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第3章『西へ吹く風』(9)

 

 昼過ぎに強く降った雨も夕方近くには上がった。

 沈みかけた光の中、王城城壁の西門を潜った荷馬車が濡れた石畳の通りを進んで行く。王城第一層の、正規軍や近衛師団それぞれ第一大隊の兵舎と士官棟が建ち並ぶ区画だ。荷馬車は正規軍に製品を収めに来た中層の革職人のものだった。


 武具保管庫の建物の前で荷馬車を停め、御者台にいた若い男が入口に一言、二言声を掛けると、慣れた様子で玄関ではなく建物裏手へと荷台に載せていた木箱を次々運ぶ。

 建物の西面が保管庫になっていて、外から運び入れる為の広い扉が一枚あった。

 そこにいた同じくらいの歳の、イーツという兵士が声を掛けた。


「ゼン、ご苦労さん、中まで運んでくれ」


 と言いつつイーツも木箱を一つ抱える。二人は王都中層の同じ地区の出身で、子供の頃からの友人だ。


「一人か? いつもの若いのはどうした?」

「辞めちゃったよ、先月末」


 保管庫の中は広く、二階も三分の一が吹き抜けになっていて、剣、槍、弓などの武具、盾、兜、鎧など防具がそれぞれ木箱や棚に保管されていた。それから投石器や大型弩砲(アンブルスト)なども保管庫の奥の一角を占めている。


 ただ今は全体的に品薄のように感じられ、それは間違いではなかった。新兵が増えて、在庫が目減りしているからだ。

 ゼンの持って来た木箱に詰められているのは、革の手袋や下穿き、それから水袋などだった。


「故郷が西にあるからってさ」

「――ああ」


 そうか、とイーツが低く呟く。


「職人も一人辞めて郷に帰ってさ、おかげで親方と職人二人は作業場で徹夜、俺はなめしの合間にこうして納品だ」


 木箱を指定された場所に降ろし、新たなものを取りに戸口へ向かう。


「皮も入ってきにくくなってるし――鎧とかの革製品で売上げ上がっちゃいるけど、その内どうなるか。でもうちなんかまだマシだ、外に商売に行くヤツラはねぇ。護衛に払う金で儲けがすっ飛んじまうって商人なんかみんなボヤいてるよ」


 溜息を吐き、木箱を担ぎ上げ、また保管庫に入る。


「ほんと、商隊も気軽に出せないなんてさ。もっと街道の安全をどうにかしてくれりゃあなぁ……」


 そう言いかけて、ゼンはまずいとばかり口を噤んだ。


「いや、イーツ達に文句言ってるわけじゃないよ。正規軍はちゃんとやってくれてるって思ってるさ」


 ゼンが下ろした木箱の上に、イーツももう一つ木箱を積んだ。


「――」


 ゼンがまた木箱を取りに戻りかけた時、イーツはぼそりと呟いた。


「俺達、死ぬかも……」


 驚いたゼンが振り返る。


「――いや、そんなこと」


 倉庫内の翳りだけではない彼の表情に、ゼンは気まずそうに頭を掻いて近寄った。


「べ、別にお前に戦いに行けって言ってる訳じゃないよ」

「行く事になるんだ、その内。もう何人か、准将とか、先輩とか、第二や第三に行かされたし――俺、せっかく第一大隊に配属されたのに……」


 イーツが正規軍に入った二年前は、考えもしなかった事態だ。経験の長い者から次々と他の部隊に回されている。先日第三大隊へ配属替えになったのは、イーツより五年先に入隊していた兵士だった。

 ゼンは積んだ木箱に寄り掛かり、傍らのイーツを見た。


「元気出せって……ほら絶対行くとは限らないし、王都だって護衛の兵士は必要だし――何てったってファルシオン殿下がおいでなんだ、手薄にできないって」


 言葉を探してほら、と肩を叩く。


「正規軍にはなんてったって炎帝公様がいらっしゃるし、謹慎? 蟄居ってんだっけ? 王の剣士だっているだろ? 西海なんてあっという間に」

「……ファルシオン殿下が、何も命令しないから」

 イーツの肩に置いた手に震えが伝わる。その震えとイーツが呟いた言葉とに、ゼンは一瞬意味を飲み込めずに瞬いた。

「みんな不満なんだよ、この五か月、何も命令しないから、その二人がいたって、結局死ぬのは俺達ばっかりで――炎帝公様だって、もしかしたら――とか。だいたい国王代理って言ったって、まだ五歳なんかじゃ……」

「うわ、うわわ! ――だ」


 ゼンが跳ね上がって木箱から身を起こし、イーツもはっとして口を噤んだ。自分が何を言ったのか、漸く気が付いた顔だ。


「駄目だって、そんな事言っちゃさあ!」


 吐く息を抑えつつ、ゼンは素早く辺りを見回した。幸いこの保管庫にはゼンとイーツの二人だけだ。


「いや――ほんと駄目だろ」

「だ……、誰にも言わないでくれ、今の、頼む!」

「言わないよ、当たり前だろ」


 首筋に滲んだ汗を恐々と拭いながら、ゼンは困り果てた顔をした。


「他の所で言うなよ。特に、その……最後のは」


 ファルシオンへの、批判――

 聞かなかった事にするから、と小さく早口で付け加える。


「わ、判ってる」


 ゼンは身体全体で息を吐き、それから青ざめている友人をもう一度見つめた。


「……お前さぁ。いっそ辞めたら、軍」

 これまで安全で華やかで賑わい、余り生活の心配をする必要の無かった王都だが、特にこの一か月治安はじりじり悪化してきていると、住民達は不安そうにそう話している。


 王都にこのままいてもいいのだろうか、いや王都が一番安全だ、いや東に行くべきではないか、東は西海の脅威が無くても東方公との戦に巻き込まれる、地方は魔獣も多いらしい、このままいてもいずれ西海軍が王都まで攻めて来るのでは――


 街ではしょっちゅうそんな話が囁かれている。

 王城は違うだろうと、ゼンは半ば安心をそこに頼るようにそう考えていた。


 だがゼンに「安心しろよ」と言ってくれると思っていたイーツが自分と同じ不安を抱えていた事に、薄暗い保管庫内を一層暗く湿っぽく感じさせた。










 内政官房の事務次官、エスティア伯爵はファルシオンと卓を挟んで正面に座りにこにこと相好を崩していた。

 まだ若く歳は三十半ば、王都北東に広がるカディナ地方に所領を持つエスティア伯爵家の当主だったが、ファルシオンと居城でこうして面会するようになったのはここ三か月ほどの間だった。


 ファルシオンが国王代理を務めるようになってから面会申し入れはエスティアに限った事ではないが、このところかなり頻繁だとハンプトンは内心でやや眉を潜めていた。

 面会する者達には、ファルシオンに何とか取り入ろうという考えがあからさまに透けて見える者も多い中、エスティアはましな方かもしれないが。


「今日はとてもご機嫌が良いようにお見受けいたします。理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」


 四角く厳つい顔だが、笑うと目尻が極端に下がる。


「そうなのだ――」


 ファルシオンがぱっと頬を輝かせる。


 一昨日、ファルシオンにとってとても良い事があった。

 ヴィルヘルミナに囚われている王妃達が無事でいると、そう報せが入ったのだ。


 ファルシオンがそれを口にしてしまいやしないかとハンプトンは少し慌てたが、ファルシオンは「とても体調がいいから」と言った。

 ミラーの部下達がヴィルヘルミナ城に潜入している事は、彼等の身の安全の為にもごく限られた者の中でしか共有されていない。


「おお、さようでございますか、それは宜しゅうございますね。私もとても喜ばしく存じます」


 エスティアまたにこにこした。これ以上は目尻は下がらないだろう。

 エスティアはこうしてファルシオンの話を、どんな内容でも熱心に聞くのだ。声はとてもねっとりとしていて、やはりハンプトンは好きではない。


「殿下がお元気であれば、臣民はみな喜びましょう。この国で殿下の御身より尊いものはございませんのですから」


 エスティアは卓の上に置いていた包みを開いた。美しい赤い革の壮丁の書物が現われる。


「これをお受け取りいただけますか。殿下への心ばかりの贈り物でございます」


 手渡そうと差し出したそれを、ハンプトンはさり気なく受け取った。


「エスティア伯爵、いつもありがとうございます。ですが殿下への贈り物はどうぞ御遠慮くださいませと、毎回――」

「良いではないか。書物の一冊や二冊、今の殿下の御心を、ほんの少し紛らわすお役に立てばと、それだけのこと。またハンプトン殿が確認された後、宜しければ殿下にご覧頂ければ良い」


 押し付けるように強引に手渡され、ハンプトンは内心溜息をついた。

 こうしてエスティアが持って来た本が既に五冊はたまっている。内容は児童向けの簡単なもので何か問題がある訳ではないのだが、書物というのが却って断りにくい。

 また書庫に眠らせておくしかないと、両手に抱える。


「さあ殿下、今日も彼の話をわたくしめにお聞かせください。先日の湖水上での戦いは、お聞きしているだけでも心が踊り――」


 この話だ。

 この話があるから、ファルシオンはエスティアの面会を受けてしまう。面会を求める者の中で、回数を重ねているのはごく限られた者を除けばエスティアくらいだった。

 語るファルシオンの顔はひととき、以前のように生き生きと明るい。


「レオアリスはね」


 ベールやスランザール、そしてヴェルナーではしない話だ。

 ファルシオンの心情を慮るからこそ、意識して避けてしまう。

 だからただ彼の話を聞いてくれるエスティアの存在を、ファルシオンは少なからず喜んでいるようだった。


 ファルシオンに近づくには、とても上手いやり方だと。

 そこまで考えてハンプトンはそっと首を振った。


(いけない、勝手な思い込みを――伯爵はご本心から、殿下の御為とお考えなのかもしれないのに)


 書物と、ほんのひとときの会話。

 それは今のファルシオンにとっては得難い時間でもある。


「本当に素晴らしいご活躍です。大将殿が早く殿下のお側に戻られる事を、私も願っております」


 それまで生き生きと語っていたファルシオンは、少し悲しげに頷いた。


「……うん」

「きっと大将殿も殿下の事を気にかけておいででしょう」


 その言葉がファルシオンを頼りなく俯かせる。


「そうだろうか」

「そうですとも。お話をお聞きしているだけで、第一の大将殿が殿下をいかに大切にされているか、私にでさえ判るのですから」


 エルティアは当然とばかりに同意する。


「そうだと、いいな……」

「大将殿とは、たまにはお話になるのでしょう――? あれがやむを得ない蟄居と皆理解しております。殿下がそうお望みならば、彼とお言葉を交わされる事は当然可能であるべきです」

「――」


 ファルシオンの浮かない顔をエスティアが覗き込むように首を傾け、声を落とす。


「どなたか、それをお認めにならない方でもおられるのですか? まさか王太子殿下のご意向を否定される者などおらぬでしょうが……例えば、スランザール様や大公は、そのようなお考えもあるかもしれませんが」

「……違う」

「失礼いたしました」


 エスティアはひそひそと声を潜めた。離れて立っているハンプトンは眉を寄せ、そっと一歩近付いたが聞こえない。


「しかし最近は城下や、城内でさえも口がさない者がおりまして――忌々しくも、殿下の事についても」

「私の?」

「いえ! いえ、失言でございました。お忘れください」

「……私の――、話だろう」


 知っている、と小さく呟く。

 ファルシオンに対して不安に思う声があるのは、ファルシオンの元にも届いていた。

 エスティアがまたにこにこと目尻を、そして声を下げた。


「そのような物の判らない者達の言葉など、国王代理たる殿下がお気になさる必要はございません。殿下の御心のままになされば良いのです」


 ハンプトンがまた一歩近寄る。


「大将殿とはお話になるべきです。大将殿にお聞かせしたい事もおありではないですか?」

「うん――話したい」


 ファルシオンはちょっと考えて、「早く戻ってきてほしいって、伝えたい」


「ええ、ええ。分かりますとも」

「でも、それだけだと心配かけるから、私は元気だって――それと、母上と姉上も、ご無事だって……」

「ファルシオン殿下、お話中ではございますが、そろそろお時間でございます」


 丸い卓の傍に立ち、ハンプトンはことさら強調した。


「ヴェルナー侯爵とのご面会が、この後」


 まだ良いでは、と言いかけていたエスティアはその名前を聞いて口を噤み、そそくさと立ち上がった。


「それでは、これでお暇させていただきます――」


 それでも尚「また」と付け加えるエスティアに、ハンプトンはただ頭を下げた。









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