39 ・ 中 華 鍋
部屋に戻ってからしばらく、ぼんやりしていた。
麻子と絹ちゃんにあらぬ誤解をされたショックもあるけど、それよりもイルデエアの皆さんが、あっさり最強のブラックドラゴンを放棄しちゃったっていうのがね。
ファイ・ファエット・ファムルーについては理解できる。あの人はもしかしたら、好きでドラゴン追ってたわけじゃないのかもしれないって思ったんだ。王様の命令だから仕方なくドラゴンを狩って、それで料理してたんじゃないのかって。だって、今は小さな中華の店で「お客様の笑顔」に癒されちゃってるわけでしょう?
新しい幸せを見つけたのかなあって。
八坂も、今は自分の実力じゃどうにもならないからって諦めてる。それだけじゃなくて、俺にちょっかい出す方が楽しいとかそんな雰囲気。
殿下はかつての親友と再会できたと勘違いしている。しかも、ドラゴンを守るっていう新しい使命に燃えている。
水無は……、今はアレだけど。彼女なりの新しい幸せを見つけたのかな、ファイと同じく。
殿下にイルデエアで頑張ってもらう計画に期待していいのかもしれない、という思いが強くなっていく。
時間がかかると思っていた。いくら王子様とはいえ、家族からハブられてる薄いプリンスなわけだから。だけど、あのドラゴンへの深い愛情は何事かを為すのではないかと思う。なんなら、ケルバナックにドラゴン住まわせて保護しちゃうとかね。そんな手段も取れそうなもんじゃない?
イルデエアの情勢が変わるまでの時間稼ぎが必要だって思ってた。
ところがここにきて、敵が一人もいなくなったっていうね。殿下は敵じゃなかったけど。俺にとっては八坂はまだ敵みたいな感じなんだけど。
なんだか狐につままれたような気分。
静かな秋の夜、部屋の中にぽわんと光が現れた。
「ジャドーさん」
「夕飛様ー、どうしたんですかー、アンニュイなご様子ですけどー」
そうだった。水無の話、伝えるの忘れてた。あんまり拍子抜けしすぎてて。
「なんとー、あの娘はもう戦う気がないのでしょうかー?」
「そう言ってたよ」
「それが本当なら助かりますけどー」
腕組みをして小首を傾げる妖精さんの姿に、俺はちょっとだけ、焦った。
「本当なら、か」
嘘ついてるのかもしれないもんな。あの料理人も、キャバ嬢も。
イルデエアから来た人たちの中で、真正面から信じていいのは殿下だけだ。彼だけは味方だってわかっている。心の中もだだ漏れで、悪事企んでたらジャドーさんにわかっちゃうんだから。
「ちょっと、様子見に行ってみようか?」
「キャバクラとやらにですかー?」
「うっ」
入れないか、俺じゃ。
誰かに様子を見に行ってくれっていうのもなあ。親父、あのキャバクラにいる女の子と遊んできて、なんて頼むのは……。喜ぶかもしれないけど、母ちゃんにバレたら何を言われるか。
大体、どこの店で働いてるのかも知らないや。
あいつ、アパートはもう出ちゃったのかな。
「ジャドーさん、水無がどこに行ったかとか、わかんないの?」
「申し訳ありませんがー、ちょっと難しいですー。彼女は特に、他人に心を読ませない術を心得ておりますしー」
「裏ワザとかないわけ? 本当は色々できるんでしょ?」
「奥義とか必殺技といった類はー、切羽詰まった時しか使えないと決まってますー」
今だってそれなりに切迫した状況だと思うけどなあ。
次の日の朝、水無がアパートを出ていったと八坂から聞いた。
仕方なく、できることから始めようというコンセプトのもと、お出かけをしてみた。
最近ちょっと溝ができたような、そうでもないようなクラスの連中を誘って、駅前の玄武苑へ。
「マジで繁盛してる。あの玄武苑が!」
安いがクッソまずい、が、安くて激ウマイ、にグレードアップしたお店は大盛況だった。小汚かった店の中がちょっときれいになっている。ついでに、可愛いお姉さんがウェイトレスやってる。二人も。今までは店主のじいさんとばあさんと、たまにその娘っぽいおばちゃんが三人で切り盛りしてたのに。
店の前の椅子に座って順番を待つ。中からはいい香りが漂ってきて、食べ盛りの男子高校生の腹がそろってぐうぐう鳴った。
「この間の体育祭の時も、みんな買ってたもんなあー」
「完売してたよな」
まだ新しい味を試してない連中は、ウキウキした様子で話している。
ううん、一人だとなんだからと思って皆を誘って来たはいいけど、あの料理人すげえ忙しいんじゃないか。話す暇とかあるかな?
前の客が出ていって、中に入ると学生っぽい連中でにぎわっていた。点心をテーブルいっぱいに並べた女子高校生とか、大盛りの炒飯をすごい勢いで食べてる男子高校生とか。
歴史を感じさせる古びた厨房に目を向けると、ガタイのいい兄ちゃんが中華鍋を振っていた。間違いなく、ファイ・ファエット・ファムルーだ。
店主の爺さんが作っていた頃よりも、厨房は狭く見える。あの体格の良さじゃあ狭いだろうに、伏見さんはキビキビと動いていた。
厨房へ、次々と注文の伝票が届けられる。
厨房から、次々と料理の乗った皿が出てくる。
むむ。やっぱり無理がありそうだ。料理に集中していて、出てきそうにない。料理を届けてくれるのはお姉さんの役目のようだ。
皆がウキウキで選んだあれこれを注文してから、俺はじっと厨房の方を見つめていた。
自分の考えた作戦の出来の悪さについて反省しながら。
けれど、段々そんな後悔も薄くなっていったんだ。
だって、ファイ・ファエット・ファムルーのあの真剣な顔。お姉さんから伝えられたオーダーを繰り返す、気合の入った声。料理が出来上がってからの、盛り付けの繊細さ。そして、客から伝えられた「美味しかったよ!」に返す笑顔ときたら。
幸せそのものって感じ。充実してる、やりきってるプロの顔だ。
この人は多分、現状に満足してると思う。
汗をタオルで拭いながら、手を休むことなく動かして、仕事に打ち込んでいるようにしか見えない。
『確かにそうですねー。今日も大繁盛だ! しか考えていませんー』
ジャドーさん、いたのね。
『いましたよー。夕飛様が一生懸命やってくれているのですからー。私もお手伝いしなくてはなりませんー』
ジャドーさん的にも、ファイ・ファエット・ファムルーはマジで料理人やってるなんだな。
『はいー』
あの人が真剣に、ここへ来た理由を見失っているかどうかはともかく、レイカちゃんについては確実に見失っているはずだ。どこにいるかわかっているなら、試合くらい申し込むはずだろう。八坂と水無について、ジャドーさんはまだ名の通っていない若い人材だと言った。ファイ・ファエット・ファムルーはそうじゃない。史上最強の料理人なんだから。あんなにゴッツい武器を構えたまんまやってきたわけだし、戦う気はあったはず。
俺の前に現れた時に、匂いがするって言ってたけど。
家に来た時にもガン見されてた気がするけど、あれは殿下と俺を兄弟にしちゃ似てないなあって思ったからだし。
色々考えると、俺としてはあの料理人が「ちょっとアホ」なんじゃないかって思う。
この世界に来れば王様の命令も忘れちゃうし、イルデエアについてもペラペラ話しちゃうような、料理と戦いの腕はあるけどその他はちょっと残念な人なんじゃないかなって。
「お待たせしましたー!」
運ばれてきた料理はホントにどれもこれも旨いったらない。
俺と友人たちの間の溝を、パラパラのチャーハンが埋めていく。
レイカちゃんの敵は一人減ったって思って……良さそうかな。




