31 ・ 思 春 期
「夕飛ー、夕飛ーっ!」
ドアを叩く音、俺を呼ぶ声。
「ゆう」
目を開ければ、ひきつった顔の母ちゃん。
「そろそろ起きないと、……遅刻、するわよ」
静かにそう言い残し、去って行く。
――いつもと違う反応の理由は多分、「胸の中の王子様」だ。
朝の食卓はひどく居心地が悪い。男と同じ布団で眠ってた息子に、絶妙な視線を向ける母。いつもより口数は少なく、あれだけ吉野クンって構っていたのも引っ込めちゃってる。ナニをどう考えてるんだろう。別になんでもない、って言うべきなんだろうか。言うとかえってアレだろうか。もう、どうしろっつうの?
深夜に始まった「ドラゴン語り」。セレイブレーイヴンの悲劇から一転、レイカちゃんの素晴らしさを嬉々とした表情で語り出した殿下に、何度も何度も起こされた。全然聞いてないけどね。で、グッスリ眠れなくて、寝坊したという流れ。目ざましにも気が付かなくて、そのせいで母ちゃんに踏み入られてしまった。
息子に迫りつつある、アブノーマルな世界!
みたいな目で見られている気がする。うまく説明できないものか。吉野が一方的に俺を慕っている……っていうのは気持ち悪いよな。吉野は誰かと一緒じゃないと寝られないんだよ、っていうのも気持ち悪いな。
気が付けば時間はギリギリ。学校行かなきゃ。弁当を差し出す母ちゃんの、様子を窺うような視線が痛い。
「熱田君、寝てしまうなんてひどいじゃないか」
殿下は形の良い眉をひそめて、怒ったような顔だ。
「本筋とは関係ない話になってただろ?」
爪がどうだ、足が逞しいだのどうでもいいっつうの。
ふわあ、と欠伸をしながら家を出る。
本当はもうちょっと話しておくべきあれこれがあったんじゃないのか。俺をセレイブレーイヴンじゃないってわかっていながらそう呼んでいた理由とか。あの料理人をどう対処していくべきなのかとかさ。
『夕飛様ー、おはようございますー』
ちょうど隣からもガールズたちが出てきたところ。四人四様の女子高校生の中に一人、覇王が混じっている。
『今日の放課後ー、ラーナ様と一緒に一〇一号室に来てくださいー』
ジャドーさんおはよう。もう工事は終わったのかな?
『はいー。色々と相談したいとレイクメルトゥールが言っておりますのでー』
仕事早いんだな、職人さんたち。
つまり、殿下も自宅に戻るのか。ああ良かった。
学校は明後日の体育祭のせいでザワザワしている。休み時間中、大勢が活気や熱気に浮かされながら走り廻っている。
俺もなんだかフワフワしていた。
眠いだけじゃあなくて、なにせ一番の強敵が出現しちゃったから。どうしてあの店でバイトしているのかわからないし、これからどう出るか想像がつかない。俺の顔をあれだけ見ていたんだから、多分なにかしら気が付いていると思うんだよな。
ぼんやりフワフワ、最近すっかりおなじみになってきた騒がしさが、浮かんでは消える。
……そういえば、水無ちゃんの動きがないな。積極的に絡んでこようとはしないけど、遠くにいるわけでもない。
ドラゴンテイマー。ドラゴンを思いのままに操る竜使い。もしかして、レイカちゃんをじっくり研究しているとか? 仲良くなってからどうのこうのとか、そういう感じなんだろうか。
彼女にはまだ、俺が異世界人とああだこうだっていうの……バレていないのか? バレていそうな気がする。あれだけ八坂やら吉野が絡んできているし、アパートに穴が開いた時だっていただろうし。
「おい熱田、寝るなよー!」
コン、と頭頂部に走る衝撃。チョークが飛んできたらしい。額の上についた白い粉を払って、慌てて背筋を伸ばした。
学校が終わり、一人で家の玄関へと向かう。
修繕が終わって、殿下もレイカちゃんも八坂もアパートに戻っているはずだ。デュランダーナでのミーティングに行く前に、とりあえず鞄を置きに戻ってきたってわけ。
で、ちょっと後悔した。
帰宅した俺を待ってたのは、大真面目な顔の母ちゃんだった。
「夕飛」
おかえり、と静かに言い、手招きをしている。
「ここに座りなさい」
既にお茶が二つ食卓に置かれていて、うむ、嫌な予感。
俺の態度が最近よくないって、連絡でも入ったのだろうか。確かに、しょっちゅうぼんやりしているもんなあ。悩み深い生活送ってるんだもん。
「夕飛、話があります」
はいわかってますよ、と思いつつ、大人しく頷く。
「あなた、隣のアパートの女の子と付き合っているんだってね」
それかーっ。
「絹ちゃんから聞いたわよ。この間来た子よね?」
「この間来た子で間違いないけど」
付き合っているとかじゃないよ、と言おうとしたんだけど、母ちゃんの声の方が早かった。
「あなたももう高校生だから。お付き合いをしている相手が居たっていいのよ。ただ、ただね。いきなり孫ができましたとか、そういう話は聞きたくないよ。その辺り、ちゃんと話をさせてちょうだい」
やだもー絹ちゃん、なにを言ったんだよ!
いや、仕方ないか。麻子の家に運び込まれた時、下着姿だったんだもんな。あれだけ心象の悪い八坂について、絹ちゃんが「なんか下着姿で夕飛兄ちゃんと居たらしいけど、きっとやむを得ない事情があったに違いない! うん、兄ちゃんは潔白!」とか思うはずがない。
「高校生の男の子に、あんなに綺麗な、しかも秋だっていうのにあんなに薄着でスタイルもいい子がいたら我慢しろって言われても」
「あのさ、母ちゃん、あいつはそういうんじゃないんだよ」
「じゃあなんだっていうの?」
母ちゃんの顔、般若スタイルにチェンジ完了。ああ怖い。特別なオーラが出ている。
「その、あいつはええと、意地の悪い女でさ。俺をからかって遊んでんの。それだけなんだよ。別に、うー、深い仲……とかそういうんじゃないんだ」
「へえ?」
イラっとさせる力が満ちている、いやな「へえ」だ。
「じゃあ」
母ちゃんはまたマジな顔をして、ずいっと身を乗り出してきた。
「今朝のはなんだったの?」
あっ。
殿下! 布団の中で、俺の胸に顔を埋めてんふんふしてたところ見られたんだった。
「本命は吉野君だってこと? だとしてもお母さん、真っ正面から否定したりしないわよ。正直に話して」
深刻な声で言われて、俺は本っ当に情けない気分。
思わず目を閉じて天を仰いでしまう。
「夕飛……、そう、だったの……」
「えっ!? 違うよ、なに勘違いしてんの?」
「だって今、とうとう年貢の納め時か、みたいな顔してたから」
「してねえよ。母ちゃんの勘違いが酷過ぎて呆れたんだよ!」
ちらりと横を向いて、ふうと息を吐いたのは安心したからなのか。
「あいつは、吉野はさ……、ちょっとホームシック? みたいな感じで」
「ホームシック?」
「うん。両親が他の兄弟ばっかり可愛がってて、あいつはちょっと蚊帳の外みたいな感じなんだって。だから人恋しいみたいな話をしていたよ。それで、勝手に布団に入ってくるんだ、一方的に」
「あら……、そんな事情があったの? 吉野君に?」
口に両手をあてて、母ちゃんは悲しそう。
でっちあげだけど、一応事実を基にしてるからいいだろう。
この「ぶっちゃけ話」で母ちゃんの気持ちは一八〇度、ぐるっと変化したらしい。
「夕飛、吉野君と仲良くしてあげなさいね」
いそいそと立ち上がると、母ちゃんは冷蔵庫から箱を取出し、キャラメルなんとかっていうケーキを俺に振る舞ってくれた。そして手を振り振り、洗濯機の方へ去って行く。
俺も心底ほっとして、ケーキを食べ終わってからデュランダーナ大瀬へと向かった。




