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第4章『空の玉座』(11)


 王都の空は、遠く西の果てで始まろうとしている戦いへの不安と暗愁を表わすように、厚い雲に全体を覆われていた。

 居城の窓から見える空は、どこまでも途切れず灰をまぶした色が続いている。


 ファルシオンは冷たい硝子に手を当て、窓の外をじっと、見つめた。

 その視線の先、王都外周部にある演習場から、曇天の沈んだ景色を僅かに照らす光が五つ、湧き上がっている。

 それは法陣円の放つ光だった。


 東方軍、南方軍からそれぞれ三千、そして西方軍第二大隊、第三大隊から合わせて四千、総勢一万名の兵をおよそ二千里離れた地へ転位させる。

 法術院は一万もの兵を転位させるにあたり、五つの法陣を敷き、敷設及び発動の為に一つの法陣円ごとに法術士三十名を配した。出口となる転位先においても、先行している正規軍法術士団の術士が転位陣の固着に対応しているはずだ。


 既に派兵される各部隊は演習場周辺に到着し、整然と並んで法陣の完成を待っている。

 戦場への出立の時を。


「殿下」


 スランザールが室内に入り、窓際のファルシオンに近付いた。


「もうすぐ、第一陣の転位の準備が整います」


 時計の針は午後四刻を差している。

 ランドリーからは西海軍の挟撃の動きを捉えたと、つい半刻前に報せがあったばかりだ。

 恐らくは一刻の内に、到達するだろうと。


(あと半刻しかない。そうしてまた、戦いがはじまるんだ――)


 増援を含めても二万、対する西海軍は十万を超える。

 ファルシオンは兵達を、不利と判りきった戦場へ送り出すのだ。

 彼等が出て行く演習場ですら、硝子窓の向こうでファルシオンの立つこの場から、遠い。

 ファルシオンは窓硝子にあてた手を、きゅっと握った。硝子に二つの瞳の色の金が映る。


「スランザール。私は――もう少し、何かできないだろうか。兵たちが戦うのに、私は何にもしてない」


 スランザールは眉を上げ、じっと硝子に映ったファルシオンの瞳を見つめたあと、その横に立った。


「殿下は充分に、その責務を果たされておられます。常の協議は国王代理としての殿下の重要な責務でございますし、これまでの様々な政策――兵の増強や国内の治安維持、税の軽減。どれも立派な政務の一つです」


 一つ一つ、スランザールは指を折るように数え上げる。


「第六大隊軍都エンデの難民も、エンデの防備や農作物の収穫の手伝いなど、職を得る事ができておりますぞ」

「――でも」


 スランザールの言ってくれた事は、全て周りの大人達が教えてくれて、やってくれている事だ。ファルシオンが自分で為した事ではない。

 ファルシオンはぐっと顔を上げた。


「でも――、兵士たちが危険な思いをするのに、私がここにいるだけなのは……いやだ。私は、私自身が、いっしょに立たなくちゃいけないと思う」


 スランザールを振り返る。


「そうしたい」

「殿下」


 その瞳には強い願いがある。スランザールは皺を刻んだ手のひらで、ファルシオンの小さな手を包んだ。

 ファルシオンの想いはスランザールにも理解できる。


 ファルシオンがもう少し、そう、せめて十代後半ほどに歳を重ね武芸を学んでいるのであれば、自ら将として兵達の中に立つという事は充分に有り得る対応だ。

 だが今のファルシオンは余りに年若い。


「お父君のなされてきたことを、振り返ってご覧ください。常に王城に座し、国内を見渡しておられました。それでこそ民や兵は安寧を得られるのです。国主たる方はそれこそが、第一の責務なのだとお考えください」

「――」


 金色の瞳に、儚い失望が見える。それはスランザールがそう思った通り、自身の幼さに向けたものだろう。


「殿下のお志は兵達に必ず伝えます。まずは国の中心たる務めを果たされなされ」


 じっとスランザールを見つめていた瞳が、窓硝子の向こうへ戻される。


「わかった」

「――殿下」

「……兵たちに、無事に、戻ってと――」


 ファルシオンは言葉の途中で俯き、唇を噛んで窓硝子に額を落とした。






 演習場前にずらりと整列した正規軍兵士達は、次第に強くなる法陣円の光を、張りつめた空気の中見つめていた。

 あと半刻。


 これから行くのは西方の地、西海との国境近く――そんな地など、今ここにいる兵の誰一人、これまで一度も訪れた事は無い。

 そこへ跳び、命を落とすかもしれない戦いに身を投じるのだ。

 三か月前の七月、ヴァン・グレッグ率いる西方軍八千が壊滅した事は、兵達の記憶に新しい。それが尚更に、彼等の緊張と不安を増している。


 兵列の前には、共に戦地に赴く彼等の大将達の姿、王都守護隊である第一大隊の大将達の姿、そして参謀総長ハイマンスと副将軍タウゼン。

 その向こうに、将軍アスタロトの姿がある。


 前を向いたまま、小さな呟きが洩れた。


「将軍は戦場へ行ってくださるのか」


 疑問というよりも、期待。


「炎帝公のお力があれば、こんな戦い、すぐに終わるんだ」


 呟きそのものは、広がる事無くすぐに消えるが、また誰ともなくどこかであがる。


「俺達だけが戦うんじゃなくて、アスタロト様がいれば」


 その呟きの裏には、誰も明確には言葉にしない――言葉にする事を避けている一つの噂があった。

 アスタロトは炎を失ってしまった。


 『炎帝公』は戦場に立てないのだ、と。


 アスタロトは演習場を向いて佇み、結い上げた黒髪と身に纏う軍服の外套を風に揺らしている。









 西海軍の進軍の響きが、陽の光の失せて行く大地に震動となって広がる。

 兵達の群れを運ぶ使隷が、水の塊の身体を地面に落としながら進む、その重く湿った水音。

 進軍する九万の西海軍の陣中央に騎馬を置き、フォルカロルは苛立ちを全身に立ち上らせていた。


 フォルカロルはプーケールに対し、早朝を目処にアレウス軍へ攻撃を仕掛けよと命じていた。

 それが実際には進軍に半日以上を掛け、漸くの到着だ。


『プーケールめ、この私を軽んじおって――奴からの報告はまだ来ないのか!』


 周囲に配したフォルカロルの親衛隊がびくりと身を縮める。一人、フォルカロルの前に海馬で進み出た。参謀長ゼルケーという水人種だ。


『未だ――こ、呼応の際に伝令兵を寄越す予定でしたが、その、事態が変わった事により手筈がずれているのではと』

『変わった?』

『その、伝令兵を交わしてから、互いが動くはずで――』


 フォルカロルの手にした三叉鉾の石突きが、ゼルケーの胸を突く。

 ゼルケーは海馬から落ちて地面の上に叩きつけられ、転がった。


『貴様! 私の采配にケチをつけるか! 私がプーケールを待つべきだとでも言いたいのか!?』

『め、滅相も――』

『この能無しが! そもそも貴様の戦術が』


 再びゼルケーの胸を突こうとした鉾の柄を、横から伸びた別の鉾の柄が阻む。


『そう、(いき)り立つものでは無い』


 鉾を伸ばしたのはレイラジェだ。

 レイラジェはまだ怒りを上らせたままのフォルカロルの前に、海馬を寄せた。フォルカロルの双眸が更に怒りに軋む。


『鉾をどけろ、レイラジェ』

『プーケールはお前に思う所があるのではないか?』

『何だと。レイラジェ、何が言いたい』

『冗談だ。まあプーケールがどう動こうとお前の勝利は変わらんだろう。だが――』


 レイラジェはつと三叉鉾を上げ、その切っ先で崖の上を示した。


『あれを見よ』


 暮れる空の中、崖の上に揺らぐ光が見える。


『アレウスの陣営から立ち昇る光、あれは転位陣のものだろう。増援をこの地へ送る為のな』


 フォルカロルは光を見上げ、鼻で笑った。


『そんな事は承知の上だ。だが転位陣だと、そんな急拵えにどれほどの意味がある』

『大戦で、アレウスが兵の輸送に敷いていた』


 かつて戦場で何度も目にした光だ、と。

 レイラジェがフォルカロルへ視線を戻す。


『当初こそ輸送力はさほど高くなかった。数十人程度しか運べず、戦局にも影響を及ぼさない程度だったな。だが後方支援部隊にいたある術士が、大規模な輸送を可能にしたのだ』


 レイラジェの銀の目が、フォルカロルへと流れる。


『今のアレウス王国法術院長』

『――ふん、幾ら援軍を送り込もうと、総兵数で圧倒的に勝る我等に敗北などない。十万を超す兵を生み出せるのならば別だがな』


 上げていた三叉鉾を下ろし、レイラジェは海馬の首を巡らせた。


『であろうな。フォルカロル、お前の用兵に期待している』

『出過ぎた口だ。貴様は言われた通り兵を動かせば良い』






『フォルカロルめが、待ち切れずに動き出したわ』


 プーケールは嘲りを滲ませ、前方に蠢く黒い雲霞のような本隊を見渡した。

 フォルカロルはプーケールを使っているつもりだが、所詮はナジャルの掌の上に過ぎない。


『本隊を与えられたといい気になっているだけよ』


 視線を戻せば、プーケールの軍と動き出した本体との間に、アレウス軍の姿と地面から立ち昇る五つの光が見える。

 アレウスへは充分に時間を与えた。もともとそれが目的だ。


『余す所なく使ったであろうな』


 可能な限りの態勢を整わせてやる、その為の時間だ。

 それもこの地で命運尽き果てる為の、自殺行為でしかないのだが。


『死出の道行きに、フォルカロルの首でも落としてくれれば上々――』







 ランドリーは左右の崖の上に布陣した兵列を見渡した。

 北方軍九千、早朝に到着した竜騎兵二千。

 そして今、五つの転位陣が東方、南方の増援を含めたおよそ一万をこの地に受け入れるべく、光を増し続けている。


 発動まであと半刻を切った。

 だがその前に、西海軍の前線がランドリー達に到達するのは間違いがない。


「今、我々が前にしているものが西海軍ほぼ全軍と見ていいだろう。厳しい戦いを覚悟しなければならない」


 声は法術を介して風に乗り、対岸の兵列へと届く。


「だが、ここを乗り切れば、我等は国土と――」


 ランドリーが剣を掲げる。兵士達が腰に帯びた剣の鞘を鎧に、あるいは手にした槍を盾に、打ち当てる。


「王太子殿下と!」


 ランドリーの掲げた白刃が暮れる最後の陽光を弾き、再び、兵達が武具を打ち鳴らし応える。


「我等が朋輩を、家族を、守り切る事ができる!」


 三度――、ランドリーに呼応し、兵達は武具を打ち鳴らした。

 丘陵と崖の(あわい)に響く。


「守り、ここを乗り越え生きる為、その命、己の剣とこの私に預けよ!」


 武具を打ち鳴らす音が一つになって響く。

 残響がまだ残る中、左右に展開していた竜騎兵各千騎が羽ばたきと共に一斉に上空へ駆け上がった。

 空を埋めた飛竜の群れに、西海軍の前進にやや、乱れが生じた。


「行くぞ!」


 竜騎兵を指揮する中将ロイドは、飛竜の背で槍を突き上げた。


「まずは正面、西海軍本隊を牽制、撹乱する!」







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