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第1章『暗夜』(11)

 西の水平線へ向かい、太陽がゆっくりと落ちていく。

 陰りを見せ始めた空と波立つ海面の群青を、落ちる太陽の光がより昏い色に移ろわせる。

 一里の館は不安定に傾ぎ、今やその二階の窓の半ばまで泥に浸かっていた。

 それは皮肉にも、海面を割って浮上した西海の皇都イスとの対比を突き付けてくるようでもあった。

 一里の館から沖合に浮上した皇都イスに至るまで、西海の軍が犇めき、波の姿を模したように囲んでいる。

 もはや館は地上の建造物では無く、海面に顔を出す岩礁だ。

 泥の表面に泡がぼこりと浮かび、飛沫を飛ばして弾ける。

 あちこちで、泡はとめど無く浮かび上がり、憂鬱な呟きを散らした。







 五刻。

 再び、王城南棟三階の議場にファルシオン以下、四院と近衛師団の正副長官等が顔を揃えた。二刻に顔を揃えた者達に加え、新たに正規軍の各方面将軍も広い卓の一角に着いている。

 昼の二刻に一旦の協議を終えた時よりも、更に厳しい面持ちが事態の深刻さを窺わせた。

 アスタロトは席に着き、血の気の失せた白い面を伏せるようにして、大理石を張った広い卓の艶やかな表面を見つめている。

 ベールはアスタロトの様子に一度視線を向け、それを外すと、集まった顔触れを見渡しながら立ち上がった。長い裾を揺らし、ファルシオンへと一礼する。

 卓に座る者達は、正面に座るファルシオンの真っ直ぐに持ち上げた幼い顔と、泣き腫らした瞳をそっと見た。ただ、そのやや後ろに控えるレオアリスからは、意識しないままに誰もが視線を逸らしていた。

 ほんの数刻前、ベルゼビアに向けられた薄く凍る刃のような感情――その気配がまだ明確に思い出せた。

「事態は未だ、深刻だ」

 ベールは卓に着く諸侯を見渡し、容赦なくそう告げた。

「西方第七大隊からの情報では、西海軍は現在、一里の控えに留まっていると考えられる。ただ第七大隊からの情報は半刻前、クヘン村の住民と共にボードヴィルへ向かっている段のものだ」

「……ボードヴィルへ、勧告を出すとの事でしたが」

 ゴドフリーの問いにベールは頷いた。

「ボードヴィルへは勧告と共に、バージェスから退却する第七軍へ援軍を出すよう指示した。だが未だ返答はない」

「――」

 落胆の気配が議場を包む。ボードヴィルが救援に動く事で懸念の一つを払拭したかったが、それが叶わなかったことへのものだ。

「タウゼン、正規軍の動きを」

 アスタロトの傍らでタウゼンは背筋を伸ばし、起立した。

「西方第六大隊は一里の控えの第七の救援に向かう予定でした。しかしながら館の転位陣が失われたことから、布陣を変更し、やや出立が遅れたものの、現在左中の二大隊がバージェスを目指しております。六刻を目処に第七大隊と合流予定です」

「ゴドフリー卿」

 ゴドフリーも立ち上がり、卓に置いていた筒状になった書類を開いた。

「現在拠出可能な経費としては、今年の正規軍に計上した糧食、輸送費等、合計千四百万ルス。これは全軍がひと月、戦場で稼働することを考えた額です。予備費を含めれば、あと千を計上できます」

 ひと月、と聞いて、ほぼ全員が難しい顔をした。それはかつて、百年もの長い期間に及んだ大戦を思い浮かべたからに他ならない。

 ただゴドフリーは声を強め、これはひとまず無理の無い範囲の措置だと付け加えた。

「これも正規軍の予算全てを絞ったものではございません。また、ご存知のとおり正規軍予算は国費の一割強に留まっております」

「ひと月も、西海軍を陸に置いておくつもりは無いだろう」

 ベールの言葉にタウゼンと参謀長ハイマンスが頷く。

「糧食は当面、各軍都の食料庫を開くか、農家や商人から買い上げることで不足はないと考えております」

 議題は次々と移り、西海への対応、国内への対応に対する情報や意見が交わされる。

 わずか半刻ほどの議論だった。

 ファルシオンを慮ったことと、また、情報が十分では無い中での協議だったこともあっただろう。

 ベルゼビアは終始発言しないまま、現時点での協議は一定の結論を得た。

 ベールは改めてファルシオンへと向かい合った。列席諸侯も同様に席を立ち、最後にベルゼビアが腰を上げる。

「ファルシオン殿下、この協議を以って、今後の方針を提言申し上げます」

 ファルシオンは幼い頬を張り詰めさせ、卓を囲む者達を見つめた。

「一に、上陸した西海軍に対し、即刻退去を勧告します。また陛下の安否の確認と、即時の御帰国を求めます」

 息苦しい空気がその場に満ちる。

 ほとんど誰もが、王の身について、それが叶うとは考えていなかった。

 ただ、口に出して明確に確認されていないだけだ。

 そして、それでも――という想いがある。

 王が、自ら盟約の破棄を行ったのだとしても。

 それでも。

「更に、両国間の再度の調停の場の設定――。これらを明朝七刻までに受け入れない場合には、最終の勧告を行った後、正午を以って、正規軍による排撃を開始するものとします」

 タウゼンとハイマンスが一礼する。

「続いて、王城内部には本夕七刻を以って、西海が不可侵条約を破棄したことを布告します」

 これらの情報が共有されれば、王城内は俄かに騒がしくなる。そこで浮かび上がる反応や変化を慎重に見定める必要もあった。

「王都、国内には、西海の返答を踏まえた上で、明朝十刻に布告します」

 ベールはそう言うと、改めてファルシオンと向かい合った。

「王太子ファルシオン殿下。この火急の危機に於いて、我等一同、殿下をお支え申し上げます」

 ファルシオンが大きな瞳を見開きがちに、面を持ち上げる。柔らかな頬はこの時は、陶器で作られたように硬く見えた。

 ファルシオンの中で先ほどの涙が瞳の奥に揺らいだが、それをぐっとこらえた。

 国王代理として、今は父王ではなく、ファルシオンが彼等と向き合いこの国を守っていかなくてはいけない。

 それはこれまでファルシオン自身王太子の役割として学び、そうならなくてはと心に期していたことではあったが、いざ直面すればとても難しく――

 怖かった。






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