41 ・ 浮 気
悶々として眠れない夜が明ける。
八坂の突撃と意味不明の行動に参ったし、へそ下と鼻の頭を舐めるという儀式のエロさで落ち着かない。
そんな自分に、すごく情けない気分になって落ち込んでしまう。レイカちゃんの気持ちを考えてショボボンってしてたはずなのに、可愛い子のアプローチに速攻でウハウハしちゃって自己嫌悪。
眠いけど、学校に行かなきゃ。準備しなきゃ。
いつの間に辞めていたのか、水無はもう学校に来なくなっていた。
一緒に通学するお友達は全部で五人。俺と麻子と、イルデエアの三人。この状況で殿下が減ったら、俺ったらハーレム登校じゃない? なんか、すごい関係だな。俺を好きなレイカちゃん、俺が好きな麻子、へその下をなめ合った仲の八坂。わあ卑猥~。
「アーツタッ!」
家の前の道路に出た瞬間、わあっとしがみつかれた。この声、呼び方、もちろんヤサカビッチ。
にこにこと、俺のまわりをまず一周。そしてはちきれんばかりの笑顔で、腕にぎゅうっとしがみついてきた。なんだこれ。いつもと違って可愛い。だーいすきって感じの動き。
「どうしたんだよ」
「どうしたもこうしたもないだろ?」
ぎゅう。ぽよん。ふわふわー。わあ、幸せー。
俺としてはさ、八坂は別に「大好きな女の子」じゃないんだよ。なにをしでかすかわかんない、敵っぽい存在だったはず。だけどなんだろう、この、子猫のような無邪気なじゃれつきっぷりは。
「夕飛」
家の前でイチャついてれば当然、目撃される。
「あ、麻子、おはよう!」
焦る俺、ご機嫌な八坂。
話しかけてきた最愛の幼馴染は目を丸くしている。
「朝からなんだかすっごく、見せつけられちゃったなあ」
「え? いやちが」
「ふふん、いいだろう。アタシとアツタはなあ、昨日の夜」
「待ていっ!?」
焦るあまり、変な止め方になってしまった。
「なんだよ」
「いや、その……」
余計なことを言うな、といえば俺と八坂に「なにかがあった」認定されてしまう。別に、どエロい行為ってワケじゃないし? とはいえ、へその下を舐めあったとなれば誤解を受けないわけがない。だってほら、声に出して言ってみてよ。「へその下を舐めあった」だぞ!
「オマエ、あの女とはまだやってないのか」
なにをだ、八坂。
炸裂しそうな頭の中で、いやいや、と声がする。冷静な俺が「お鼻ペロリンのことじゃない?」と話しかけてくる。
確かに、八坂がこだわってるのは「へそ下の舐めあい」だ。ここでいきなり「男女のほにゃらら」が出てくる方が不自然。
と考えたところで、問題は解決しない。
「やっぱりな。もしかして、アタシが初めてなんだろ」
ニヤリと笑った顔が、そりゃあもう嬉しそうで。ペロペロし合うのはどういう意味を持ってるんだ。婚約が完了したとかだととても困るんだが。
「ふふ」
ご機嫌なイニヒさんを、どうしたらいいのかわかんない。
「おはようございます、夕飛さん、麻子さん」
そこに更なる混沌の素が登場。御年十歳の最強ドラゴンレイカちゃんと、その保護者になりたいラーナ殿下のお二人。
「おはよう、レイカちゃん、吉野君」
「おは」
麻子に続こうと思った俺に、八坂が後ろから……ぎゅうっと抱き付いてきた。
「行こうぜ、アツタ。二人で行こう」
ああ、背中に当たる豊かな二つのハーモニー。なに言ってるんだって? ごめん、俺にもわかんない。
振り返ると、八坂さんはちっちゃく首を傾げてだね。
「行こ?」
やだーなにそれ超可愛いんだけどー。相手が誰だかわかってるのに、もう、キュンッキュンしちゃってる弱い俺。
『夕飛様ー、どうなっているのですかー。どうしてイチャつきまくってらっしゃるんですかー! イニヒ・イニ・ヤーシャッキなどとおー!』
頭の中に直接特攻かけてきたジャドーさんの声は、かつてなく大きい。
わかってるよ、わかってる! 今なんとかしますから、ね、落ち着いて。
「八坂、みんなで行こうぜ、な?」
俺にこう言わせたのは、ジャドーさんからのツッコミだけじゃない。レイカちゃんから放たれるオーラのドス黒さったらどうよ。今の彼女の後ろに出てる効果音はいつものゴゴゴ、じゃなくて、轟轟轟、にグレードアップしちゃってる。
「ん。アツタがそういうなら、いいぜ」
あらまあ素直。
拍子抜けしつつ、なんだよ可愛いじゃねえか、レイカちゃんどうしよう超怖い、殿下の視線冷たい。
「いいなあー、夕飛、ラブラブなんだねえ」
麻子はいつも通り。って違うよ麻子! 俺たちは別にラブラブなんかじゃないの。と言いたいのだが、パッと見、否定できる材料が皆無。八坂はほっぺを赤くして俺にじゃれついてて、他の一切が見えてないような感じなんだもん。
『まったくー、殿方というのは本当にしょうがないですねー。こういう時は絶対、いや、気持ちはちがうんだけどね? 体はどうしても本能に従っちゃうんだ。好きとか、愛だとかそういう感情はないんだよ。わかるかなあ、女性にはちょっと、わからないかなあ、とか言うんですよー。そんな言い訳を女性は求めておりませんのでー。本当に思っている相手がいるならば、鉄の意志ではねのけられると思うのですー、ちょっとしたおっぱいの刺激なんかに反応しないでいられるものだと思うのですー。そういう男性こそがー』
授業中、頭の中はジャドーさんの説教で溢れかえっている。
ホント、おっしゃる通りですよ。俺だってもしも彼女ができて、一緒に歩いてる最中にイケメンに気を取られてたらちょっとくらいムッとすると思うんだ。
『それとは話が違いますー。チラ見するレベルと一緒にするなんてナンセンスですねー』
うわ、冷たい声。ジャドーさん頼むからちょっと落ち着いてよ。
『落ち着いていられますでしょうかー。いえー、無理ですー。レイクメルトゥールがどれだけハートブレイクしているか、夕飛様にはわからないでしょうけどー! 相手が麻子様ならばともかく、イニヒ・イニ・ヤーシャッキですよー? 昨日の夜どんないかがわしいあれやこれやがあったかわかりませんけれどー、さぞかしお幸せで素敵な時間をお過ごしだったんでしょうねえー!』
堪える。俺ってそんな、モテるようなキャラじゃないですよ。昨日の夜だって強引にちょっとその……。
そうだよ。ジャドーさんを呼んだんだぜ、俺は。
『はあー? 私が来てもお邪魔なだけでしょうにー』
うぐぐと心の中で唸りつつ、しかし、このままじゃ駄目だと気持ちを切り替えていく。
恥ずかしいが、聞こう。アレの意味を。
『アレってなんですかー、いかがわしいことこの上ありませんけどー』
違うんだよ。八坂は俺に、へその下を舐めろって言ってきた。アイツも舐めてきてる。その理由が俺にはわかんない。イルデエアの風習なんだったら、どういう意味なのか教えてほしいんだ。
『へその下を、舐める……?』
心の中に吹き荒れていた嵐が、ぱたりと止む。
俺の耳に聞こえるのは、世界史の先生の声だけになった。
『聞いたことありません、そんな風習があるなんてー』
え、ないの。じゃあ、イルデエアの常識とかじゃあないの?
『そうでしょうねー。試しに、ラーナ様に聞いてみたらどうですかー? きっと罵って下さいますよー』
嫌だよ、殿下と揉めるのは。ただでさえ話が長いのに、こんがらがったらどうなるんだ。
あの行為の意味、知るためには八坂に聞くしかなさそうだ。
でも気が重い。あいつと俺は今どういう関係になっちゃっているのか。
とにかく、赤の他人、隣人、ただのクラスメイトなんかより、だいぶ発展している気がする。




