5 ・ 王 子 様
義務教育開始から十一年間学生やってて、学校に行きたくないって考えたのは初めての経験だった。深刻ないじめだとか、勉強わかんないとか友達がいないとか、そんな問題は今までにひとつだってなかったから。
「はあ? 行きたくないってなによ」
「具合が悪いんだよ」
「嘘いいな! どっこが悪いのさ、この健康優良児が!」
もー、母ちゃんデリカシーなさすぎ。お布団に入ってる健康な男子高校生の布団はぐなんて。見てはいけない世界ってもんがあるだろーよ。知ってるでしょうがよ。
「辛いんだよう」
「誰が学費払ってると思ってんだ! 学校行くのもタダじゃないんだよ!」
それを言われると辛い。っていうかそれを言うのはズルいと思う。
結局母ちゃんにドヤされてしぶしぶ支度を済ませて、俺は学校に向かった。
いつもなら麻子が出てくるタイミングに合わせてる。しょーがないな、隣なんだもんなみたいな顔をして、一緒に行く時間を楽しんでる。
だけど、今日はそうはいかない。昨日のアレ、聞いてた訳だし。起こされてから速攻で準備して、いつもより早く家を出た。飯はパスして、コンビニでパンでも買おうって思ってさ。
でも、ハンパな時間だったせいでバスは来ない。来るの待ってたら、麻子まで来ちゃう。だから、バス通りじゃなくて一本奥の裏道をトボトボ歩く。ああ、俺、どうなっちゃうんだ。レイカちゃんは悪い奴じゃないみたいだけど、やっぱ無理だよ。あんな熱烈な愛の告白聞いて、麻子はなんて言うだろ。あいつ、俺の気持ちなんか多分かけらも気が付いてないんだ。しかも他人の恋バナが大好き。自分は? って聞かれるといつも、えー、まだ全然恋なんてしてないよー、なんて答えてる。
マジなのかはわからない。
他の男がいないって安心できる答えなんだけど、俺を好きじゃないって話でもあるわけでさ。
下向いて、朝日に照らされてるアスファルトばっかり見ている俺の視界に、再びの衝撃。
突然。まあ、こういうものっていつだって突然なのかもしれないけど。
前方からキラキラの粒子が飛び出していた。なんだこれって顔を上げると、路上には青く輝く魔法陣めいたものがグルグル回ってる。
レイカちゃんの時と同じパターンで、中に柱が、その中に人影が現れた。
「やあ、来たよ、レイクメルトゥーーッル!」
堂々、朗々とした大声は男のものだ。すいっと流れるように、エレガントに現れたのはまるで、王子様みたいな格好をした奴だった。なんていうの? 外国の一番有名なアニメ作ってるとこあるじゃん。名前出したらマズイとこ。あそこの作るアニメに出てくる王子様みたいな服装をした、金髪のイケメンが現れたわけ。
「おや? 君は誰だい」
「お前こそ誰だよ」
「わが愛しの君、レイクメルトゥールの香りがする!」
えっ、なにそれ。
多分、この王子様はレイカちゃんと同じ異世界から来たんだろう。しかし愛しの君って。どういうことだ。それから、もしかして俺からレイカちゃんの匂いがするのかと。そっちがもう激しく衝撃的で今、ちょっと吐き気がしている。
「ああ、来てしまったのですねー、ラーナ様ー」
後ろからした声はジャドーさんのもので、どこから現れたんだか、俺の隣でヒラヒラ飛んでいた。
「おや、ジャドー君。レイクメルトゥールは何処であるか!」
「お帰り下さいラーナ様ー、あなたの出る幕ではありませんー」
おっと厳しい。もともとキリっとした顔を険しくさせて、小さいけど結構迫力のある表情をジャドーさんはしている。
「それは私が決める! ジャドー君の指図には従えないぞ!」
「レイクメルトゥールはもう竜精を秘めし尊きお方と出会いましたー。後はもう少し親密になって、卵を作るだけですー」
その「もう少し」のハードル、超高いけどね!
「なんだと!?」
ラーナと呼ばれた王子様は、プンスカと怒り出した。
「どこのどいつが竜精を? 私の、私のレイクメルトゥールに卵を与えるというのか! 与えてしまうというのか? いつ、どこで、どうやってっ!」
うるせえー。
そして、うぜえー。
どうしよう。変な人みたいだ。どうやら、レイカちゃんが好き? マジで?
「どうしましょうー。ラーナ様、これはイルデエアの竜を守るための大切な旅なのですー。いくらラーナ様でも、邪魔しないでほしいのですー」
「ジャドー君」
青い魔法陣が消える。ここまで、偶然通った通行人、なし。
「どこにその竜精を持つ者がいるか、教えなさい」
すっごい緊張感。
だって、ラーナさんの顔、マジだもん。どうするつもりなの。知って、どうするつもりなの!?
「それは言えませんー。邪魔するおつもりなのでしょうー?」
「そんな真似はしない。竜精を持つ者のところに、レイクメルトゥールはいるのだろう? 私はただ、レイクメルトゥールに会いたいのだ」
マジで。
「そんなに好きなんですか」
「ああそうだとも」
俺がつい、ぽろっと言ってしまったばかりにね。始まっちゃったんだ、マシンガントークが。
「あの黒い鱗の美しさといったらどうだ。瞳はまるで宝石のよう。なあ、君は彼女の遠吠えを聞いたことがあるか? まるで天上の音楽のように心地よく私の耳に響くのだよ。夜、ああ、レイクメルトゥールが鳴いている。あの雄々しき竜が、命の雄たけびをあげているのを聞くと、夢の中で彼女と会える気がして、私はうっとりと目を閉じるのだ」
ねえ王子様、今、雄々しいって言った?
「爪のあの鋭さ。何人の戦士が彼女に挑んだことだろう。竜を倒すのは最高の栄誉。彼らは果敢にあの強大な黒竜に挑み、敗れて帰ってきた。ほんの少しかすり傷をつけた程度で、這う這うの体で帰ってくるのさ。なあ君、知っているか。レイクメルトゥールは決して戦士の命を奪わない。まるで子供を相手にしているかのように軽くあしらって、出直して来いと睨みつけるのさ! ああ、レイクメルトゥール! イルデエア最強の黒き竜! 愛しの、レイクメルトゥール! ああ、ああああ!」
「夕飛様ー、学校に遅刻しますー」
うげ。マジだ! こんな変な人に付き合ってる場合じゃなかった!
ダッシュしたんだけどね。結局、ギリギリ間に合わなかった。のんびり歩いて行ったせいなんだけど。
でもま、麻子に会わなくてすんだのは良かった。
とはいえ、一生会わないわけにはいかねえんだよなあ。
授業中、俺の口から出てくるのはため息ばっかり。
そして、レイカちゃんから更なる言葉を聞きたくなくて、ついでに、麻子にも会いたくなくて休み時間はまたトイレにお籠もり。
やだ、もうなにこのぼっち体験。マジで嫌だ。なんか、臭くなってきそうな気もする。
すっかり気分が暗くなったんで、昼休みは屋上に繰り出してみた。屋上に出てはいけませんって札がドアノブにかかってるけど、間抜けにも鍵がかかってないんだよな。
上空に広がるのは眩い青空。
おーい、雲よ。異世界から人が来るなんておかしいだろー。夢だって言ってくれー。
このまま目を閉じて眠って、起きたらなかったことになんないかなあ。
「それはありませんー。夕飛様、現実逃避しても何も解決しませんよー」
瞳を開ければジャドーさん。まあ、いいけどね。ジャドーさんは美人だしグラマーだから。
「ジャドーさん、人前には出ないんじゃないの?」
「誰もいませんのでー」
確かにそうだけど。誰か来るかもしれないじゃないか。
「ふはははは!」
そう思ったのは間違いじゃなかった。
静寂を切り裂くっていうのかな。目の前にまた、魔法陣が現れたんだ。
まったく、信じられない展開だろ?