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第4章『空の玉座』(26)


 夜の中に浮かぶ軍船が、止まる事なく光条を放つ。

 マリ海軍の誇る火球砲の光条は、轟音と共に夜の海の水面にその姿を映して走り、西海軍へ突き刺さった。

 ユージュも、ファルカンも、船団の男達も南方軍も船乗り達も、たった今まで身を置いていた戦いを束の間忘れ、その光景に見入っていた。


 港から見る光は、あたかも祝祭の夜を彩る花火のように輝き、美しい。

 そして容赦なく、西海軍を切り裂く。

 マリの船員達の喜びに意識を引き戻され、ファルカンは彼等の歓喜を眺め、それからまた海上へ視線を戻した。


「あれはメネゼス提督の船団か――」


 海軍旗は見えていないが、間違いはないだろう。あの時レガージュが受けた苦難すらも無駄ではなかったのだと、そんな想いが(よぎ)る。

 だがすぐに喜んでばかりいられない事にファルカンは気が付いた。


 西海軍がマリ海軍へ、方向を変えて行く。

 船を囲もうとしている。ファルカンの周囲で西海兵と最後の剣を交えながら、船団員や南方軍兵士達もそれに気付いていた。


「団長、足元を抑えられたらさすがのマリの火球砲だって辛いぜ」


 火球砲の光条は次々と海上の西海軍に突き刺さり、削る。だが光条を逃れた兵列が、確実にマリ海軍の船団へと距離を詰めた。


「救援に来てくれたマリをただ見てる訳にゃいかねぇ! 団長!」

「くそ、俺達に船があれば」

「――正規軍の飛竜を借りるぞ。乗った事は無いが、散々揺れるのは船と変わらねぇ」


 ファルカンはケストナーを探し、辺りを見回した。


「ケストナー将軍」

「流石に貸せんな。我々に任せろ。それから――」


 やや後方にいたケストナーが上空を示す。


「この街の守護者に」


 既に西海の動きを察知していた南方軍の、赤鱗の飛竜の隊列が港の上を駆け、マリ海軍の浮かぶ沖へと矢の様に滑空する。

 その中の、一騎。


 ユージュの声が喜びに弾けた。


「父さん!」


 正規軍の飛竜の背だ。

 ザインはユージュへ、視線を落とした。

 ユージュが更に声を上擦らせ、そして輝かせる。


「剣が――!」


 剣が戻っている。


 ザインは飛竜の背を蹴って跳ぶと、西海軍の只中に、飛び降りた。

 西海兵の盾を足場に、右腕に現われた剣を薙ぐ。

 迸る剣光が海面を割り、海上の西海兵の列を断った。


 西海兵の肩、兜、盾――それらを足場に、ザインは一呼吸の間も置かず、西海兵へ斬り込んだ。

 マリの軍船を囲みかけていた西海の陣が混乱し、崩れる。


 ザインを囲む西海兵へ、火球砲の光条が突き刺さる。

 ザインは数度、西海兵の間を蹴ってマリ海軍の船団へ近付くと、旋回して飛来した飛竜の足を掴み、そのまま滑空して船団中央の船の舳先へ、降りた。


 舳先の甲板に足を開いて身を捻り、腰を落として剣を左斜め後ろに溜める。

 右腕の剣は、淡く発光した。


「剣士か」


 ザインの後ろに腕を組んで立っているのは、メネゼスだ。

 その姿をちらりと眺め、ザインはもう一歩、足を開いた。


『いつぞやは世話になった、メネゼス提督――』


 剣の光が増す。

 一つ、二つの呼吸の中で、剣に力を溜め込む。


『そして今回も』

「あの時の借りを返しに来ただけだ。あそこにゃ俺達の国の船員もいるしな」

『彼等に心からの礼を。レガージュと共に戦ってくれた』


 ザインは全身に溜めた力を解き放つように、右脚を踏み出し、剣を薙いだ。


 白光は三日月となって広がり、海上の西海軍を捉え――、一直線に切り裂いた。





 半刻後。

 ファルカンやユージュ、船団員や船乗り達、南方軍兵士。そしてレガージュ交易組合のカリカオテ等は、港に立ち海を見つめていた。

 まだ戦いの跡の残る港へ、マリ海軍の軍船が、帆を広げ、近付いてくる。


 夜の中にもその白い帆は、鮮やかにくっきりと浮かび上がっていた。

 海洋の窓口たるフィオリ・アル・レガージュの港が、半年振りに迎えた船だ。


 レガージュの生命ともいうべきそれ。


 接岸と同時に、レガージュの港に幾重にも、歓声が響き渡った。









 夜空からサランセリアの丘へ垂れ込めるのは、七色に移ろう光の幕だった。


 例えるならば、夜の虹。

 それよりも、北の果てで空に現われるという、極光。


 ゆらゆらと伸びるその光に触れた西海の兵達が、春先の淡い薄氷のように溶けて消える。

 余りにも非現実じみた恐ろしく、美しい光景に、アスタロトも、ランドリーも、そして北方軍の兵士達もまた、今自分がいる場所を忘れてその光に魅入っていた。


 法術院第十代院長、アルジマールが空に広げた両手から放つ光――、いや、それは空に生じ、アルジマールの懐へ、吸い込まれて行くようにも見える。

 目深に被った(かず)きの下の双眸が、虹色の光を湛えている。そこへ。

 ぞくりと、アスタロトは知らず身を震わせた。


 ゆうらり、極光が夜の中を光の尾を引く蛇のように動く。


 静寂は途切れ――

 西海軍の兵達は武器も、軍旗も投げ捨てて、散り散りに逃げ出した。

 ランドリーさえもようやく我に返り、馬上で剣を掲げた。


「西海軍を追い討て!」


 参謀長コーエンスが伝令を走らせ、大将エンリケ、カッツェ、ブラン、マイヨールがそれぞれ号令に声を張り上げる。


「これで最後だ、残る力を振り絞れ!」


 戦いが始まってほぼ、二刻。

 誰しも傷を負っていない者は無く、疲労は全身にのしかかるようだったが、勝利が見えた。


「この大地から西海軍を一人残らず押し返せ!」




「――」


 自分の周囲を轟きと共に駈け抜けて行く騎馬の中、アスタロトは巻き起こる風に髪を揺らすに任せながら両手を握り締め、彼等の行く先を見つめた。


 今、アスタロトにできる事は、もう全てやった。

 もしかしたらまだ、あるかもしれないけれど――

 きっと今はこれでいい。

 まだこの先に、この先にこそ自分の役割はあるのだと、そう考える。


「公」


 複雑な響きの篭った声に呼ばれ、アスタロトは自分を呼んだランドリーを振り返った。

 近付いて来る彼の面はやはり複雑な表情をしている。


 驚き、焦り、それから安堵、笑み。

 それらが()い交ぜになった感情は、この戦場に発したものではないように思えた。


「どうした――」


 ランドリーの方には一羽の鷲がとまっている。すぐにそれが、タウゼンの伝令使だと判った。


「タウゼンから?」

「公、西海軍の別働部隊が、王都を襲撃したと急報がございました。――指揮官は三の鉾、ガウス」


 心臓が唐突に掴まれたように、血の気が下がる。


「王都が」


 けれどその先のランドリーの言葉は、違う響きでアスタロトの鼓動を掴んだ。


「ですが王都侵攻は現時点でほぼ鎮圧。三の鉾は、王の剣士が討ち取ったと」


「――」


 ただ掠れた呼吸が喉から押し出される。

 ランドリーの言葉の意味をアスタロトは束の間、考え――


 背後で兵達の勝利の歓声がゆっくりと広がっていく間も、ずっとランドリーの告げたその言葉を、胸の中で繰り返していた。








 宿の部屋の扉を開けると、長い黒髪の美しい少女が腰に手を当て、プラドを出迎えた。


「プラド。あなた、剣を抜いたのね」


 プラドはティエラの顔を見て「そうだ」と一言頷くと、身に着けていた正規軍の鎧を外し、部屋の片隅に放り投げた。腰に帯びていた――、一度も抜く事の無かった軍支給の剣も、放る。


「私には一人で宿を出るなとか言っておいて、自分だけずるいわ」


 ティエラの視線が水の桶に向かうプラドを追いかける。プラドは置いてあった布を手に取ると、手桶に汲んだ水に浸し、手早く自分の腕や肩を拭いて行く。


「それで、彼には会う事はできそう?」

「会った」


 ティエラは今度こそ驚いた顔をした。


「――ずるいわ!」


 つかつかと近寄り、ぱっとプラドの手から布を奪う。手桶に浸し直し、絞り、それからもう一度プラドへと手渡した。


「それで、彼は来るって言った?」


 プラドは否とも是とも言わない。ただティエラは初めから想定していたようで、こくりと頷き首を傾けた。


「そんなすぐにはいかないわよね。長は連れ帰れって言ってるけど――何より貴方の血筋だし、あなたも連れて帰りたいでしょうけど、彼の意志もあるし」


 ティエラは手桶の水に、その指先を浸した。

 波紋が広がり、木枠に当たって違う波紋に入れ替わる。


「まあでも、私達もここを出たら、この国にはもう戻らないだろうけど」


 ティエラの視線の先で、プラドは顔を上げ、窓の外の夜を見つめていた。







 王都街壁へ寄せていた部隊もまた、ガウス、レイモア、プーケール死亡の報を聞くと、シメノスへと撤退した。

 その時点で既に、王都侵攻の三万五千の内、シメノスへ辿り着いた兵数は三分の一を割り込んでいた。

 西海軍はシメノスを媒介に、七割が西海へと退却を果たしたものの、更に三割はシメノスの岸辺に骸を晒した。



 深夜を回る前に、王城は西海による王都侵攻の完全鎮圧を宣言する。


 けれど開国以来初めて大規模侵攻を受けたという事実は、街の上と住民達の心に、夜の帳が落ちた中にさえ、ありありと刻まれていた。







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