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第5章『地平の燎火』(7)


 レオアリスはプラドと、卓を挟んで向き合った。


「まず確認したい。貴方は何故、ここにいるんですか。マリーンを……この人達を巻き込むつもりなら、そのやり方は認められない」

「レオアリス、違うわ、私が連れて来たんだもの。それに助けてもらったし。ねえ、ダンカ」

「どっちもお嬢さんが強引でしたね」


 レオアリスは顔を反らしたマリーンとダンカを見て、少し肩の力を抜いた。


「判った。それならいい」


 一度息を吐き、また顔を上げる。


「――何から話せばいいのか判らないけど、俺は貴方に聞きたい事がある。すごく」


 プラドの隣にいた少女が愛らしく首を傾ける。


「何でも聞いて。この人無口だけど、足りないところは私が答えるわ。あ、私はティエラ。この人と同じベンダバールよ」


 ティエラはにこりと微笑み、クライフが可愛いなぁ、と洩らす。


「私も貴方の親戚みたいなものかしら」


 腰までの黒い髪がさらりと揺れる。


「プラドと結婚したら義理の叔母ね」


 プラドの腕に手を絡め、プラドの表情が何も変わらないのを見て唇を尖らせた。それまで様子を窺っていたマリーンが、「えーっと」と手を合わせる。


「何かすごく重いのかのどかなのか判らないけど、とにかく立ってるのも何でしょ? 座ってゆっくり話したらいいわ。お茶持ってくるわね」


 まだ少し戸惑いを覗かせつつも、マリーンはダンカの腕を引いて足早に奥の部屋に入った。

 ティエラはプラドをもう一度見上げ、


「そんな怖い顔してないで、座らせてもらいましょ?」


 ぽすん、と軽い音を立て椅子に腰を落とした。卓に頬杖をついてゆるく顔を巡らせ、瞳を細める。


「とっても気持ちいいお部屋よね。マリーンさんらしいわ」


 ティエラの言う通り、居間はこの家の女主人に相応しく、素朴で心を和ませる雰囲気だ。

 使い込んで角が丸くなった木の卓と椅子、座面に張られた赤い布は光沢も薄れかけ、建物の中庭に面した窓から溢れる光が、良く磨かれた木の床を柔らかく照らしている。

 それが少しだけ、この部屋を包んだ緊張を和らげてくれるようだ。


 レオアリスは手前の椅子に手を置き、プラドが長椅子に座るのを待った。

 先に座ったティエラが、三人とも座って、ともう一度促し、レオアリスへ首を傾げる。


「聞きたい事の、一番最初は?」


 レオアリスは少女の屈託ない仕草を、やや気を削がれたように眺め、一度視線を落とした。


「……ベンダバールが、何なのか――」


 プラドの正面に座る。横にクライフも腰掛けた。


「お前の母方の氏族だと言った」

「――そう、ですが」

「もう。会話は相手に理解してもらわなきゃいけないのよ?」


 ティエラが唇を尖らせる。


「仕方ないわね、まず私から説明するわ。改めて――私はティエラ。ベンダバールの氏族長、エンシスの娘よ。今の氏族は三十人くらいね。ベンダバールはずっと昔、大戦前にアレウスを出たの。私はその後生まれたから、そう聞いているってコトだけど」


 黒髪と同じ色の二つの双眸は、澄んでとても深い色をしている。


「ベンダバールはいわゆる傭兵稼業をしてるの。ミストラ山脈の()()()()はいつもどこかで戦乱があるから、一つところに留まらないでずっと転々としてるわ」


 卓の上に指で線を引き、その片方にくるりと円を描く。ベンダバールについてはそのくらいかな、と首を傾げた。


「あとは、そうね、アレウスには以前、幾つかの氏族がいたらしいんだけど。主なもので四つって聞いてる」


 ティエラはプラドへ、あとはどうぞと言うように瞳を向けた。プラドが引き取る。


「アルケサスのルベル・カリマと、東のカミオ、北のヴィジャを拠点としていたルフト。そして西のカトゥシュにいたのがベンダバールだ」


 レオアリスは正面のプラドを見つめた。


 改めて見るプラドは、引き締まった体躯と陽に焼けた肌が、常に陽に晒される戦場を感じさせた。そして遠くを見据えるような眼差しは、この国の外から来たのだと。

 乾いた風のような、そんな印象だ。


「ルフトはお前の父、ジンの氏族だった」

「ルフト――」


 以前祖父から聞いた言葉、記憶の中に生き生きと存在していたひと達。彼等に色がついたように思う。

 それから、父の名。

 でもプラドが語るのも、過去の事だ。


「……父とは、会った事があるんですか」

「いいや。俺達がこの国を出たのは四百年以上前になる。大戦は始まっていなかったからな」

「よん――」


 クライフが言葉を詰まらせ、ややあって息を吐いた。気持ちは判る、とレオアリスも苦笑する。どこか、遠い物語の中のようだ。

 だがプラドは数年前の事でも話すように続けた。


「この国にいる間は、ジンの名前はほとんど聞かなかった」

「ほとんど?」

「氏族に子が生まれる事は稀だ。どこかの氏族に子が生まれれば、その話は伝わる」

「稀――」


 確かに、祖父の記憶の中の誰かがそう言っていたと思う。レオアリスが生まれる時に。

 レオアリスは唇を引き結び、競り上がる言葉を避けて、別の言葉を拾った。


「さっき、ベンダバールはカトゥシュにいたと貴方は言った。なら、風竜の事は知っていたんですか」


 鋭い眼差しがレオアリスへ返る。

 それは答えだと取る。


「剣士の氏族は四竜の監視を担っていたと聞きました。それが本当なら何故、ベンダバールは風竜を置いてカトゥシュを離れたんですか。そして何故風竜は、大戦時に西海に(くみ)したのか」

「西海にではなく、ルシファーにだろう。ルシファーは風竜の養い子だからな」


 プラドはあっさりと口にしたが、レオアリスとクライフは驚いて顔を見合わせた。

 クライフが今度こそ頭を抱える。


「いやいや待て待て……あー、ロットバルトがここに欲しい。あいつの役目だ本来」


 レオアリスはまた少し笑った。


「ルシファーが風竜に育てられて……それは判りました。彼女の事情は少しだけ知ってる」


 改めてプラドを見据える。


「ベンダバールがこの国を去った理由をまだ教えてもらってない。何故ですか」


 その答えはとても簡潔だった。


「風竜は、カトゥシュにはいなかった。空の座を監視するのに飽きただけだ」

「じゃあ、風竜はどこに」

「ハイドランジア辺りだろう」

「ハイドランジア――だから、大戦で風竜が現われたのはそこだったのか」


 呟いて、レオアリスはその瞳を上げた。


「大戦の時、ベンダバールがいたら、やはり風竜を討ったんですか」


 ティエラが卓に頬杖をついて身を乗り出す。


「あなたはずいぶん、自分に関係の無い事ばかり聞くのね」


 漆黒の瞳は、やや下から、レオアリスに注がれている。


「別に、そういうつもりじゃ――」

「もっとこの人にしか判らないことがあるじゃない」


 レオアリスは束の間息を止め、静かに、それを吐いた。

 それから、喉の奥に競り上がったまま、引っかかっていた言葉を掴んだ。


「母――俺の、母さんは、どんな人だったんですか」


 尋ねた瞬間、言葉はどっと堰を切った。


「どんな顔で、どんな声で、どんな事を考えていて――どうして、この国に残ったんですか」


 クライフがちらりと視線を落とす。


「何故、母さんを、置いて」


 プラドは少しだけ、記憶を覗き込むように瞳を細めた。


「国内は平穏が続いていた。この国を出る事は長が提案し、氏族が決めた。だが俺達の母はこの国に残ることを選び、共に残ったのが兄のゲントと妹のアリアだ。兄は既に百を超えていたが、アリアは剣が覚醒してまだ数年しか経っていなかった。十七、八か」


 十七、八。ちょうど今のレオアリスと同じ年頃。


「母は父を埋葬したこの地に残りたかったのだろう。俺は説得しきれなかった。兄と妹は共に残る事を選んだ。それだけだ」


 レオアリスは自分の二つの手のひらを眺めた。

 そこに流れている血が初めて、脈々と繋がって来たものなのだと、実感する。

 不思議な気持ちだ。

 血縁――血の繋がり。


 プラドを見る。

 初めて会う相手なのに確かに懐かしい。


「俺はこの国に三人を置いて来た事を後悔している。母も兄も、妹も命を落とした。ルフトも失われた。だからレオアリス、お前を連れに来た」


 澱みなく、プラドは続けた。


「もう一度言う。ベンダバールへ戻れ」

「ちょ――」


 音を立てて椅子から立ち上がり、クライフは卓に両手を突いた。


「ちょっと待ってくれ、そんなのはおかしいぜ。あんたは置いて行った側だ。そんなん今更――第一アリアさんがこの国に残ってなきゃ、上将は生まれてない」

「責めているつもりは無い」

「いやいや」

「俺は――」


 レオアリスは声を押し出した。


「俺には、護るものがある。俺の、剣の――」

「剣の主か。だがそれも失っただろう」

「あんたなぁ!」


 クライフは声を荒げ、卓の上に身を乗り出してプラドの襟首を掴んだ。

 だがプラドは視線を動かさず、レオアリスを見据えている。


「お前が剣士をどう解釈しているか知らないが、剣士とは、失う者だ。レオアリス」


 淡々とした言葉は、プラドが見続けてきた歳月の風景をそのまま表わしているようだ。


「己の剣により、他者の剣により、その生により、常に失い続けるのが剣士という種だ。お前は身をもってそれを知ったはずだ」

「いい加減――ッ」


 クライフは怒りを露わにプラドを睨み、襟元を掴んでいた手を突き放すように解いた。


「上将、帰りましょう。これ以上話を聞く必要なんざありません」


 レオアリスの腕を引いて立ち上がらせ、そのまま扉を開けて居間を出た。振り返らず店を横切り、外の通りへ出る。

 それまでの静けさが嘘のように、喧騒交じりの空気が二人を包んだ。

 クライフはレオアリスの腕を取ったまま大股に通りを歩きながら、前後を見回した。


「馬車を止めます。早いとこ士官棟に帰ってゆっくりしましょう。フレイザーが待ってますから」


 中々走っている乗合馬車が見つからず、不満を歩調に乗せてすたすたと歩いて行く。


「代理だって待ってるし、隊士達だって待ってるし、当然ロットバルトも待ってるし」

「クライフ」

「アスタロト様だって、それからファルシオン殿下だって待ってます。何ならアルジマール院長だって待ってますよ!」

「クライフ!」


 ぐい、と腕を引かれたクライフは、足を止め、振り返り、レオアリスをまじまじと見た。


「――アルジマール院長は外しときますか」


 膨れた頬と顰めた眉を眺め、レオアリスは口元に苦笑を浮かべた。


「大丈夫だ、俺は――ありがとう」

「――」


 クライフはもう一度、じっとレオアリスを見つめた後、ようやく通りを登って来た乗合馬車へ、手を上げた。








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