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第4章『空の玉座』(3)

 

 議場の扉が背後で閉じ、アスタロトは知らず溜息を落とした。

 自分がここに居てそれで何になるのか、その焦りがもどかしさになって身体の奥で踊っている。

 それでも今できるのは、せめて正規軍将軍としての責務を果たす事だ。


(謁見、行かなくちゃ――)


 ファルシオンとの謁見がこの後ある。兵の増員について、結論を聞かなくては。

 長い廊下には、近衛師団の隊士が定間隔で立っている。半年前は王城内の警備は限られた場所だけだったが、今は全ての階の廊下に、隊士達が常に交代で詰めていた。

 歩くアスタロトの背中を、彼等の視線が追ってくるように思える。


 彼等は今、どう思っているのだろう。

 アスタロトが王の身を守れていさえすれば今のこの状況は無かったのだと、その考えはいつも繰り返しアスタロトの胸の中に湧き上がった。

 レオアリスが、剣を失う事も。


 ふと視線を動かし、アスタロトは束の間息を止めた。

 王城を縦に繋ぐ南の大階段を上がってくるのは。

 止めていた息をゆっくり息を吐き出す。


「……ヴェルナー、侯爵」


 視線を上げアスタロトの姿を認めると、ロットバルトは階段の途中で立ち止まり、一礼した。

 向けられる氷を思わせる蒼い瞳と整った面からは、内心はまるで覗けない。


 印象が違う、といつも思う。

 近衛師団にいた時のそれでは無く、アスタロトが初めてこの青年と会った時に感じた、冷えた印象の瞳だ。

 まるで全てが始まる前に戻ってしまったみたいに思えた。


(私が――)


 ロットバルトは残りの段を登ってアスタロトの近くに立つと、改めて一礼してから視線を合わせた。


「先ほど南軍の小隊を動かされたと聞きしましたが、緊急事態が?」

「魔獣の駆除に出した。結構数がいる、けど、小隊なら足りるだろう」

「魔獣か……それも厄介ですね」


 おそらくは別件――西海への対応を予想していたのだろう、ロットバルトは頷いて、ただ眉を顰めた。

 魔獣が増え続ける原因は判っていた。

 王が失われたあの日、王城を覆っていた結界だけではなく、国土に行き渡り保たれていた均衡も崩れたのだ。

 アルジマールでさえ、対処のしようが無いとはっきり言った。

 あの日から、坂道を転がるように、様々な事が変わって来ている。


(まだ六ヶ月――)


 正規軍では特に、ヴァン・グレッグを失った西方軍の壊滅的損害と、ボードヴィルの離反。

 近衛師団は総将アヴァロンを失い、グランスレイが暫定的に総将代理として指揮を取っている。

 第二大隊は半年前のトゥレスの事件の後解体され、今は元の隊士達は第一、第三大隊にそれぞれ再編成されていた。

 ロットバルトは近衛師団を退団し、父である前侯爵の跡を継いだ。

 近衛師団を退団せざるを得なかった直接の原因。

 そして、もう一つの、全ての要因――


 再び、アスタロトの胸の奥で自責の念が湧き上がる。

 一連の事――、そして現状をどう思っているのか、ロットバルトの表情からはその心の中は読み取れない。

 でも、本当はアスタロトを責めているのではないか。口には出さなくても。

 彼だけではなく、グランスレイや、クライフやヴィルトールやフレイザー。

 ファルシオンは。


 それから


 レオアリスは



 風が耳元でくすりと笑った。



 ――だって、あなたが望んだんじゃない。




「ファー……」


 王城の大階段。

 今は薄暗く、階段を下がった踊り場に、密やかな淡い光がある。

 そこに自分の過ちがあるようだ。


 そう、そうだ。

 アスタロトが炎を失ったから、あの不可侵条約再締結の儀の時、イスで、王の守護の役目を果たせなかった。

 炎など無ければ良かったと――、アスタロトでなければ良かったと、そう望んだから。

 ルシファーにはそれがわかっていた。


「公、どうかされましたか」


 ロットバルトの問いかけに我に返り、アスタロトは首を振った。

 切り替えなくては。


(いつまでも、みっともない)


「それで、頼んでた件だけど……増員の」


 今ここで聞く事では無いと思いつつも、目の前の事に気持ちを向けたかった。ロットバルトが改めてアスタロトに向き直る。


「正式には財務院からこの後の殿下への謁見時にご報告しますが、結論から申し上げれば、各地方都市から徴兵しての増員は厳しい現状にあります。当面は現在の保有戦力で対応していただくしかありません。ファルシオン殿下のご判断にはなりますが、これは地政、内務での一致した見解です」


 アスタロト自身、予想していた厳しい回答だ。それでも現場の兵士達の為に何とかしたかった。


「けど、今のままじゃ手が足りないんだ。どの大隊もあちこち戦力を持ってかれて、緊急時の対応が後手に回ってる」


 ロットバルトはそれに対しては頷いたが、今の状況で街への負担は避けたいのだと、そう言った。


「彼等も疲弊しています」

「でも手っ取り早い。言い方は悪いけど、それなりに訓練されてる兵が今は必要だ」


 新兵を実戦に立たせようとすれば、通常最低でも半年の期間が必要だった。ただ剣を振るえばいいのではなく、組織として動かなければいけないからだ。


「確かに、一般からの募集で満足に人員を得られていない中では、各都市の警備隊員を徴兵する手が一番効率的とは思います。しかしそれを考慮に入れて検討しても、現在のこの状況で街の警備の手を薄くする危惧の方が大きい。各都市にはその体力がありません」

「――」


 アスタロトは溜息を吐いた。

 課題は多く、解決はしていかない。

 何が問題か判っていて認識も同じなのに、その為の手段が無いのだ。

 そもそも、簡単に解決できる事など滅多に無いのかもしれないが。


「正規軍の数が少なすぎるんだ。定員いたって足りない」

「――仕方ありません。そもそも現在の軍の員数は、前提に戦乱も無く長期の安定政権があった為です。国土の規模に比してだけ考えれば充分とは言えないが、それで足りる。――足りた、が正しいか」


 正規軍の総数は一大隊三千名の一方面七大隊二万一千名。四方面で約八万四千名だ。国や国土の規模に比べ、少ない。

 常に戦乱の危機に晒されている他国に比較すれば、通常この三倍の軍を持っていてもおかしくはなかった。


 長期に亘る平穏下では充分。

 ただ、今の実数はそれですらない。


「街から員数だけは徴兵できたとしても、充分な訓練をしている時間的余裕も無い現状では、必要な水準で組織的に機能させる事は難しいでしょう。兵数だけ増強しても統率が取れなければ意味を成さない」


 あまりそこにこだわる必要は無い、と言う。


「まずは我々中央が足元を固めなければ話にならない」

「――」


 特に地方との調整機能を持つ地政院は、ベルゼビアの離反で混乱している。今は地政院はほとんどその機能を停止した状況にあり、そして王妃とエアリディアルを手中にしたベルゼビアに付く貴族や官吏達も少なからずいた。

 もう既に、四大公爵家が王政を支える仕組みが崩壊しているのだ。

 今は辛うじて残っている仕組みの名残を動かす事が精一杯になっている。


(王がいないことで、国はこんなに弱いのか)


 たかだか半年前はあれほど盤石に見えたのに。

 けれどその原因を作ったのは自分なのだ。少なくともその一因は。

 固い床に視線を落とす。

 その下の――


 ずっと眠ったままの、レオアリスの。


 尋ねるつもりなど無かったのに、口から滑り出た。


「――いつ、戻ってくるの」


 ロットバルトは既に階段を登って行くところで、足を止めて振り返った。

 一瞬、その瞳に感情が覗いたように思えたが、それはアスタロトの期待故だったかもしれない。

 返ってきたロットバルトの言葉は大して感慨もない、通り一辺倒のものだ。


「殿下がそれをお認めになったらでしょう」


 たまらなくなってアスタロトは声を荒げた。


「そんなの……いつか判んないよ!」


 廊下の近衛師団隊士が驚いて視線を上げたのが分かる。ロットバルトはじっとアスタロトの瞳を見つめた。


「我々がその話をするのは筋違いですよ。貴方が心を痛めるのは判りますが――どうしようもない」


 やんわりとそう告げると、ロットバルトはそれ以上は返さずアスタロトに背を向けて階段を登っていく。


「そうじゃない……」


 自分がどうとかじゃあない。そんなのはどうでもいい。


「――何で、責めないんだ」


 その問い掛けは届かなかったのかもしれない。ロットバルトは振り向かなかった。


 アスタロトは唇を噛み締めた。

 自分のせいなのだ。

 いっそ責めてくれれば、その方がどれだけ楽なのだろう。


『我々は、貴方を断罪する為にはいない』


 判っている。

 判っているけれど。

 けれど、ファルシオンでさえアスタロトを責めない。


 あの時――剣を一振り失った時の、レオアリスも。


 剣が砕けた理由を、レオアリスは理解したはずた。

 アスタロトはレオアリスに、自分が王を守ると約束したのに。

 苦しかったはずなのに――


「何で怒んないのか、判んないよ……」


 アスタロトはぎゅっと両手を握り締め、小さくそう呟いた。







 階段の踊り場を曲がる際に、アスタロトがまだ廊下に立ち尽くしているのが見えた。

 靴音が無機質で硬い響きを散らす。


『いつ、戻ってくるの――』


 我ながら無意味な答えを返していると、そう思う。

 ファルシオンの赦免はただの建前に過ぎず、そんな事はアスタロトは充分理解している。

 それを理解した上で、なお零れ落ちたものだろう。


(いつ、か――。それが解れば)


 レオアリスの眠りに外部から干渉する事は困難だった。アルジマールも幾度か試みてはいる。


『外見上の傷は全て癒えてても、奥深い所に損傷がある。法術はそこへ到達しないんだ』


 アルジマールはそんな言い方をした。

 それは剣の損傷の問題だけではないのだろう。


『殿下がそれをお認めになれば』


 事実がどうあれ、レオアリスが動く、動かないはレオアリス自身の意思ではなく、国家としての考えに基づくものである事として示すのが重要なのだ。

 国王代理としてのファルシオンの意志に基づくものでなければならない。

 それは、まだあまりにも幼いファルシオンに、あまりにも重い責任を負わせるものだ。


(たった一人に――)


 舌の上に苦いものが広がる。


(彼等に、何を負わせ、何を求めているんだろうな)


 それでも赦免されれば動けるのだと示した事で、内外に一定の抑止効果はあった。

 城内においては段階を踏んで意識誘導を図る必要はあったが、現状は王都全体で、レオアリスの赦免を望む考えが強くなっている。


 西海が動き出した今、赦免を望む声はより高まっていくだろう。


 早い段階の『赦免』が望ましい。

 だが。


『いつ――』


 ロットバルトは足を止めた。

 それは無意識の行為だ。


(――)


 いつ?


 長くても二、三か月なのではないかと考えていた。

 これほど長いとは――


 ふと陽射しの熱を感じ、自分が窓際に立ち止まっていた事に気付いてロットバルトは再び歩き出した。


(この段になって、いつ目覚めるか確証が無いのが問題だ)


 その時期が判らない現状で赦免への要望が高まるのは、ファルシオンへの信頼を無為に損ねかねず、良策とは言い難い。


(まだ少し意識を抑えるべきか――いや)


 もうその時期ではない。

 そしてまた、レオアリスが目覚めたとして、その時どんな状態にあるのか、それも懸案の一つだった。







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