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第2章『冥漠の空』(2)


 足元で砂がさらさらと崩れていく。


 一歩踏み出すと自身の重さで砂を崩し、慣れない歩みを一層遅くした。

 砂丘を登りながら靴底で流れ落ちる砂に体勢を崩し、アスタロトはよろめいて砂の斜面に手をついた。手のひらに逃げて行く砂を感じる。砂と共に、手のひらから残り少ない体力も溶けて行くようだ。


「アスタロト様!」


 アーシアと南方第一大隊大将アルノーが駆け寄る。


「大丈夫、ちょっとよろけただけ」


 斜面に腕を突っ張って身体を起こし、アスタロトは自分の前に立ち塞がる砂の丘を見上げた。

 砂丘の影とその上に広がる青に染まり始めた空が、くっきりと明暗を分けている。

 そろそろ陽が高くなる。夜明け前から歩き始めて三刻、気温はその間じりじりと上がり続けていた。


 大陸南部に横たわる砂漠地帯、アルケサスにザインと共に入ってから、今日で五日目になる。移動手段が徒歩に変わってからは三日目だ。


 アルケサスに入った当初は乾いた土と岩石が散らばる大地が延々と続き、物語の挿絵で見る砂漠の印象とは異なっている事に、意外な思いを抱いた。

 だが昼は照り付ける陽射しで全身を炙られるように熱く、夜はまるで別世界のように凍える。

 初めにザインからもそのような場所だとは聞いて覚悟していたものの、実際にアルケサスに入ると、『熱砂』とあだ名されるその過酷さをまざまざと思い知った。


 飛竜に頼る事ができたのは初めの二日だけだった。飛竜が酷暑や雪の中を飛べない訳ではなく、凍えるのならば体温を上げる温油を塗り、熱に晒されるのなら逆に冷油を塗ればいいのだが、進むにつれ寒暖の変化は一層過酷になり、三日前、アルケサスの中央部に広がる砂丘地帯に入ると、寒暖には天と地ほどの差が出た。

 激しい寒暖の差が昼夜交互に繰り返されるとなるとさすがに対応しきれず、それ以上の装備も整っていない一行は、飛竜を途中で帰さざるを得なかった。


 最初に言われた駱駝という乗り物にすれば良かっただろうか、とアスタロトは砂丘地帯に入って何度目か、それを思った。アルケサスの入口であれば、砂漠を移動するのに適した駱駝を貸す商人もいたようだ。

 ただ駱駝の足では周辺部の岩石地帯を抜けるのに最短でも十日はかかってしまう。それよりは、まずは飛竜で行ける所まで行こうと、みんなで話して決めたのだ。


 砂丘地帯をもう一日、飛竜で進む意見もあったが、飛竜に負荷が掛り過ぎるのは避けたかった。

 アスタロトの場合は、アーシアに。

 もう一つ、ザインが砂丘地帯で飛竜を飛ばす事は極力避けたいと、そう言った事もある。


「刺激したくない」と。


 何をと問うと、やや迷い、「氏族を」と言った。

 目の前にそのザインが膝をつく。


「休みましょう。一つ砂丘を越えると日避けになる大岩があります」

「でも、まだあまり進めてないんだよね? 私なら平気、もう少し」


 一番歩くのが遅いのは、やはりアスタロトだ。


「この近くに水場はありません。これから気温は上がる一方になる、このまま進むのは全員にとって良策とは言えません」


 アスタロトはザインの顔を見て、それ以上無茶をいう事もできず、こくりと頷いた。

 本当はもっと早く進みたい。しかし慣れない砂の大地と気温の差とが体力を容赦なく奪い、アスタロトだけではなくアーシアも、鍛えているアルノー達兵士等もまた疲労が積み重なっている。


 アスタロトは大岩まで辿り着くと、陰になっている岩肌に身体を寄せた。

 ザインが慣れた手つきで日除け布を張るのをアルノーや兵士達と共に手伝い、皆で僅かばかりの日陰に腰を下ろした。

 ほっとした空気が流れる。


 陽射しを避ければ少しはましだが、それでも気温は盛夏の王都よりもずっと高い。まさに灼熱というに相応しい、これまで経験した事のない暑さだった。

 レガージュで感じた質量を持った陽射しも、この場所からすれば柔らかく思える。


「お水をどうぞ、アスタロト様」


 アーシアは水の入った革袋を差し出した。それと岩塩の粒。やや桃色がかっている。


「アーシアの分はある? 皆の分も?」

「まだ、ございます。ザインさんが、夕方歩く中でまた水場に着くだろうって」

「――ありがとう」


 アスタロトは水袋を受け取り、口をつけた。

 喉を通る水はすっかりぬるまっていたが、それでも生き返る心地がする。

 飲み干したい気持ちをとにかく抑え、アスタロトはアーシアへ水袋を返すと周りを見回した。アーシアがくれた塩の粒を口に含む。塩が舌に甘く感じられる。


「もうずっと、同じ景色だね。全然見分けがつかない」

「そうですね、私もです」


 アーシアが頷く。


「ザインさんは良く迷わずに進めるなぁって、すごいです」

「うん。……ここで一人はぐれたら、こわいね」


 重なり合う砂丘が同じような姿を見せながら延々と続き、揺らぐ陽炎がそこかしこに立ち昇っている。空は青く輝き、厚みのある雲の塊が東の方角を覆っていた。

 あの雲にここに来て欲しいと、心の底から思う。

 東の遥か彼方はミストラ山脈に行き着くが、さすがにミストラ山脈とはいえ、この場所からはその姿を見る事はできなかった。


 熱砂アルケサス。

 全長は東西最長二千四百里、南北七百里にも及んで横たわる、広大な不毛の地だ。

 渡る風が熱を運ぶ。

 砂に風紋を作っている。

 永遠に形を変え続けて行く風紋は、そこに時を繰り返し、刻み付けているように感じられる。


 物音に顔を上げれば、ザインが登っていた大岩から降りたところだった。現在地や進む方向を確認していたのだろう。

 この建物も高い樹木すらもない場所で方向を確認しようと思っても、アスタロトなどにはさっぱり判らない。太陽や月の位置で測ろうにも、ここまで何もない砂丘が広がると、簡単な方角程度しか判らなかった。


「ザインさんは、こんなところでも、何か目印とか分かってるの?」


 そう声をかけるとザインが斜め前に座る。ザインの上にはアスタロト達ほどの疲労は感じられない。


「さすがに、私がここにいた時とは多くのものが変わっています。ですからさほど変わらないもの、例えばこうした岩などを目印にしています」

「そうか――でも、近づいてるんだよね」


 ザインが頷く。


「近付いています」

「あと、何日……?」


 恐る恐る尋ねると、「聞きますか」とザインは笑った。


「う」


 聞きたいのと聞きたくないのと半々だった。あと数日で着くと言ってくれればいいが、あと十日とかひと月と言われたら、心が折れてしまいそうだ。


「ご安心ください、もう三日も移動すれば、里の者達の方が我々に気付きます」

「三日――良かった……それなら耐えられる」


 心の底から息を吐いたアスタロトへ、ザインは微笑んだ。


「それでも、きついでしょう。せめて途中で駱駝を整えられれば良かったのですが、さすがにこの辺りまで入り込んでいる者は少ない」


 アスタロトは急いで首を振った。ここに来る事を望んだのは自分自身で、楽をできるとは思っていない。

 ザインはそのアスタロトの様子に何を思うのか、鋭い目元を和らげた。


「改めて、お礼を申し上げます。この国の正規軍将軍として、この地にお越しいただいた事に」


 ザインがそう言う。


「そんなのは、全然……、わ、私ができることは、今このくらいしかないから」


 そこまで口にして、炎が使えない事をザインは知らなかったと思い出した。


「直接訪ねていかないと、この国の為に戦って欲しいなんてお願い、できない」

「そのお心をこそ有難いと思っております。それから、改めて」


 ザインはアスタロトの面をじっと見つめた。


「レオアリスを受け入れてくださった事に」

「そ――」


 それこそ、自分が言われる言葉ではない。


「そんなことないです。逆なんだ」


 アスタロトは瞳を伏せた。

 自分を受け入れてくれたのはレオアリスだ。

 家柄とか、正規軍将軍とか、なんの関係も無く。初めて会ったあの日から、どれだけ心が救われてきただろう。


(それなのに――)


 今のこの状況をアスタロトは、変える事もできない。

 彼の名誉を守れてもいないのだ。

 王城の諸侯達の中にも、正規軍の中にも、二か月前のあの夜のレオアリスの対応を非難する者がいるのを知っている。


 ファルシオンの守護の任を王から受けながら、許可なくファルシオンの側を離れ、そして命の危険に晒した事。引いては国の崩壊を招きかねない状況に晒した事。

 そして今、国の危機でありながら、蟄居せざるを得ない状況を招いた事――

 その非難を、今は消せなかった。


(私が、もっと)


 ザインはアスタロトをじっと見つめ、片膝を立てて立ち上がった。


「あまり何もかも、自分の背に負おうとしない方がいい」


 アスタロトはそうだとも、やはりそれは違うのだとも言えず、黙って頷いた。







「アスタロト様……アスタロト様」


 アーシアの声に目を開ける。

 いつの間にか眠っていたようだ。強張る身体を起こし、アーシアが差し出してくれた水を飲んだ。


「そろそろ出ます。この後水場まで歩くそうです。四刻くらいかかるようですけど……お歩きになれますか?」

「大丈夫」


 周りはもう身支度を始めている。

 アスタロトも立ち上がり、身支度代わりに身体についた砂を払った。





 陽が傾き始め、空は茜色に染まっていく。沈む太陽は王都で見るよりもずっと大きい。

 アルケサスに入って五回目の日没だ。

 砂丘に長い影を落とし、アスタロト達は再び歩き始めた。







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