましょう」


 エアリディアルの声は芯を保ったまま、だが語尾が微かに揺れている。ブラフォードは口元に笑みを浮かべたが、指定されたその場で足を止めた。

 窓際を背にしたエアリディアルと、部屋の中央のブラフォード。その立ち位置が今の関係を如実に表している。


「貴方は数日後には我が妻になろうというのに、礼節を弁えてというのも淋しいお話ですね」

「そのようなこと、わたくしは承知しておりません。貴方とて――」


 エアリディアルは眉を、微かに寄せた。


「数日後?」

「正確には、三日後に」

「何故」


 それを疑問に思ったのだ。

 時間を設ける事に、何の意味があるのか。

 その間にも、王都との戦いは始まるだろう。


「公爵のお考えですか」

「まあ、私が父に進言したのです。安心されましたか?」


 厳しさの揺るがない藤色の瞳に、ブラフォードは口の端を上げた。


「この度は、ただ降嫁なさるという簡単な話ではございません。王女殿下としての――王位継承者としての身分を保たれたままの婚姻――周囲に威厳を示すにも、それなりの御仕度というものがあるでしょう。私としても、急いた事は好ましくありません。父もそこは納得していました。とはいえ、たかだか三日で王女の婚姻としての体裁を整えなくてはならない貴方は、憐れなものですが」


 エアリディアルは厳しい瞳を、測るようにブラフォードに据えた。


「――貴方は、何を考えているのですか」

「何を? 私はベルゼビアの子息として、当然父と同じ事を考えておりますよ、王女殿下」

「公爵と? このような、無謀で、正当性のないことを?」

「正統性は十分にあるでしょう」

「言葉遊びをしているのではありません」


 腰の前で重ねた両手を、エアリディアルはぎゅっと握った。


「国王が、その代理としてファルシオンをと定めたにも関わらず、母を無理矢理に国王として据えようとすることが、正当性がありますか。新たな国の樹立などと――なおさら」


 ブラフォードは反対に、両手を広げ、やや背を反らせた。耳に届く声には嘲りの色が濃い。


「力のある者が国を治め領民を従えるのが、正しい国の在り方です。ファルシオン殿下は御年僅か五歳――何のお力がありましょう。国民がそこにどう、今の国の未来を託せますか」

「――」

「幼い王太子殿下よりも貴女が。貴女よりもと仰るのであれば、王妃殿下が。順当な思考です」

「わたくしはそうは思いません」

「でしょうな」


 揶揄する響きを、顎を引き見据える。血の気の引いた白い頬に、淡いはずの藤色の瞳が強く色を宿す。


「力こそが正しいと――それではより力を持った者が、正しさのもとに力を振りかざすことになってしまう。それは身勝手な正義です」


 ブラフォードは昏い瞳を細めた。


「民は誰かの身勝手な正義に属しているのではなく、生活し、生きて行ける場所としてその土地にいるのだと考えます」


 灯りを落とした室内で、エアリディアルの背にした星と月の光が、ブラフォードの靴の先まで落ちている。


「国家の最大の目的は民の保護。民無くして国は栄えませんが、民にとっては誰が国を治めようとも良いのです。生活を豊かにしてくれるのであれば。民にとっては権力争いなど意味はありません」

「では、我が父が国を主張しても良いのでは?」

「いいえ」


 エアリディアルはきっぱりと首を振った。


「ベルゼビア公爵のなさっていることは、無用な争いを増やすだけ――争えば、土地が乱れ、国家の最大の目的であり、土台であり、資産である人々の命が失われるだけではありませんか。一つの国土の中でそのようなこと、あまりにも意味を成しません」


 エアリディアルは、やや身をずらし、自らの背後にあった窓の外を示した。


「この街は豊かです。街の人々は、今これほど穏やかに過ごしています。貴方もいつも、この風景をご覧になっているのでしょう。もし王都との戦いになれば、この街の人々も無関係ではいられません。巻き込まれ、生活も、命も、失ってしまう人々が出てしまう」


 夜の淡い灯りの中に、淡い銀色の髪を揺らす。


「そのような無意味なことを、何の為になさるのですか」


 凛とした瞳で、ブラフォードを見据える。


「民の生活と命を奪ってまでする争いに、何の必要があるのですか」


 ブラフォードはゆったりとした長衣の下に腕を組んで、じっとエアリディアルの言葉を聞いていたが、息を吐き、口元を歪めた。


「美しいお志だ、王女殿下。貴方自身のようにとても美しい。人の善性を信じたお考えでしょう。おそらく今、この私の善性をも信じておいでの」

「――」

「しかしながら今の貴方のお言葉で、我が父は動かされますまい」


 組んでいた腕を解き、その右手を延べる。


「貴女の仰る事は良く解る。だがそれは貴女の弟君にも当てはまる事ではありませんか。争いを避けたいと仰るのであれば、弟君が我らに兵を向けなければ良い事だ。けれどそうはしないはず」

「一方的な言い分です」

「仰る通り。ですが、そうする事が一番、今の状況で争いを避けられるのです。しかしその選択肢は無いと仰る。これはこれは全く、身勝手はどちらでしょうな」


 唇を引き結んだエアリディアルへ、ブラフォードは笑みを向けた。


「弟君が我等に兵を向けた時、貴女はさて、どうされるのです」


 真っ直ぐに背筋を伸ばしたエアリディアルの姿を束の間見つめ、ややあってブラフォードは、扉へと身を返した。


「我々は既に、互いに退きようのない所まで来ている。貴方も、お心を決めていただかなくては」






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