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第2章『冥漠の空』(13)


「追ってきます!」


 スクードは殿(しんがり)から首を巡らせて背後を確認し、右前方で騎馬を駆るワッツへそう叫んだ。

 暗闇に地鳴りにも似た音が間断なく、塊となって駆けるワッツ等に迫り来る。

 使隷の移動が生み出す白い波頭がワッツの目からも見えた。

 その上に陣取る、一際大きく揺れる黒い影――


「ゼーレィです、中将!」


 スクードの声が強張る。ワッツは最低限の響きに抑えつつ、声を張った。


「良し! このまま引き寄せろ! もう少しだ――」


 伏せた九百騎はもうあと目と鼻の先だ。


「速度を、上げ」


 歌が聞こえた。

 禍々しく。

 何かが弾ける音と共に、頭上から粘つく液体が降りかかった。

 瞬間、ゼーレィの意図を察知する。


「防げ!」


 銀色の液体が震え、無数の刃となって四方八方へと突き出す。

 騎馬の苦鳴の嘶きが響き、血飛沫が舞った。


「くそッ」


 ワッツは左横で崩れた騎馬の背から、兵士の腕を掴み、自分の鞍へと引き上げた。馬体が倒れ、兵が投げ出され、夜の中に混乱が広がる。

 再び、頭上で音が弾ける。


「散れ!」


 ワッツの号令で一直線に本隊を目指していた百騎の騎馬は、左右へ散開した。生まれた空間に銀色の液体が降り注ぎ、刃が立ち上がる。刃が収まると今度は数体の使隷が身をもたげ、前進する。

 頭上のあちこちで音が弾け、液体が降り注ぎ、切り裂き、使隷が身を起こす。


 ワッツ達百騎はそれぞれ半数に分かたれ、降る液体と追いすがる使隷達を避けながら更に左右へ離脱した。

 自軍九百の影はまだ見えない。

 西海軍の速度が、速かった――


 陣形が崩れ完全に分かれたその中央に、人頭姫(ハゥフル)達と西海兵を運ぶ使隷の波がどっと流れ込んだ。倒れていた馬と兵士達をあっけなく飲み込む。


『全て切り刻め!』


 ゼーレィが高らかな笑い声を響かせ、人頭姫(ハゥフル)が歌う。

 凄まじい勢いで使隷の身体が刃となって弾け、地面を引き裂いた。抉れ、草地の上を四方へ亀裂が走る。捉えられた兵が騎馬ごと切り裂かれ、草地に倒れ伏す。


「くそ、無限だな、ありゃぁ」


 使隷さえいれば、西海軍はどんな地にも侵攻できると証明するようだ。

 今はまだ二千の使隷含め六千と小規模だが、ここでサランセラムの西方軍が崩れれば、西海軍はこの一帯を呑み、バージェスの本隊と合流し、更に膨れ上がり脅威となるだろう。


「――ここで討つ」


 ワッツは騎馬の足を止め、馬体を巡らせた。ぐいと顎を引き、西海軍が迫る前方を見据える。


 頃合いだ。


 息を吸い、吐き出すそれと共に叫んだ。


「成功だ! 伝令使を飛ばせ!」


 スクードがすかさず、鞍に括りつけていた巻物を空へ放り投げた。

 巻物は宙空で、一羽の燕に姿を変える。

 同時にワッツは右手の剣を上へ突き上げ、振り下ろした。


「突撃!」


 左右に分かれた五十騎が、それぞれ馬体を返し、西海軍へと突進する。

 ゼーレィ軍が一瞬身構えて動きを止め、迎え撃とうと人頭姫(ハゥフル)達が喉を反らす。

 そこへ、蹄の轟きと共に、ゼーレィ軍右辺前方、丘陵を駆け登り新たな騎馬の集団が現われ、次々と打ち掛かった。


 ワッツが待機させていた、少将クラン率いる九百騎だ。

 丘の上、左右の五十、そして前方九百騎、合わせて千騎の西方軍騎兵が三方からゼーレィ軍へと雪崩れ打つ。

 ワッツは愛馬を疾駆し、立ち塞がる使隷を斬り捨て、ゼーレィへと迫った。


『愚かな――伏兵は想定済みよ!』


 ゼーレィはずいと前へ進み、両の(かいな)を広げた。戦場に半身半漁の異様を揺らす。


『どれだけいようと死にに来ると同じ。地に骸を晒すがいい!』


 反らした喉が震え、高く澄んだ音が膨れ上がったと思うと、耳をつんざく高音が波紋のように広がった。

 突進する西方軍の兵士達が、馬上で呻き身を折る。

 地面を埋めた使隷の躰が波打ち、次の瞬間、刃となって西方軍へ一斉に襲い掛かった。

 辺り一面に血が吹き上がる。

 ゼーレィの正面へと迫ったワッツもまた、騎馬ごと無数の刃に包まれる。


 西方軍の兵士達が血に塗れ、次々と崩れ落ちる中、ゼーレィの喉から溢れる歌はやがて高い笑い声に変わった。


『……ふふ――』


 しんと静まり返る戦場に、満足げに吐息を落とす。

 千もの兵がいようと、本来はゼーレィ一人で事足りるのだ。


『気持ちの良いこと――ああ、流した血一滴残らず飲み干さねばもったいないねぇ』


 ゼーレィは血の中に倒れたワッツへと、腕を伸ばした。

 その手がびくりと、止まる。

 水掻きの生えた右手の指が、親指を覗いて四本、断たれていた。


『ッ』


 苦鳴を噛み殺し、ゼーレィは断たれた指の向こうを見た。


『貴様』


「この国の術士は優秀だ――」


 たった今倒れたはずのワッツが、騎馬に跨った姿のまま、先ほど指を断った剣を構えている。


「てめぇを相手にするなァちっと骨が折れるが、ここまでやって貰っちゃヘタれてらんねぇな」


『貴様、今、確かに』


 ゼーレィの視界の奥で白光が瞬く。

 西方軍の後方――

 夜に浮かぶのは法陣円だ。


『――まさか』


 怒りに双眸を燃え立たせ、ゼーレィは辺りを見渡した。

 切り裂いたはずの西方軍兵士達の躯は無く、流れた血の跡も無い。

 先ほどから、死の歌が何一つ効いていなかった事にゼーレィは気が付いた。


 兵が切り裂かれたように見せかけた幻影と、そして何らかの防御――西方軍の法術。

 西方軍兵士達の身体を、微かな淡い光が覆っている。


『我が歌が――おのれ!』


 煮え立つ怒りを噛みしめる。

 ゼーレィの身体がみしみしと音を立てた。


「まずは海魔を討ち取れ!」


 ワッツの号令に雄叫びが応え、西方軍千騎が再び騎馬を疾駆させる。

 剣や槍が閃き、人頭姫(ハゥフル)達を一体、また一体と斬り倒す。


『おのれェ!』


 憎しみを吐き散らし、ゼーレィは身を揺すると鱗で覆われた尾を、馬上のワッツ目がけて叩き下ろした。

 盾で受けたワッツが馬ごと弾き飛ばされ、地面へ叩き付けられる。


 ワッツは数度転がって立ち上がり、剣と盾を構えると、盾を左前に突き出すように翳し、地面を蹴った。

 打ち降ろされる尾を盾で受け、押し込まれる身体を両脚を広げ踏ん張る。足首まで泥まみれの地面にめり込む。


「――ぉォおッ!!」


 盾で尾をかち上げ、ワッツは斜め下から剣を振り抜いた。

 白刃がゼーレィの尾の中ほどを切り裂き、青い血が迸る。

 苦鳴を上げよろめいたゼーレィを追い討とうとし、だが左右から飛び掛かる使隷を咄嗟に切り伏せる。


 ゼーレィが喉を反らし、歌う。

 だが刃は立ち上がったものの、今度は途中でただの液体となって崩れた。


『な――』


 ゼーレィは髪を振り乱し、信じられない面持ちで辺りを見回した。既に混戦状態の中、同胞(はらから)達が歌う事もできず、そこここで切り伏せられていく。


『こんな……、こんな事が』


「さんざん苦しめられたが、今日で店じまいだな!」

「中将!」


 スクードが投げた槍を掴み、ワッツは背を反らすと全身の筋肉を漲らせ、投擲した。

 空を切り裂いた槍がゼーレィの肩口に突き立つ。

 取り囲む使隷と西海兵を切り伏せ、ワッツは空になっていた騎馬の手綱を掴み、再びその背に跨った。


「押せ! ここで片をつけるぞ!」


 西方軍兵士達の勢いが増し、人頭姫(ハゥフル)を、西海軍兵士を、使隷を打倒していく。


『おのれ!』


 三度(みたび)叫び、ゼーレィは肩に刺さった槍を引き抜き、その槍を投げ返した。ワッツの後方にいた兵士二人が槍に貫かれ、絶命する。


 青い血に濡れた尾を一振りし、西方軍兵士を弾き飛ばす。

 鋭い爪を持つ両手が手当たり次第に兵士を掴み、地面に叩き付けた。


 ゼーレィの周囲の兵士が恐怖に呑まれ、一瞬、空白が生まれた。

 尾を振り上げ、兵士等の集団へ、力任せに叩き付ける。


『怯むな――! 我が軍は敵の六倍ぞ! 我が歌を封じたとて、その程度の数で何をできようか!』


 ゼーレィの檄に、押されていた西海軍の兵が勢いを取り戻す。

 自分の周囲を全て跳ね飛ばし、ゼーレィはワッツへ向き直った。


『磨り潰してくれる!』


 渾身の力を籠め、盾を翳し身構えるワッツへと尾を叩き付ける。

 辛うじて避けたワッツの騎馬の足元の地面が、轟音を上げて砕けた。

 ワッツは体勢を立て直しつつ、手綱を引いた。


「――退け!」


 西方軍の兵士達が後退を始める。


『逃すか――』


 ゼーレィは怒りを残忍な笑みに変え、後退していく西方軍を追った。

 ワッツ等西方軍が斜面を下り、再び緩く登って行く斜面を駆け上がる。


『ただで帰すものか――皆殺しにしてくれる、追え!』


 使隷の群れがゼーレィと西海兵達を運ぶ。西海軍の兵列は伸びて広がり、丘を下ってすり鉢状の丘陵の底に流れ込んだ。

 逃げる西方軍はまだ丘を登り切っていない。

 すぐに追いつく。

 深まるゼーレィの笑みは、背後で人頭姫(ハゥフル)が上げた混乱の声に固まった。


『ゼ、ゼーレィ様!』


 振り返ったゼーレィは、部隊後方の兵が降り注ぐ矢の雨を受け、次々と倒れて行く光景を見た。


『な――』


 伏兵。


『また、伏兵だと……』


 そう唸り、だがそれは違うと、すぐに理解した。

 遠くに高らかな鬨の声が響く。


 重い足音を響かせ夜の丘の上に姿を現わしたのは、居並ぶ軍馬、盾と槍、篝火と林立し風に翻る無数の軍旗――

 西方軍本隊、七千の兵の姿だ。


『……挟撃』


 朱に染めた唇を歪め、ぎしりと奥歯を鳴らす。

 初めに伏せていた九百の兵は、それすら陽動だったのだ。


 ゼーレィは血走る(まなこ)で辺りを見回し、四方を囲まれた上に今自軍が立つ場所が緩やかな丘陵の底だという事、そして要の歌は封じられ、自らと自らの軍が窮地に立たされた事を知った。






 西方軍は夜の中を、ゼーレィ軍を見下ろす丘の上に並んだ。

 陣形は横に長く、方形陣を重ねながら中央部を厚くした、敵軍に向かい台形を構成する大方陣を組んでいた。


 中央及び左右翼前面に騎兵を置き、二百騎ごとに第一陣から第七陣まで続く。

 頂点となる第一陣及び第二陣は中央、左右翼共に騎兵の精鋭を配し、左翼を第四大隊大将ホフマン、右翼を第五大隊大将ゲイツが率いた。


 左右翼第八、九陣に竜騎兵各三百、合わせて千二百騎を組み込み、後方中央には第六大隊大将グィードが、第八陣から第十陣の歩兵千二百を中心に殿(しんがり)を築いている。

 ヴァン・グレッグは布陣中央後方寄り――第六陣に自身の騎馬を置き、法術士団十五名を配した。


 ヴァン・グレッグは馬上から、緩やかに下って行く丘陵を見下ろした。すり鉢状の地形へと追い込んだ、ゼーレィ軍六千を。

 ワッツの伝令使が伝えた通り、法術は成功し、海魔の歌による損害は見当たらない。


 ヴァン・グレッグの腕が緩く上がり、手にした剣が篝火に光る。


「術に対応される前に、一息に打ち砕く」


 それぞれ第四大隊大将ホフマン、第五大隊大将ゲイツ、第六大隊大将グィードが手綱を握り直す。


「全軍を以って、西海軍を叩き潰せ!」


 進軍の足音が重く、地面を響かせ、布陣全体が生き物のように動く。


「突撃!」







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