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第1章『遠雷2』(14)


「──俺は一度、レガージュを離れようと思う」


 フィオリ・アル・レガージュ交易組合の一室で、ザインはそこにいる顔触れを見渡し、(おもむ)ろにそう告げた。


 既に日が暮れて隠されているが背後の窓の外に広がる光景は、停泊する交易船が連なる見慣れた港ではなく、沖合に海を埋め尽くすように展開する西海軍の兵だった。この昼に一旦退いてから、動いていない。

 恐らく今日、もしくは明日はあのまま動かないと思われた。その繰り返しだ。


 部屋の中央の卓に着いているのはレガージュ船団長ファルカン、交易組合長カリカオテとエルンスト、ビルゼン、オスロの組合幹部、レガージュ領事スイゼル子爵、そして今や防衛の要の役割を果たしているユージュだ。


 南方軍将軍ケストナーとその副官ゼルテもこの後来る予定になっていたが、先程少し遅れるという伝令が入っていた。


「ザイン?!」


 レガージュを離れる――

 今この時に何を言い出すのかと、ファルカンは驚いて立ち上がり、ザインの面を見た。


 西海軍の侵攻が始まっておよそふた月──今日、月が変わって七月を迎えた。

 西海軍二千に対し、レガージュ側は南方軍九千が投入され兵数こそ(まさ)っているものの、三の鉾ガウス率いる西海軍は断続的な攻撃を繰り返し、それは確実にレガージュに疲労と損傷を蓄積していた。

 当初船体を利用して港に組んだ仮の防壁も、既に役に立たない状況だ。


 だがレガージュはこれまでに、レガージュ船団の船と交易船の五割を失っている。

 対西海の戦いにおいて不利でしかない海戦を仕掛ける可能性は少ないとはいえ、これ以上の船を失う事は何としても避けたかった。交易船はレガージュの宝だ。

 今は積荷用の木箱などを積み上げ、それらを法術で強化した防壁に切り替えている。


 その点も含め、この先どう防衛していくか、それを改めて考えなくてはならない時期に来ていた。

 住民達についてもだ。

 現時点で大半が自分の家を離れ岸壁の上の緑地に避難しているが、残った街の人々をいつ避難させるべきか。レガージュを一時的にでも離れさせた方がいいのか。


「西海軍の狙いはこの街の壊滅ではないだろう、少なくとも今は――。ならば機会は今しかない」


 西海軍はレガージュの疲弊を狙っているのか、あれ以上兵数を増やす事も無く、激しい攻勢も無い。

 だが西海軍を後退させたとしても港から退かせるのが限界で、海上までは手の打ちようが無いのが現状だ。

 西海軍の意図が戦況の膠着だとしても苦しい状況だった。

 そこに来てザインがこの街を離れるというのは、俄かには受け入れ難い。

 ファルカンは卓に両手をつき正面のザインを見据えた。


「今と言うが、あんたがこの街を離れては、全体の士気に影響する。そもそもこんな状況の時にレガージュを離れて、一体どこに行くつもりなんだ」


 ザインはファルカンから隣に座るユージュに視線を移し、自分に注がれる娘の瞳を見つめ返した。ユージュがそこに何かを感じて身じろぐ。


「父さん……?」

「――助力を求めに行くつもりだ」


 ザインは静かにそう言った。

 ファルカンが片眉をひそめる。


「助力? 誰に――国内の状況を見ろ、正規軍も今は増援が難しい状況だろう。誰に助力を求めるつもりなんだ」

「そうだ、ザイン。何か心当たりがあるのか」


 カリカオテもファルカンと同じような表情をしている。


「――」


 ザインはその間もじっとユージュを見つめていたが、瞳を上げた。


()()()()()


 港から寄せる波音の中で、声ははっきりと伝わった。


「南の氏族――ルベル・カリマに会いに行く」


 ファルカンも、カリカオテ達も驚きを露わにザインを見た。

 ユージュは瞳を瞬かせ、そして唇を開く。


「父さんの、氏族──? それって、ボクの?」


 おそるおそる口にしたような、不思議そうな響きだった。

 ザインは明瞭に頷いた。


「そうだ。ユージュ、お前の氏族だ」

「ボクの──」


 ユージュは椅子の音を鳴らして立ち上がった。


「どこにいるの?!」

「そうだ、どこに──」


 ファルカンも腰を浮かす。


「大体ザイン、あんたは今までそんな事、一言も言わなかっただろう」


 ザインは複雑な色を浮かべ、一瞬言葉を探したように見えた。


「……氏族とは大戦中に(たもと)を分かった。この三百年戻っていない。だから助力を得られるかは確証がないが、話をする事はできるだろう」

「――剣士の……」


 そう呟いたファルカンの表情は、否定よりもこの戦況打開の可能性に傾いている。

 だがザインが街を離れる状況には不安が拭えず、ファルカンはそれを口にした。


「しかし、ザイン、やはり今あんたに離れられるのは――それに南方軍に、ケストナー将軍にも相談すべきじゃないか」

「剣が戻っていない俺では居ても居なくてもあまり変わらんさ。それよりもこの戦況を打破したい。ケストナー将軍も理解するだろう」

「戦況を打破したいのは俺も同じ思いだ。しかし――」

「ファルカン団長、ザイン殿に賭けてみるのは、私は有りだと考えている」


 それまで黙って話を聞いていた領事のスイゼルがそう言って、カリカオテ達へ意見を聞くように顔を巡らせた。


「今のままではレガージュも南方軍も兵力が削られていく一方だ。正規軍の増援が頼れない以上、他に手段を求めるのはいい選択だと思うが、どうだろうか」

「――いいのではないか」


 初めに頷いたのは一番若いオスロだ。


「ザインがそう言うのなら。それに相手はザインの氏族――剣士だ。それなら何より力になる」


 ビルゼンとエルンストもまた頷いた。


「ザインに任せる」

「――」


 ファルカンは一度腕を組み思案に瞼を閉じたが、僅かな時間でそれを開けた。


「分かった。ザイン、あんたに任せる。あんたの氏族というのなら、きっと頼りになるだろう」


 陽に焼けた精悍な面にはザインへの期待と親愛が滲んでいる。


「だが、あんたが抜けてこの街が保つのはせいぜいひと月がいいところだぞ。レガージュ船団の誇りに賭けて保証したいが、こいつは甘い見積もりかもしれん。時間がかかり過ぎたら」

「ひと月も掛けず戻る」


 それまで焦れるように会話を聞いていたユージュは、そこで堪らず立ち上がった。


「ボクも行きたい! 父さん、ボクも一緒に」

「それはできない」


 レガージュを離れるのはザインにとっても厳しい決断だ。

 街を離れる事そのものへの不安や懸念、その上でユージュを氏族の元へ連れて行きたい想いと、戦場であるここに一人残したくない想いと――、その二つよりもユージュを残す事を選択したのは、剣士という性質故かもしれない。


「ユージュにはこのレガージュに残って、街を守ってもらいたい」


 だがユージュはその言葉に、落胆よりも誇りを浮かべた。顎の辺りまでかかる黒髪を揺らし、真っ直ぐに顔を上げる。


(やはりフィオリと、俺の子だ)


 ザインは口元に、微かな自戒の笑みを刷いた。


「ユージュ。俺が戻るまで、レガージュを支えてくれるか」

「──うん、任せて。皆がいるから大丈夫」

「ファルカン、ユージュを頼む」

「判った。――それで、あんたの氏族、そのルベル・カリマか、彼等はどこに? 会える確証はあるのか? 三百年も前の事なんだろう、もしもうそこにいなかったら」

「氏族が動く事はほぼ無い」


 ザインは確信があるのか、ほぼと言いつつも明瞭に言い切った。


「彼等は――」







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