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第2章「身欠きの月」(24)

「上将は? いた?」


 廊下の先に部下の准将ドナートの姿を見かけ、フレイザーは足を早め駆け寄った。期待を込めた眼差しにドナートが焦りを抑えた面で首を横に振る。


「申し訳ありません、邸内には、お姿は」

「そう――」


 フレイザーはゆるい弧を描く廊下の先の暗がりを、レオアリスの姿を探し出すように見つめた。

 ファルシオンの館は一見静まり返っている。けれど立ち止まると肌に触れる冷えた空気に似て、不安がじわりと濃さを増して行く。


 どこへ行くと、誰も聞いていない。隊士も、警護官も、ハンプトン達侍従も。

 第一大隊へも隊士を走らせたが、そもそも近衛師団に戻るのに一言も告げずに行くとは思えなかった。


「近くにいれば良かった――」


 グランスレイからレオアリスが不安定だと聞き、フレイザー自身もまたそれを感じていたのだから、もっと目を配っておくべきだったのだと唇を噛む。


「一体どこへ――」


 館はまだ静寂を保っているが、それは湧き上がる不安を抑え、息を潜めているからだ。


「とにかく、早く上将を」

「上将が、どうかしたのですか」


 聞きなれた声にフレイザーははっとして振り返った。前方から侍従に導かれて歩いてくるのはロットバルトだ。

 隊士達が左腕を胸に当て、敬礼を向ける。彼等の面には新たな緊張と、安堵が浮かんだ。


「ロットバルト! 貴方、家は」

「落ち着きました。それより」


 フレイザーもまた緊張に白く張り詰めていた頰を、僅かながら緩めた。


「いらっしゃらないのよ。居城内を探してるけど見当たらない。おそらく、外に」


 ロットバルトの双眸は、フレイザーの返答を聞く前から厳しい光を浮かべている。


「――最後に上将と話をした時刻と、場所は」

「十刻前よ、ファルシオン殿下の寝室。その時は殿下がお休みになっていたから、ほんの少しの間だったけど」

「ほぼ一刻の間か――」


 ロットバルトはファルシオンの寝室のある廊下の奥へ目を向けた。邸内は静かで、レオアリスの不在はこの静けさに影響を与えていないようにさえ感じられる。

 だが、それは上辺だけのものだ。横たわる藍色の闇を見据える。


「すみませんが、厩舎の確認を。第一大隊大将の乗騎がいるか」


 傍らにいた侍従へそう告げると、ロットバルトを案内してきた侍従は、すぐに頷いて足早に廊下を戻った。

 厩舎と聞いてフレイザーが眉を寄せる。


「まさか、ロットバルト、上将はボードヴィルへ行ったと思うの」

「その可能性はあるでしょう。しかし」


 ボードヴィルで王を見かけたという情報が入ってから、レオアリスはそれと見て判るほど葛藤していた。ボードヴィルへ行って確かめたいと、何度その思いを抑えたのかは判らない。

 ただ、不確かなその情報だけでは、ファルシオンの側を黙って離れる事はしないのではないか。

 それとも、そう強いてしまっていただけか――

 もし一つでも、背中を押すものがあれば。


「何かきっかけとなる事はありましたか」

「――夕方前に、トゥレス大将が面会を」

「……トゥレス大将――」


 その名をここで耳にしても、ロットバルトには今さらの驚きは無かった。


「上将は、面会を容れたんですね?」


 ロットバルトの瞳を見たフレイザーが、不穏なものを感じ取って瞳を翳らせる。


「そうよ」

「面会の内容は聞きましたか」

「……聞いていないわ。トゥレス大将が、人払いをと。四半刻も話してなかったと思うけれど。ごめんなさい」


 フレイザーは唇を噛んだが、ロットバルトは頷いた。


「ではトゥレス大将に直接聞きましょう。使者を」


 ロットバルトは頭の中で考え()る可能性を掻き集め始めた。起こり得ない、あり得ないと思考から切り捨てようとしているものも、敢えて拾い上げる必要がある。

 トゥレスの狙いが何か。

 ヴェルナーはついで(・・・)だと、ロットバルトはそう結論付けた。

 ヴェルナーを絡めたトゥレスの狙いは、恐らく果たされていると考えるべきだ。

 トゥレスに対する告発状は既に司法庁に受理され、すぐにでも司法官が第二大隊を(あらた)めに派遣されるだろう。

 だが、事態はそれよりも先に動き出している。


 ヴェルナーの混乱を利用してトゥレスに疑いを抱くロットバルトを遠ざけ、その間にレオアリスと面会し、何を話したのか。

 そしてレオアリスが誰にも告げずにファルシオンの傍を離れた、この現状。

 ロットバルトはもう一人、今度は隊士を呼び寄せる。


「王都の転位陣を確認したい。法術院に、現存する全ての転位陣と今動いている物を洗い出して欲しいと要請してください」


 飛竜では、例え銀翼であってもボードヴィルまでは一日近くかかる。

 トゥレスがここへ来たという事は、恐らく何らか別の手段があると告げる為ではないか。


(それが真実でも、偽りでも)


「――副将へ報告は?」

「伝令を向けたわ」

「ではもう一人、副将の元へ戻り、第二大隊への確認と共にカイが副将の手元にいればこちらへ――いや、カイは直接上将を探す方がいい」


 グランスレイへはエイセルに書状を託している。エイセルはもう第一大隊へ着いているはずだ。


「同時にエンティにも、伝令使でワッツ中将との連絡を取るよう伝えてください。陛下のお姿を見たという兵士が今どこにいるか」


 二人目の隊士も駆け出す。

 廊下を遠ざかる背を視線で追いながら、ロットバルトは漠然と、今このファルシオンの館にいる人数を数えていた。

 日ごろから館の警備に当たる王宮警護官三十名と、今回特別に警護に当たる第一大隊左軍の二班十名、合わせて四十名。今二人、指示を与えて出した。


 これ以上は(・・・・・)減らせない(・・・・・)

 漠然と、そう考える。

 そこを何故か、自分は気にしている。


(目的――、今の状況が利するもの。この状況を作った狙い)


 レオアリスを何故、呼び出したのか。


(遠ざければ、それだけでも戦力を削ぐ事になるが)


 呼び出した。

 唐突に、弾かれたように視線を上げる。


(違う)


 呼び出す事は、過程だ。


「――まさか、ここ(・・)も有り得るのか――?」

「ロットバルト?」


 フレイザーの瞳がロットバルトのそれを映したのか、次第に鋭さを帯びる。


「フレイザー中将、庭園から下を確認して欲しい。第二大隊の動きを」

「第二大隊? 第二大隊――トゥレス大将は、何を」

「ヴェルナーは第二大隊大将トゥレスを告発しました」

「告発――」

「理由は当主殺害の教唆です。けれどそれは、トゥレス大将の目的に於いては手順の一つに過ぎない」


 フレイザーはつかの間黙ってロットバルトを見つめ、すぐに側の扉から庭園の一角へと出た。

 続いてハンプトンへ顔を向ける。

 今考えているのは、最悪の想定だ。

 だがそれを考えると、全ての破片がある一つの形を成すように思えた。


「ハンプトン殿。急いで殿下を起こしていただき、ここからお移りになる支度をお願いします」


 ハンプトンの顔が青ざめ、息を飲み込む。混乱を努めて抑え、


「一体、どちらへ……」


 まず最初に、そう聞いた。


「王の館へお移り頂くのがいいでしょう。それから、王の館からもすぐ移動できるよう、飛竜の用意も。また王妃殿下と王女殿下も同様に、王の館へお移り頂いてください」

「ロットバルト!」


 駆け戻ったフレイザーの面は夜の中でも白く強張っている。


「回廊や物見の塔に、第二大隊の姿が見えないわ――」


 その言葉に被さり、息を潜める夜の静けさを縫って、館の玄関を激しく叩く音が響いた。









 淡い花の香が重なり合い、眩暈を呼ぶほどに身体を包み込む。

 ハヤテが城の一角へと弧を描き降りていくにつれ、その香りは強くなった。

 マグノリアの――咲き誇る木蓮の花の香だ。


 王都南東二里の距離に位置する古城、マグノリア城は、大戦の初期に転位陣が敷かれ、西方への兵馬の輸送が行われていた。大戦中期により王城近くに転位陣が移された事で役割を終え、その後しばらくは地政院の南方査察庁として使用されていたものの、査察庁が他へ移り次第に人の手が離れてからは、打ち棄てられるままになっている。


 マグノリア城は高さ三間ほどの煉瓦化粧の城壁がぐるりと城と敷地とを囲み、白い壁面に青い大屋根を持った優美な本体と高さの異なる二つの塔を有し、二階部分は一部北西へ向かって張り出した十間四方の広い露台になっている。

 ハヤテはその唯一の空間を選んで降りた。


 城はその名が示す通り、城壁の周囲も、かつては美しく整えられていただろう庭園も、群生する木蓮の木々に(うず)もれていた。

 大ぶりの花が満開に咲き誇り、日中は艶のある紫色が鮮やかなそれも、夜の中では黒々とした影に見える。

 無数の花から零れ落ち揺蕩(たゆた)う香りは、一つひとつはあえかでも、城全体に沈殿し立ち込め、頭の奥に忍び入るように感じられた。


 ハヤテが翼を畳む間も惜しく、レオアリスは背から滑り降りた。石敷きの床に足を下ろす感覚が伝わった瞬間、鳩尾に鋭い痛みが走る。

 生乾きの傷が引き攣るようなその痛みは昼間よりも幾分薄らいだように思うが、今は逆に深い疲労と眠気を伴った。

 ハヤテの鱗を連ねた腹に肩を預け、つかの間顔を伏せレオアリスはその痛みが過ぎ去るのを待った。立ち込め()せ返る香りに眩暈を覚え、唇を更に引き結ぶ。

 花の香り――この眩暈は、ただそれだけが理由だ。


 頬にひやりと硬いものが触れ、レオアリスは瞳を開けた。気遣うハヤテの鼻先に手を当て、体を起こす。

 月が投げ降ろす淡い光以外、見渡す限り城には灯りひとつ灯っていない。城はしんと、生者が存在しないかのように静まり返っている。


 本当に、ここに転位陣があるのか。

 鼓動がずっと響いている。

 もしこれが、この選択が、誤りなら。

 今、ここにいる事が。

 深く息を吸い、痛みと、眩暈に眉根を寄せる。


(王が)


 いるかもしれない。

 確かめたい。

 確かめるだけだ。

 それだけだ。


「――トゥ、レス……」


 踏み出した靴先が床に転がっていた小石を蹴り、弾かれた小石は乾いた音を立てて闇の向こうに消えた。

 再び辺りはしんと静まり返った。

 鼓動が耳を支配する。


 この選択が――誤りなら。


(違う)


「トゥ――」


 視界の隅を光が()ぎる。

 振り仰ぎ、今この場には強過ぎる光にレオアリスは一瞬瞳を細めた。

 二つの塔の内、右側に建つ高い塔の一番上の窓から、白い光が溢れていた。






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