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第3章『西へ吹く風』(19)

 

 深夜、ヴィルヘルミナ城内部はぴんと、薄い布を張ったように静まり返っていた。

 あと半刻で、約束の深夜一刻。


「行くぞ」


 ゲルド達は昏い色の装束に身を包み、薄く開けた扉から廊下へと出た。

 彼等が所持している武器は、荷物に忍ばせる事ができた僅か五振りの短刀のみ。ベルゼビア暗殺組が二振り、王妃救出組が二振り、部屋に残る者達に一振り、振り分ける。

 不足とは思わなかった。必要になれば武器は現地調達すれば良く、必要な事態になった場合は当然、()()にある。


 扉の前でゲルド達は、ベルゼビア暗殺に向かうスキア達と反対方向に分かれた。四角い中庭を囲む四方の棟のうち、西、南、東の三棟は繋がっているが、従者や下僕達が暮らす北棟だけが別棟になっている。ベルゼビアの居室は主邸となる南の中央棟と西棟の四階の角を占め、王妃達の居室があるのは中央棟の三階だ。

 北棟からそこへ至る道は、一階の回廊か、中庭をつっきるか、それとも三階にある渡り廊下を渡るか。


 ゲルドは一番切り替えの利く一階回廊からの道を選んだ。

 北の棟の一階廊下は深夜、灯りもほとんど無く、他人の姿も見当たらない。

 それでも暗がりを選び、慎重に、そして素早く足を運ぶ。

 行動の時間は短ければ短いほどいい。


 潜入した十五人中ゲルド達七人は王妃とエアリディアルを連れ出し、スキア達四人はベルゼビアを暗殺、そしてゲルド達に与えられた部屋に戻る。

 そこに今、バーデンが王都への転位陣を用意している。

 かけて半刻――

 ミラーが派遣した東方軍が一刻に街を強襲するまでの間だ。


 それまではごく隠密裏に、その後は強襲の騒ぎに乗じて城から速やかに撤退する。

 北の棟の回廊を東の角まで渡り、ゲルドは慎重にその先の廊下と中庭に目を配った。

 東の棟との間は三間ほど離れていて、そこは身を隠すものが何もない。


 右手で合図を送り、まずは短剣を持ったエインズが一人身を屈めつつ、東棟に続く煉瓦敷きの道を駆ける。東棟の回廊に入ったエインズが、今度はゲルド達に合図を寄越す。

 ゲルド達は残りの六人とも、素早く東棟へと移った。

 同じように回廊を端まで進み、そこにある階段を上り三階へ差し掛かった時、どこかで扉が開く音がした。


「――」


 周囲へ流したゲルドの目が、目指す南棟の三階に止まる。壁に並ぶ高い窓の奥で、灯りが廊下をゆらゆらと移動して来る。おそらく手に持った燭台の灯りだろう。

 灯りはゲルド達の居る階段へ近付いて来る。


『上がれ』


 一旦四階への踊場へ上がり、階段の暗がりに身を伏せると、ゲルドは灯りを目で追った。足音が廊下を近付き、階段へ現れる。灯りが投げる光の輪が、ゲルド達の鼻先まで差し掛かる。

 エインズが短刀を握り締め、やや、身体を起こした。

 だが足音は上に上がらず、階下へ降りて行く。少しして灯は一階北棟の回廊に現われた。


 再び緊張が走る。

 万が一、ゲルド達の部屋を叩かれたら。中を確かめられたら、彼等の不在はすぐに露見してしまう。

 灯りは北棟の回廊を歩き始め、ゲルド達の部屋へと近付いて行く。

 ただ、ゲルド達の緊張と危惧をよそに、灯りはそのまま彼等の部屋の前を素通りし、東端にある地下への階段を降りて行った。


「――」


 王妃とエアリディアルの部屋辺りから出てきて北棟へ降りたという事は、王妃付きの侍従の一人だろう。

 暗がりで互いに目を見交わし、音にならない息を吐くと、ゲルド達は無言のまま階段を下りた。

 改めて三階へ。南棟の三階は全て、王妃とエアリディアルの為の部屋として整えられ、他の来客も、ベルゼビアの家人もここには部屋は持たない。


 昼に訪れる時とは異なり、長い廊下は余り灯りも無く、近寄り難くしんと静まり返っていた。

 廊下中央にある扉の前には立っている衛兵は二人のみ、それぞれ槍を手にし直立して正面を見据えている。

 ゲルドはエインズと一度目を合わせた。

 二人が足音を殺し、同時に走る。


 駆け寄る影に気付いた衛兵が振り返るのとほぼ同時に、声を上げかけた口を塞ぎ、短剣で首を掻き切った。

 力を失った身体を廊下へそっと横たえる。

 衛兵が腰に帯びていた剣を引き抜き、ゲルドはその剣と槍とを背後の部下に放った。

 一度、廊下の窓から空を見上げる。

 部屋を出てそろそろ四半刻経つだろう。もう四半刻で東方軍のヴィルヘルミナ強襲の一刻だ。強襲までの間に、誰にも気付かれず、バーデンが転位陣を敷いている部屋へ王妃達を連れて戻りたかった。


「急ごう」


 エインズが扉の把手に手を掛け、回す手を途中で止めた。

 案の定、鍵が掛かっている。


「ベルディ」


 囁くとベルディは倒れている衛兵を検め、すぐに鍵を見つけ出した。

 真鍮の鍵を扉の鍵穴に差し込む。カチリと、金属の擦れる微かな音。

 ゲルド達は極力物音を抑え、薄く開いた扉の内側にするりと入った。


 前室があり、応接室がある。昼にゲルド達が踊りと楽曲を披露した部屋は今は静まり返り、室内にベルゼビアの衛兵の姿は無かった。

 応接室の左にある扉へ素早く部屋を横切る。その先が居室、そして寝室だ。鍵はかかっていない。扉をそっと開く。

 更に正面に、寝室の扉――

 扉の下からほんのりとした明かりが漏れていた。


「確認します」


 囁いてコーディが柔らかな絨毯を踏み寝室の扉に近付くと、指一本ほど開いている扉の下から、薄い手鏡を差し入れた。


「――」


 コーディがゲルド達を振り返り、手招く。


「――王女殿下が起きておられます。おそらくお二人のみです」


 灯りを抑えられた室内で、手鏡に逆さまに映ったエアリディアルが窓辺に寄り、外を見つめているようだ。

 たまたまの事なのか、いつも深夜までこうして起きている――寝付けずにいるのか。コーディは鏡の中のエアリディアルの姿にきゅっと唇を引き締めた。


「行こう」


 ゲルドは軽く扉を鳴らし、寝室に入った。


「ご無礼致します」


 窓際のエアリディアルがはっとして振り返る。

 驚きに声を上げそうになった口元を、エアリディアルは咄嗟に抑えた。


「王女殿下、王妃殿下――!」


 ゲルドはその場に膝をつき、上半身を伏せつつ、エアリディアルを見上げた。見開かれた瞳がゲルドとコーディ達をじっと見つめる。


「あなた方は――」

「正規東方軍将軍ミラー麾下、第一大隊少将ゲルドと申します。両殿下をお迎えに上がりました」

「東方軍の」


 エアリディアルは藤色の瞳を見開いたまま、束の間、言葉を詰まらせた。胸の下に組み合わされた両手が、白く握り締められる。


「……わたくし達の為に、なんて危険な――」

「もうすぐ東方軍がこの街の街門へ寄せます。我々の部屋に、王都への転位の陣を用意しております。私どもと共においでください」


 ゲルドは深々と頭を下げ、だが間を置かずに立ち上がった。


「王太子殿下のもとへ」


 エアリディアルは頷いて王妃の寝台に駆け寄り、眠っている母の肩へ細い手を置いた。


「お母様――!」




 着替えも無く外套に身を包んだ二人を伴い、ゲルド達は再び暗い廊下へと踏み出した。まだこの廊下には衛兵が駆け付けてくる気配は窺えない。

 だが、部屋に戻るまでに見つからないとも限らない。街壁に騒ぎが起こるまで待つべきかとゲルドは思い悩み、すぐに首を軽く振った。


 騒ぎが起これば城全体が目覚めるだろう。

 ゲルド達は僅か七名でしかなく、東方軍は例え街中に入ったとしても、ゲルド達を助けるほど早くはこの城には到達しない。


(ベルゼビアの暗殺が上手くいけば、脱出の可能性はより高まる)









 スキアは長く伸びる四階の廊下を、そっと覗き込んだ。

 ベルゼビアの居室は今いる西棟とその先の南棟の角を占めている。

 西棟は衛兵が多く、その視線をやり過ごしながら来た為に、想定していた以上に時間がかかってしまった。そろそろ半刻経つかもしれない。


 もうゲルド達は王妃達を救出し、南棟三階の部屋を出ただろうか。今いる位置からは窓の外を確認する事はできず、首尾よく行っている事を信じるしかなかった。


(まだ城内は騒ぎだしていない、大丈夫)


 考えるべきは自分達の首尾だ。

 視線の先で、短い間隔で壁に掛けられた灯りが揺れながら廊下を明るく照らし、流石に公爵の寝室へと繋がる廊下だけあって潜むほどの陰は無い。

 だが、この廊下には衛兵の姿も見当たらなかった。


(聞いた通り――)


 衛兵の姿が最後にあったのは、三階の階段の手前までだ。ベルゼビアは自身の居室近くには兵を置きたがらないのだと、先日話をした下男から聞いた。


(でも――本当に?)


 自分の鼓動が疑問を訴えている。

 当主の部屋近くに衛兵を置かないというような事が、本当にあるだろうか。

 今、この廊下を目にして情報通りと安堵するよりも、余りに手薄な現状への不安の方が大きくなっている。

 ここまで見つからずに来れた事もそうだ。


 鼓動と共にじわりと不安も増す。


(何故、ブラフォードは今日になってあれを告げたの?)


 炙り出す為なのは確実だ。ゲルド一座にまず疑いの目を持っていたのも事実だろう。

 しかしファルシオンの暗殺を妨げる情報を敢えて伝えたのは。


 その情報を元に暗殺は阻止された。暗殺が失敗して、ベルゼビアに何の利があるのだろう。

 例え嘘の情報を与えられたとしても、ファルシオン暗殺と聞けばスキア達は動かざるを得なかった。


「スキア」


 ユングが斜め後ろで囁く。


「行くしかない」


 ファルシオン暗殺は失敗した。

 既にミラーは隊を動かし、そしてゲルド達も、王妃達の救出に動いているのだから。

 それにベルゼビア暗殺だけではなく、それによる城内の撹乱がスキア達のもう一つの目的でもある。


 鼓動を飲み込み、スキアは蝋燭の光が揺れる廊下へ踏み込んだ。

 床に影が黒々と落ち、侵入者の存在をありありと示している。

 だからきっと、衛兵を置かないのだ。これほど明るいから。

 そう。


 廊下奥にある居室の扉へは、難無く辿り着いた。


(この奥に、ベルゼビアが)


 スキアは短刀を左の後ろ手に構えた。

 白い陶器の地に金を用いて美しい模様を施された把手に手を掛ける。

 ゆっくりと回すと、金属の微かな音が答えた。

 扉は音もなく開き、スキアは身を滑り込ませた。ユング、アルマ、ブレイクが続く。


 灯の落とされた室内は暗く、静かだ。

 ちょうど角が広い居間になっていて、右と左の壁にそれぞれ扉があった。書斎、寝室が内扉でひと続きになる造りは館の主人の部屋に多い。


 ユングが右側の扉を指で示し、自分が行く、と頷く。

 スキアは髪飾りを一つ、抜き取った。赤い硝子球の先に細長い針のような刃が付いている。

 短剣はブレイクに渡し、左――南棟側の扉に近寄る。

 把手に手を掛け、開く。


(――あった)


 広い部屋の奥に、寝台。四方を優美な柱が囲み、そこに掛けられた薄い布が室内と寝台を区切っている。

 唇を引き結び、手にした暗器を握り直して、スキアは踏み出した――その時に。


「想像はしていただろう?」








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