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第1章「遠雷2」(2)

 

 水都バージェスの影を彼方に望む草原に、遮るものもなく照り付ける朝の日差しを浴び、数百の正規軍北方軍旗が翻る。

 昨日の夕刻、激戦に勝利を収めた北方軍の本陣は、このグレンディル平原に一万の兵を休めていた。


 天幕の中、北方将軍ランドリーは王都から届いた伝令使へ了承の意を伝え、伝令使の消えた空間から天幕内の各大隊大将達へと視線を巡らせた。


「法術士団が増強されるのなら、ここもあと三日もあれば地面も固まるだろう。我等は並行してバージェスまで進軍し、その後は国境維持に三大隊を置く」


 北方第四大隊大将エンリケ、第五大隊大将カッツェ、第六大隊大将ブラン、第七大隊大将マイヨール――、それぞれが未だ乾いた泥の跡の残る出で立ちのままランドリーの言葉に頷く。


「ヴァン・グレッグが未だ苦しんでいるとなれば、王城の指示通り、早急にこの地を平定し、ボードヴィルへ北方軍の残りの総力を当てるべきだろう」

「しかし閣下、この地に三大隊残しても良いものでしょうか。今はボードヴィルへ、少しでも多くの兵を向けた方が良い気がします」

「イスがある。海皇の所在は掴めぬが、さりとて敵の首都を甘く見積もる訳には――何だ」


 ランドリーは眉を顰め、俄かに騒がしくなった周囲を見回した。

 天幕の外が慌ただしさを増し、すぐに扉代わりに落とされた麻の布が跳ね上がった。伝令兵が駆け込み、ランドリー達の前に膝を付くのもそこそこに声を上げた。


「御報告致します── ! バージェス周囲に、再び西海の大軍が展開、その数およそ一万!」


 ランドリーと四人の大将は唖然とした面を若い伝令兵に向けた。


「馬鹿な、たった一日で一万を増強して来ただと──?! 西海軍は一体どれだけの兵数を有しているのだ」

「そ、それが、まだ増え続けていると――」


 報告の声を背にランドリーは天幕を出て、前方を睨んだ。

 遮るものの無い平原の、霞む地平――そこにランドリーの目にもはっきりと、陽射しを受けて陽炎のように揺らぎながら広がる西海軍の軍影が見えた。


 大気が震える。それは西海の増幅器が振動する音だ。

 収まっていた泥地化の進行が再び始まる、その合図。


「――王城へ、伝令使を送れ」


 バージェス沖に浮上した皇都イスはその四方の街門を開き、止む事を知らず、次々、次々と西海の兵達を吐き出し続けていた。










 ブレンダンはザインの眼差しを正面から受け止めた。

 王都を一昨日出立し、この朝にフィオリ・アル・レガージュに帰り着いたブレンダンだったが、現在シメノスは交易路として使えず、船ではなく飛竜を使って戻った。王都との転位陣もあの日以来、レガージュ側から開く事が難しくなっている。


 そして確実に、街道は危険が増していた。

 今回帰路に飛竜を使ったものの、王都の商業組合からは例え飛竜であっても、ボードヴィル近隣を迂回するよう通達が出ていた。


 ()()()──、西海との宣戦布告がなされたあの()()()()、ブレンダンは王都にいなかったが、所有する商船で不可侵条約再締結の儀式の半月前にボードヴィルを通過、まだ平穏を保っていたシメノスをゆっくりと遡上して開戦が告げられた九日後の五月十一日、王都に到着した。

 王都は前回ブレンダンが訪れた時とはまるで印象が違うほど騒然とし、日増しに不安を募らせていた。

 そこでブレンダンが聞いた、その話──


 近衛師団第一大隊大将、レオアリスが解任され王城での蟄居を命じられたという話は、西海との開戦と共に街の至る所で人々の口から語られていた。王都滞在の十日ばかりの間にも様々な噂、憶測がブレンダンの耳に聞こえてきた。


 一時解任されただけではないか。蟄居と言いながら実際には幽閉ではないか。解任ではなく既に近衛師団にもいないのではないか。

 解任の理由もまた、近衛師団内部で発生した謀反の責任を取ったのだとも、ファルシオンの守護の任を怠り、ファルシオンの怒りを買ったのだとも。


 半信半疑に、だが王城はレオアリスの処置の理由をそれ以上明確にはせず、住民達の間には措置に対する不安や、不審とまではいかないものの早く処分を解くべきではないかという意見が多かった。王都を襲った西海の海魔や深夜に現われた風竜、そして反旗を翻した近衛師団第二大隊を防いだのもまた、紛れも無く彼の力が大きかったのだから。

 特に西海との戦いが始まったこの時期だ。


「なのに近しかったアスタロト公も、それから後見だったヴェルナー侯爵も口を閉ざしてるようだし──」


 ザインへと状況を語りながらブレンダンは王都での事を思い出したのか、つるりとした頭の上に乗せていた赤い小さな帽子を掴み、柔らかな織りのそれを手の中に握り締めた。


「まああの参謀殿は近衛師団退団して今ヴェルナー侯爵家を継いでるのは確かだ。でもだからってもっとあの大将の為に動いたって良さそうなもんじゃないか。そういう男に見えたしよ」


 二か月前彼等近衛師団がこのレガージュに来た時、レガージュの住民が持つザインへの想いと同じものを、あの若い剣士に対する近衛師団隊士達に見て取り、ブレンダンは他人事ながら親近感を感じ、また嬉しくなったのだ。


「だから俺は面会を申し込んでみたんだが、今はどこもゴタゴタして中々機会がなくてな──第一、そもそも殿下は」


 ブレンダンは口にしかけ、頭を振った。


「とにかく、街じゃ赤の塔に入れられてるなんて噂まである。でもこれは王城が正式な沙汰を出した訳でもないし、それこそただの噂だと思うんだが、その」


 途中からブレンダンは、ザインの面に浮かんだ表情にその声を曇らせた。


「赤の塔──」


 一言呟き押し黙ったザインへ、隣に座っていたレガージュ船団長ファルカンは慮る色を浮かべた青い双眸を向けた。

 ザインはこの半月ほど、剣を失ってからのふた月の中では最も長く眠り、昨夜目を覚ましたところだった。


「ザイン、レガージュは彼にも多大な恩義があるし、西海の侵攻が始まった今は彼の力は国にとって尚更必要だろう。ファルシオン殿下が処分を解いてくださるよう、レガージュとしても嘆願していこうと、カリカオテ達と話しをしていたんだ」

「有難う──恩に着る」


 頭を深々と下げたザインの肩を、ブレンダンは音を立てて叩いた。


「何言ってんだ、水臭ぇ」

「それでザイン」


 ザインの斜め前に座っていた交易組合長カリカオテが、学者のように長い髭を揺らす。


「まずは領事とも嘆願内容を詰めて、少なくとも一両日中には嘆願書を仕上げ、スイゼル領事とお前とで王都に行ってもらいたいのだ。目覚めたばかりで悪いのだが」


 カリカオテの隣の領事スイゼルが頷く。ザインは上げた顔に再び感謝の色を浮かべた。


「問題ない。一度俺も王都に行って、確かな情報を得たいと」


 ふと――、

 レガージュの街を風が駆け上がるように、獣の咆哮に似た響きが吹き上がった。


「何だ」


「――父さん!」


 声は微かに、だが緊迫した響きを帯び、露台への硝子戸を貫いて届いた。

 ザインは椅子から立って身を返し、海に面した露台へと続く硝子戸を押し開けた。


 露台の下、レガージュ交易組合会館の前に真っ直ぐ港へと続く坂道が下り、その道の真ん中にユージュが青い海に向かい、立っていた。

 やや影を帯びたユージュの姿の、その右腕は、微かな光を纏い揺らいでいる。


「ユージュ――何があった」


 そう問いながらも、ザインはユージュが反応したそれを自身もまた感じていた。

 腹の奥底に触れる、不快感と警戒感――

 マリの軍船がレガージュの港を塞いだ時と近い――、いや、それよりももっと、遥か過去の。


 ユージュはザイン達の立つ露台へと首だけを巡らせ、持ち上げた左手で、港のその先を指差した。

 ユージュが指示した先。

 海面が白く泡立ち、逆巻いている。


 その波間に次々と、陽射しを弾きながら翻る軍旗の穂先。それは見る間にフィオリ・アル・レガージュの沖合を埋めて行く。


「……西海軍――」


 運悪く出港したばかりの交易船が西海軍の只中で、舳先を空に向け、渦を巻く海面に沈んで行く姿が、まざまざと見える。

 あれはマリの交易船だ。

 レガージュの街は騒然とし、坂を駆け上がる住民と、彼等を掻き分け港へと向かうレガージュ船団の男達とで通りは渾然となった。


「――ここも無関係ではいられない。当然か」


 ザインは奥歯を噛み締め唇を引き結んで港前方を埋めて行く西海軍を睨み、そしてまだ剣の戻らない右肘に左手を当てた。






 かつての水都バージェスにおいて再び西海軍の進軍が始まったと同日、三の鉾ガウスはおよそ二千の兵を率い、フィオリ・アル・レガージュの港を塞ぐように布陣した。


「アル・レガージュを徹底的に蹂躙しろ。ここを我等の手に落とせば、ボードヴィルまでの一帯を我等西海が手にする事になる」


 ガウスは二千の兵に向け、その手にした鉾を掲げた。


「海皇陛下の御旗のもとに――!」


 ガウスの号令に応え、波間に揺れる兵士等が、轟く大渦の響きを思わせるうねりを上げた。










 『王太子』ミオスティリヤを擁する西方第七大隊軍都ボードヴィル。

 兵士を吐き出し続ける、浮上した西海の皇都イス。


 この二か所における西海軍との戦闘へ西方軍及び北方軍が投入され、そして今、先の大戦で攻防の要衝となり激戦を已む無くした交易都市フィオリ・アル・レガージュもまた、再びその歴史を繰り返そうとしていた。


 国土東方を見れば、ヴィルヘルミナに於いて東方公とその賛同者達が一万三千の戦力を背景に、東方軍一万二千と睨み合う。



 そして、更に追い打ちを掛けるように、王城を悩ます問題が国土全体で大きくなりつつあった。

 国内情勢の急激な悪化だ。


 東方辺境のミストラ山脈に端を発し、国内にこれまで姿を見なかった魔獣が各所で目撃され始めた事。

 また治安維持を担う正規軍が西海との交戦に伴い、分割配置により各地の配備数を減らさざるを得なかった事から、野盗の活動もまた活発化した。


 二つの脅威は街道を行く旅人や時には街へも被害を及ぼし、その被害は次第に深刻さを増していった。











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