29 ・ 邂 逅
玄武苑からきた男は、黙ったまま俺の顔を見ている。
後ろから腕を掴んできた殿下は、どうも軽く震えてるみたい。
これは多分、ヤバいシチュエーションだ。王子様が震えている理由はよくわかんないけど、とにかく、ここは回避した方がいい。例の竜精の匂い、多分こいつも嗅ぎつけてるはずだし。料理人だからな、鼻なんて特に利きそうじゃないか。
「母ちゃん! 出前、出前が来た!」
殿下の手を引いて、部屋の中へ戻る。
入れ替わりに母ちゃんが、玄関へと向かう。
「あら、いつもの人じゃないのね?」
「はい、最近店に入りました、フシミハクっていいます」
「フシミ君ね。最近お店、評判いいわよー!」
聞こえてくる母ちゃんと異世界人の軽快なトーク。あいつの地球ネーム、フシミハクっていうのか。ファイ・ファエット・ファムルー、フシミハク。うーん、近いような近くないような。でもま、ライトニング吉野よりは近いんじゃないか。
ネーミング下手な王子様といえば、顔色を悪くしてうつむいている。
「どうしたんだよ、大丈夫か?」
返事がない。白い顔をテーブルの上の醤油の小瓶にむけたまま、殿下は口をぎゅっと閉じたまま。
なんだなんだ。
殿下、もしかしてアイツを知っているのかな。そうだよ、ジャドーさんが言っていたじゃないか。「史上最強のドラゴン料理人」だって。レイカちゃんにとって、大変な脅威になるって。八坂と水無が現れた時には、そこまで大げさな表現をしてなかった。つまり、ファイ・ファ(略)は、強敵が確定しているキャラなんだろう。
大好きなドラゴンをさばいて料理にしちゃうなんて、この人にとっては悪魔みたいなものなのかもしれない。史上最強の悪魔……、つまり、魔王だな。
うーわ、すげえ。魔王対覇王。どっちがラスボスなんだ。ラスボスVSラスボスみたいな感じ? えらいこっちゃ。
「ちょっと夕飛! 運ぶの手伝って!」
母ちゃんに呼ばれて玄関に向かうと、フシミの姿はもうなかった。
下男状態の俺は、届けられた中華料理を食卓へせっせと運ぶ。
「あら、吉野君どうしたの?」
「なんでもありません」
どう見てもしおれちゃっている王子様に、母ちゃんが焦る。色んな料理を少しずつ取り分けて、さあさあ食べてと明るい声を上げている。俺にもよそってくれよな、ホント。
餃子とか春巻とか炒飯とか、パッと見た感じが既にウマそう。
これまでの玄武苑とは全然違うって、それだけでわかる。
「あらやだ! これ、美味しいわあ!」
母ちゃんのリアクション、デカい。殿下に対する元気出してアピールなのかと思いきや、俺も口に入れた瞬間、テンションが同じレベルまでだだ上がり。
「すっげえウマいっ!」
どういうミラクルなんだろう、これは。皮はサクサク、中はジューシー! ああ、自分の表現力の無さが憎い。そう思えるほど、なんという豊かな味わいであろうかこれは。やっぱ駄目だ。語彙が貧弱すぎる。
お値段据え置きで味だけ格段にウマくなっているなら、別に材料が変わったわけじゃないんだよな。
「本当に美味しいわねえ。ねえ夕飛、さっきの出前に来た人が、料理担当してるらしいわよ」
「マジで?」
「ほら」
テーブルの上に差し出された小さな紙。名刺だ。
玄武苑のロゴと住所、電話番号、そして「伏見白」の名前が書かれている。名前の上には小さく「調理担当」の文字もあった。ああいう中華の店の人が名刺持ってるってちょっぴり妙じゃない?
「でも下っ端だから出前もやらされるんですって」
あの人、どこに潜んでいるんだろうなあって思っていたんだけど。まさか、中華の店で働いてるとか、意外な展開だ。なんでそうなったんだろう。経緯が全然、想像つかねえよ。
風呂に入って、身支度を全部済ませて、夜の十時。
部屋に戻ったら殿下がベッドの上で正座してた。
「おぅ」
「熱田君……」
あれ、セレイブレーブじゃない。っていうか、セレイブレーブじゃないよな、なんだっけ。くそ、うろ覚えすぎる。
「彼まで来ていたなんて……、信じられない! このままでは、レイクメルトゥールが危険だ」
やっぱり知っていたんだ。史上最強のドラゴン料理人、ファイ・ファエット・ファムルーを。
「そうだ、俺もジャドーさんに知らせようと思ってた」
「ジャドー君に?」
「だって、レイカちゃんは麻子の家にいるだろ。八坂と水無もいるんだから、直接話すのはちょっと、駄目じゃないかな」
アイスブルーの瞳が、ぱちくりと瞬いた。きょとんとした顔になってて、ちょっと可愛らしい。とか思ってる自分にちょっと寒気を感じる秋の夜。
「熱田君はジャドー君と、そうやって密に連携しているのか」
「え? そんな、密ってほどじゃないけどさ」
っていうか何だろうこの態度の変化は。
俺に対する「だーいすき♪」みたいな反応があっさりなくなって、急に賢い王子様モードに切り替わっている感じがする。
「とにかく、早めにレイクメルトゥールに伝えるべきだろう。ジャドー君に伝えられるなら、そうしてくれたまえ」
「……うん」
「彼って誰ですかー?」
わあ、不意打ち。ライトニングの頭の上にぴょこんと飛び出したのは、もちろん、グラマーな妖精さんだ。
「ジャドーさん、例の料理人が居たんだ」
「ファイ・ファエット・ファムルーが? どこにですかー?」
さすがのジャドーさんも、焦ったような気配を見せている。
配達の時に母ちゃんが渡された名刺を、ジャドーさんにも見せた。
「中華料理店で働いているのですかー。なぜでしょうー?」
「それはわかんない」
味は確かだったけどね。
異世界からレイカちゃんを追ってきた他の三人とは行動が違いすぎて、意味がわからない。
「もしかして、地球の料理に目覚めたのではないだろうか」
「はい?」
王子様は本当に真剣そうな顔で俺を見つめると、ゆっくり大きく頷いた。
「こちらに来てから思っていたのだが、料理が実に多彩で美味だ」
「……へえ」
「皆にわけてもらったお弁当だが、あの小さな箱の中にどれだけの妙味が詰まっているのかと、毎日驚かされていた」
今日は俺の母ちゃんの作った、冷凍食品バンザイ弁当だったんだけどな。それも、美味しかった?
「ファイ・ファエット・ファムルーは料理人なのだから、こちらの食文化に触発されたのではないだろうか」
「だったら、平和で結構じゃない」
「そうですねー。まったくですー」
殿下の予想が正解しているのなら、異世界へ渡ってきて、新たな生き甲斐見つけました、めでたしめでたし、なんて路線も考えられるんじゃないだろうか。
本当にそうなら、ありがたいけどね。レア食材のドラゴンなんか忘れて、料理道極めちゃえばいいよ、うん。わあ平和。その方が平和!
「情報をありがとうございましたー。私はレイクメルトゥールが心配なので戻りますー」
ジャドーさんがキラリと光の粒を巻いて、宙に消える。
消えた向こう側に見えたのは、殿下の真剣な顔。ちょい怒り風味。
「あの、どうかしました?」
「もしも」
あれ、怒り風味どころじゃなかった。怒りが全開になって、細い金髪がふわーっと広がっていく。
「もしもそうだったとしても、私は奴を許すことはできない……」
声は静かだった。ここまでは。
「絶対にだ! 決して許さぬ!」
ひゃーん。
美形のマジ怒り顔、怖いよー! レイカちゃんとはまた違ったド迫力。凛々しくてかっこいい!
「熱田君、聞いてくれるか。セレイブレーイヴンの香りのする君に、聞いてもらいたいんだ」
「はい……」
当然、勿論聞かせて頂きますでございますよ、殿下。




