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第5章『地平の燎火』(5)


「ヴィルトール、ヤベェわもう俺は疲れたぜ」


 部屋に入って来るなりうんざりした声を出したワッツを振り返り、ヴィルトールは椅子の背に掛けていた左手を促すように開いて見せた。


「何だい、いきなり」


 砦城三階にあるイリヤの居室だ。二人が今いるのは居間で、イリヤの私室に繋がる扉は今は閉じられている。


「苦手なんだよ俺ァ、権謀術数あれこれっつーのはよ。できる限りそんなもんとは無縁でいてぇと思って生きてきたんだからな」

「良くないなぁ、できる奴が能力を出し惜しむのは」


 まあ権謀術数と無縁でいたいのは私もだけどね、と言ってヴィルトールは真面目な顔に戻った。


「とは言え、言いたい事は解るよ。誰もが追い詰められている気分になってるからね。事実、ボードヴィルが追い詰められている事は否定しようがない。ここからどう道を見出すか――正念場だと思う」


 ワッツは部屋の真ん中に置かれた長椅子にどさりと座り、卓の籠に盛られていた葡萄の房を一つ、手に取った。

 久しぶりに街に入ってきたものだ。

 シメノスに陣取っていた部隊も含め、西海軍が撤退したからほんの少し物流が回復した。


 とは言え、これまで細々とやっていたものに毛が生えた程度だが。

 何故なら正規軍がまだ、サランセリアに駐屯している。

 今はその目を西海に向けているが。


「どうするかね、実際」

「王都との連絡は一切絶たれている。こちらからの接触も、恐らくは王都側からの接触も。絶っているのはルシファーだろうね」

「だろうな」


 葡萄の粒が二つ三つ、まとめてワッツの口の中に放り込まれる。

 これまで何度か、ヒースウッドは王都への接触を図ろうとしていた。

 だが公的にも、私的にも、使者を送っても伝令使を送っても、王都からの返答は一切無い。それは王都側からしても同じなのではないかというのが、ヴィルトールの見方だ。


 ヒースウッドがどう志を高く掲げようと、現状、王都から見ればこのボードヴィルは、東方公と同じ――いや、東方公よりも強硬に、ファルシオンに対するミオスティリヤという王太子を立て、王位継承権を主張し、王位簒奪を堂々と掲げた謀反人に見えているという事だ。


「風竜とルシファーがいる限り、まあそこは変わらねぇ」


 ヴィルトールの視線が窓の外へ流れ、それから再び戻って来るまでに時間があった。


「どうした」

「うん。――そうだ、それだけどね」


 灰銀色の瞳を細める。


「私はルシファーはもう、当初の意志を失っていると思う。だが、引き返すつもりもない。王都が動くのを、待っている」


 ワッツの眉根が寄る。口に放り込んだ葡萄の粒を苦いもののように噛みしめた。


「なんだそりゃ。街一つ巻き込んだ自殺願望か。えれェ迷惑だな」

「――」


 ヴィルトールは何を思ったか、じっと、ワッツの瞳を見た。


「ルシファーがどう考えてんのか、そいつを探ろうったって探りようがねぇ。最近じゃ風竜の肚ん中に篭りっぱなしなんだろう」

「そうだね。まあ今はルシファーは置いておいてもいいと思う。まずはどうにかしてボードヴィルの打開策を見つけなくちゃいけない」


 束の間、卓の上を見据えていたヴィルトールは、静かに息を吐いた。


「なぁ、ワッツ。私はイリヤを助けたい。それは今の状況でさえそう思っている」

「――ファルシオン殿下にだって、そいつは難しい」

「そう。そもそもイリヤ自身が、自らの役割と責任をそう捉えているからね」


 ボードヴィルの赦免と引換えに、と。

 ヴィルトールは斜めにワッツへ身体を向けたまま椅子の上で足を組み、木の椅子は掠れた音を立てて軋んだ。


「正直に言えば、私は無事王都に帰りたいと思ってる。私にとって大事な、何より大事な妻と娘がいるからね。私はその為に動いている」

「なら一番簡単な道は、あの王子を断罪して王都に差し出す事だぜ。判ってると思うがな」

「うん、判ってるよ」


 あっさりと頷き、その視線を奥の部屋への扉に向けた。


「でも、イリヤにも大事な妻子がいる。そして彼はまだ、自分の子に会ってもいない。だからその手段は無しだ」


 ワッツは肩を竦めた。


「まあ俺も嫁の顔を真っ直ぐ見たいからな」


 厚い手のひらで、剃り上げた頭を首の後ろまで撫でる。

 立ち上がったヴィルトールがワッツの正面の長椅子に座り、籠からもうひと房の葡萄を手に取った。


「こういうものは、西海には無いよね」

「その代わり魚介とかが旨いんだろ。――いや、どうかな……どこまで住民だろうな……」


 何を想像したのか、ワッツはやや辟易と顔をしかめた。ヴィルトールは卓越しに腕を伸ばし、房をワッツの手のひらに落とした。


「道が無い訳じゃない。その道の一つが、西海との和平だ」

「まあな」

「我々には幸い、西海の穏健派との繋がりがある。この繋がりを元に和平の道を仕立て、その上で王都と繋ぐ――。それを功績として助命嘆願を申し立てる」


 ワッツの肩を包む軍服が軋む。


「ただ問題は、穏健派が西海の中では少数勢力だという事だ。将軍レイラジェも三の鉾ナジャルを崩すのは困難だろうね」

「俺達がどこまで助勢できるかにもよるな。このボードヴィルの兵数程度じゃ足しにゃならん」

「だから上将に頼る。というか私は、上将の地位も補強したいしね。それが目的ならロットバルトも危ない橋を渡るだろうし」


 ヴィルトールはにこりと笑みを刷いた。


「さすがに悠長に一月もかけて手紙を送ってる時間は無い。東方公討伐が終われば、次はボードヴィルだ。その前に繋ぎを付けなければ、もう道は閉ざされる」

「同感だ。で?」

「ワッツには一度、ルシファーの監視の外に出てもらう。そうすればロットバルトの伝令使が君の居場所を見つけるだろう。ルシファーは当然阻止しようとするだろうし、命の危険が伴うけどね」

「……その役、俺じゃなくても構わなくないか。レオアリスはお前も探してるんだしよ」

「いやいや――私はミオスティリヤ殿下の護衛だから。西海の穏健派と、もう一度話もしなくちゃいけないし」


 ワッツはヴィルトールから渡された葡萄の房を、ヴィルトールの手元に投げ返した。


「クライフの気持ちがちぃっとばかし判った気がするぜ」










「風が冷えてきたな――」


 レオアリスは士官棟の中庭に出て、四角く囲む建物に区切られた空を見上げた。

 十月もあと数日で終わりを迎えようというこの時期、王都を覆う空は一層高く、遠く澄み渡り始める。

 ただ風の冷たさとは裏腹に、王都は熱量を増していた。

 ヴィルヘルミナへの派兵が近付いているからだ。


 二日前、十四侯の協議は収穫の終了を待ち、東方ヴィルヘルミナへ派兵する事を決定した。

 十一月、狩月に入るのを目途として、もう数日の内にも派兵の日が決まるだろう。

 その為に正規軍、近衛師団が兵舎を構える王城第一層も出陣に向けた準備で慌ただしく、だが活気に満ちてもいた。


 今回の出兵に当たり、正規軍はアスタロトを総大将とし、東方軍を中心に、北方軍、南方軍からそれぞれ一大隊規模が編成された。総計は二万四千。東方公の勢力の、およそ二倍となる。

 そして、近衛師団第一大隊がこれに加わる予定だ。

 近衛師団は王妃クラウディアと、王女エアリディアルの救出を最大の目的とする。


 三日後の二十八日に、派兵に向けた最終の軍議が行われる事になっていた。

 そしてその夜に、兵の壮行と王都の住民達への労いを兼ねた、王太子ファルシオン主催の夜会が予定されていた。そこにはフィオリ・アル・レガージュの戦いに助勢した、マリ王国海軍提督メネゼスも招待されている。

 レガージュからは領事と、そしてザインも訪れる。


(明後日か)


 ザインに会えたら、聞きたい事がある。

 プラドと名乗ったあの剣士の事――彼が口にした事。


 回廊を歩き出した時、中庭に入って来たクライフが遠間から声を上げた。


「あれ、上将、どちらに? 飯っすか。午後は外の予定ないっすよね」


 今は昼の休憩時だ。


「少し、街を見たい。一刻ほど歩いてくるから――」


 近付くレオアリスへ、クライフは手のひらを向けた。


「待ってください、俺も行きます」

「いいよ、忙しいだろ。ちょっと歩くだけだし、すぐ戻る」

「駄目です!」


 予想外のクライフの勢いに、レオアリスはびっくりして身を引いた。その間にクライフはずいずいと近付いて、目を細め、上から下までじっとレオアリスを検分した。


「駄目って」

「まだ体調が万全じゃないでしょうが。何かあったら怖いですよ」

「何かって、別に何も――」

「ぶっ倒れましたよね、あの時。代理から聞いてます」

「あれは、寝起きだったから」

「寝起き」


 適切な表現では無い――いや――、適切な気がする。レオアリス自身としては。

 半年も寝ていたら筋肉が強張って、すぐには動けないのも当然だろうな、と。


「いや……でももう、ほとんど影響無くなったし」


 クライフはちょっと待ってくださいともう一度言い置き、レオアリスの横を抜けて一旦執務室に入ると、すぐに外套を手にして出てきた。二枚。二枚とも近衛師団の支給品ではなく、レオアリスとクライフ、個人のものだ。


「大体普通はねー、部下が付くもんなんですよ、大将が出歩く時は。とりあえず今日は俺もお伴します。あと上将、その格好じゃ不味いっすからこれ着てください」


 とクライフは差し出した外套でレオアリスの軍服を軽く叩く。


「その恰好って軍服がか? 何で」

「何でって、自分を何だと思ってるんですか。王の剣士が戻って来てみんな喜んでるんですから、今それで歩いたら人が集まって歩けなくなりますよ」

「大げさだな」

「いーからきちんと着てください。ほら、襟元も閉めて」


 クライフははいはいと言って急かし、言われた通り外套を着たのを見届けると、「じゃ行きましょうか」と笑って先に立ち歩き出した。






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