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第3章「黎明は遠く、風は嘆きの歌を歌う」(10)


 扉の閉ざされる音が、静寂に沈んだ謁見の間に淡い雪のように溶ける。


 閉じた扉はこの広間だけを世界の全てから切り離し、感情の無い冷たい青銅の表面を見せていた。

 最後にグランスレイが退出した後の扉を束の間見つめ、落ち窪んだ瞳で何度か瞬きすると、スランザールはじっと扉を見つめているファルシオンへ首を巡らせた。


「殿下、これで、よろしいですな」


 ファルシオンは張り詰めた頰で、なおもぎゅっと唇を引き結んだ。

 ようやく、声を絞り出す。


「――しかたが、ない」


 今はそれしか方法はないのだと、それは協議の場で何度となく繰り返された言葉だ。淡々と。

 この謁見の間で先程まで交わされていた議論は、一刻近くの間ほとんど異論を唱える者も無く終わった。

 いや、唱えた者もまた、自分が口にする言葉の無力さに気付いていた。


 懸命に言葉を継いでいたアスタロトの眼差しを思い出し、それに応えられない自分に、スランザールは不甲斐なさを覚える。

 後は、第一大隊に戻ったグランスレイの判断に任された。

 グランスレイが、直接その目で、どう見るか――


(そうではない――こればかりは、誰か一人の判断で変え得るものではないのだから)


 それこそ、王が下す判断以外、この場に(つど)った者の内誰一人、(あまね)く納得させる力など持ってはいなかった。

 ただ幼い王子の心痛はどれほどのものか、スランザールは痛ましくその面を見つめた。

 幼い王子――国王代理という大任を負った、まだ五歳でしかない儚い存在。


 ファルシオンの俯く様子を見つめ、ベールがファルシオンの前に膝をつく。


「では――、決定通り午後三刻に再度協議の場を設け、正式に今後の方針を決定し、王都、及び国内に向け布告することと致します。十四侯の招集、加えて正規軍は各方面軍将軍――」


 ベールの瞳が持ち上がり、ファルシオンの瞳に注がれる。


「近衛師団からは大隊大将以上を招集します」


 金色の瞳は逃げるように足元に落とされた。


「殿下はそれまでの間、しばしでも休養を」


 傍らに控えていた近衛師団副総将ハリスが、そっと背中に手を当ててファルシオンを促す。

 ファルシオンは俯いたまま、足元の大理石の中の昏い光を見ていた。自分の姿を僅かに映す艶やかな床は、昨夜必死に走ったあの細く暗い通路よりもずっと、ずっと冷え切っているように感じられる。


 あの時の不安と、今の不安。

 それは違うもののはずなのに、たった一つの事が、何も変わっていない。


「殿下――」


 ファルシオンは歩き出そうとした足を止め、何度か、息を飲み込んだ。


「わ――わたしは」


 懸命に声を押し出そうとしているのに、それは掠れて小さく、喉の奥に消えそうだった。

 息を吸い込み、押し出す。


「レオアリスに、会いたい」


 スランザールが傷ましそうに眉を寄せる。

 誰も何も言わず、それは僅かな間でしかなかったが、そこに答えがあるようだった。

 ベールが厳然として首を振る。


「――それは、賛同致しかねます。お立場上、現時点では公式の場以外では面会なさらぬ方が良い」

「――、」


 ファルシオンは言葉を探したものの、口を半ば開きかける溢れる思いは言葉にはならず、ベールと、そしてスランザールの表情に唇を噛み締め、俯いた。


「……兄上にも、会えなくて――」


 口の中でようやく呟かれたその響きは、誰の耳にも届かなかったのかもしれない。

 ファルシオンはぎゅっと小さな拳を握りしめた。



 足元の大理石の向こうに逆さまの自分がこちらを見つめている。

 夜の中にいて、ただあの場を見つめるしかなかった昨夜の自分のように。

 あんなふうに――


 あんなふうに、声を殺して泣くのは、とても悲しい。


 自分とおんなじだ。

 父王はもうファルシオンを膝にのせて頭を撫でてはくれず、母も、姉も、兄も――、誰も、ファルシオンの傍にはいない。

 だからレオアリスと会って、一緒に泣きたかった。

 一緒なら、二人だけならきっと、声を殺して泣く必要なんてない。


 手を握ってあげるのだ。

 ファルシオンが手を握ってあげて――

 だから、手を、握って欲しい。


 手を――



 握って欲しい。



 目の奥が熱くて、喉に塊が迫り上がる。

 ぎゅっと唇を噛み締め、両目を強く瞑って、湧き上がる嗚咽を、涙を堪える。



 スランザールが両腕を伸ばし、自分のゆったりとした長衣に包むようにファルシオンを抱え込んだ。

 ファルシオンは懸命に歯を食いしばり、スランザールの白く長い髭と柔らかな布に顔を埋め、じっと立っていた。






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