51 ・ 帰 還
ドラゴンが黒いモヤに包まれていく。
どうなるのかと思ったら、レイカちゃんは人型に戻った。
痛々しい姿だ。傷だらけで、顔色も悪い。
あんなに強そうな、世紀末に降臨した覇王だってのに。
俺は、相変わらず頬の辺りを撫でてやるくらいしかできなくて。
「ジャドーさん、なんとかならないの?」
こう呟いたら、妖精さんは起き上がると、フラフラ飛びながらやってきた。
そして、俺と同じようにレイカちゃんのおでこの辺りを撫で始めた。
「……レイクメルトゥール、イルデエアに、もどりましょうー」
「戻ったら助かるの?」
俺の質問に答える声、なし。竜の山とやらに、一発で回復する神秘の泉とかないわけ? そういうのがあっていいと思うんだ。だって、ファンタジーな異世界なんだから。
「夕飛様、手が、あったかいです」
ふっとレイカちゃんが微笑む。
「なに言ってんの。やめてよそんな」
死亡フラグ立った人のセリフなんか!
でっかい手が伸びてきて、レイカちゃんの頬に当てていた俺の手を掴む。
傷だらけの手はちょっと硬くて、冷たい。
ヒンヤリとした手の甲の感覚がやけに悲しい。
レイカちゃんが目を閉じる。
俺は、それにはっとする。
レイカちゃんが俺の手を掴む。
痛いくらいの力に、ハラハラする。
レイカちゃんが俺の手を掴んで、ぐいっと引っ張る。
やっぱパワーがハンパないなって思った。
どう見ても瀕死って感じの状態だったのに、ぎゅんって引き寄せられちゃって。
俺は覇王に抱きしめられてだね。
うん。
人生で初めてのディープキスをしたよ。
こんなシーンでこんな風にいうのはなんだけど、正直、吸い込まれるかと思った。
ちゅううううううううって。むちゅううううううううって、強烈に唇を吸われて、窒息するところだった。あまりの苦しさに軽く暴れちゃったくらい。
意識を失いそうだ、って思った瞬間、ポンッ! ってなって、ようやく離れた。
色々と思ったことはあったんだ。あぶねえよとか、殺す気かよ! とか。
でもそんな言葉は勿論でない。出せるはずがない。
レイカちゃんがあんまりにも優しく微笑んでいてだね。
「夕飛様、ありがとう」
嫌な予感がして、体がぶるぶるする。
「……さようなら」
そう言うと、レイカちゃんの体はふっと消えちゃったんだ。
一瞬、めまいみたいな感覚がして、気が付いたら俺は薄暗い場所にいた。
冬がそろそろやってこようっていう、秋の終わりの夕暮れ。
ゆっくりと目が慣れていく。
多分ここは、デュランダーナ大瀬だ。何号室かはわからないけど。
どうして自分がここにいるのか。レイカちゃんがどうなったのかも、わかんなかった。
わかんないけど、わかった。
もうレイカちゃんは「ここ」にいないんだろうって。
別れの挨拶の言葉は短すぎて、全然、足りない。もっと言いたいことがあっただろうと思う。俺からだって、いっぱいあった。
全部が全部、唐突で、散々振り回された挙句の今のこの、胸の中の空虚な感じを、どうしたらいいんだろう?
「アツタ」
後ろから声をかけられて振り返ると、暗がりの中に八坂が立っていた。
「八坂……」
頭の中がぐっちゃぐちゃで、「どうしてここに八坂がいるのか」っていうところまでたどり着けない。
「レイカちゃん、どうなったんだ? 無事なのか?」
「わかんねえよ、そんなの」
ぶっきらぼうな返事。だけど、いつもみたいに強く言うだけじゃなくて、ちょっと下向いて寂しげな感じ。
「死んじゃったのか?」
「わかんねえって」
でも、とにかく、ここにはいない。二度と会えない。
色々考えすぎちゃって、逆に頭の中が真っ白になっていった。
真っ白が胸の中に溢れて、下の方からこみあげてきて、体が震えて、涙がぼろぼろ出てきたんだ。
「俺のせいで……」
古い畳の上に、涙が落ちる音がする。パタッ、パタッって。涙が落ちる音なんて初めて聞いた。こんなに悲しい気分になったのは、生まれて初めてだったと思う。
「オマエのせいじゃないよ。悪いのは、水無とあのクソ料理人だろ?」
そんなのは全然、慰めにならない。確かにあいつらは悪いんだけど。だけどもっともっと、別な道があったはずなんだ。あんな風にボッコボコにされなくて済む未来があったんじゃないかって。
はるばるイルデエアから来たのに。
あんなに俺を慕ってくれてたのに。
俺は本当に、自分のことばっかり考えてて。
「アツタ、大丈夫だ。オマエは悪くない」
ぐずぐず泣く俺を、八坂が抱きしめてくれた。頭の後ろに手を伸ばしてきて、抱き寄せて、撫でてくれた。
そんな自分が余計に情けなくて、立っていられなくなっちゃってさ。
そんな俺を、ますます八坂が抱きしめてくるわけ。
おっきな胸の中に、ぎゅうって。
しばらくおっぱいの間で泣いて、俺はなにをやっているんだろうってほんの一瞬、素に戻ってさ。
顔をあげたんだ。
そうしたら、涙でぐしゃぐしゃしててよく見えなかったけど、八坂が俺を、真正面から見つめてた。
なんでかはわかんない。俺、もうずっとわかんない連発しててホントごめん。だけど、いつも通りのまともな思考っていうのがこの日は本当になくなっちゃってて。
それでだと思うんだけど、いや、元からそうだっただけなのかもしれないけど、イニヒさんがすごく、キレイに見えたんだ。
だからって言ったら怒るかもしれないけど、うん。えっと、はい。キスしました。
畳の上に倒れこんで、そりゃあもう熱烈なヤツをね。フレンチなやつをぶちかましましたよ。
なにを考えてるんだって? そんなの、心理学者に聞いて。俺には「わかんない」んだから。
で、手が勝手に胸のあたりに動いたところで、ラブシーンは終了です。
「夕飛様ー、なにやってるんですかなにをー!」
一気に飛び起きましたよ。即、キッスを終了させました。ちなみにおっぱいには触ってないからね。残念。
「ジャドーさんいるの!?」
「いますけどー? すいませんねえ、お邪魔してー」
暗い部屋の中にあかりがともる。
元通り、ふんわりドレスを着た妖精さんが、腰に手をあてたぷんぷんポーズで飛んでいた。
改めて、デュランダーナ大瀬の二〇三号室。
八坂の部屋に俺が居た理由は、ジャドーさんと八坂がここからあの「有事の部屋」へ飛び込んだから、なんだって。
「なんで二人で居たの?」
電気がついて明るくなったせいで、恥ずかしいったらない。さっきまでねっとりイチャついてた相手と、それを冷ややかな目で見ていた相手と一緒に正座してるとか、ほんとになんていうか……すごい羞恥プレイだよね。
「水無のヤツに、縛られてたんだ。それをコイツが助けてくれたんだよ」
俺のところに来る前に、水無はまず八坂のところを訪れてKO。
俺とレイカちゃんが強引にあの空間に連れて行かれて、ジャドーさんはついて行こうとしたものの、なんでも「主催者の権限」とやらで弾き飛ばされたんだそうな。
どうしようかとおろおろしていたら、八坂の助けを求める声が聞こえて、助けたと。
「それで、二人で来たの?」
「そうですー。なんとかあの空間に入れないかと思って、私のスペースへまず飛んだのですー」
「私のスペースって?」
「レイクメルトゥールの本当の姿を見せるなどをした、あそこですー」
あそこか。妖精さんはみんな、そういうスペースがあるの?
「そこにいたら、穴が開いたのですよー。あの時は驚きましたー」
指輪パワーが発動した時か。
殿下のお蔭なんだな。俺が無事に今こうしていられるのは。
指輪はアイツに没収されたままで、なくしてしまったことにまた、胸が痛んだ。




