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第4章『空の玉座』(13)


 ユージュは一人港に残り、何度も、何度も剣を振るい続けた。

 街の人々をファルカン達が安全な崖の上へ逃がすまでだ。


 港は積み荷を運ぶ荷車が行き交っていた広場まで、既に西海兵で埋め尽くされ、ユージュは街への坂道を上がるその手前で、どうにか踏み止まっていた。

 斬るごとに刃に伝わる衝撃は、もう肩の関節に響く。西海兵の槍や剣が身体を掠め、あちこち血が流れている。

 完全な剣士ではないユージュは、怪我の回復も遅い。


 西海の兵はどれほど斬っても、波間から次から次へと湧き出してきりがない。

 手足が重い。身体も。

 息も切れて。


「――ッ」


 肺がせわしなく動く。

 もう何刻も、こうして剣を振り続けているように思える。

 それでもユージュは足を踏み出した。


 出入りする交易船や様々な国の船乗り達で賑ったレガージュの港は今はただ、無機質な戦場と化している。

 それが身体の苦しみより何より、心を握り潰されるほど苦しい。


 剣を振るう。

 剣を振るう。

 剣を振るう。


(父さん――)


 かつての父はレガージュを守るため、戦い続けた。

 母は戦火の中にあってもレガージュの未来を見つめ、命を掛けた。


(ボクも、同じことをする)


「ユージュ!」


 目の前すれすれを、槍の穂先が過ぎる。

 地面に倒れてようやく、死角に敵兵がいて、ファルカンがユージュの襟を引っ張って躱してくれたのだと解った。

 ファルカンの剣が西海兵を切り裂き、ユージュの足元に西海兵の身体が倒れる。


 耳に、音が戻った。


「あ――、ありがとう」


 ファルカンと、船団の男達、船乗り達、それから南方軍とケストナー。あちこちで剣を交える音が港に響く。


「街の奴等はみんな丘の上に退避した。怪我人は無い。お前のお陰だぞ」


 安堵が、肺の奥底から零れた。


「良かった……」

「ユージュ、お前は戦いづくめだ、一度退いてな」

「でも……ッ」


 立ち上がろうとしたが、膝に力が入らなかった。一度動くのを止めてしまったからかもしれない。

 傷も痛い。


「後は俺たち船団に任せろ。お前の力はまだ必要なんだからな。今は少し休むんだ」


 ファルカンは切りかかって来た正面の西海兵の胸を突き、蹴り飛ばしてその身体から剣を引き抜いた。肺に息を大きく吸い込み、叫ぶ。


「レガージュ船団! 力を見せろ! 地上だろうが関係ねぇぞ!」


 船団の男達が呼応し、雄叫びと共に西海兵へ打ち掛かる。


「船団に後れを取るなよ!」


 ケストナーは自ら西海兵の中へ突進し、その長剣の横薙ぎ一閃で周囲の十近い西海兵を薙ぎ倒した。

 南方軍の兵士達が街の狭い坂道を駆け下り、港の西海兵へ次々と突進する。

 夕闇の落ちかけた港は、あっという間に混戦になった。

 行け、とファルカンが背後の路地を顎で示す。


 港のあちこちで、レガージュ船団の男達やレガージュやマリ、そしてローデンなどの様々な国の船乗り達、南方軍の兵士達が戦っている。

 ユージュだけではなく。


「――わかった」


 ユージュは息を吐き、今度は路地へ入る為に何とか立ち上がった、その時だ。


 沖合に、獣の咆哮に似た音が轟いた。

 西海兵が鳴らす戦笛の音――もう何度も耳にした音だ。


「くそ!」


 ファルカンが罵りの声を上げる。


「まだ増えやがンのか!」


 港と水平線との中間辺り――沈む太陽を背に、西海の兵が海を割り、続々と現れている。三千。

 いや、五千近いだろうか。黒い波のような塊の中に、槍の穂先や白刃が沈み行く最後の赤い陽光を弾く。


 あの群れが港に到達すれば、もはやユージュ達の抵抗はただ虚しく、呑み込まれて行くだけだと、解った。

 一瞬、絶望が身を縛りかける。


(父さん――!)


 ユージュは一度高い崖の上を見上げ、息を吐いた。

 頭をひとつ振り、足を踏み出す。


「――まだだ!」










 夕闇が次第に濃さを増す。

 太陽はもう一息で、西の地平に消えるだろう。

 迫る夕闇に抗うように、転位陣の光と法術士団が空に掲げた光球の光が、辛うじて辺りを浮かび上がらせていた。


 四方から寄せる西海軍の兵に、北方軍の陣形が歪む。


「押し返せッ!」


 第七大隊大将マイヨールは鋭く叫び、手にした槍を振るった。

 馬上で槍を回転させ、二体の使隷と一体の西海兵の腹を裂く。だが使隷は水の身体を弾けさせただけで、すぐにむくむくと新たな身体を起こした。


「一人十人斬れば良いなどと、カッツェめ適当な戯言(たわごと)を――!」


 マイヨールは騎馬の手綱を繰り、光を増し続けている転位陣を背に、槍を突き使隷の核を砕いた。跳ね上げた槍の穂先で西海兵の首を飛ばす。


「幾ら斬っても足りんではないか!」


 周辺は混戦状態で、敵がどれほど減ったか、第七の兵士達がどれほど無事かも判別がつかない。

 視界の端で兵士が騎馬から転げ落ち、西海兵が剣を振りかぶる。


 マイヨールは馬上で身を反らすと、手にしていた槍を力任せに投げた。空を切り裂いた槍が、西海兵の背へ突き立つ。

 空になった手で剣を抜き放ち、右から突き出された鉾の柄を叩き折り、返す刃で斜めに斬り下ろす。


 撒き散らす緑の血飛沫を避け、投げた槍の回収に馬体を返そうとしたマイヨールの正面に、地面から使隷が身を起こした。

 使隷は馬の脚を捉え、躱す間も無く地面へ引きずり倒した。

 マイヨールは咄嗟に鞍から飛び降りた。


「セルバ!」


 愛馬を捉える使隷の核を砕き、横倒しになった馬体の手綱を取ろうとした所へ、背後から西海兵が剣を振りかざした。

 右肩を切っ先が掠め、鎧の肩当を砕き、血が飛び散る。


 マイヨールの突き出した剣は西海兵の喉を捉え――そのまま貫くはずだった切っ先は、硬い手応えと共に西海兵の喉の上を滑った。


「何ッ?」


 今までの相手とは違う。全身が、硬い鱗で覆われた、蜥蜴に似た姿だ。


「新手か、厄介な――」


 振り下ろされた剣を咄嗟に盾で弾き、だがマイヨールの身体もまた後方へと弾かれた。






 夕闇が濃くなる。


「転位陣を死守しろ!」


 第六大隊は南東から進軍した西海軍の最も厚い陣容を受け止め、ぎりぎりのところで何とか踏み留まっている状態だった。

 正面は余すところなく、西海兵の姿で埋め尽くされている。

 右辺に陣取る第六大隊二千の兵は既にその二割が地に倒れ、当初の位置取りよりも二十間近く押し込まれている。


 西海軍の陣容は厚く、兵達の中には硬い鱗を持つ者も多数交じり、第六大隊だけではなく中央の第四大隊も、左辺の第七大隊もじりじりと押されていた。後衛の第五大隊の陣取る位置からも、喧騒と剣撃の音が絶え間なく響いている。

 あと十間も押されれば、西海軍の切っ先は転位陣に届く。


 大将ブランは何度目か剣を振り下ろし、混戦の中、それでも前へと、足を向けた。

 前へ出る意志を持たなければ、すぐに押し切られてしまいそうだ。

 何度となく剣を振り、敵と自らの血とで剣の柄が一時濡れ滑りやすくなったが、今は血は粘つき、逆に手に張り付いている。


「前へ出ろ――! 転位陣を守りきれ!」


 だが叫ぶブラン自身、二つの思いが胸中に鬩ぎ合っていた。

 増援は必要だ。増援が無ければ彼等は、あと半刻も保たずに皆、この地に倒れる。


(だが、全ての増援が来ても、一万)


 十万の圧倒的兵力の前には、いずれ押し潰され、飲み込まれる数でしかない。

 早いか、遅いか、その差だけだ。


 この九千で済ませるか、一万の命を更に乗せるか。

 おそらくランドリーもまた、それを考えているだろう。


(閣下――!)






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