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第4章『空の玉座』(29)

 


 夜明けもまだ遠い時分、王城の廊下は衛士の影が遠目に視界を過ぎる程度で、靴音だけが硬い床に響く他はしんと静まり返っている。


 昨夜の、そして半年前の夜の争乱は、この静寂の場ではひと時の幻のように感じられた。半年というこれまでの期間そのものもだ。

 だが確実に、時は過ぎ去っている。

 望むと望まざるとに関わらず、変化をもたらしている。




 侍従が居間への扉を開くと、灯りを抑えた仄暗い室内で、人影が身を揺らし、立ち上がった。


「お待ちしておりました」


 ヴェルナー侯爵家長老会筆頭、ルスウェント伯爵は深く頭を下げ、ゆっくりと上げた。


「供も無く動かれるのはおやめくださいと、日頃から申し上げておりますが」


 ロットバルトはあるかないか程に笑みを浮かべ、ルスウェントが先ほどまで座っていた椅子を手で示した。青地の絹張の椅子は、蔓草と花の精緻な刺繍も薄明りにただ一つの影になって沈んでいる。


「お座りください。御用件を伺いましょうか」

「日々このように遅くなられて、休息も充分取られていないのではありませんか」


 座る間にもそう言い、ルスウェントとロットバルトは向かい合った。


「この部屋も、常時お使いになっておられるご様子ですが、なるべく館にお戻り頂いて、しっかりと休息を取って頂きたいものです。ここはいくら整っているとはいえ、ご不便も多いでしょう」


 ルスウェントは重ねてそう言った。

 王城には伯爵位以上が儀式や行事などで一時的に滞在する為に、予め部屋が用意されている。北西区画にあるこの部屋は、書斎、寝室、居間が一続きになった、ヴェルナー侯爵が使用する為のものだ。


「先代もそうでしたが――」

「今は仕方ありません。父のやり方を踏襲するつもりは無いが、さすがに館との往復の時間が惜しい。ご存知のとおり、財政面での整理も急務ですので」

「兵の維持、治安の維持、街の修復に損害の補填、難民の対処と帰農、その為の村や農地の回復――西海との争乱も半ばの中で、問題が山積みである事は理解しております。私も財務院の一翼を担っている以上、そこを疎かにしてはとも申しあげられませんが」


 ロットバルトが視線を向けて促すと、ルスウェントは一旦口を閉ざし、黙礼した。その話をする為にこの深夜に帰りを待っていた訳では、当然無い。

 本題に入る為、ルスウェントは膝の上に手を置き、落とした明かりの中で測るように当主へ眼差しを据えた。


「しかし現状、悪い話ばかりではございません。これまでは向い風でしたが、これからは風向きが変わろうかと――西海への対処や復興に向けた動きも今後は加速して行くでしょう」


 ロットバルトは今度は、それと判る程度に笑みを掃いた。それはやや、苦笑に近い。

 ルスウェントの視線が話しながら一度、隣室の扉へ向けられたからだ。寝室の扉は閉ざされているが、そこに誰を預かっているか、ヴェルナーはそれを特段伏せてはいない。


「貴方も意外と現金ですね、伯爵」

「及ぼす影響が明確になる事は、判断の上で当然重要です。それがヴェルナー侯爵家に有利に働くのであれば尚、喜ばしいと考えます」

「それに異論はありませんが――」


 ロットバルトは椅子の絹張りの背に、身を預けた。ルスウェントの視線がその動きを自然と追う。


「明日の十四侯の協議の場では、その件が議題に上がるのでしょう。そこでヴェルナーの立場を鮮明にする必要がございましょうが、長老会は貴方の決断に異論は無いと、それをお伝えに参りました」

「限定的な同意ですか」

「貴方が現実的だと、お考えになる範囲であれば長老会は同意させて頂きます」


 苦笑がますます濃くなったのを見て、ルスウェントは頭を下げた。

 それからいくつか、領地内の状況等について言葉を交わし、ルスウェントは部屋を後にした。ルスウェントが出た後にすぐ、前室に控えていた侍従が顔を出し、寝台を別に整えるかと尋ねる。


「いや、いい。仮眠を取るだけだ。六刻に起こして欲しい」

「承知いたしました。ではご起床後の湯浴みの準備も合わせて致します」


 深々と一礼し、侍従が前室へ下がる。

 時計の針は三刻を指そうとしている。時を刻む歯車の音は規則正しく、薄い灯りの中に散っていく。


 ロットバルトは立ち上がり、僅かに揺れていた蝋燭の火に銀の蓋を被せて消した。

 一つ消すごとに炎のもたらす黄昏に似た色は消え、代わりに窓から夜の光が淡く差し入る。まだ夜明けには遠く、西に傾いた月が放つ光だ。


「現実的か――。まあ、そうだろう」


 それでも半年前と比べれは随分と、望ましい方向に状況は変化している。

 多くの面で問題は山積しているが、まずは明日――。それはさほど問題無く進むだろう。


 ロットバルトは一度寝室への扉に目を向け、上衣を脱いで長椅子の背に掛けると、そのまま長椅子に横になって目を閉じた。







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