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第4章『空の玉座』(2)

 

 唐突に、沈んだ空気を裂き、高い音が鳴り渡る。

 大通りを俯きがちに歩いていた人々が慌てて、だが慣れた様子で歩道に寄り、その時ばかりは足を止めて音のした方を振り返る。


 警笛のように鳴らされるそれは喇叭の音だ。

 耳に響く音が一定の間隔で、通りの坂の上から近付き、喇叭の音の中に馬の蹄の音が次第に轟き始めた。


 王都ではかつて、馬蹄の轟きは年に一度の春の祝祭、その最後を飾る『馬競べ(コン・ルキスタ)』の象徴だった。平和で豊かな、王都の繁栄の証──

 けれど今、祝祭を思い浮かべる者はほとんどない。


 坂の上を見上げる人々の前に現われたのは、横三列に連なって大通りを駆け下りる軍馬の隊列だ。藍地に炎を揺らした紋章の軍旗を風に靡かせ、次から次へ通りを駆け抜けた。跨る正規軍の兵士達は、革と編んだ鎖で作られた鎧でほぼ全身を覆っている。


 地鳴りのような蹄の音が遠ざかった後に、細かな埃が薄い陽射しの中を舞い上がる。

 歩道に立ち止まっていた人々の間から、誰とも無しに重い息が溢れた。





「どこに行くのかしら――」


 心配そうに軍馬の一団を見送ったのは、中層に店を構えるデント商会の一人娘マリーアンジュだ。その視線を横を歩く男に移し、見上げる。


「どっかで魔獣が出たか――、それとも、西海軍との戦いに出たんですかね」


 二十代後半のマリーンより五、六才ほど年上のその男は名をダンカといって、デント商会が商隊を送る時に護衛につく傭兵だが、ここ最近、特にこの十月に入ってからは一層王都の治安悪化が進み、娘の身を案じたデントから命じられマリーンの外出の際はこうして付き添っていた。左の腰には一振り、しっかりと剣を帯びている。


 正規軍が新兵を募っている事もあり、最近では普段から剣を帯びている者がダンカ以外にもちらほら見えた。ただ地方から王都へ上がり、結局軍には入らず騒動を起こす者も少なくない。


「それとも東方軍の救援か……色々あり過ぎですね」

「嫌だわ、本当に」


 マリーンの溜息にダンカも頷く。

 二人が向かう前方からは、五名ほどの正規軍兵士が道を降って来る。

 先程の軍馬同様、最近では見慣れた光景だが、街の見回りも頻繁に行われていた。物々しくてやや気が滅入るが、物騒な事件も増えてきている今、正規兵の姿が通りにあるのは有難かった。


「魔獣とかっていうのも早く元いた所に戻って欲しいし、戦争なんて始まって欲しくないわ。それに――」


 マリーンはその瞳を、兵士達の向こう、坂道の上に見える王城の尖塔へ向けた。


「早く、レオアリスの幽閉とか解いてくれればいいのに」

「蟄居って言ってますけど」

「同じよ。――」

「旦那様が嘆願書を出すって言ってましたね」


 デント商会は三年前王都北西地区に店を構えてから、ここ二、三年で大きくなったが、元々は北部の辺境に近い地方で羊などを主に扱っていた。

 主人のデントとマリーン、二人だけではなくダンカを含めたその当時からのデント商会の古い顔触れは、レオアリスを良く知っている。それこそ彼が故郷の黒森の村を出て王都へ旅した時、僅か一晩ではあるが、行程を共にした時から。


「北方に商隊出してる商売仲間とね。皆でまとまるのはいい事だわ。ていうか父さん、もっと早く動いてくれれば良かったのに。あの子がいつまでも閉じ込められてるなんてそんな状況、おかしいんだから」

「うちは彼の故郷にも世話になってますしね。最近じゃさすがに黒森まで仕入れに行けませんが」


 擦れ違う正規兵達にやや道を譲りつつ、マリーンは肩を落とし、それから気を取り直そうと一つ首を振ってから手元の書付を見た。父デントが指示した仕入れの調整事が記されている。


「まあまだ商売先があるだけ、私達は恵まれてるんだけどね。この後行くカドニアさんのとこも南方が主な商売先だし」

「南方はまだ安全ですね。アルケサスからはあんまり魔獣は出てこないって言うし。それだって西よりマシって程度ですが」


 街道そのものが魔獣や野盗の活動が活発で、それなりに護衛を揃えなければ行き来は難しいのだ。


「そうよね、こんな状況で商隊と護衛揃えて出られるのなんて、余裕のある店ぐらい。ほんとにこのままじゃ──」


 話しながらふと、マリーンは左にある細い路地の奥に視線を止めた。

 焦げ茶の服の裾が、建物の角に揺れながら消える。


「――あれ……!」

「お嬢さん?!」


 突然声を上げて走り出したマリーンを、ダンカが何事かと驚いて追いかける。マリーンは服の裾が揺れた路地の入り口へ駆け寄り、奥を覗き込んだ。

 思った通りだ。


「ちょっと、アンタたち何やってるの! 手を離しなさい!」


 マリーンが声を上げて睨んだ先で、四人の男が十代の少女を戸口に押し込もうとしているところだった。


「助けて!」


 少女が身を捻り、助けを求めて叫ぶ。追いついたダンカの腕を掴み、マリーンは彼を見上げた。


「ダンカ、お願い!」

「えぇえ!? 相手四人、いや、状況が良く」

「四の五の言わないで!」


 マリーンの勢いに押されたダンカが腰に帯びていた剣を抜き放つと、男達はぎょっと顔を引き攣らせた。


「な、何だテメェ!」

「いや、ちょっとその子、知り合いみたいだなって」

「あぁ?」


 男の手を振り払い少女が駆け出す。


「待て!」


 ダンカは駆けて来た少女を自分の背後に押しやり、四人の男へ剣を向けた。マリーンが少女を抱き止める。


「おい、余計な手出しすんじゃねぇぞ!」

「殺されてェのか!?」


 男達は手に短剣を握って踏み出した。ダンカの剣を警戒しつつも、腹立たしそうに顔を歪ませている。マリーンはもと来た大通りを振り返り、大声を張り上げた。


「誰かー! そこの兵隊さん! こっち! こっちです! 人攫いです!」


 正規兵と聞き男達はぎょっとして顔を見合わせた。路地の奥は袋小路、行き止まりだ。


「――どけ……!」


 ダンカを押しのけるようにしてその横をすり抜け、大通りへ逃げ出そうとし――四人はつんのめって足を止めた。路地の入口を正規兵達が塞いでいる。さきほどマリーン達と擦れ違った五人だ。


「何事だ!?」

「くそッ!」


 男が一人、踵を返してマリーンへ掴みかかった。


「ちょ」

「お嬢さん!」


 短剣の切っ先をマリーンの胸に突き付け、兵士達へ首を捻って怒鳴った。


「そこをどけ! どかねぇとこいつを殺――」

「手を――」


 ダンカが判断に迷う間も無く。

 いつの間に踏み込んだのか、兵士の一人が無造作に伸ばした手が短剣を持つ男の手を掴む。かと思った直後、男は石畳の上に強かに背中を打ち付け、転がった。

 そのまま呻きもしない。

 他の三人の男も、石畳に倒れている。


 マリーンは短剣に驚いた時の目と口の形のまま、ぽかんとして目の前の兵士を眺めた。

 年齢はマリーンと同じくらいか少し下か、背の高い、すらりと引き締まった体躯の兵士だ。その兵士が一人であっという間に四人を倒したのだが、間近で目にしていても何が起きたのかよく判らなかった。

 ただ、彼の動きはとても鮮やかだった。


「――びっくりした……」

「びっくりしたのはこっちですよ、全く」


 ダンカが息を吐き出し、使わずに済んだ剣を鞘に納める。


「いやマジ無茶すんの止めてくださいよ、正規兵が近くにいたから良かったようなものの、俺が四人一度に相手にできる訳ないんですから」


 安堵を滲ませつつも文句を言い、ダンカは兵士へ頭を下げた。


「助かりました。我々は中層北西地区のデント商会の者です」

「デント商会か、聞いた事あるな。そっちの娘さんも?」


 ダンカに近付いたのは男達を倒した兵士とは別の、襟元に紀章をつけた年配の兵士だ。


「いえ、彼女は知り合いじゃないんですが、こいつらが無理矢理押し込もうとしてたもんで、お嬢さんが――。我々用事があるんでそちらで保護してもらえますか」


 ダンカ達の会話を横目にマリーンは少女の肩をさすりつつ、男達を縛り上げて行く兵士達を眺めた。


「すごいわねぇ、正規軍の兵士も……」


 先ほどの兵士の姿を目で追う。

 その顔が何となく、どこかで見た事があるように思えた。


(そんな事ないわよねぇ。私、一度会った人は忘れないし……)


「いやぁ、あんたやっぱすげぇな」


 同僚の兵士が近寄り、感心した声を上げて男の肩を叩いている。濃茶の髪と緑の瞳の、軽そうだが中々の男前だ――が、こちらの方には見覚えがあるという感覚は無い。


「戦場に行きゃすぐにでも結構な武勲立てられんだろうに、新兵は街の見回りばっかなんてもったいねぇことするよな、上も」


 そう言いつつ、軽そうなその兵士はマリーンへ身体を向けた。


「君デント商会の娘なんだ? 今度店に行くよ。俺はベイルってんだ、あっちの寡黙なのがプラドって言って、俺のダチっていうか――」

「ベイル、任務中だ。こいつら連れて一旦戻るぞ」


 上官らしき兵士の声に肩を竦め、ベイルは「今度店に行くよ」ともう一度言って手を振った。正規兵達は縛った男達を半ば引き摺って大通りへと戻って行く。

 マリーンはプラドと呼ばれた兵士の視線が、角を曲がりながら自分に向けられたのに気付き、首を傾げた。


(やっぱり知り合い――? だったりはしないわよね)


 腰に手を当てたダンカが傍らに立ったので、マリーンは一旦小言を避けるように目を閉じた。


「何度も言いますが、今後こんな無茶は止めてくださいよお嬢さん。下手すりゃこんなの、最悪の事態になってますよ」

「最悪の事態って何よ」

「だから、俺は死んで、お嬢さんもあの娘も」

「それよ」


 マリーンは同じく腰に手を当て、くるりとダンカを振り返った。


「そ、それ? 何がですか」

「あのコはその最悪の事態一歩手前だったんじゃない」

「そうですよ、だから下手に」

「いつからそんなになっちゃったの、王都は──この中層まで」


 ダンカが口を閉ざす。

 これまでも下層でこそ気を抜けなかったが、商家や職人が多く暮らすこの中層は治安が良く、以前は昼日中から少女を拐かそうとするような輩はほとんどいなかった。

 次第に悪化していく治安に住民達は誰も不安を感じていて、中には王都を離れ故郷へ戻る者も出てきている。街道を行くのさえ危険が伴うが。


「でもこういうのはほんとに止めてください。短剣だろうと剣持った相手四人とか無理ですよ、普通」


 向けられたマリーンの顔にちらりと視線を落とす。


「俺としては、旦那様にも言われてるし──あ、あなたの身を守るのが第一なんですがね」

「あ、ごめんなさい。でもほんとに有難う」


 肝心なところをさらりと流されてダンカは複雑な顔をした。マリーンはゆっくり、息を吐いた。


「──本当はね、少しでも何かしたくて」

「え?」

「私に出来る事なんてほとんど無いんだけど、でも、何かできればって思って」


 マリーンは顔を上げて少し笑い、ダンカへ申し訳なさそうな瞳を向けた。


「やるのは貴方だから、それは違うわね。反省します」


 大通りへ戻り、再び歩き出した。

 前から来る二人連れをやや肩を捻って避け、擦れ違う。息子だろうか、少し怒ったような声が聞こえた。


「彼の幽閉を解けばいいじゃないか」


 ダンカはマリーンを見た。ダンカの視線に気付いてマリーンが口元に苦い笑みを浮かべる。


(本当に――早く戻ってきて欲しいわ)


 街の人間はみんな、そう思っている。


(あの子一人で、全部解決するわけじゃないけど)


 そんなふうに負わせるつもりも無いのだけれど。

 顔を見れば少しは、安心できる。

 マリーンはしばらくの間、思わしげな瞳を、重なり合う屋根の上に覗く王城の尖塔へ向けていた。






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