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第2章『冥漠の空』(3)


 夜を流れる風に身体を委ね、指先までその柔らかなせせらぎに浸す。

 そうすると心の中も風と同様、透明に、虚ろに、無に、変わっていくようだ。


 そのまま風の中に、全てが解きほぐされ分解され、消えたとしたなら、どこかでもう一度、出逢う事ができるのだろうか。

 そうなれば、今度は違う結末があるのだろうか。


(どうかしら。私は風に。あの人は――)


 相容れない。




 ルシファーは閉じていた瞳を開け、右手を僅かに持ち上げると、竜の白い骸に触れた。風竜は首を傾けたが、それだけだ。

 ルシファーが身を起こし、宙に腰掛ける。


「何の用?」


 風に言葉を投げ掛ける。

 夜の闇に覆われているものの、深夜を過ぎたこの時間帯にボードヴィル砦城中庭には、明らかに風竜とルシファー以外誰の姿もない。だがルシファーは、暁の色の瞳を真っ直ぐ足元の中庭に落とした。

 西面の壁に作り込まれた噴水が、吐き出す水の流れを止める。

 束の間夜は、しんとした静寂に満ちた。


 水面から、水の塊が二つ、ぼこりと膨らんだ。それはすぐに人の姿を取る。

 歪に突き出た後ろ頭とぬらりとした青白い肌は、西海の住民の特徴だ。

 二人。

 ルシファーは瞳を細めた。

 二人は水の上に膝をついて一度深々と頭を下げ、それから上空を見上げた。


「御方――」


 束の間の静寂の後、ルシファーは喉を反らせて笑った。


「貴方達――」


 喉の奥に笑いを収める。暁の瞳がなお細まった。


「――まだいたの」


 凍る声が空を這う。

 二人は意思の力で、じり、と膝を一つ進めた。


「御方、我々は」

「そう、まだいたのね」


 二人がぐっと唇を噛む。ルシファーは彼等の様子など知らぬげに、口元を綻ばせた。


「再び戦乱は始まったわ。三百年――海皇にしてみれば、よくも我慢した方だと思うわよね。それとも自らの滅びを早めるのを嫌がったのかしら」


 口元に指先を当てる。


「アレウスの王はいつでも、喜んで滅びを迎え入れたでしょうに」

「――」


 二人は互いの目を見交わした。

 ルシファーは宙に立ち上がり、砦城の北側を眺めた。


「それにしたってナジャルもしようのない嫌がらせをするものね。このボードヴィルにわざわざ彼女を当てるなんて。彼女は私が憎くて仕方がない。――どうかしら。殺されてあげるのも一興だと思うのだけど」

「御方、どうか我々の話をお聞きください」


 ルシファーは暁の瞳を、するりと砦城の大屋根に移した。


「今更、あなた達と話すことは何もないわ」

「我々は、今度こそあの方の想いを実現すべく動く所存です」

「あの時何もしなかったあなた達が、今さら?」


 氷の欠片のような響きだ。


「それは――」


 二人は一度顔を伏せた。


「仰る通り、ただ座してあの方を失ったのは事実です。だからこそ――、我々は今度こそ」

「今度こそ、誰一人、命の保証なんて無いでしょう」

「御方」

「私を、そう呼ぶのは、やめて。不快だわ」

「御――」


 ルシファーを中心に風が渦巻く。

 二人の目の前の石畳が風の余波を受け、ごそりと剥けた。


「去りなさい」

「――」

「ほら、ボードヴィルの兵が騒ぎ出した」


 今の音に気付いたのか、篝火が城壁の上で忙しく揺れている。

 束の間、中庭は沈黙に包まれたが、二人はもう一度顔を上げた。


「将軍は、既に御心を決めました。また参ります」


 ルシファーの返事はなく、二人はややあって、波紋だけを残して水面に消えた。


 噴水は再び音を立て水を吐き出し始めた。






「侵入者か?!」

「探せ!」

「ヒースウッド中将に報せを」


 俄かに砦城が騒がしさを増す。

 廊下を行き来する兵士達の声に一度目を向け、ヴィルトールは中庭を望む三階の露台に立ち、二人の姿が消えた中庭の噴水へもう一度瞳を凝らした。

 噴水が止まった音に気付き出てみたが、先程まで噴水にいた二人の姿は、夜目にも地上の住人ではない事は見て取れた。


(西海の住人か)


 ルシファーに会いに来たのか。

 ルシファーと風竜がそこにいるとはいえ、砦城の内部にまで西海の兵が入り込むのは危険な兆候だ。ルシファーはボードヴィルを守る素振りを見せているが、必ずしも西海兵を退けるとは限らない。

 もともとルシファーは、西海軍と結託していたとヴィルトールは見ていた。


(だが今のは、西海の兵士とも違ったようだが)


『今度こそ、あの方の想いを実現すべく動く所存です』


 そう言った言葉は聞こえた。


(あの方とは誰を指すのかな――)


 ルシファーを御方と呼んだ。

 西海にとって、少なくとも彼等にとっては、ルシファーは敬意を向ける対象だという事だ。

 そしてルシファーに対して、あの方と。


『ただ座してあの方を失ったのは事実です』


 一つ、ヴィルトールにも思い当る人物がいる。

 アルジマールがラクサ丘のルシファーの館から持ち帰った絵に描かれていた人物――、その死が大戦のきっかけとなった人物であり、ルシファーの想い人でもあった、西海の皇太子。

 ルシファーの離反は、それが原因ではないかとも考えられていた。


(彼等はルシファーに対してどちらの立場なのか、それが気になるな。ひょっとすると西海の内部に、別の流れがあるかもしれない)


 将軍は、とも言っていた。

 彼等が何かしらの行動をするのならば、それが現状の打開の一手になるようにも思える。


 だが今はそれを確かめる術は無く、ヴィルトールは一度大屋根の上のルシファーと風竜の姿を見上げると、扉から離れ先程降りてきた階段を登った。





 夜の中、大気は心地良く澄みながら、遠くの姿をその帳に隠している。






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