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第3章『西へ吹く風』(16)


 ミラーは卓上の籠に戻った金糸雀を、束の間、そこにある問題を分解しようとするように見据えていた。

 分解し、一つ一つの展開の先にあるものを見据えなくてはならない。

 副将ホメイユや参謀長アンカーは、ミラーの最終判断を黙して待っている。


 ヴィルヘルミナ城に潜入したゲルド達からの情報――『ベルゼビアによるファルシオン暗殺の指示』は、決して看過する事のできないものだ。


(だが、情報源がブラフォードとは)


 どこまで信用に足るか、その目的は。

 十中八九は何らかの目論見のもとに投げられた情報だろう。その一つは、ヴィルヘルミナ内部に潜り込んだ王都側の密偵の炙り出しだとは想像に難くない。

 王都が情報を元にした動きをすれば、ゲルド達が引き摺り出される事になる。

 それでも。


 動く事によって危険に曝される部下の身と、動かない事によって喪われるかもしれないファルシオンの生命とならば、天秤に掛けるまでもなく――

 ファルシオンを失えば、この国は瓦解する。


 やがて息を吐く音は、その決断の重さを窺わせた。


「選択の余地など無いな」


 ゲルド達もまた、それを理解した上でこの金糸雀を戻したのだ。


「王都へ伝令使を送れ」


 ホメイユとアンカーが頷き、立ち上がる。


 互いに目隠しで矢を射かけ合うような状況だ。いずれかの矢が的を射抜けば、もう一方の陣営は総崩れになる。

 であればより早く矢を放つか、防ぐ事に徹するか。

 ミラーはもう一度ゲルドの送って来た走り書きを見た。


「エスティア伯爵――」









「ファルシオン殿下。エスティア伯爵が面会を希望されております」


 夕刻の淡い光の滲む窓辺で、椅子に座っていたファルシオンが書物から顔を上げる。


「エスティアが――?」


 ハンプトンは頷いて、それが重要だと言外に言うように、暖炉の上の時計を確認した。時刻は五刻。まだ陽は暮れ始めたばかりだが、通常ならば面会などもそう行われない時間帯だ。

 それにファルシオンは翳った陽射しのせいだけではない青い顔をしている。

 幼い王子が昨日からそうした様子を見せる事に、ハンプトンは気付いていた。

 昨日、エスティアに面会した後からだ。


 やはりあの時エスティアと二人で話をする事を避けるべきだったのかもしれず、今日はもう会わせるべきではない、とハンプトンは内心自分を戒めた。


「連日でございます。今日はお断りに……」

「わかった」


 会う、と。そう返った声は硬いが、断固とした響きがあった。

 ハンプトンはファルシオンの顔をじっと見つめてから、何事か眼差しを硬くし、扉に控えていた侍従へ近寄るとエスティアを迎えに行くよう囁いた。


「ゆっくりと。それから――」


 更に声を抑える。「エスティア伯爵がおいでの事を、スランザール様にも伝えてください」

 扉の閉じる微かな音。

 室内を振り返ったハンプトンの視線の先で、ファルシオンは庭へと首を巡らせていた。




(昨日のことだろうか)


 暮れ(なず)んだ窓の外へ瞳を向け、ただ、ファルシオンは庭園を眺める訳ではなく、影を落とす薄墨を見ていた。西日が投げる黄昏の色の中の影。


『レオアリス殿と――』


 レオアリスと話をする事ができないかと、昨日エスティアはそう尋ねた。自分が話をしてみると。

 ファルシオンは、できないと答えて――

 できないのは何故か、その理由をエスティアへ伝えている。

 伝えてしまったと言った方が正しい。

 今までずっと、誰にも秘密にしていた事だ。


 昼に協議の場でスランザールと会った時、ファルシオンはその事をスランザールに話す事ができなかった。


(エスティアに、あの事は、ほかの人には言ってはだめだって、言ったかしら)


 確か――

 そう、エスティアは、聞かなかった事にすると、そう言ったはずだ。

 でももう一度、エスティアにもう一度そこを約束してもらわなくてはいけないと思った。








「コウ先輩、待って、ください! もう足が……」


 王城第一層の通りを走っているのは、近衛師団第一大隊中隊所属のコウと、彼が指導を担当しているシャーレという若い隊士だ。シャーレはまだ十五歳の少女で、隊士見習い期間も明けて間がない。

 自分の後ろを追い掛けるシャーレを、コウは走りながら振り返って叱咤した。


「もう少しで門だ、ほら走れ!」


 近衛師団の――正規軍も行なっている――日常訓練の一環で、時折、王都外周の演習場から馬や飛竜を使わずに仕官棟前まで戻るのだ。王都の通りを熟知する為と、侵入者の視点で見る事と、主にその二つの目的がある。徒歩でもいいが、時間の兼ね合いと体力づくりの為に走る事が多い。


「他の奴等はもうとっくに着いてるぞ」

「――っ」


 シャーレは息切れしている口元をぐっと引き結び、よろめく足で地面を蹴った。


「その調子だ。この程度でへばってるようじゃ、実戦じゃ何もできないからな」


 実戦、という言葉をコウは単なる例えで言った訳ではない。

 十月に入って正規軍は、第二大隊以下だけではなく時に王都守護の第一大隊でさえ、近隣に出没する魔獣の対応に追われるようになっていた。

 特にこの数日、コウ達近衛師団第一大隊のある西地区だけでも二度、西方軍の数班が騎馬や飛竜で慌ただしく出て行くのを目にしている。昨日も北方第一大隊が小隊百名を討伐に派遣したばかりだ。


 各地で被害が頻発しているのもさる事ながら、魔獣は種によっては大型のものが群れを成し、一、二班規模では下手をすれば壊滅する事態さえあった。正規軍よりも戦力の劣る街の警備隊では尚更対応に苦慮している。


 そんな状況ではいつまでも正規軍だけの対応に任せている事はできないだろう。

 近衛師団は王城警護だが、兵力が足りなければそんな事も言っていられなくなる。決して他人事ではなく、もしかしたら明日にでも近衛師団に派兵命令が下されるかもしれなかった。


「あっ」


 シャーレが爪先を石畳にひっかけ、そのまま両腕を泳がせ倒れ込む。「あーあ」と息を吐き、コウは身体を起こしたシャーレの前に戻った。


「大丈夫か? しょうがないな、ちょっと休んでいいぞ。けど本気で持久力つけねーと、戦場に出たらお前なんかあっという間に死んじゃいそうだからな」


 はい、ともひゃあ、ともつかない荒い呼吸まみれの返事が返る。


「まあいい――」


 近衛師団に出動が掛ったとしても、見習い明けの隊士が実践に駆り出されるような、そこまでの事態ではまだない――そうあって欲しいとコウも思ってはいるが。


「三十数える。それまでに息を」

「何が実戦だよ」


 横合いから皮肉のこもった声が投げられ、コウはその声の主を探して首を巡らせた。斜め前にいた正規軍の兵士だ。


「相変わらずガキみてぇな女といちゃついて、近衛は気楽なもんだな」


 以前も絡んできた相手だ。というよりそれ以来、正規軍との間が改善するきっかけが無いというか。


「またお前かよケネル、何だよ、悪いけど喧嘩の相手ならしないぜ」


 コウは騒ぎはごめんと、それだけ言ってシャーレを促した。


「そろそろ三十だぞ」

「近衛師団なんて何の役にも立たねぇくせに」

「わ、私はまだこんなだけど、コウ先輩達は……!」


 ムッとして立ち上がったシャーレの腕を、コウが押さえる。


「いいから相手にすんなってば」


 正規兵の前を離れようとしたコウへ、ケネルは苛立ちともう一つ、別のものが混じり合った表情で睨んだ。

 コウがそれを、不安と気付いたかどうか。


「お前等の元大将は、大怪我負ってて動けもしねぇって話じゃねぇか」







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