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第2章「身欠きの月」(29)


 ロットバルトの左肩に白刃が落ちる。

 刃が肩を抉った瞬間、トゥレスは衝撃を覚え眉を顰めた。右脇腹をロットバルトが突き出した剣の鞘が捉えている。


「……チッ」


 膝を跳ね上げる。上体を逸らしたロットバルトの顎を掠め、トゥレスはそのまま上げた膝下を蹴り出し、長靴の先で胸を蹴って後方の壁に叩き付けた。

 トゥレスはその足を踏み込み、壁に凭れるロットバルトへと右手の剣を水平に薙いだ。


「中将ッ!」


 ハースがトゥレスへ剣を振り抜く。トゥレスが踏み込んだ足で再び、床を蹴った。

 軌道を変えた切っ先がハースの剣を弾く。同時にトゥレスは身体を深く屈めた。空いた頭上でラインとザガの剣が音を立てて噛み合う。


 トゥレスは大理石の床に左手を突き、右のザガの脚を蹴り払い、更に身を捻って立ち上がった。瞬間打ち掛かるハースとラインの剣を間髪入れずに弾き、たたらを踏んだラインへ切っ先を反す。


 ラインの二の腕の内側が裂かれ血を散らす。トゥレスは右脚を軸に半身を捻り、斬りかかろうとしたハースに蹴りを叩き込んだ。ハースの身体が間合いを詰めていたザガに打ち当たり、もろともに倒れ込む。

 トゥレスは反動を利用して半身を回転させ、踏み込みと共に背後のラインへと剣を薙いだ。


 ロットバルトの手がラインの肩を引いた。それまでラインの身体があった空間をトゥレスの剣が切り裂く。

 ラインの軍服の胸元が斜めに絶たれ、血を滲ませた。


 ロットバルトはラインの肩をファルシオンの居間の方へと押しやった。


「扉の護りを」


 ラインはやや迷い、それでも扉近くへと退がった。ハースとザガも咽つつ身を起こす。


 彼等を背に立ち、ロットバルトは右手の剣先を再びトゥレスへと向けた。脇腹と左肩の出血が左半身を伝い、床に小さく血溜まりを作っている。

 トゥレスは口の端を笑いに歪めた。トゥレス自身は左肩に一筋傷を負ってはいるものの、たった今の激しい動きの中で負った傷は僅かそれだけだ。


「その程度の怪我で済ましときゃいいだろうに。お前さんにゃ背負う家があるんだぜ」

「近衛師団として背負うものもありますよ。どちらがより重いかは主観でしかありませんが、少なくとも今の貴方より重いでしょうね」


 トゥレスはにやりと笑った。


「まあ、俺はその手の覚悟も好きだがな」


 爪先を僅かに開いたトゥレスへ、キルトの声がかかる。


「大将、一番の目的を忘れないでください」


 キルトへ首を巡らせ、そうだったか、と呟き、トゥレスは身体を起こした。肩をすくめ、ロットバルトへ向けていた切っ先を外す。


「キルト、お前ここを何とかしとけ」


 第二大隊の隊士が動き出し、トゥレスの背後を駆け抜ける。その中に四人の灰色の長衣姿を認め、ロットバルトは眉をひそめた。近衛師団の法術士では無い。


「――その法術士は、どこの所属ですか」


 トゥレスは笑みを浮かべ、身を返した。


「王太子殿下を、欲しいってお方が他にもいてな」


 追おうとしたロットバルトの前にキルトが立ちはだかる。

 ロットバルトはトゥレスへ視線を走らせかけ、だがその余裕を与えられず、キルトの繰り出した剣を弾いた。


「大将の邪魔はしないでもらおう、ヴェルナー中将」


 言うと同時にキルトが踏み込み、上段から剣を振り下ろす。辛うじて避けたロットバルトの足元をキルトの剣が易々と砕いた。


 ハース等や警護官達が第二大隊の行く手を塞ごうと打ちかかる。

 警護官の一人を、トゥレスは一刀のもとに斬り伏せた。

 トゥレスは遮る者など無いように歩を進め、もう一人、警護官を斬り倒した。


 第二大隊の隊士達は易々と扉に辿り着き、鍵の掛っていない扉を開け放った。居間と寝室への扉が左右にあり、そこも容易く開け放つ。


「部屋は全て確認しろ。王太子殿下を保護するまで遠慮はいらん」








 飛竜の翼が頭上ぎりぎりを掠めて過ぎる。

 丁寧に刈り揃えられた芝生を走りながら、侍従が悲鳴を上げ脚をもつれさせた。


 フレイザーは身を返し、迫る一騎へ、肩に背負うように掲げた剣を振り抜いた。飛竜の皮膜を切り裂き、態勢を崩した飛竜が庭園の芝に激突する。

 だが他の飛竜達は走るフレイザー達の集団を一度飛び過ぎ、次々と行く手を塞いでその先に降りた。


 フレイザーは飛竜の前へ飛び出し、布で頭から覆い蹲る侍従を背に立ちはだかり、右手の剣を構えた。跳ねる呼吸を整える。

 降りた飛竜は四騎、空を塞いで三騎が旋回する。後方ではまだ十騎以上の飛竜が庭園へ降り立ち、或いは旋回している。


 一方で守るのはフレイザーの他に、僅か隊士一名と警護官三名だけだ。だがフレイザーは顎を上げ、朗々と声を張った。


「退がれ、痴れ者共! この場がどこで、貴様等の役割は何だと心得ているか!」


 声の威厳に打たれた数名の隊士が気後れを見せ、飛竜の背で顔を見合わせる。その中で一番前にいた飛竜から隊士が飛び降り、フレイザーと向かい合った。第二大隊中軍中将カスパーだ。

 自分よりやや若いカスパーの面をフレイザーは厳然と見据えた。


「カスパー。答える言葉はあるのか」

「フレイザー中将、余計な争いはしたくない。王太子殿下をこちらへ渡して欲しい」

「王太子殿下と判っているなら、この場に(こうべ)を垂れよ」


 カスパーはぐっと唇を噛み、それでも言い募った。手は落ち着きなく腰の剣の柄に触れている。


「我々は王太子殿下を傷付けるつもりは全く無い。フレイザー中将、判ってもらえないか」

「――理解する気はないわ。どんな理由があろうと、貴方達第二大隊がやっている事は、王家への――この国への裏切りよ」

「では我々は、我々の意志を貫くしかない」


 カスパーが剣を抜き放ち、それに倣って隊士達も飛竜から滑り降り剣を抜いた。


「グレイ! 背後を抑えろ!」


 フレイザーは部下へ指示を飛ばすと同時に、カスパーへ打ち込んだ。右手の剣を振り下ろし、受け止めたカスパーの腹部へ、右の腰に佩いたままだったもう一振りの剣を左手で掴み、引き抜きざま斬り込む。


 避け切れずにカスパーは左の脇辺りを斬り裂かれ、芝の上に片膝をついた。フレイザーは左の剣をカスパーに突き付けたまま、頭上から斬り付ける別の剣を右手の剣で弾いた。カスパーが低い体勢から斬り付けた剣を躱し、双剣をそれぞれ相手の胸に定め、間合いを取る。


 三人の警護官と二人の第二大隊隊士が互いに打ち合う。その間にも次々降り立つ飛竜から隊士が駆け付け、すぐにフレイザー達は十数人の隊士に囲まれた。


 フレイザーは蹲る侍従二人に素早く目をやり、そして一瞬だけ、学習室に意識を向けた。


(時間は、稼げた――?)


 ファルシオンはもう通路に入っただろうか。

 廊下はどこまで()っているか――


(上将は)


 ちらりと(とき)を思う。

 あと少しの間保たせたいと願う。


(副将が、もう動いているはず)


 それから、クライフの中隊が。

 フレイザーはカスパーを追い打ち、二合、三合と剣を弾いた。左から繰り出された別の剣が肩口を裂き、緋色の髪をひと束散らす。


 決して深追いせず、フレイザーは相手を退けては間合いを取り、それを何度も繰り返した。

 けれど人数の差は埋めようも無く、警護官が一人倒れ、その隙間を縫って数人の第二隊士が真ん中に蹲る侍従達に駆け寄った。


「王太子殿下――ご無礼を!」


 一人が手を伸ばし、身体を覆った布を剥ぎ取った。

 高い悲鳴が上がる。

 フレイザーは隊士の一人を斬り倒し、振り返った。

 唇を噛みしめ、息を吐く。


 布を剥ぎ取った隊士は現れた姿を見つめ、束の間言葉を失った。


「ファルシオン殿下じゃないぞ!」







 書棚が競り戻り、ファルシオン達の姿をその奥に完全に隠した。

 安堵の間は一切なく、ガレスや警護官達の抑える扉に一抱えほどの法陣円が浮かび上がったかと思うと、円の内側の板が消失した。


「――抑えろ!」


 ガレスは更に足を踏ん張り、全身で押し返した。扉の向こうから、体当たりをしているのか、二度、三度と重い衝撃が響く。

 居城の扉は厚く硬い樫の板を優美な細工を施した青銅板で覆っている。それは単なる装飾ではなく防御の一環だったが、取っ手と鍵を失った扉は何度目かの衝撃で、耐え切れず内側へと押し開かれた。


 よろめきながらも剣を抜き放ったガレスの上に、初めに踏み込んだ隊士の剣が落ちる。

 血を撒いて倒れたガレスの脇を、十数名の隊士達が雪崩れ込んだ。


 警護官達は部屋の中央に退きながら剣を抜いたものの、指揮する者が無く咄嗟に対応に迷い互いを見た。ベルンが庭園への扉へ走ったのを見てそれに倣い走り寄る。王子は庭園へ逃げたのだと、そう思わせるのが彼等の最後の仕事だ。


 警護官達と第二大隊は束の間睨み合った。その中から一人が進み出る。ベルンも知っている顔で、サージという普段は陽気な男だ。


「王太子殿下はどこだ」

「もう既に脱出された、お前達の行為は無駄だ」


 ベルンは答え、切っ先を突き付けた。


「裏切り者め、恥を知れ」


 吐き捨てたベルンをサージは焼き尽さんばかりに睨んだ。


「――俺達には、これが誇りだ。貴様等には決して分かるまい!」






 ベルンはただ一人、痛みと力を失いかけている脚を堪え、なおも庭園への扉に寄りかかり塞いでいた。二人減らしたがそれだけで、三人いた警護官は既に倒れ動かない。

 それでも、きっとすぐに救援が来るのだとベルンは思っていた。

 そして必ず、レオアリスが戻る。


(上将が、すぐに)


 それまで、できる限り第二大隊の目を庭園に逸らしておくのだ。

 レオアリスの様子に気付かなかった後悔は、ベルンにもあった。


 サージが正面に立ち、もはや倒れかかっているベルンへ剣を向ける。だがその剣は半ば切っ先が外れている。


「ベルン。そこをどけ」

「――どくと思うか」

「廊下も、もう庭園も静かだ。お前一人抗っても意味がないんだ」

「意味はある。意味が無いのは、お前達の行為だ。本当に、こんなことが成功すると、思っているのか」


 サージは顔を歪め、だがなおもベルンを見据え、空いた拳を握り締めた。


「成功させる」

「できる訳がない。第一も第三も、正規軍も黙ってはいないぞ。すぐにここは包囲される。お前達は、それでも」


「それでも成功させるのさ」


 別の声が割り込む。サージ達がさっと中央を開けた。

 戸口に立ったのはトゥレスだ。

 ベルンは腹の底が冷えるのを感じた。廊下はどうなったのか。流れ込む音はほとんどない。


「その為にファルシオン殿下を探してるんだが――」


 トゥレスは片方の手を腰に当て室内を見回し、ベルンへと脚を向けた。


「随分探したんだが、王太子殿下のお姿がどこにもなくてな。そりゃちょっとおかしいだろう? 俺達は正面玄関を塞いだし、庭園も抑えた。その二つ以外に館を出る術は無い。まあ、法術を使ったって可能性もなくは無いが、それだとヴェルナーが少ない人数を敢えて分散させる意味が無いんだよなぁ」


 何とも軽やかな物言いだ。

 だがベルンに向けられているのはその口調とは裏腹の、刃のように鋭い意識だった。


「ざっと見て回って気付いたんだが、他の部屋にほぼ共通してることがあった。何だか判るか?」


 ベルンが黙っている事に腹を立てる様子もなく、トゥレスは足を止め、言葉を継いだ。


「他のほとんどの部屋は護衛がいなかった」

「――」

「サージ、こいつは何て名だ」

「ベルンです、大将。左軍配属です」


 サージが素早く答える。


「なあベルン。お前、何でこの部屋にいたんだ?」


 ベルンは視線がそこへ動きそうになるのを(こら)え、目を瞠った。


「わざわざこの部屋で、何を守っていた?」


 トゥレスがベルンの正面に立ち、その瞳を覗き込む。


「王太子殿下を傷付ける事は一切ないと、保障しよう。教えてくれないか。どこかに抜け道でもあるんだろう?」

「……そんなものは、ありません」

「へぇ」


 ベルンの肩に右手を置く。ぐっと掴む力が伝わった。

 隊士の一人が前へ出る。


「大将。ここで物音がしたため、扉を破りました。その時も彼等は扉を押さえていました」


 ベルンの肩が揺れ、トゥレスは目を細めた。


「なるほど」


 トゥレスは天井まで埋める書棚を見回した。靴音を鳴らし、一つの書棚に近寄る。それはファルシオンが逃げ込んだ南の壁ではなく、反対の北側だ。

 ベルンは痛みと出血で崩れそうな身体を(こら)え、トゥレスを見つめた。響く心臓の鼓動に、サージか誰かが今にも気付くのではないかと息を殺す。


 そう見つかる訳がないと、ベルンは自分に言い聞かせた。

 ハンプトンが使った把手――王太子を示す雪待草の木彫は全ての段に飾られ特別目を引くものではなく、既にベルン自身もどの段の木彫りが通路を開く把手だったのか、曖昧になっていた。


「そうだな――、何段か本を出して、壁を確認しろ」


 指示を受けた隊士達は素早く書棚に寄ると、腰の高さの段から収まっていた書物を床に落とし始めた。露わになった奥の板を拳で叩く。ベルンの鼓動はその拳の音よりも大きく、呼吸で身体が揺れる。


 何度目か――、南の壁、窓から二番目の書棚を、年配の隊士が叩く。その音は他の書棚よりも軽く部屋に響いた。


「あったか」


 トゥレスが身体を向ける。


「どこかに把手か何かがあるはずだ。その飾りとかな」

「――止めろ!」


 ベルンは剣を振りかざし、トゥレスへ斬りかかった。

 トゥレスは容易くベルンの剣を躱し、肘を掴むとそこに親指をぐいと押し込んだ。堪らず呻いたベルンの手から剣が床に落ちる。


「まあ今更、死ぬ事はないだろう?」


 トゥレスが肩を叩いた次の瞬間、腹に剣の柄がめり込み、ベルンは声も無く床に崩れ落ちた。


 やがて書棚の一つが音を立て、壁の奥に黒々とした通路を覗かせた。






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