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第1章『遠雷2』(8)

 

 西海の皇都イスは、深い海の中から青空のもとに浮上したにも関わらず、陰鬱とした気配を全身に纏っていた。アレウス王国の――遥か二千里東の王都、アル・ディ・シウムを写し取ったかのようなその姿が、なおさら西海の、この都を築いた海皇の永い妄執を見る者に感じさせた。

 そしてその半面、両者に横たわる距離と同様に、あまりにかけ離れた存在である事を。


『我等が目標はアル・ディ・シウムを()とす事――いつまでこの西の果てに留まっておらねばならん』

『しかしあの距離を埋めるは容易ではない』


 イスの謁見の間は差し込む幾筋かの陽射しを受けて尚暗く、壁や柱に刻まれた波の煌めきにも似た青の陶版も、扉から玉座へと伸びる漆黒の絨毯や青灰色の大理石も、全てが未だ水の中に淀むようだった。

 その中にあって、玉座の置かれた(きざはし)(いただき)は、視線を上げるに従って闇に飲まれるが如く昏い。玉座に座す西海の主――海皇の姿は、座る膝下のみが僅かな光を受けていた。


 階の下に立つのは三の鉾第一序列たるナジャル。長大な蛇の本体を人の影に収めている。

 次に現在イスの西海軍本隊を指揮する四名の将軍達──ヴォダ、プーケール、フォルカロル、レイラジェ。


 そしてもう一人、彼等の末尾には、かつては三の鉾第二序列に身を置き、今はイス本隊を率いる将軍の一人に身を落としたレイモアが立っていた。

 レイモアは両手をだらりとぶら下げ、やや猫背気味の上体を時折、ゆらりゆらりと揺らしている。


(――薄気味の悪い。あれはまるで幽鬼のようではないか)


 将軍ヴォダは身体を揺らすレイモアを横目に、一際背の高いナジャルを見た。

 白い陽射しが落ちているにも関わらず、ナジャルが()()()()()しているのか掴めない。


『──閣下、この距離、埋めにどのような算段をお持ちなのか、お聞きしてもよろしいですか』

『策を立てるのは我が役目ではない。さりとて海皇陛下にお考え頂きたいと、そう言えるものでもあるまい?』

『そのような戯言を』


 抗議の声を上げかけたプーケールは、ナジャルの視線を受け押し黙った。血の色の混じった銀色の双眸は、それだけでプーケールの身体を薄く幾重にも裂くようだ。

 ヴォダはナジャルの視線が自分に向く前に顔を伏せた。視線がプーケールから自分に移ったのが判る。


『承知しました。(すべ)を考えるのが我等が役目――まずは目前の敵を打ち砕き、然る後にアル・ディ・シウムへ攻め上る事といたしましょう』


 ナジャルの口元が笑みの形に歪む。


『海皇陛下もそれを楽しみにしておられる』


 視線を階の上に持ち上げかけ――、首筋を凍る手が掴んだように感じ、ヴォダは階の半ばでそれを止めた。






 謁見の間を辞し扉が閉ざされると、四人は身を縛る鎖から開放されたかのように知らず息を吐いた。廊下に満ちた白白とした陽の光は、この為の戦いなのだと改めて思い起こされる。

 そう、この為だ。

 昏い水の奥底から、開放される為の。


 レイラジェが歪に突き出た頭を三人へ巡らせる。レイラジェとヴォダは西海の住人の三分の一を占める、かつて地上から海へ下った名残とされる姿をしている。


『アル・ディ・シウムは防御陣を失った。アレウスの軍は四方に散り、蹴散らすのもさほど困難ではない。地上の転移の術さえ確立すれば、あの都を陥とすのも時間の問題だろう』

『厄介なのは距離だけではない。法術院長アルジマールと、蟄居とはいえあの剣士、この二つに対して手を打つ必要があるぞ』


 答えるプーケールは顔や首、腕が銀の鱗に覆われ、鋭い爪を持つ五指の間には半透明の水かきが張っている。もう一人、フォルカロルは地上の者とほぼ変わらない姿をしていた。


『ガウス殿の攻めるアル・レガージュにも剣士がいる』

『だが我が軍はある意味、無尽蔵ではないか――』

『貴様はあれを喜ぶのか、恥知らずめ』


 フォルカロルがプーケールを睨め付け、プーカールは罵る言葉にさっと面を染めた。


『何だと、この状況においては、ナジャルめのあれは』

『では貴様と貴様の軍が身を捧げろ。その身が摩り潰れても尚、奴は貴様を重宝してくれるだろうよ』


 プーケールが再び押し黙る。ただその言葉に重苦しい塊を飲んだように感じたのはプーケールだけではなかった。

 四対の視線が、自然と今出てきた謁見の間の扉へ引き寄せられる。


 彼等を支配するのは三の鉾第一序列たるナジャルへの敬意ではなく、全てを呑む貪欲な(いにしえ)の王としての、ナジャルへの(おそ)れだ。


『海皇陛下は、何故今更、奴を』

『よせ』


 だが何より()()こそが、ナジャルの最大の恐怖だと言えた。









 将軍達の一人は謁見の間の廊下を離れ、長い廊下を歩き、階段を下った。三階層下へ降りるとそれまで陽光が埋めていた空間は打って変わり、いまだ海水の満たす区域が現れる。

 城の深部へと、昏い水に身体を沈める。

 時折光と泡が揺らめく廊下や階段を更に下り、幾つかの角を曲がり、やがて一つの部屋に行き着く。


 さほど広くはない室内の中央には、微かな光を滲ませる緑色の球体が揺れていた。

 光は室内を照らすほどではなかったが、その周囲に幾つかの気配があった。


『将軍』


 尋ねる声に頷き返す。

『御方への接触を図ろうとしておりますが、ゼーレィの目もあり』

『仕方あるまい。だがボードヴィルを囲み続ける以上、機会もまたそこにある』


 淡い光を囲む気配が同意を表すように揺れる。


『今回は好機でもあるのだ。今度こそ、あの方の理想を実現する。かつて何も、何一つ成し得なかった我等こそが、我等の手で――』









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