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第2章「身欠きの月」(23)

 フレイザーは警備の交代に関する資料を手にファルシオンの寝室の扉の前に立つと、眠っているファルシオンを起こさないようにそっと叩いた。


「失礼致します。――上将」


 遠慮がちに開かれた扉から、フレイザーのいる前室の淡い明かりが寝室の床の上に差し込む。

 静まり返った室内からは返る声は無く、時計の歯車の音だけが規則正しく聞こえている。


 もう一度声をかけようと思ったがファルシオンを起こしてしまうかもしれないと、フレイザーは傍の侍従から差し出された燭台を断り、身一つ分押し開けた扉から寝室へと入った。

 一刻前にフレイザーが部屋を出た時、レオアリスが座っていた窓際の椅子へ足を向ける。庭園に続く高い硝子扉を背にした椅子は、庭園から差す薄っすらと光る蒼の中に影を浮かべている。

 その前に数歩と近付いたところでフレイザーは立ち止まった。


 椅子に座って眠ってしまっているのだと思っていたレオアリスの姿が無い。

 寝台の側かと振り返ったが、天蓋から流れ落ちる天鵞絨(びろうど)の布の向こうにも、その姿は見当たらなかった。


(どこへ――)


 ファルシオンの側を離れる時は、フレイザーが近くにいなければ前室に控える侍従へでも、どこへ行くと告げるはずだ。

 静まり返った部屋で、フレイザーは束の間、思考を彷徨わせた。

 ファルシオンの零す穏やかな寝息が、何故か裏腹にフレイザーの耳を捉えていた。








 王城の壁面を巡る回廊と或いは塔との間に掛る橋、そして塔の物見台には今、王城警護の任に当たる近衛師団第二大隊の隊士が、揺らぐ松明の火に時折手にした槍の穂先を光らせ立っていた。

 第二大隊三百名、左中右の各隊から志願した隊士達だ。警備体制の強化により普段の倍の人数が配置されていた。

 対外的な理由は、今の王都の状況を踏まえた警備強化を副総将ハリスが命じた事にある。そしてその警護を大将トゥレスは、今晩に限って志願制にした。


 トゥレスは南の物見台に立ち、昏い空を眺めた。

 今いる塔の硝子の無い窓から、欠けて行く月が南東の空に浮かんでいるのが見える。

 その月の下を(よぎ)った影をはっきりと捉え、トゥレスは口元に笑みの形を刻んだ。

 微かに月光を弾いたもの。

 飛竜の影――

 これで場は整った。後は行動を起こすだけだ。


 いよいよとなってトゥレスは、自らの中の沸き立つ思いを懐かしく触れた。

 それはトゥレスが久しく覚えて来なかった感情であり、十数年前、王の御前試合のあの場所に立った時、身体の奥底から立ち上がって来た感情でもあった。

 自分の生がどこへ向かうのか、知るのは唯一己の為す(すべ)のみ。

 身体の芯から沸き起こり、揺さぶる、高揚。


「大将」

「キルトか。どうだ?」


 振り向いた視線の先に、副将キルトが膝を落とす。


「この場の百名、そして待機している五十名も、準備は整っております」


 キルトの言葉を聞き、トゥレスがどことなく呆れた面を巡らせる。


「結局百五十も残ったか。俺の部下はもうちっと冷静な頭の奴等が多いと思ってたんだがなぁ」

「我等第二大隊は、トゥレス大将、最後まで貴方に付いて行くと決めておりますので。本当はもっと多いですよ、貴方に付いて行きたいと考える奴は。ただ今回貴方の指示で妻子持ちは外しましたから」


 トゥレスは口元に笑みを刷き、ただその笑みはすぐに引き締まった面に取って変わった。


「正直に言うとな、キルト。俺はかつての第二大隊の結末に同情してるのさ」


 バインドという一人の男の狂気が、全てを切り裂いた。

 近衛師団第二大隊というのはある意味、その響きの元に初めから、拭いがたい罪を背負っているのだ。

 その罪は十八年前の第二大隊中将、剣士バインドに由来するものであり、バインドの狂気に巻き込まれた第二大隊の真実は犠牲者だったのだが、真実とは、一つの突出した印象のもとに磨耗する。

 第二大隊という響きを冠した彼等隊士達は、時折覗く周囲の視線にやり場の無い複雑な思いを抱えてきただろう。それはただ単に自らの意識から発するものかもしれないが、第一大隊が脚光を浴びる中で、落ちる影は第三大隊よりも第二大隊の上に濃かった。


(別にあいつは、一つも悪くはないんだがな)


 だからこそ、もう一つ。


「俺自身が、奴の――バインドの気持ちが少しばかり判る。俺は剣士じゃあないがね」


 バインドを狂気に走らせたそれ。


「バインドの狂気は剣士だけのものだ。だが自分の力を抑えられ続け、場を与えられず――その時に身を焼いた思いは判る。そう言う意味では、同時期に自分の力を大きく上回る相手がいる事も、自分と同等の相手が全くいない事も、おんなじように不幸だって事だ――まあ、単なる自分本位のこじつけだが」

「いいえ」


 断固たる響きに、トゥレスは黙ってキルトの面を見下ろした。


「私も同じ思いです、大将。今回我々に与えられたものは、こうしてただ城を守る事だけです。ボードヴィルさえ舞台として与えられず」


 跪いたままの片膝に置かれたキルトの手が、握り込まれ白く色を失う。


「例え西海軍が王都に攻め入っても、我々は」

「――俺は第二大隊の結末に同情してると言ったろう。それはお前等に重ねてるからだ。自分勝手で小せぇ上官を持って、巻き込まれてな」


 トゥレスの上に笑みは一切無く、鋭い双眸は決断を促しキルトを見据えた。


「降りるんなら今が最後だ。もともとお前達は俺の個人的な目的に付き合う必要はねぇからな。なんなら俺を止めようとしてもいい。その場合はここで、俺の首を取れ」


 口の端が吊り上がる。


「ここを俺の舞台にさせてくれよ」


 キルトはトゥレスを見上げ、にこりと笑みを返した。


「それだと楽しいのは貴方だけでしょう。私は嫌です」

「そうか? 中々楽しいと思うんだが」

「今申し上げました。これは私の――我々の意志です。貴方の部下に付いた事を、後悔した事は一度もありません。第二の隊士はだいたい似たような思いの奴らばかりですよ。そこら辺は貴方に似たり寄ったりのが集まったのではないですかね、大将」

「キルト、お前今年幾つになった。俺より確か、五つ下――」


 上官の言葉に眉を上げる。


「唐突ですね。二十七です」

「そんなになったか。それで嫁さん貰ってねぇのかよ」

「……こないだ振られた時、酒奢ってくれましたよね」


 トゥレスは手を打ち笑い声を立てた。


「そうだったそうだった。来れる奴ら全員で慰めてやったんだったなぁ」


 それは余計でした、とその時を思い出したのか恨めしく呟いたキルトへ、すぐ横で見張りの目を巡らせていた隊士等が軽口を叩く。


「結果良かったと思いましょうよ、それで遠慮なくトゥレス大将に付いていけるんですし」

「あんな美人もったいな……、今回上手く終わったらもっとモテますよ」


 成功すれば、と明るく笑う。

 トゥレスは周りの顔ぶれを眺め、彼等が自分へと向ける眼差しに、キルトと同じ意思を見た。


「――バインドの部下よりお前らの方が業が深い」


 キルトや隊士達はそれに、だだ眼差しをもって応えた。


「仕方ねぇな。まぁ、じゃあ行くか」


 眼下に広がる王都の街に、翳る塔の時計盤を見据える。

 視線の先で時計塔は音を鳴らさず、十一刻を告げる。

 トゥレスはもたれ掛かっていた身体を起こし、回廊へと足を向けた。








 アーシアは広げた翼に風を湛え、緩やかな円を描きながら、アスタロト公爵邸の庭園の芝へと降りた。

 見上げた館の三階の窓にはまだ灯りが灯されている。遅くなってしまったが、アスタロトはまだ起きているようだ。

 タウゼンへ報告に行き昼間のアスタロトの行いをだいぶ咎められはしたが、ずっと俯いていたアスタロトが街からの帰りには、ほんの僅かながら前を見つめるようになっていて、正しくはなかったかもしれないが必要な事だったのだとアーシアは思っていた。

 目的が必要なのだ。

 アスタロト自身が、自分の手でできる何かが。


 翼を畳んで身をゆすり、瞬きの後にはアーシアは普段の少年の姿に戻っていた。館に足を向け、広い庭園を幾筋も交差する小径(こみち)のひとつを抜けながら、ふと、アーシアは上空へ目を向けた。

 濃厚な藍色の夜が立ち込めた空を、じっと見上げる。

 意識を引く気配が一瞬、空を駈け抜けたように感じた。







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