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第4章「遠雷」(3)


 それはこの二日間でさえ感じた事のない、重苦しく、そして肌にひりつく空気だった。

 午後三刻にかけられた十四侯の招集――最大三十二名の内、謁見の間に集まった二十一名、の誰もが沈黙し、一つの言葉も発しないままにその場に控え、(きざはし)の上に置かれた空席の玉座を見上げていた。


 列席者は玉座の階を正面に見て右列に南方公アスタロト、法術院長アルジマール、そして十公爵の内、ヴェルナーをはじめとする九名が左右に分かれ、その内ゴドフリーは副長官として財務院の位置に、蒼い面を強張らせたランゲが地政院副長官として立つ。

 アスタロトと同じ列に正規軍副将軍タウゼン、総参謀長ハイマンス、北方将軍ランドリー、東方将軍ミラー、南方将軍ケストナー。

 左列に司法庁長官クロフォード、副長官ワイエス。

 広い謁見の間の扉から玉座の階まで、一直線に敷かれた深緑の絨毯を左右の列が挟み、それら諸侯が並ぶ。


 ただ、まだこの場に入っていない王太子と共にいる内政官房長官ベール、スランザール、そして警護に付く近衛師団副総将ハリスを除いても、六つの空白があった。


 南方公の隣に立つべき西方公は不在。

 左列に立つ東方公もまた、不在。

 内政官房副長官の位置にも、立つ者は無い。

 正規軍を見れば西方将軍ヴァン・グレッグの姿が無く、そして近衛師団は、本来左側の列にその位置を定められていたが、今、()()()並ぶ者は一人も無かった。


 異質な空白。

 謁見の間を満たす喉に纏いつくような、居心地の悪さに身動ぎを堪えているような空気が、無言の中に居並ぶ者達の意識がどこにあり何を思っているのか、如実に表しているかのようだった。

 その意識の中心――深緑の絨毯の上、諸侯達の列に挟まれるように、本来左列に並ぶべき近衛師団が控えていた。


 参謀長クーゲルと第三大隊大将セルファンが並んで立つ。

 そしてその後ろに、膝をつき視線を落としているレオアリスの姿があった。グランスレイがやや後ろに同じく膝を落としている。

 まるで裁断を待つ場のようだ。

 事実――、これから始まるものは、『十四侯』の協議であり、すなわち国にとっての重要事項の審議と裁断に他ならない。

 どのような判断が下されるのか、居並ぶ諸侯は誰一人言葉を交わさないままだが、それぞれの頭の中には様々な推測と思惑があっただろう。


 ふと、空気が揺れた。

 高い天井から、天窓を通し、午後三刻を告げる鐘の音が静かに落ちて来る。

 三つ目の鐘の音が尾を引き――、さらに深い静寂に満ちる。

 衣擦れの音が鳴る。


 通常、近衛師団隊士が国主の入場を高らかに呼ばわる声は今は無く、息を潜める静けさの中、玉座の背面に掛けられた流れ落ちる布を払い、近衛師団副総将ハリスが入室した。その後に絹張の台を捧げ持った侍従が現われ、戸口を覆う布の横に控える。

 続いてスランザール、大公ベール。

 ベールは暗い色の長衣を重ね、王家の色である暗紅色の生地に黒糸で刺繍を施した帯が、肩を覆い膝下まで垂れている。それは国王が正式な宣旨を行う際に補佐を務める者が身に付ける装束であり、内政官房長官の正装だ。


 そして、王太子ファルシオンが入る。

 諸侯は一斉にその場に膝をついた。

 波打つ静寂の中、無言のまま、ファルシオンは階の上に置かれた玉座の前に立った。

 裾の長い暗紅色の衣の上に、銀糸で織り上げた柔らかな風合いの前開きの長衣ともう一枚暗紅色の長衣を重ね、金糸に宝玉を編み込んだ帯を締めた姿は、ベールの姿と共にこの場が国政の重要な場である事を示し、また幼いファルシオンを(おごそ)かに見せていた。


 ファルシオンはそのまま、玉座に着く素振りはない。

 傍らに立った内政官房長官ベールが、低く声を落とす。


「一同、顔を上げよ」


 葉擦れに似た音と共に、階下の列席者達が伏せていた上体を起こした。

 伏せ続けているのはレオアリスとグランスレイだけだ。その事へ、注意を促す者は無い。

 ファルシオンは階下の様子を見つめ、張りつめた面の眉を更に苦しそうに寄せた。唇を噛み締める。


「これより、十四侯による協議を開始する。王太子殿下のご意向により、殿下はこのままお立ちになられ協議を進める。更に一同、その場で起立されよ」


 諸侯が立ち上がるに合わせ、空気も重く動く。

 ファルシオンは瞳を一点に――まだ膝をつくレオアリスに据えたまま、湧き上がる感情を堪えるようにその瞳を伏せた。


「まずは、現状の把握から始めたい」


 壇上に立つベールの姿を、様々な思惑の篭った視線が見上げる。

 それは階下に、西方公と東方公の姿がない事と、非常に危うい感情の均衡を保っていた。


「一つに――、既に貴殿等の耳にも入っている通り、昨晩、近衛師団第二大隊大将イグナシオ・トゥレスによる王太子殿下への謀反が発生した」


 諸侯の視線が壇上のベールから、深緑の絨毯の上に控える近衛師団参謀長クーゲルと、第三大隊大将セルファンとの間の空白――本来ならば第二大隊トゥレスが立つ空白へと動く。

 そして、その後ろで膝をついたままの存在へ。

 眼差しには共通した感情を含み、十侯爵の中にはあからさまに眉を潜める者もあった。


「反乱は夜明け前には全て鎮圧されたが、これによる死者は第二大隊百五十名、第一、第三大隊合わせて三十七名、王宮警護官三十名、負傷者四十二名であった。これほど多くの死傷者を出した理由の一つは、王太子殿下を攫う為に仕組まれた法術によるものであり――」


 地政院副長官ランゲが蒼白な面を更に、紙の如く白くする。


「また、風竜と思しき巨竜の出現によるものでもある」


 既に耳にしていたにもかかわらず、その言葉の響きによる衝撃が無音のままに広がり、列席者達の身を縛る。

 風竜の名に笑う者は一人も無い。

 あの場にいなかった者であっても数人が深夜空に浮かぶ白い骸の竜を目撃し、そしてその事で王都の街は少なからず不安が広がっていた。正規軍の兵士が今も、住民達の不安を抑える為に街のあちこちに出ている。


「幸いな事に」


 街及び住民への被害はアルジマールと法術院の法術士達により防がれたと、ベールは付け加えた。

 安堵の息が溢れ、だがベールの容赦ない言葉がその響きを半ばで奪う。


「これが一つ」


 緩みかけた空気が再び張りつめる。

 そう、それは現状の抱えるたった一つの面でしかない。

 高い天井に設けられた天窓から色硝子に淡く彩られた陽光の筋が降っているが、諸侯の並ぶ広間の底までは届かず、空気に仄白く溶けて行く。


「二つ目に、東方公ベルゼビアが今回の謀反に大きく関わっている事を、トゥレスが昨晩明言している。目的は王太子殿下及び王妃殿下、王女殿下の略取であり、同時刻に王太子宮におられた王妃殿下、王女殿下は現時点で消息不明の事態に陥られている」


 スランザールは思わし気な瞳を、斜め前に立つファルシオンの上にそっと落とした。ファルシオンは瞳を見開き、小さな両拳を握り締め、気丈に真っ直ぐ前を見つめている。


「ベルゼビア公爵の意図は、正式に確認するまで早急な判断を避ける必要がある。その上で、館に近衛師団と司法庁が立ち入ったが、既に東方の所領ヴィルヘルミナに戻っている事が確認された。昨日の日没前か、遅くとも夕刻には恐らく王都を出ていたと考えられる」


 ベールの言葉は淡々と事実を伝え、それが逆に曖昧な疑念の浮かぶ余地を与えなかった。

 西方公に続き、近衛師団第二大隊、そして東方公が造反した。

 この国にとってそれは明確な事実であり、脅威だった。


「我々の現在抱える問題はそれだけに(とど)まらない。西方では正規軍第七大隊軍都ボードヴィルで反旗が翻され、なおかつ西海軍はボードヴィルへ進軍したまま留まっている。現在西方将軍ヴァン・グレッグが西方第四、第五、第六及び第七大隊半数、およそ八千を率いてボードヴィル手前、サランセラム丘陵に布陣した」


 アスタロトが視線を動かし、タウゼンの面を斜めに確認する。つい半刻前に、ヴァン・グレッグから布陣終了の一報が入ったところだ。

 兵数八千はボードヴィルへ進軍した西海軍六千を上回り、ボードヴィルが一昨日の晩、第六、七大隊による西海軍への攻撃に呼応した事を考えれば、かなり優位に立つ。


 だが、ヴァン・グレッグの報告は同時に、ボードヴィルへの風竜の出現を告げていた。

 未だボードヴィルには偽りの王太子旗が掲げられたままだとも。

 そしてまた、一昨日の晩に、僅か半刻で三百もの兵を喰らったナジャルの存在がある。


 ベールが口にしたそれらの情報と懸念は、謁見の間に更に重苦しい影を投げかけた。


「また――、昨日、東方第七大隊軍都サランバードより、一報が入った」


 それは今この場では唐突に響き、列席者達はやや戸惑った面を見かわした。

 諸侯の戸惑いをベールが緩く見渡す。


「正体不明の獣の群れがミストラ山脈麓の複数の村を襲ったと、第七大隊大将シスファンの報告にはある。現時点ではそれだけで、サランバードからの続報ではいずれの村も既に鎮圧されている」

「万が一、を考えればだけど――」


 片手を上げて言葉を挟んだのは、階のすぐ下に立っていたアルジマールだ。初めてベール以外の者が発言した事に、ややほっとした空気が流れる。

 法術院の法衣を目深に被ったアルジマールの様子には既に昨夜の疲労は窺わせず、覗く瞳に虹色の光が戻っている。


「これまで例を見ない報告だし、こう言う状況でもある、もしかしたら続くかもしれないと考えて、所領には十分注意を払うよう伝えて欲しい」


 諸侯は再び顔を見合わせ、だが詳細を尋ねる手は上がらなかった。

 ベールは一旦、息を吐いた。


「話を西方に戻そう」


 その瞳が注意深く細められ、階下の一点に落ちる。


「西方第七大隊より、アヴァロンの剣が届けられた」


 膝をつき、それまでじっと顔を伏せていたレオアリスの肩が、揺れた。

 グランスレイはその危うさに胸を冷やし、斜め前のレオアリスの背中を見つめた。


 アヴァロンの剣――()()()(つるぎ)

 それが示すもの。


「――また、昨日第七大隊よりもたらされた、ボードヴィルでの陛下の目撃証言について第七大隊が調査していたが――」


 全ての視線が俯くレオアリスへと向けられる。

 その情報こそが、今回の全ての切っ掛けだった。

 ベールもまたレオアリスへ視線を据え、続けた。


「未だ真相は明らかにされていない。継続して調査を進めるが、現時点では希望を持ちつつも、必要な対策を冷静に講じていく事が求められる」


 ベールの言葉は、再びレオアリスの足元を揺さぶる危険を孕んだものだと思われた。

 だがレオアリスは膝をついたままの体勢を変えず、誰ともなく息を吐く音が重なる。


 グランスレイは内心で胸をなで下ろすと共に、眉を僅かに寄せた。

 レオアリスが諸侯の懸念する反応を見せないのは、それを抑えようとしている事以上に、その力さえ残されていないからだ。意志だけでこの場に膝をついている。

 つい半刻前までグランスレイは、レオアリスがこの場に参列できると思っていなかった。

 そしてそれが、朝の協議の場で求められた事への、無言の答えになると考えていた。

 見上げたグランスレイの双眸を、ベールのそれが受ける。


「この状況に鑑み、国王陛下代理、王太子殿下の御名において、新たな爵位継承の裁可及び、各院に関する任官を発布するものとする」


 これからがこの協議の本旨であり、諸侯の感心事の一つでもあった。

 列席者達の意識と視線が、まずロットバルトへと集中する。

 ヴェルナーの中で騒動があった事はここにいる全員が聞き及んでいて、その帰着も、ロットバルトが十侯爵の位置に立っている事で既に明らかだった。


 壇上の入口横に控えていた侍従が、静かに進み出てベールへと歩み寄ると、ベールは侍従が捧げ持つ絹張の台からひと巻きの書を取り上げ、閉じていた紐を(ほど)いた。


「まずは、昨日早朝身罷られたヴェルナー侯爵へ改めて弔意を表すと共に、その爵位については、同じく長子の急逝に伴い、第二位の継承権を持つロットバルト・アレス・ヴェルナーが継承する事が認められた」


 列席者達が身動ぎ、謁見の間の空気がゆらりと揺れる。

 アスタロトは深緑の絨毯を挟んで立つロットバルトの面へ、そこにどんな意思があるのかを探して瞳を向けた。

 微かに息を飲んだのは、そこに立っているのがまるで知らない人物のように感じられたからだ。


「正規の封爵の儀については日を改めるが、裁可は不可逆なものである事を宣言する」


 瞬きをしても、その感覚が消えない。

 その間もベールの声は淡々と響いた。


「また、これに伴い――、近衛師団第一大隊一等参謀官の任を解く」

「――そ、れは」


 アスタロトは思わず零れかけた言葉を、途中で飲み込んだ。


「でも、朝は――」


 朝の協議では、退官の話までは出ていなかった。

 ベールを見上げ、ロットバルトへと戻し、それからその瞳を、膝をつくレオアリスへと向けた。

 侯爵家当主を継ぐのであれば、当然の流れなのだと判っている。


 ただロットバルトは、レオアリスが近衛師団大将として機能するにあたっての折衝役であり、そしてヴェルナーの名は後ろ盾でもあった。

 それをこの段階で外した事に意外さを覚えた者も多く、アスタロトほどではなくとも驚いた色を滲ませている。

 ベールはそれらの反応を見渡したが、特に何も触れる事なく、続けた。


「国政については、財務院副長官ゴドフリー侯爵を当面内政官房副長官兼任とし、ヴェルナー侯爵を空席となっていた財務院長官に任命する。また地政院は副長官ランゲ侯爵を長官代理とし、副長官にデ・ファールト侯爵を新たに任命する」


 ランゲの張り詰めていた面に慌ただしく驚きが広がる。東方公に近いランゲがこの状況に於いて、代理とは言え昇格にも等しい人事を受ける事は異例と言えた。

 だが、新たに地政院副長官に就くデ・ファールトは北方公よりの派閥に属している。

 ランゲがそのまま地政院長官となるか、デ・ファールトもしくは他の者がその地位に就くかは、ランゲ自身に委ねられたと言える。


「続いて、近衛師団の人事及び編成を整理する」


 階下に緊張が走る。

 ベールは人事と言ったが、下される内容が処分に等しいのは、この謁見の間で近衛師団の控える位置にも現れている。

 そして今回の十四侯招集は、それを決する為のものだという事を、この場の誰もが理解していた。


「まず第二大隊については、当面、左軍中隊を第一大隊に、右軍及び中軍中隊を第三大隊に、それぞれ再編する」


 アスタロトは瞳を上げ、天井から落ちてくる淡い光を睨んだ。

 朝の協議のやり取りが脳裏に蘇る。それを覆したくて――、けれど今のアスタロトにはその術が無かった。

 その時のベールの声が、今のそれと重なる。


「王太子殿下の守護については、これも当面、第三大隊大将セルファンを任命する」


 緊迫した空気の中に滲んだ驚きは、ファルシオンの守護をそのままハリスが担うものと思っていた為だ。

 セルファンは厳しい面を崩さず、その場に膝をついた。

 ベールは次に、壇上、ファルシオンの後方に立つハリスへと視線を向けた。


「──副総将ハリスについては、今回の騒動の責を問い、現職を解いた上で当面の間顧問に任じ、それに伴い現第一大隊副将グランスレイを副総将代理とする」


 これには、それまで無言を保っていた階下の列席者達の間で、抑えきれず驚きの声が漏れた。


「解職──」


 ハリスの解職は予想外の措置だ。


「まさか、ハリス殿が解職とは」


 大方の見方はハリスを総将代理とし、その下にセルファンを付け、その上で各大隊の人事を変更するというものだった。


「当面とは言え」

「グランスレイ殿が、副総将代理――」


 ハリスに責を問いながら、今回の最大の失策を招いたともいえる第一大隊から、グランスレイを副総将代理とする。

 お互いの顔を見合わせる。この処置は諸侯の間に強い違和感を覚えさせた。

 グランスレイが副総将代理となるのであれば──


 幾人かの視線の中には鋭い棘が含まれ、膝をついたままのレオアリスに投げられる。

 ファルシオンの意向を汲むとすれば、()()も充分有り得るのだ。

 総将の地位は空いている。


「どれほど失策を犯しても……」


 ()()()、と。

 ベールは立ち昇る空気に薄い金の瞳を細めた。


「近衛師団第一大隊大将、レオアリス」







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