1 ・ 転 校 生
おかしな出会いから一週間。なんのアクシデントもない平穏な日常はついに破られた。
月曜日はほんの少しだけ憂鬱だ。一週間の始まり。土日に遊びまわっていたお気楽な学生からしてみると、授業の始まりはホントにめんどくさい。
だけど今日はそんなアンニュイな気持ちを吹き飛ばす、とんでもない爆弾が教室に打ち込まれてきた。
「転校生を紹介するぞ。みんな、仲良くしてくれよ!」
担任の名前は葉山良太郎。話のわかるフレンドリーないい先生だ。そんでもって、どうやら少々のことには動じない肝っ玉の据わった男だったらしい。先生、俺、あんたを見くびってたみたいだよ。だっていつも通りの笑顔に、いつも通りの綺麗な字。だけど白のチョークで黒板に書かれた名前なんて、誰も見てない。教室にずいっと入って来た伝説の格闘家の姿に、みんな怯えて椅子をガタガタ鳴らしてる。
「伊勢レイカさん。お父さんの仕事の都合で転校してきたそうだ。じゃあ自己紹介をしてもらおうかな?」
レイカ。レイカときたか。レイクなんちゃらじゃなくて。
「はい」
はい、じゃねーだろうと。
みっちみちに盛り上がった体に無理やり着込んだセーラー服は今にも破けそうだ。長い箒ヘアーはぶっとい縄みたいな二本の三つ編みになっている。黒いハイソックスとか、上履きとか、一体何センチのなんだよと。
とにかくビジュアルだけでもツッコミどころは相当ある。一人入って来ただけで教室が一気に狭い。暑い。苦しい。そして怖い。もうね、ヤバイ。うん、ヤバイ。いい言葉見つけた。ヤバイ感じです。
で、俺ね。先週うっかり帰り道で出会って、訳わかんない色々を言われた身としては他のみんなとは感じてるヤバさが違うわけ。
それと、やっぱりあの見てくれで女子だったんだなあって。本当にショック。
「伊勢レイカです。三重県から来ました。初めての土地でなにもわからないので皆さんよろしくお願いします」
ペコリ、ですんごい風圧。衝撃波かなんか出てそうなくらいの、すんごい鋭いスピーディなペコリ。
「趣味とか、特技とかがあったら教えてくれ」
「趣味ですか、趣味は……編み物です。編み物が得意です」
どよっと空気が揺れる。あのビジュアルでビリビリ響く声だけど、礼儀正しく趣味は編み物。あまりのミスマッチにどう反応していいかわかんない。みんなそんな感じ。俺もそんな感じ。
「じゃあ一番後ろに座って、あそこ、空いてる席があるから」
ズム、ズムとレイカちゃんが進む。俺の真横を通る時もまっすぐ前だけ見つめて。ごく普通の学校仕様の机と椅子、耐えられるかな。あの巨体に。
落ち着かない一時間目が過ぎていく。数学の本山先生も、一番後ろでゴゴゴってしてるレイカちゃんに気が付いた瞬間すげえビビってた。俺は離れたところに座ってるから影響はないけど、振り返ったらまわりの席の奴ら、体が斜めになってんの。何か、オーラ的なものが出てるのかもしれない。波動とか。とにかく、威圧感がハンパない。
女の子の転校生、って単語にするとときめく物もあるけど、さすがにあの巨体はなあ。一九〇はあるだろう。高いだけじゃなくて、幅も厚みもある。後ろに立ったら即ヒジ入れられそう。
そんな風に感じさせられるビジュアルなもんだから、休み時間になったっていうのにだーれもレイカちゃんのもとには行かない。席の近い奴らは金縛りにあったみたいに動けないし、そいつらのせいで他の皆も、なぜか音を立てないように必死になってる。っていうか、俺もなんだけど。緊張感バリバリの空気に満たされていく。どうしようね、ここから。トイレに行きたい奴も、購買のパンを買いに行きたい奴も、みんな動けない。でも、動かない訳にはいかないわけで。
そんな俺たちのクラスを救ったのは、二時間目が終わった後の休み時間にやって来た麻子だった。
菅原麻子、俺の幼馴染。隣の家に住んでて、幼稚園も、小学校も、中学校も、更には高校まで一緒のいわゆる腐れ縁。漫画なんかだと、色気がなくていちいち世話焼いてきて、みたいな設定のキャラが多いポジションだけど、麻子は違う。ほわーんふわーん、ぼやー、っとした天然っぽい子で、誰にでも優しい。細かいことは気にしなくてちょっと鈍感。見た目はそうだな、クラスで四番目くらいに可愛いとかそのくらいのレベル。美少女ではないけど、可愛い。
実は俺、麻子が大好き。まだ告白するに至ってはいないんだけど、変な虫がつかないように見張ってるし、登下校は一緒にしてる。大学だけは違うところを選んで、一緒にならなかったら絶対、好きだって伝えると決めてるんだ。
まあそんな話はどうでもよくて、教室の後ろの扉を開けて麻子が入って来た。用があるとしたら、俺か、同じ部活の仲間の上杉か日下かその辺りだろう。
「あれ、あなたは?」
その誰かに行き着く前に、否が応でも目に入ってしまう巨体に麻子はこう声をかけた。
「転校生の、伊勢レイカと申します」
「わあ、転校生が来たんだー。私、隣のクラスの菅原麻子。よろしくねえ」
にっこりほんわか、麻子が微笑む。それに、レイカちゃんはニヤリと笑った。怖え。でも麻子は気にしない。それを「笑顔」という大きな括りで受け止めて、どこから来たのとか、手芸部に所属していることなんかを話し始めた。
そのお蔭で、クラスに張り詰めていた緊張がちょっと解けていった。麻子の言葉に対するレイカちゃんの答えはごくごく常識的な女子のもので、どうやら伝説の格闘家でも世紀末の覇王でもない様子。意を決したような顔で上杉と日下も立ち上がり、レイカちゃんを囲む輪を麻子と三人で作って話し始めた。途端に弾ける笑い声。可愛い女子たちのおしゃべりに、反省の輪が広がっていく。
人を見た目で判断してはいけません――。
はい、すいませんでした。麻子、お前はやっぱり天使だよ。マジ可愛い。大好き。惚れ直した。
そう考えて俺も立ち上がり、麻子の隣に移動した。
先週のもなにか、行き違いがあっただけなのかも。聞き間違いとかさ。
「麻子」
「夕飛、伊勢さん編み物が得意なんだって。手芸部に入ってくれないか誘ってるの」
想像するだにシュール極まりないんだが。いやいやいけないよな、人を見た目で判断したら。
「菅原さん、彼とはお友達なんですか?」
うん?
「ああ夕飛と? 家が隣なの。赤ちゃんの時からずっと一緒なんだよ、幼稚園から高校まで」
「伊勢レイカです、よろしくお願いします」
レイカちゃんが立ち上がる。デカい。手が出てくる。俺の手を掴む。握る。そして、微笑む。
「夕飛、ちゃんと挨拶してよ」
「え、ああ。俺は、熱田夕飛」
レイカちゃんは目をカッと開いて、ニヤリ。
「素敵な名前ですね」
ひい!
やっぱり狙われてる! しらんぷりして転校生として入って来て、俺を狙いすましてる。先週のはやっぱり夢じゃなかった! 夢だけど、夢じゃなかった! いや、そもそも夢じゃなかったんだけど! なに言ってんの俺。訳わかんない。怖い! ほら見てハンターの目だ。狩人の目だよ、お母さん!
隣の麻子に必死に助けを求めたけど、初めましての握手に優しげに微笑んでてなんにも気づいてない。もう、この鈍感娘! そういうとこ好きなんだけど、やっぱ困るわ!
「ねえねえ伊勢さん、家はどこなの?」
「大瀬本町の一丁目です」
嘘でしょ?
「わあ、うちもだよ、ね、夕飛!」
ぜってー狙われちゃってるに、今なら一万円賭けてもいい。ふらーって倒れそうになりながら、俺はそう考えていた。