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第2章『冥漠の空』(11)

 

 峡谷の谷底の、更に地中奥深くにその大空洞はあった。


 渓流が流れ込む暗渠の、飛沫を上げて轟く滝壺の濡れた石段を下り、翡翠や藍色の水を湛えた幾つもの池が棚田のように連なる横を更に下って行くと、一刻ほどでその場所に行きつく。

 空間の高さは最も高いところでおよそ、峡谷の断崖絶壁と同じほどもあるだろう。


 その空間を、人の手で作られたかのような天然の石柱が回廊に似て、天井と地面を繋ぎ支えている。

 ところどころに炎が浮かんで揺れ、空間を照らしていた。

 あたかも地を統べる王の、玉座の間のようにも見える。


 カラヴィアスが足を踏み入れると、待っていたかのように声が――それとも咆哮か、割れ鐘の如く大空洞に反響した。

 空間全体が揺れる。


『何故連れてこなかったのだ、長よ』


 カラヴィアスは耳を聾する音に軽く眉を寄せ、だが慣れた様子で石柱の回廊を歩いた。

 足元はようやく人ひとり通れる通路ができている。

 それ以外は――初めてこの空間を見た者は間違いなく驚嘆するだろう、輝く金色の波に埋め尽くされていた。


 見渡す限りの、金銀財宝、いわゆる宝物の山だ。

 金貨、宝石、装飾品、彫刻、果ては黄金の家具や馬車、よく判らない動物を模したものまで。


 どこに何があるか判別がつかぬだろうにとカラヴィアスは毎回呆れた面持ちでそれらを眺めるが、時折手に入れて来た黄金やらをその中に加えると、ここの主は子供のように喜んだ。


『あの娘、儂に感付いておったろう』


 巨大な声が降り注ぐ。

 半ばほどで立ち止まり、カラヴィアスは声の主を見上げた。余り近付くと却って顔が見えなくなる。


 主はその巨大な躰で、大空間の宝の山の上に鎮座していた。


「声量を落としていただけると有難い」


『おお、これは悪い事をした――そなた達と話すにはいちいち囁かねばならんのが面倒だ』


 それが囁きかどうかは別として、耳を抑える必要はなくなった。


『ここに連れて来るようレーヴァレインに昨晩頼んだのたが、駄目だと言いおった』


 カラヴィアスは後ろの二人、レーヴァレインとティルファングをちらりと見て笑い、目の前に視線を戻す。


「正しい判断だ」


『つまらぬ。稀なる客人を』


 会いたがったのはおそらく、この峡谷を訪れた久方ぶりの人間だったことに加え、あの少女が炎を有していたからだろう。


 ()が統べる炎。


(今は使えないようだったが)


「先日頂いたものを、加護として渡した」


 ほお、と楽し気な声が唸る。

 身を揺らすと全身を鎧う柘榴に似た紅玉の鱗が、炎と黄金の光を照らし返す。

 その鱗の一枚一枚が、子供の拳か手のひらほども大きい。


 巨大な――、首を伸ばし翼を広げれば、この大空洞の半分を埋めるのではないかと思える、巨大な古き竜。


 竜は何とも待ち侘びた声で喉を震わせた。


『それで、儂の出番はいつ頃回ってこようか』


 今、と言えばそのまま、この大空洞を破壊し飛び立ちそうな様子だ。


 それは地上に更なる混乱をもたらす。

 この存在にとっては目覚めの一時のほんの少しの暇つぶしと、ほんの少しの好意だったとしても。


「無い。人の世の話だ」










 飛竜が駆ける眼下の景色は、一晩過ごしたあの水と緑にあふれた渓谷の面影は欠片ほども感じさせない、延々と連なる砂丘に戻っていた。

 照り付ける陽光も灼熱もものともせず、紅玉の飛竜はアスタロト達を運んで行く。


 既に里の外に出てから一刻ほど飛んでいた。

 里の正確な場所は判らないが昨日飛竜で飛んだ方角から考えると、大陸の東西に最大二千四百里と広がるアルケサスの中の、東南寄りにあったのだと思う。


 計算ではあと三刻も飛べば砂丘地帯を抜け、岩石地帯を一刻、その先は半日ほどでまずはフィオリ・アル・レガージュに――そしてその後一刻もあればアスタロト達が次に目指すボードヴィル、サランセラム丘陵に辿り着くだろう。

 夕刻にはサランセラムに布陣するヴァン・グレッグの西方軍のもとに着く。


(ルベル・カリマの助力は得られなかったけど、でも)


 アスタロトは吹き付ける風を受けながら、前方を見据えた。

 戦場にある兵士達のもとに、一刻でも早く着きたかった。

 アスタロト自身にできる事がどれほど少なくても。


 いよいよ眼下に硬い土や石くれが広がり出したところで、先頭を行くザインが一旦飛竜の速度を緩めた。

 アスタロトに並び、声を張り上げる。


「公爵、私はこのままレガージュに戻ります。サランセラムへ向かうのであれば、やや騎首を北西へ」

「判った」


 ここでザインとも別れるのだと思うと、もの寂しさと一抹の不安が胸の中に沸き起こった。

 それは、誰にも委ねられない、アスタロト自身の責務への不安だ。

 ザインがいたからと言って――、もしかしたら剣士達の助力が得られていたとしても、それが薄まる訳ではない。


 アスタロトはその不安を抑え、同じく声を張り上げた。


「ありがとう、ザインさん! レガージュをお願いします!」

「あなた方も、御武運を」


 カラヴィアスと同じ言葉を残し、別れを惜しむ間もないままに、ザインが駆る飛竜の姿は視界の中でみるみる小さくなった。

 アルノーが飛竜に括りつけていた鞄から方位磁石を取り出す。手のひらに載せたその盤面を見て、今度はアルノーが飛竜を先に進めた。

 ボードヴィル――サランセラムへ。


 再び速度を上げかけた、その時だ。

 六体の飛竜の中に不意に一羽の鳥が姿を現わした。

 アスタロトはその鳥を見て、手綱を引いた。

 白頭鷲だ。


「待って――!」


 アルノー達も速度を落とす。

 アルノーもまたその鷲が何を意味するのかに気付き、そして腕を伸ばした。


 白頭鷲はアルノーの伸ばした腕に降りると、大人の腕よりも長いその翼を優美に畳んだ。

 白頭鷲は正規軍の――主にタウゼンが用いる伝令使だ。


「伝令使――」


 嫌な予感がした。

 鋭い嘴が開く。

 やや掠れたタウゼンの声が流れた。


『至急、御報告致します』


 伝令使を通している為だけではない、普段よりも硬い、その声。

 心臓が急激に高鳴る。


『西方軍は早朝、サランセラム丘陵において西海軍の強襲を受け、敗戦を喫し』


「敗戦……?」


 誰かが呟く。

 飛竜の羽ばたきの音も、太鼓のように打ち鳴らされる鼓動も通り抜け、タウゼンの抑えた声が耳を叩く。


『投入されていた西方第六大隊、第五大隊、第四大隊はほぼ壊滅、また――』


 アスタロトは鼓動に身体を揺らしながら、伝令使を見つめた。


『ヴァン・グレッグは、戦死したと』







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