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第1章『遠雷2』(15)

「明日発つんだね、いってらっしゃい」


 アルジマールは珍しく法術院を尋ねてきたアスタロトへ、長椅子の上で手ではなく両足をぶらぶら振りながらそう言った。


「城内は今回の噂で持ちきりだよ。ほら」


 彼の指先が示したのは、二人が今座っている長椅子の傍らに置かれた球体だ。

 腰の高さほどの花台の上に花瓶代わりのように、直径一尺半ほどの乳白色の玉が無造作に載せられ、球体の表面――いや、その奥に幾つもの景色が浮かんでいる。


 王城の廊下や談話室、中庭。

 景色の中にはそれぞれ、その日の仕事を終えたらしき官吏達が三々五々集い、何やら話し込んでいるようだった。

 アスタロトが呆れて眉を上げる。


「これって、覗き見――」

『アスタロト公が明日、南方へ発つそうだ』


 景色の一つ、王城何階かの廊下の窓際で、一人の官吏が言った。


「――」


 アスタロトはアルジマールへ向けかけていた顔を球体へ戻した。


『まずはレガージュの南方軍の視察ってことだが、レガージュの剣士と話をされてその後は』

『剣士の氏族か。これで状況は大きく変わるな』

『剣士の、それも氏族ともなれば戦力は一大隊にも値するのではないか?』

『まずどこの戦場に当てるか――あるいは各地に分散させる事も有り得るな。人数次第だが』


 その傍らに映るのは地政院の談話室だろうか。五人の官吏達が卓を囲んでいる。


『気が早いな。私としても剣士には期待したいが、アスタロト公爵の交渉の結果を見るまではぬか喜びもできないだろう』

『それにそれなりの報酬がなくては彼等も動かないのでは』


 アスタロトは真紅の双眸に、球体の中に浮かぶ彼等を映した。


『第一、王都(ここ)にも剣士はいるではないか。まずは彼が』


 真紅の瞳が揺らぎ、だが逸らさずに注がれる。


『彼は蟄居中だ』


 あの失態は当分許されまい、と口元に複雑な笑みを浮かべる者。容易く許されては他に示しが付かないと眉を怒らせる者。


『剣士など、外の力を借りるやり方で充分だ。制御しきれないものを組織に入れるべきじゃない』


 アスタロトは双眸に険しさを滲ませ、それを抑え込むようにぎゅっと唇を引き結んだ。


『私は、少し違う意見です』


 一番若い男が他の四人の顔を見回す。


『彼の今回の行動は、陛下への忠誠故のものなのでしょう? 今回はやや歯車が噛み合わなかったかもしれないですが』


 若い男の言葉に四人がお互いの表情を見た。


『その忠誠が今度は王太子殿下に向けばいいんです』

『――それは、そうだが』

『王太子殿下も判っておいででは。後は蟄居を解く時期を――』


「いろんな捉え方があるよねぇ」


 アルジマールは立ち上がり、球体の前に寄ると、手のひらをその上にかざした。


「僕はこうして時々色々聞いてるわけ。情報は得ておかなくちゃね。色々頼まれてるし」

「え?」

「ああいや、うん、そうだな、君にはもう少し元気を出してもらおうか――」


 球体の内部で映像が螺旋を描くように次々入れ替わり、すぐに止まった。


『アスタロト公はやはり、彼を気にされておいでなのだろうな』

『それはそうでしょう、親しい友人であられたのだもの』


 そんな話をしているのは今度は内政官房官達だ。年配の男の事務官三人と、彼等よりやや若い女の事務官と四人で話をしている。

 左端に座っている壮年の男が見回す。


『彼がどれだけこれまでこの国に貢献していたか、アスタロト公爵はそれを一番身近でご覧になっていたでしょうしね――王太子殿下も』


 そう言った壮年の男に三人も頷いた。


『確かに――彼の王太子殿下を守ろうという想いには偽りはないと、私も感じられた』

『……それは、私もです。だから殿下がここまで』


「ほらね」


 アルジマールは灰色の(かず)きから唯一見える口元でにっこり笑った。


「大丈夫だよ」


 心配しなくて、という事だろうか。

 アルジマールはアスタロトの面にある沈んだ表情を、()()に対する反応への不安と取ったようだ。


「うん――」

「さて、まあ覗きはこんなところにしといて……」


(覗きって言った)


「今日は何の用かな? 行くのが心配になっちゃった? 護符でもあげようか? 僕も今、連日の大規模輸送でへとへとだからそんな事くらいしかできないんだけど、そのくらいの餞別はあげられる」


 まだ球体の中の景色に見入っていたアスタロトは、長椅子の上で居住まいを正した。


「そうじゃないけど――、あ、護符がいらないとかじゃなくて」

「うん、はい」


 アルジマールは懐に手を突っ込むと、アスタロトの前に親指の先程の小さな銀板のぶら下がった組紐を二つ、置いた。首にかけるものだ。


「これは転移。一度だけだけど、どちらからでも対になってる護符の場所へ呼ぶか移動できるよ。一つ王都に置いておけばどこからでもすぐ戻れる。でも君は王都には自力で戻れるんだっけ?」

「ありがとう――」

「使い方は簡単だ。三節ばかり詠唱すればいいだけで、ああ、紙に書いておいてあげるから。ちょっと待って、紙、紙」

「アルジマール、えっと」


 どんどん喋り続けるアルジマールを止め、アスタロトは用件を口にした。


「剣士の氏族については、アルジマールはどこまで知ってるの?」


 アルジマールがぴたりと黙る。


「――」

「……アルジマール、知ってることがまだあったら教えてほしくて」

「――」

「おととい、スランザールは色々言ってたけど、でもまだ断片だった。行く前にもう少し理解したいんだ。アルジマールも何か知ってたら」

「――」

「アルジマール?」

「――」

「……知らな」

「スランザールはずるいよね。スランザールだけが持ってる本とかたくさんあるんだ。あのひとどれだけ書物抱え込んでると思う? そんなに一人で抱えてたって部屋中に無駄に積み上げて埃積もるばかりだし、あそこら辺のごっそり僕にくれればいいのに、ねぇ!」


 アスタロトは室内へ視線を泳がせた。広い部屋一面に本が積み上がり幾つもの塔が構築されている。


「ねぇ!」

「……ス、スランザールがおととい話したことぐらいしか、やっぱり判ってないの?」


 アルジマールは唇を尖らせた。


「――僕に本をくれたらスランザールよりももっと早く調べるよ」

「分かった。頼んでおく」


 アルジマールはアスタロトを見て、唇を尖らせたまま溜息をついた。すとんと長椅子に座る。


「ルベル・カリマ。まずは彼等に会えるかどうかが鍵だよね」


 その名前を聞くだけで、アスタロトは自分が緊張するのが判る。

 剣士の氏族――

 ザインはどっちの氏族だろうね、とアルジマールは首を傾げた。


「今回、二人の剣士が行きがかり上にしろ魔獣を討ったって事は、カミオって氏族よりもルベル・カリマの方が話が通じそうにも行動的そうにも思える。氏族長のカラヴィアスだっけ、その人がどんな人物かにもよるだろう。大将殿の氏族、ルフトか――、ルフトのジンはかなり友好的だったみたいだけど――その時点から状況は大きく変わっているしね」


 アスタロトは膝の上の両手を握りしめた。

 アルジマールは長椅子の上で床につかない両足をまたぶらぶらと振り、(かず)きから覗く口元を動かす。


「ザインの繋ぎがあれば会う事はできるだろうけど、その後の交渉では我々に有利な材料はほとんどない。それを承知の上で、君は国を背負って交渉しなくちゃいけない。重要な責務だ」


 球体にはまだ先程の内政官房官達の姿が映っているが、何を話しているのか声は伝わってこない。


「重要な責務だけど――、まあ、でも失敗してもそれは君のせいじゃない。それは判ってるね?」

「――うん」


 アスタロトが納得したかどうか、アルジマールはまた唇を突き出した。二つの拳が胸の高さで握り込まれる。


「本当はこんな機会、僕も一緒に行きたいところだけど、さすがに仕事がたくさんある。忌々しいところだが真面目に働かなきゃこのご時世、研究費削られちゃうからね。ああほんと、研究費は重要だよ、研究費は――それをあの」

「ア、アルジマール」


 何だか良くない詠唱を始めそうだったアルジマールの袖を引く。アルジマールは肩をすとんと落とした。


「ああ、ごめんごめん。まあおかげで最近僕は働きすぎだよ。こんなに働いてる法術院長は歴代僕ぐらいじゃないか?」

「そうだよ、きっと。身体に気を付けて」


 アスタロトは笑って立ち上がった。手の中に護符を包み込む。


「ありがとう」


 お礼を言ってアスタロトは書物の塔を避けながら扉へ向かった。

 扉の前でぴたりと足を止める。

 そんな事を言うつもりは無かったのに、ふと口をついた。


「――どうして私、こんなふうに普通に会話できてるんだろう」


 音にしてみてからアスタロトは、ああ、と思った。

 それはこの二ヶ月、日増しに積み重なっていく違和感だ。

 もっと落ち込んで、例えばあまり会話などする気になれなくなるのが正しいように思える。

 でもそうはならない。

 それが後ろめたい。

 アルジマールはじっとアスタロトを見つめ、「そりゃまあ」と言った。


「起きてるからね」


 実に適当に応え、にっこり笑った。


「道中気をつけて。うまく交渉できたら、剣士の氏族を真っ先に僕に紹介してよ」







 アスタロトは法術院を出て一度立ち止まった。


「起きてるからって、適当――」


 アルジマールはアスタロトが何を後ろめたく思っているのか、見抜いている。

 この後ろめたさを少しでも無くしたくて、その為にはただここにいるのではなく、動かなくてはと思ってる。

 できる事は少ないが、その僅かなできる事を。


(剣士の氏族――)


 レオアリスの氏族ではない。それでも、会うのは不安だった。

 それでも。

 瞳を手の中の銀色の護符に落とす。

 持っている者同士をつなぐ、一対の護符。


(……これは、私じゃなくて)


 目的は転位でも、護符という名のとおり、護ってくれるなら。

 顔を上げ、法術院の玄関に面した中庭を渡る白い回廊を、王城の正面玄関へと歩き出した。

 半刻後にはアスタロトは、居城の控えの廊下でファルシオンとの面会を待っていた。







 アルジマールは長椅子の上からアスタロトを見送った後、再び球体へ視線を向けた。さきほどの四人の話がまだ続いている。


『ヴェルナー侯爵はどうなのだろう。昨日から王都を離れられたようだが』

「おっと――」


 肩を竦め、いろんな捉え方があるよねぇ、と呟いた。







「昨日から王都を離れられたようだが」

「この時期にどこへ行かれたのか」


 四人の中で一番年配の内政官房官が慎重に言葉を継いだ。内政官房にもう三十年務め、一時期は副長官付きも経験していた。


「今や大公、南方公に次ぐお立場だが、この件どう考えておられるのか、ヴェルナー侯爵が現時点で一番お心が見えない。内政官房官の中にもそれで動くのを控えている者も多いのでは」


 複雑な視線が交わされる。彼等の言う通り、この件に対して城内の意見はどちらに偏る事もなく、曖昧だった。

 秤の針がどちらに振れるか測っているようだ。

 一人が眉を寄せた。


「前侯爵の命で近衛師団に在籍していただけで、本心では違ったのではとも思いますが」

「そのようには見えませんでした」

「しかし流石にあれほどの失態は、関わりを持つ事を躊躇われるだろうしな」

「まだ相続の問題が収まりきっておられないのでしょう、それが収まれば」

「しっ」


 声を潜めたのは、廊下の先にルスウェント伯爵の姿を認めたからだ。

 声が届いてはいなかったかと四人は俯きがちに気まずい視線を見交わしたが、ルスウェントは顔を一度彼等に向けたものの、そのまま彼等とは逆の、財務院がある西の棟へと歩み去った。


「――何にしても、状況を色々と見定めないとな」


 壮年の男が話の輪を離れ、廊下を西の棟へと向かった。









 王城西棟の一室で、ブロウズは内政官房官服のままルスウェントの前に膝をついた。

「城内の様子はどうだ」

「やはり、様々な見解がございます。侯爵家に対しても――、ですが、概ね想定されていた範囲でございます」


 ルスウェントは頷き、そのまま理知的な双眸をブロウズに据えた。


「それで、当主はどちらへ行かれたのか」

「南方の所領、イル・ファレスに昨夕より三日の行程で赴かれております」

「イル・ファレス――」


 ヴェルナー侯爵家の直轄領だ。


「――弟君の、クラウス様の墓所があったな。以前から一度墓前を訪ねたいと仰っておられたが、その目的で?」


 ほんの僅か──ルスウェントに伝わらないほどではあるが、ブロウズはほんの僅か返答を躊躇った。


「そのように伺っております。それと、侯爵邸は憩われるにはやや、支障も……」

「ふむ」


 言葉を濁したブロウズの表情を読み取り、ルスウェントはゆったりとした衣を揺らして腕を組んだ。厄介そうに溜息をつく。


「オルタンス様は相続の件で連日騒いでおられるのか。大人しく喪に服していてくだされば問題ないのだが」


 前侯爵夫人のオルタンスはまだ侯爵邸で暮らしていた。通常六か月、喪に服すのがしきたりだ。


「前侯爵の喪明けにご実家へお戻り頂けるよう、手配するとしよう」


 ブロウズは無言で顔を伏せた。








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