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第2章『冥漠の空』(7)

 

「私はカラヴィアス。このルベル・カリマを束ねる者だ」


 張りのある、けれど底を覗かせない声。それがこの存在が、剣士の氏族の長として彼等をまとめる責務を果たしているのだと思い起こさせる。

 カラヴィアスの薄い口元に、(あで)やかな笑みが浮かぶ。


「ここまで来た者は少ない。自らの足でアルケサスを渡った者を我々は歓迎する。数日、ゆっくりと休養して行くといい」


 まるでそれで会話は終わったというようだ。たったそれだけでカラヴィアスは席を立ちそうに思えた。


「――あの」


 アスタロトは腰を浮かしかけた。


「長」


 ザインが口を開く。

 カラヴィアスの視線がザインへ動いた。

 ザインの右腕へ。


「長――? お前は私の一族だったかな? それにしては剣も持っていないようだが」


 軽口に近い口調だが、辛辣な響きには取り付く島もない。

 室内の穏やかな空気が張り詰め、傍らでアルノーが息を抑えた。

 アスタロトは自分の中にあった期待が、冷やされしぼんで行くのが分かった。

 だがザインは瞳をカラヴィアスから逸らさず、更に言葉を継いだ。


「恥は承知している。大戦の折、氏族の反対を押し切って参戦したのは俺の個人的な判断だ。剣を失った事も。しかし、長、聞いてくれ」


 唐突に、カラヴィアスの喉から快活な笑い声が弾けた。

 すぐに笑いを抑え、ただまだ余韻を残して口の端を釣り上げる。


「――冗談だ。三百年何の音沙汰もなく、今になってその顔をのこのこと見せに来られては、嫌味の一つも言いたくなるというものだろう」


 カラヴィアスは左手を膝の上に置き、低い椅子の上でゆったりと背を反らした。


「お前が大戦に参戦したのはその通り、お前の判断でありお前の意志だ。それを否定する程私は狭量ではないよ」


 一転、その口調も穏やかなものになる。けれどザインに向ける瞳は厳しさを宿したままだ。


「だからこそ、お前自身が最後まで責任を持たねばならない。何故己が守護地を離れたのだ?」


 ザインは左膝に付いていた手を、僅かに前へ動かした。

 何故、と問ういう言葉を上手く捉え、自分達がここへ来た意図を受け止めてもらえるか――


「――三百年を経て、再び西海との戦乱が始まったのは知っているだろう」

「当然、情報は入るな」


 カラヴィアスの視線が壁際の二人へ流れる。


(あの二人――もしかしたら、報告にあった剣士?)


 魔獣を倒した二人の剣士。

 彼等の情報をきっかけに、アスタロト達はここまで来たのだ。


「だからこそもう一度問おう。何故お前の守護地を離れた」

「フィオリ・アル・レガージュを守りたい。そしてこの国を」


 フィオリ、とカラヴィアスは呟き、再び口の端を上げた。


「以前はアル・レガージュだったが」


 その声には幾ばくかの感慨も窺える。

 ザインが参戦した大戦時、レガージュはその名を冠していなかった。


「そうだ。その名が俺の誇りでもある。だからここへ来た」

「――」

「戦況は厳しい。この先更に厳しくなっていくだろう。この国は三百年前よりもずっと兵力を落としている上に、戦線は各地に及んでいる。それも既に知っていると思うが」


 カラヴィアスの緩く閉ざした口元がザインの言葉を肯定している。


「率直に願う。俺は一族の助力を請いに来た。今この国で状況の打開が可能なのは、ルベル・カリマの一族しかない。この国の力になって欲しい、長」


 アスタロトは鼓動を抑え、正面のカラヴィアスを見つめた。

 彼等の助力が得られれば――


「我々にその意思は無い」


 にべもなくカラヴィアスは言い切った。


「我等に利が無い。参戦の目的は何だ? この地を離れる理由は? 王国にそれほどの恩は無い。受ける理由が無い」

「この国が荒れれば、いずれこのアルケサスも荒れる。それは引いては」

「ザイン――」


 カラヴィアスは静かに名を呼んだ。


()()()()()()()()? ()()は、本末転倒だ」


 何を、とは言わず――だが確かにザインが口ごもる。


「そもそもお前、力を貸せと言うが五人や十人では足るまいよ。ならば何人必要だ? 二十? その倍か?」

「確かに、それは」

「我等とて死と無縁ではない」


 屋外の滝の音が室内を満たす。あたかも激しい雨の中にいるようだ。

 カラヴィアスはアスタロトの顔を見て笑ったようだった。

 その瞳はもうザインへ戻っている。


「ザインよ。今や百にも満たない我が氏族が参戦したところで、この戦況をどこまでひっくり返せるとお前は考えているのかね。聞けば西海のナジャルと風竜も出ているという。それと風の王、だったか」

「だからこそ剣士としての力が」

「あれらを倒せる者など、剣士と言えどもごく一握りだろう。死地に赴かせよと、そう言うか」

「違う、しかし」

「一族の者を、その未来を守るのが私の仕事なのだ」


「……では、こう考えて貰えないか」


 ザインは一度息を吸い、切り込むように告げた。


「ジンの子――ルフトの最後の一人、その子供と未来の為に」


 アスタロトは鼓動が強く胸を叩くのを感じ、息を抑えながらカラヴィアスと、そこに座る剣士達を見た。

 レオアリスの事を、彼等がどう思っているのか――反応を、心を見たかった。


 壁際に座る二人は、初めてカラヴィアスへとはっきり視線を移している。

 カラヴィアスの両隣の剣士も意識を一族の長へ向けているようだ。

 ただ、カラヴィアスは揺るがずザインを見据えた。


「何を言われても協力をする気はない。諦めろ」

「しかし、彼は我々の」

「我々は今でもルフトを敬愛し、喪われた彼等を悼んでいる。その彼等の子の為であれば、何らかの手を貸したいとも思う。何よりもその子は、ここ百年来ようやく生まれた子供なのだからな」


 ならば、とザインが口にする前に、カラヴィアスはそれを制して瞳を細めた。


「だからこそ、我等は憤ってもいる」


 カラヴィアスの瞳に刃の色が揺らめき、ザインは身構えた。


「王は都合よく彼を使ったのではないか」


 その言葉は切り裂くように響いた。


 鼓動が早くなる。

 アスタロトは脳裏に焼き付いた光景を思い出した。

 イスの謁見の間でアスタロト達を包んだ黄金の光。

 ファルシオンの館の庭園で聞いた、絞り出すような想い。


『どうして、王は』


 どうして――


 何度あの問いを、心の中に抑え込んでいたのだろう。

 どうして、自分を、イスへ連れて行かなかったのか、と。

 アスタロトの唇から微かな呟きが漏れる。


「違う……」

「それは――それは違う。長よ、貴方も判っているだろう、主を持つという事は」

「王は彼の存在を隠し、我等に伝えなかった」

「そうじゃない、王は彼を庇護された」

「どうだろうな。それはお前の見方であり、我々の見方とは違う。剣の主ありきのな」


 アスタロトから見えるカラヴィアスの、そして 剣士達の表情は、そこに剣を向けるべき相手を見ているように思えた。

 剣を向けるべき相手――それは。


「存在を隠し自らの手の中に収め、次にする事は幽閉か。これのどこに信を置けというのだ」

「幽閉ではなく、蟄居だ。彼は立場上、その形で責任を取らなくてはならなかった。周囲に示す為に」

「言葉遊びだな」


 切って捨て、カラヴィアスは組んでいた両腕を広げた。


「さあザイン。話はこれで終わりだ。残念だが私は、お前の要請に応える事はできない」

「――待ってください!」


 アスタロトは膝を立て、床に片手をついて身を乗り出した。


「レオアリスが幽閉になったのは、私のせいなんです」


 アルノーが驚き、アスタロトへ制止の視線を向ける。ただその手は止めるべきかどうか、迷いを表わして膝からやや浮いただけだ。

 アスタロトは逸らしたがる真紅の瞳を、意志の力で真っ直ぐ正面へ据えた。


「王は、レオアリスを大切にしてました。とても、とても、とても――。自分の子供みたいに。レオアリスも、父親みたいに、王が好きだった」


 そうだ。

 都合良く使ったとか、そんな事は決してない。

 それを。


「でも、私が」


 それを、自分が――

 目の前が明滅しながら霞んで行くように思えた。それを堪える。

 そうしてしまったのは、自分だ。


「私が――王を守ると言ったのに……その役割を果たせなかったから――私があの時、最後までイスにいたら」


 それは嘘だ。

 あの時既にアスタロトの手に炎は無かった。


 炎を失った理由。

 その理由は。

 炎があればアスタロトは、レオアリスにした約束を果たせた。


『お前の代わりは、私がしてあげる』


 アスタロトが王を守れていたら。


「私――の、せいで、レオアリスは、あんなに苦しんで――責任を負って――私は、わ、私はその事を、謝りたくて――」


 レオアリスには会えない。会っても告げる言葉がない。

 返って来ない。

 だから彼等に、剣士の氏族に自分の罪を隠さず伝え、せめて彼等が自分に求めるものがあるのなら。


 そうする事しか――それ以外今自分ができる事は思い付かなかった。


「私が、こんな想いを――」


 抱かなければ、と、何度――


「アスタロト様」


 アルノーの手が肩に置かれ、アスタロトははっと瞳を瞬いた。

 今いる場所を思い出す。

 自分が何を言っていたのか。


「――アレウス王国正規軍将軍であられたか」


 持ち上げた瞳にカラヴィアスの姿が映る。


「改めて、御自ら我等の里へお越し頂いた事、御身の意志に敬意を申し上げる。しかしながら」


 カラヴィアスは切れ長の眼差しを、静かにアスタロトへ向けた。


「我々は、貴方を断罪する為にはいない」


 アスタロトは打たれたように息を飲み、それから震える唇を引き結んだ。

 迸っていた激しさは既に消え、冷えた空気が身を包む。

 アルケサスの熱砂の揺らぎが、遠く脳裏を掠める。



 その通りだ。

 何を――



 自分は一体、何の為にここに来たのか。



「お聞きください、ルベル・カリマの長よ」


 アルノーが右腕を胸に当てカラヴィアスへ敬意を示し、改めて姿勢を正した。

「我々は彼に幾度となく助けられました。その事に多くの者が深い感謝を抱いております。此度の彼への処断について、王太子殿下も御心を痛められた上で、やむなくそう判断されました。しかし、王太子ファルシオン殿下は心から彼を慕っておられます。決して利用など、お考えになっておられません」


 静まり返った部屋に、アルノーの言葉が続く。


「私も彼と何度か話をしました。上手くは申し上げられないが、彼は確かに陛下へ深い敬愛を抱いていました。自身の過去を知った後もその想いは強かった」

「自分の氏族よりも王を選んだって言うの?」


 尖った声を出したのは壁際に座っていたティルという少年だ。


「違う、そういう意味ではなく」

「ティルファング」


 カラヴィアスの視線が流れ、ティルファングは不服そうな色を残しながらも、口を閉ざした。

 カラヴィアスは再びアスタロト達へと向き合い、アルノーとアスタロトをじっと見据えた。

 束の間、陽射しと水音に満ちる。


「――お志しに感謝する」


 ややあってカラヴィアスは静かに頭を下げ、驚くアスタロト達へ、明瞭にそう告げた。


「あなた方が彼を受け入れてくれているのは良く判った。それは同胞として有難い事だ」


 アルノーは向けられた眼差しに、息を吐き立てていた膝を戻した。


「アレウス国の危急は承知している。だが先ほども言った通り、私は一族の者を参戦させるつもりはないのだ。一族の事情もある。理解して欲しい」


 これ以上話を重ねても同じ事だと、そう告げている。

 ザインはしばらくはまだ言葉を探していたが、やがて息を吐いた。


「無理を言った。話を聞いてくれた事に礼を言う」


 アスタロトは膝に置いていた手を、ぎゅっと握り締めた。


「レーヴァレイン、客人をご案内してくれ。体力回復の為にせめて一晩休まれるといい」


 ティルファングが顔をしかめる。


「レーヴがそんなこと」

「お前に頼んでもいいがお前は雑だからな」


 むっと頬を膨らませた少年を横からなだめ、レーヴァレインと呼ばれた青年は立ち上がり、アスタロト達へ頭を下げた。


「ご案内します。こちらへ」

「僕も行く」


 ティルファングはさっとレーヴァレインとアスタロト達の間に割って入り、アスタロトを睨んだ。


「ティルファング」


 カラヴィアスの低い声にぎくりと首を竦める。


「失礼な態度を謝ろう。親離れできていないのだ」

「親とかじゃな」

「ザイン」


 ティルファングの抗議を無視し、カラヴィアスは立ち上がったザインに声を掛けた。


「お前は残れ」







 ザインは先ほどより近い位置で、カラヴィアスと向かい合った。他の二人の剣士も席を外し、残っているのはザインと彼の長の二人だけだ。


 流れ落ちる滝の音。

 懐かしいと、そう思う。

 だが今ザインの胸の内に常に響くのは、あの紺碧の海、岸壁の下に寄せる潮騒の音だった。


 カラヴィアスが緩く腕を組み、片方の手を頬に当てる。


「さてと……ザイン。我が不肖の弟よ」


 ザインはきまり悪そうに眉を寄せた。


「今更、頭の痛い話だな?」


 やや斜めにザインを見上げる視線とその口調には、親しみと、苦笑と、憂慮が入り混じっている。


「己が一人の宝が欲しいと駄々を捏ね、さて困難となれば氏族を頼る」

「言い訳はできないと判っている。貴方の言う通り、俺は戻って俺の責任を果たすつもりだ」


 カラヴィアスは溜息を吐いた。


「剣の主を持った者は皆そうだ。ジン然り、ザイン、お前も然り――そしてルフトの子もまた然り」


 悲しみと遣る瀬無さ、そして幾許(いくばく)かの諦観の混じり合った響きだった。


「身を滅ぼす」

「それは」


 違う、と言おうとしたザインの先を制する。


「だから私は主を持つ事を良しとしないのだ。ザイン、己を顧みてどうだ」

「――」

「お前は氏族から離れ、主を喪ってもなお戻らなかった。あまつさえ剣を失うとは」


 ザインは自らの右腕に視線を落とし、すぐにそれを上げた。


「俺は後悔はしていない。この剣は、何より大事なものを護る為に引き換えた」

「お前の娘か」


 頷くザインの面を見つめ、カラヴィアスは微かに微笑んだ。

 だがその頬に浮かんだ柔らかさも束の間のものだ。


「――改めて言うが、王国に協力する気は無い。東の氏族(カミオ)も考えは同じだろう。使い捨てられるのが落ちだと、皆思っているぞ」


 カラヴィアスの視線が移ろう光を追うように、緑の葉を揺らす窓へと流れる。


「他者との関わりを深める事は我々にとって危険が大きい。一族の数を見ろ。我々は失われていく一方だ」

「――」

「そして(わだかま)りとは関係なく、もう一つ理由がある。我々の役割は本来そこにあるのだからな」

「まさか――」


 カラヴィアスはザインの表情を見て、苦笑した。


「いや、まだそこまでではない。だがこのところ、西海との不可侵条約が破られ、この国は争乱による血が流れ始めている。今は魔獣共が騒ぐ程度だが、何を刺激に、いつ何時目を覚ますかは判らないのだ。そもそも四年前に黒竜が目覚め、今、風竜が甦っている以上、最後の一頭もいつまで眠っているか、誰にも予測はできないのだからな」


 束の間ザインはカラヴィアスを見つめていたが、深く、息を吐いた。


「――判った。今はこれ以上は言わない」


 お互いしばらくの間、僅かに視線を逸らし、向かい合っていた。

 ザインは一度瞳を閉じ、それから再びカラヴィアスへと向き直ると、深く頭を下げた。


「レガージュへ戻る」

「明日にしろ」

「しかし」

「飛竜を貸してやろう。あれなら不自由なくアルケサスを飛べる」


 再び黙礼し、ザインは立ち上がった。カラヴィアスが頬杖をついたままその姿を見送る。

 扉の取っ手に手を伸ばしかけたザインを、声が追いかけた。


「ザイン」


 それまでとは違う色を含んだ響きだった。


「ベンダバールが戻るかもしれない」


 ザインは振り返り、驚きを浮かべた眼差しをカラヴィアスに向けた。


「ベンダバール? だが、彼等は」


 カラヴィアスは頬杖を突いた姿勢を崩さず、その先はザインの考えに任せると、そう言っているようだ。


 ベンダバール。

 かつてこの国の西の地にあった、もう一つの氏族。

 彼等が戻るとしたら、その目的はおそらく一つだ。


「今更――いや」


 束の間言葉を探し、カラヴィアスの瞳を見つめる。

 視界の端で窓に揺れる樹々の影。

 足元に視線を落とす。


「……その方がいいのか」


 そう呟いた。






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