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第3章「黎明は遠く、風は嘆きの歌を歌う」(11)

 

 グランスレイはレオアリスのいる部屋の扉の前に立ち、把手に右手をかけたまま、しばらくの間それを引く事もなくそこにいた。

 左手には先ほどの協議の場で渡された、大公ベールの書状を掴んでいる。ただ一枚の紙を筒状に丸めただけのそれがひどく重く、そして剣を掴んでいるようにグランスレイに感じられた。

 ようやく上げた顔は厳しく引き締められ、だがそれでも扉を開ける事を躊躇い、グランスレイは自身の中の思考を追いかけているようだった。


 背後で硬い床が靴の音を鳴らし、振り返るとクライフが、昏く伸びる窓の無い廊下を背に立っていた。グランスレイの様子を、そしてその手の中の筒状の書状を見て取り、クライフが居心地が悪そうに身動ぐ。


「上将は、その部屋でしょう。入らないんですか」


 グランスレイの瞳が手にした書状に落ちる。クライフはグランスレイに近寄った。


「副将、あんたの悪い癖だ、そんなんじゃ入ったとたん皆不安になっちまいますよ」


 グランスレイが代理出席していた協議の場でレオアリスの進退が取り沙汰された事は、周知されずとも想像がつく。クライフはグランスレイの様子に強いて明るい声を出した。


「俺達で上将を支えるのは変わんないでしょ」


 グランスレイは斜め後ろのクライフを見据え、引き締まった口元をやや緩めた。


「――そうだ」


 だがそこにクライフを安堵させる色はなく、クライフは眉を複雑に寄せた。

 協議の場で一定の結論は出たのだ。グランスレイの面に見え隠れする表情からそれが判る。


(謹慎か――、それ以上だと、ファルシオン殿下の守護の任を)


 グランスレイは銀の把手を掴み、回した。その音にクライフが思わず制止の手を伸ばしかける。

 室内で、扉近くにいたフレイザーが真っ先に振り返る。手前の椅子に腰掛けていたロットバルトも立ち上がり、グランスレイ達へ目礼を向けた。


 もう一人、ここで振り返りグランスレイを迎えるはずのヴィルトールは、今はいない。その事がクライフにはひどく残念で、ヴィルトールがここにいれば何か、事態を良くする言葉を見つけれくれるのではないかと、そんな事を思った。


 長椅子に凭れていたレオアリスが身を起こそうとするのをグランスレイは片手を上げて止め、足音を抑えて部屋を横切り、彼の正面に立った。

 クライフがフレイザーと視線を交わし、その傍らに立ち止まる。


「ただ今、戻りました」


 ほんの数刻前、身体に刻まれていた無数の傷はほとんど目立たなくなっているが、レオアリスは肩から掛けた軍服の上衣の下で僅かに身動ぎをしただけだ。

 それ以上動けるのか、傍目には捉えがたい。

 グランスレイは束の間、じっとその姿を見つめていた。何かを測り、そこから読み取ろうとしているかのように。


「グランスレイ――どうだった」


 促す声のかすれはやや薄れている。

 窓の向こうで、中庭の噴水の音が一際耳に響いた。

 グランスレイは一度瞳を伏せ、姿勢を正した。書状を持つ左手が上がりかけ――、再び身体の脇に降ろされる。


「協議の場において、現状や経緯の確認を行い、今後の方針が話し合われました」


 張りつめていた室内の空気がほんの少し、ほどける。

 クライフは窓の外の、ここからでは見えない噴水へと目をやった。その音は第一大隊の士官棟中庭のものと変わらず、今も普段の執務室に居るように錯覚させられる。


「ファルシオン殿下の館及び王城の東面については、風竜による被害が大きく」


 ファルシオンの名を聞き、レオアリスは苦痛に耐えるように瞳を揺らした。


「今日にも修復作業に入ります。城下の街は法術院の対応が早く、目立った被害は受けておりません。しかしながら住民には既に不安が広がっているとの事です」


 昨日と同様、正規軍が城下に出て状況の説明に当たり始めていると、グランスレイは普段と変わらない落ち着いた声で、協議の場で交わされた内容をレオアリスへと伝えて行く。


「王妃殿下、王女殿下の御身に関しては未だ、明確な情報が得られておりません。御二人の迅速な保護が危急の課題となっております」


 東方公については、とグランスレイが続ける。


「セルファン大将の第三大隊が東方公の屋敷を包囲し、使者を立てておりましたが開門及び返答は無く、王太子殿下の下命を受け、現時刻で近衛師団権限による捜索に移行しています。既に王都にいない事も視野に入れ、東方公の所領(ヴィルヘルミナ)へも使者を立てたと」


 薄暗かった室内が、俄かに明るさを増した。

 中庭を囲む王城の尖塔から零れた朝日が、窓から差し込んでいる。

 陽射しはレオアリスの足元へは僅かに届かず、室内の影を却って浮き立たせた。


「ファルシオン殿下は東の館が整うまで当面の間、暫定的に南の館へ移られます」


 南の館といい、王という響きを出さなかったのはグランスレイの配慮だろう。レオアリスはじっと聞いている。


「その守護の任、また第二大隊の処遇、今後の国の方針――それらを含め、本日午後三刻に、十四侯を召喚し、正式に決議の場が設けられます」


 グランスレイの瞳は一瞬、左側に立つロットバルトへ向けられ、戻された。

 身体を一歩引き、レオアリスと改めて向かい合う。

 書状を掴んだままの手に、ぴくりと力が篭る。


「――上将、これを。大公閣下による召喚状です」


 グランスレイはレオアリスへ、手にしていた書状を差し出した。

 レオアリスの瞳が束の間、それを捉える。


「三刻の協議の場に出席するようにと」


 そう告げると、グランスレイは自ら書状を開く事も無く、レオアリスが手にするのを待っている。


「……副将、」


 気付いたフレイザーが眉を顰めた。グランスレイがもう一歩、近寄らなければ書状を取りにくい。


「読み上げるのであれば、私が」


 肩越しに向けられた視線に、伸ばしかけていたフレイザーの手が止まる。視線はフレイザーから離れ、またレオアリスへと戻された。


「――」


 レオアリスはその書状をしばらくの間身動(みじろ)ぎもせず見つめ、それから、噛みしめた歯の間から息を押し出した。


 右手を、ゆっくりと、持ち上げる。

 フレイザーがその動きを追い、唇を噛んだ。

 ロットバルトも、クライフもまた、無言のままレオアリスの姿を見つめている。

 正面に立ち、書状を差し出したままのグランスレイも。


「……ッ」


 長椅子から身を起こし、伸ばしたレオアリスの指先が書状に触れ――、だがまるで軽いそれを掴めず、グランスレイの手から離れた書状はするりと床の上に落ちた。


 紙が床に触れる、微かなはずのその音が、室内を重苦しく叩く。


「副将!」


 フレイザーが堪らず、落ちた書状を拾い上げる。非難の瞳を向けた先で、グランスレイはその眉根を苦しそうに寄せた。

 レオアリスへと、頭を伏せる。


「――試すような行為をし、申し訳ありません」


 フレイザーがグランスレイと、それから長椅子に身を戻し視線を逸らしたレオアリスを、交互に見つめた。


「試すって、副将、何を――上将が動けるかですか? 確かに今は重傷を負われた直後で」

「大丈夫だ、フレイザー」


 レオアリスは微かに口元に笑みを浮かべ、それをフレイザーへ向けた。


「今の俺じゃ、仕方がない」

「いいえ、そうでは」


 ロットバルトは頭を伏せたままのグランスレイを見据えている。

 クライフが立ち込めた重苦しい空気を払うように、努めて普段通りの声を出した。


「副将、協議には副将も同席するんですよね? ロットバルトを同席させて」

「今回出席を求められているのは十四侯、近衛師団であれば大将以上だ。大将が出席できない場合のみ、副官が出席する。ロットバルトの職位では同席できん」

「そんな事言ってる場合じゃなくて――」


 レオアリスに対する処置がどのようなものか、それが三刻に開かれる協議の場で正式に決まる事は明確だ。


「少しでも、口添えっていうか、状況をきっちり説明できる人間が傍にいねぇと」

「私には出席が求められている」


 グランスレイがそう言い、クライフは瞳を見開いて、それから明らかに安堵の色を浮かべた。


「なら……けど、せめてロットバルトは居た方が」


 だが、それまでの表情を更に厳しくしたのはロットバルトだ。蒼い瞳がグランスレイのそれを捉える。


「十四侯を呼ぶのでしょう。各院の役職ではなく」

「え?」


 視線を上げ、そこでようやく、クライフはロットバルトが一切表情を緩めていない事に気が付いた。


「何だよ、十四侯が集まるのに何か」


 不意に、扉が遠慮がちに叩かれる音が差し込む。

 集中していた意識が一旦ほどけ、振り返ったフレイザーが半分開いた扉の向こうに法術院の事務官の姿を認めて、扉へ近付いた。


 灰色の法術衣の事務官と二言、三言言葉を交わしたフレイザーは、やや顔を強張らせ、室内を振り返った。

 視線は一度レオアリスに向けられる。それから、ロットバルトへ。


「ロットバルト、ヴェルナー侯爵家から、急ぎの使者が来ているって。その、ルスウェント伯爵ご自身が――、ここに」


 ロットバルトは振り返り、蒼い瞳を返した。

 室内には再び、それまでとは別種の重苦しい緊張が満ちた。

 昨日の未明、ヴェルナー侯爵が亡くなったのだと――、そしてそれをきっかけに昨夜のあの混乱の夜に繋がった事が、なぞるように思い出される。


 レオアリスが頭を持ち上げ、窓を背に立つロットバルトを見上げる。

 ロットバルトの表情は先ほど十四侯を呼ぶのだろうと言った、その時よりも更に厳しく引き締められていた。


 十四侯――公爵家四家、及びヴェルナー侯爵家を初めとする十の侯爵家、それに加え内政官房、財務院、地政院、正規軍、そして司法院の副長官までを差している。通常の各院の長を集める協議の場とはまた異なる、より国政の面で重視される問題の協議の為に招集されるものだ。

 ヴェルナー侯爵家の、当主。


「――お父上の、件は」


 向けられたレオアリスの瞳へ、ロットバルトは束の間浮かべていた厳しさを消し、普段と変わらない笑みを返した。


「問題はいくつかありますが、解決できる範囲です」

「……本当に――、そうなのか」


 問い質す視線を受けて、ロットバルトの笑みが僅かに苦笑へと変わる。


「そうですね。――いえ、多少は厄介かもしれないな」

「――」


 ルスウェント伯爵はヴェルナー侯爵家長老会の筆頭だ。使者としてルスウェント自身が尋ねて来るという事は、持って来た話が決して軽微なものではない事を如実に物語っている。

 グランスレイは扉の外で待つ事務官を振り返った。


「ここに」


 言いかけたグランスレイを手を上げて止め、ロットバルトはレオアリスへと目礼を向けた。


「少し、この場を失礼します」









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