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第5章『地平の燎火』(1)

 

 石畳に刻まれた轍を踏みゆっくり進む馬車の振動が、身体に小刻みに伝わってくる。


「大丈夫ですか」


 問われて、レオアリスは目を開けた。

 前に座っているグランスレイが緑の瞳を据えている。馬車は四人乗りの、座席が向き合っている形のものだ。レオアリスとグランスレイの二人。


「揺れが少しありますが」


 馬車の振動を気にしているのだと判り、レオアリスは口元を緩めた。


「大丈夫――前より心配性になったみたいですね、代理」

「当然の事です。まだ体調も万全と言う訳では無いのでしょう」

「うーん……」


 垂直の背凭れにもう少し身体を収める。振動よりもどちらかと言えば、この背凭れがもっと斜めになっていると楽なのだが。

 とは言え唸ったのはもう一つ別の理由もある。


「ゆっくり走ってくれてるし、この程度の振動は眠くなるくらいです」

「ならば良いのですが」

「うーん」


 もう一度唸って身を起こし、真剣にグランスレイと向き直った。


「――副総将代理。復位した以上はより一層、立場に則った振る舞いをしなければいけないと思いますが」

「仰る通りです。自覚があるのは大変喜ばしい」

「――敬語はおかしくありませんか」

「副総将代理としての階級は大将位と同等であり、かつ第一大隊副将の職は解かれておりません」

「――」


 グランスレイは垂直の背凭れが一切苦にならないほどに背筋を伸ばし、見事な姿勢で座っていて、武人らしいというか、相変わらず性格というか人格というか、それが外見に表れている。

 レオアリスは仕方なくまた椅子の背に身体を預けて、笑った。


「頑固だなぁ」


 ほんの少し、昔を――入隊した当初を懐かしんだりしたのだが、それは自分の中の甘えなのかもしれない。


 馬車の車輪の音が僅かに変わる。

 グランスレイは手を伸ばして馬車の小さな窓を少し開け、着いたようだ、と言った。





 馬車が揺れながら止まり、ややあって扉が外から開かれる。

 レオアリスは馬車の中に入り込んだ陽射しに目を細めながら、少し身を屈めて外へ出た――途端、何かを一斉に打ち鳴らす音が馬車を包み込んだ。

 聞き慣れた音だ。

 陽射しに手をかざし、見回す。


 馬車と士官棟との間の芝の上に、近衛師団第一大隊の隊士達がずらりと居並んでいる。

 踵を打ち鳴らした彼等は、左手に握った抜き身の剣の切っ先を上に、その腕を胸に当てた。

 その音が再び、馬車を包む。

 先頭にいたクライフが馬車へと進み出る。


「第一大隊一同、大将の御帰還をお待ちしておりました!」


 クライフの隣にはフレイザーの姿もある。二人も、隊士達も、準正装の軍服を纏っている。

 馬車の踏み台を降り、レオアリスは二人と、隊士達の前に立った。後から降りたグランスレイもレオアリスのやや後ろに立つ。

 レオアリスは隊士達を見渡した。


「――こうして迎えてくれた事に、感謝する。それから、長く――、隊を空けてしまった事を詫びたい」


 一人一人の顔が見える。それぞれの真剣な眼差しが注がれている。

 あの夜、庭園にいた者も多かったはずだ。

 同じ隊士同士で剣を交える事に、何を思っただろう。

 そうさせた事が自分の一番の責任かもしれない。

 この場に落ちる空気は張りつめて、肌に伝わってくる。


「今日から改めて、大将として任務に就かせてもら――」


 言い終わる前に、隊士達の間からどっと、歓声が沸き起こった。

 声と共に捧げていた剣を空へと突き上げる。

 陽光を弾く白刃を、レオアリスは驚いて見つめた。


「上将! お帰りを待ってました!」

「心配してましたー!」

「俺は絶対帰って来るって判ってました!」

「俺だってそう言ってたし」

「上将―! 会いたかったですー!!」


 ひときわ大きな声を上げているのは隊列の後方にいる少女で、記憶では隊士見習いとして入ったばかりだった――はずだが、もう見習い腕章は付けていない。


(そうか。半年――経ったから――)


 クライフがぐるりと隊列を振り返り、息を吸い込んだ。


「まだ酒の席じゃねぇんだぞ! 今は粛々と迎えろ!」


 ぴたり、と隊士達は口を噤み、何事も無かったかのようにまた剣を胸に捧げ持つ。


「そうそう、品格を持って迎えるのが近衛師団隊士の正しい在り方だからな。ねぇ上将」


 クライフらしからず、もっともらしく腕を組んだクライフの傍で、それまで黙っていたフレイザーはレオアリスを見つめ、瞳に涙を滲ませた。


「上将――」


 唇を結び、一度両手で顔を覆い、それから頰に微笑みを浮かべる。


「――おかえりなさい」


 再び静まり返った広場に、フレイザーの言葉が陽射しのように落ちる。

 いつだったか、前にもフレイザーは、おかえりなさいと、そう言ってくれた。


「――ただいま」


 フレイザーの瞳に滲んでいた涙が、ぼろぼろと零れ落ちる。


「フレイザー……」

「す、すみません――、でも、本当に、ご無事で良かったって……半年、とても、長かったものですから……」

「あっ、フ、フレイザーが泣いて……」


 それまで燦燦と陽射しが降っていた足元が、不意に翳る。慌てふためいたクライフは、そのまま顔を空へ向けた。


「上将っ! 上、上!」


 何事かと上を見上げた瞬間、視界を銀色の物体が覆った。


「上将!」


 銀色――鱗。

 飛竜の。


「――ハ、ハヤテ?! うわ」


 足元がよろめき、芝の上に尻餅をつく。

 一瞬、緑の芝の向こうで厩舎から隊士が駆け出してくるのが見えたが、すぐにハヤテの銀色の身体に隠れた。

 どすんと地面に降り、ハヤテは長い首をレオアリスに巻き付けるようにして、ギュウゥ、と鳴いた。





「喉は乾いてませんか? お腹は? 食欲は? ずっと寝ていて、満足に食べてないでしょう。朝は何か口に入れましたか?」


 目の前の執務机の上に、フレイザーがあれこれと置いて行く。レオアリスは取り敢えず、その動きを目で追っていた。


「大丈夫だ、今は。出てくるとき少し食べたし」

「しっかり食べて体力を戻さないと。疲れたらすぐ言ってくださいね。いつでも休めるように、ちゃんと隣の部屋を整えてますから」

「フレイザー」


 レオアリスは何度目か、苦笑した。グランスレイもフレイザーも、少し心配し過ぎだ。


「大丈夫だって」


 フレイザーは執務机に両手をついて、ずいと身を乗り出した。


「本当に、本当ですか?」


 そう言われると、はっきりは頷けない。


「……多分――」

「多分って」

「まあ今まで経験がないからわかんないけど、今のところは問題ない」


 制御できる範囲だと思っている。

 フレイザーはじっとレオアリスの瞳を見つめ、


「充分、気を付けてくださいね」


 そう念を押して身体を起こした。翡翠の瞳を細める。


「でも本当に――久しぶりに顔を見れて、それだけでも安心しました」

「――久しぶりか」


 口の中で呟く。

 実際には眠っていた間は意識からすっぽりと抜けている状態で、レオアリス自身には、フレイザーが言うように久し振りに会ったのだという感覚は無かった。


 記憶の中では、数日前の事だ。

 あの夜の事も、それから――


 意識がそこへ触れる前に、ぐっと堪える。鳩尾に当てかけた手を押し止めた。


「――」


 視線を室内に逃がす。

 半年振りだという気がしないのは、この執務室もだ。


 ただ、二つの空席だけが目に慣れない。ヴィルトールの執務机と、もう一つはロットバルトが使っていたもの。

 クライフはレオアリスの視線を辿って、ことさら明るく言った。


「あー上将、あれですよ、ヴィルトールの奴は繋ぎ取れてるからその内ぜってぇ戻ってくるし、ロットバルトはここにいないってだけなモンですって」


 ボードヴィルにいるヴィルトールから手紙が届いた事は、グランスレイから聞いていた。だからクライフの言う通り、あとはヴィルトールが戻る為に動くだけだ。


「ロットバルトの奴とは、王城で話したんでしょ? 何か言ってましたか、今後の事とか」

「いや――」

「いやって、話してないんすか」


 結局三日もあの部屋を借りていたが、ロットバルトとは顔を合わせる機会はまだ無かった。深夜に、隣室の扉が開く音をおぼろげに覚えている。

 朝、王城を出る時にはもう姿は無かった。


「世話になるだけなって、まだ礼も言えてないんだよな。だからここで――」


 伝えようと思っていた。


(――そうか)


「まあ、財務も今は激務って聞きますからねぇ。運河の堰開けたのも緊急だったから無傷じゃないっつーか、幾つか停泊してた船も一緒に流れたし、その保証とかあるみたいですしね。って言っても、まず西海軍を一気に押し出せたのは良かったですが。そういう意味じゃ正規軍もまだやる事多いし、うちものんびりしてられないっちゃないんですが」


「今の内だけよ。十一月に入ったらすぐに東方公との戦いが始まるでしょう。正規軍が中心になったとしても、上将が出るのなら我々も動く事になるわ」


 だからここにいる時くらいはゆっくりしてください、、とフレイザーはレオアリスの前に紅茶を差し出し、にこりと微笑んだ。





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