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第1章『遠雷2』(10)

 

 イリヤは閉ざされたままの扉へ視線を向けた。


 沈黙する優美な扉。第七大隊軍都としての機能を重視した無骨な砦城に似つかわしくない、そこだけ空間を切り取られたかのような貴賓室。

 最近、この部屋から外に出ることが少くなっているように思う。


 ヒースウッドは一日二回、朝晩必ず熱心に姿を見せた。しかしあの二ヶ月前の夜、ナジャルを退ける事をルシファーに”命じた”夜以降、ヒースウッドはイリヤの身の安全を第一にする必要があると言い、この部屋の中に守られたまま、ほとんど砦城の外を見る機会も無かった。


 座っていた椅子から立ち上がり、そしてまたどさりと座る。


(ヒースウッド中将は、少し変わった)


 明確な根拠がある訳ではないが、そう思える。

 ボードヴィルを囲む西海軍を追い落とす事こそ叶っていないものの、イリヤが居る事で兵士達の士気はとても高いのだ、とヒースウッドはイリヤに対する感謝を日々述べる。

 だがイリヤの外へ出たいという言葉には、身の安全が優先する、と言葉を濁し、なかなか受け入れられなかった。


 ヒースウッドは以前は、苛立たしいほどに実直に、”ミオスティリヤ”というイリヤの立場を尊重しようとし、かつイリヤという旗を以って兵士達を鼓舞しようとしていた。

 それがほとんど無い。

 ボードヴィルに危機が及んでいないから?


(おかしいだろう、そんなの。二ヶ月も、どうやってこの砦城は()ってるんだ)


 砦城の懐にあるこの室内にいても、街の外の空気は伝わってくる。

 では、現在西方軍と西海軍とが戦っているからか。

 だったらボードヴィルは、西方軍と協力して西海軍と戦うべきではないのか。


(俺を掲げているから?)


 そうかもしれない。

 西方軍にとっては、西海だけではなく、このボードヴィルも同じく敵ではないか。


(俺を掲げて、どうするつもりだったんだ。どこにもいけない)


 ヒースウッドは。

 ――ルシファーは。

 ルシファー。

 そうだ。


 イリヤはもどかしく奥歯を噛み締めた。

 ルシファーこそ、ほとんどイリヤの前に現れない。

 憎いと思っていた気持ちが、薄れて行きそうなほどに。


(だから駄目なんだ!)


 強く首を振る。湧き起こるのは自分に対する不甲斐なさだ。


(俺はずっと同じところで足踏みをしてる。この二ヶ月、ずっと――)


 その間に自分の足は地面をどんどんと深く穿ち、自分自身をそこに落として行く。


(砦城を出られれば――?)


 出て、イリヤに何ができるだろう。

 ただ、朗報は一つあった。

 西海軍の進行と周辺の泥地化に伴いヒースウッド伯爵邸は放棄されたが、ヒースウッドはそこにラナエがいなかったと詫びた。


『必ずラナエ様を探し出し、無事にボードヴィルへ、殿下のもとへお連れいたします!』


 どうか自分を信じて欲しいと懸命に詫びる言葉を、イリヤは不安よりも希望として聞いた。

 スクードと連絡が取れた訳ではなく事実は判らないが、きっとあの時のスクード達がラナエを連れ出してくれたのだ。


(希望はある、きっと)


 イリヤにできることはあるはずだ。


 正面の扉の代わりに中庭に面した露台へと出て、イリヤは幾つかの尖塔に囲まれた空を見上げた。

 大屋根の上、まるで始めからそこに設えられた彫像のように、躯の竜の長い首と翼が見える。

 その翼の付け根に、凭れるようにして座るルシファーの姿があった。








 ヴィルトールは中庭に面した一階の廊下の翳りの中から、窓の向こうに白い躯の竜の姿を見上げた。

 そこに寄り添うルシファーの姿を。

 ルシファーはこのふた月、そこで眠るようにして蹲っている事が多かった。


(――何を考えている)


 ヴィルトールはイリヤよりは自由に砦城内を動けたが、イリヤと同様、城壁へ上がる機会はほとんど無かった。ボードヴィルの兵士達は話しかければ敬意を持って答えたが、欲しい答えは返らない。

 西方軍と西海軍の戦況。

 国内の状況。

 王都の状況。

 近衛師団の。

 幾つもの重要な情報から遮断されている。


 やや視線を落とし、求める姿を瞳の奥に思い浮かべる。


(カイ――)


 これまでと同様に何度か呼びかけたが、この時も期待した返事は返らなかった。

 落としていた瞳を上げる。


(やはりルシファーの結界に妨げられているのか)


 ただ王都にはアルジマールもいる。ヴィルトールがここにいる事が王都に、レオアリスに伝わっている以上、この二ヶ月の間にまるで動きが無いのは想定外だった。


(他に外と連絡を取る方法……、それを探さなくては)


 窓から顔を戻すと、ヴィルトールは誰もいない薄暗い廊下をゆっくりと歩いた。二ヶ月前に負った深手も既に回復し、剣を持つ事にも何も問題はない。

 廊下の先には扉がある。裏庭に出る扉だ。

 そこから外へ出れば、街へとつながる門に最も近い事は、窓から周囲を見回して分かっていた。

 街へ出れば――


「ヴィルトール中将、どちらへ?」


 後方から声がかかり、ヴィルトールは足を止めた。

 振り返り、廊下の先に立つ二人の兵士を見る。


「何かお探しですか」

「――いや、シメノスの様子を見たいと思ってね」

「それならば場所が違います。ご案内いたしましょう」


 あまり表情を見せず、兵士はそう言ってヴィルトールが戻るのを待っている。


(監視付きか、まあ当然だ)


 息を吐き、ヴィルトールは廊下をもと来た方へと戻った。


(なかなか機会がないな)


 街に出られれば別の方法が見つかるかもしれず、今はヴィルトールは街に出る機会を作ろうとしていた。

 ただヒースウッドは、ヴィルトールがイリヤのいる砦城を離れる事を、いずれの意味でも()()()()()可とはしないだろうとも考えており、事実そのようだ。


 ヴィルトールが近くによると、二人の兵士は一人が先に立って歩き、もう一人はヴィルトールを一旦やり過ごしてから、やや離れて後ろを歩き出した。






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