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18 ・ 火 花 

「夕飛ー! 夕飛ー!!」


 階下から響く母ちゃんの声。

 無視したかったけど、声が収まる気配がない。仕方なく、のろのろと立ち上がって返事をすると。

「お客さんだよ! 早く来な!」


 時刻は午後六時半。誰だ、客って。

 正直、嫌な予感。母ちゃんは知ってる相手なら、必ず「誰々が来た」って言うはずだから。


 予感は的中。玄関に立っていたのは八坂で、腕を組んでニヤニヤしながら俺を見ている。

「あがってもらいなさいよ、夕飛」

「いや、いいんだ」

 八坂の肩の部分を掴んでくるりと回らせ、外に押し出していく

 薄暗い路上に追いやられて、八坂はムカついたのか声を荒げながら振り返った。

「オモテナシしてくれねえのかよ」

「なんの用かな」

 母ちゃん、どう思っただろうな。こんな格好の女が押しかけてきて……。

「オマエ、どうして勝手に帰ったんだよ」

 

 そうなんだ。当初の予定だった、深山へのメール。送ってない。レイカちゃんの愛の波動の影響なのかな、座ってるだけで精一杯だった。それで全精神力と体力を消耗しちゃったから。


「全然カンケーない奴らとついつい楽しい時間を過ごしちゃったじゃねえか」

 どうしてくれんだよ、と八坂が凄む。怖え! 美女の怒り顔、怖え!

「ごめん、ちょっと具合が悪くなって、それで」

「はあ? 一言ぐらい言うのが筋ってモンだろうがよ」

 ああん? っていう声がもう、不良娘の見本みたいな感じ。

「ったく、使えねえヤツだな、アツタ!」


 くそう。言いたい放題言いやがって。

 と思うものの、口答えしたらどうかえって来るのかおっかなくて、俺の口は小さく開いたまま動かない。

「明日また出かけようぜ。あのボウリングって遊び、面白くて気に入ったからよ」

「はあ?」

「オマエが誘って来たんだろ、今日は。そのオマエが勝手にいなくなっておいて、はあ? ってなんだよ、はあ? って」


 はあ? の部分で変な顔をしてみせるのは、もしかして俺の真似をしているんだろうか。

 くそう、ムカつく。口の悪いおっかない美人の意地悪……に身悶えてしまう。


「今日は、深山たちが八坂と仲良くなりたいっていうから、それで」

「そんなのどーでもいいんだよ。アタシが仲良くなりたいのはアツタだけなんだからさ」

 白い手がにゅっと伸びて、俺の鎖骨のあたりに触れる。と、思ったら、それがつつーっと、ゆっくり下に降りていって、胸のあたりをなでなでし始めた。

 うはあ。

 いろんな意味で、うはあ、だ。

 おっかねえ、っていうのが一番なんだけどもう一つ。エロくね? って。

 

 手を払いたいけど、できない。

 いろんな意味で、できない。

 おっかないし、それにちょっとだけ、もったいなくって。


 なんて考えていたら、すぐそばでなにかが落ちる音がした。ガッチャーンって。驚いて振り返ったらそこにはなんと。

「絹ちゃん!」

 麻子の妹であるところの絹ちゃんが立っている。見覚えのある皿が割れて、路上で無残な姿を晒している。

「わあ、夕飛兄ちゃん、結構やるんだね……」

「えっ? いや、違う、これはその」

「違わねえだろ、アツタ。そのチビッコ誰? オマエのカノジョ?」

「違います。隣の家に住んでる、菅原絹っていいます。夕飛兄ちゃんとはまあ、幼馴染なのかなあ」

「そっかそっか。良かった、こんなガキと付き合ってるとか、どんなロリコン野郎か心配しちまったよ!」

 ガキ、って部分に絹ちゃんはむっとした顔。

 どんだけ口が悪いんだって、俺は変な汗をかいている。

「夕飛兄ちゃん、まずはお皿割っちゃってごめん。返しに行くところだったんだけど、手が滑っちゃって」

 多分、おかずのお裾分けで使ったんだろう。随分昔っから使ってきた、そろそろ模様も薄くなってきた皿は本日、熱田家とお別れだ。

「で、その感じの悪い人は誰なの?」

 姉とは対照的に、言いたいことはなんでも言っちゃう絹ちゃんの言葉は鋭い。俺はちょっと焦ったけど、八坂は余裕のニヤリを浮かべている。

「八坂仁美……さんっていって、俺のクラスにきた転校生で、あと、そこのアパートの住人なんだ」

「レイカちゃんと同じとこ? なにそれ、転校生で同じアパートとか。吉野さんって人もでしょ? 変なの!」

 プンスカする絹ちゃんと八坂、二人の視線の間にあるバチバチに焼かれそうな俺。


 一刻も早く、この状況から逃れたい。

 胸の中にあるのは、そんな焦りだけ。

「絹ちゃん、皿は俺が片付けておくよ。わざわざありがとう」

「なあに、私が邪魔だから早く帰れって? へえ、そういうことするんだ、夕飛兄ちゃんは」

 わあ。

「その通りだよ! オマエの用は済んだんだろ? だったらお子様は早くお家へ帰りな!」

 俺があわあわしてる間に、八坂は火に油を注いで笑っている。

「初対面の相手に随分失礼なんですね、八坂さんって」

「アタシがまだこいつに用があるんだよ。わかってんだろ? もう夜だし、小学生はもう寝る時間だよ」

「小学生じゃないし! こんな浅い時間に寝る訳ないし!」

「ちょっと、ちょっと二人とも静かに」

 

 ああ、俺のセリフ弱そう! 超弱そう!

 情けないけど、だけどこんな争いは止めてもらわないと。


「夕飛兄ちゃん、趣味悪いんだね!」

 口をいーっとして顔をしかめ、怒った様子で絹ちゃんが去って行く。

 それを茫然と見送る俺の肩を、白い手が掴む。

「さ、邪魔者はいなくなったし、明日の予定決めようぜ」

「いや、明日は俺はちょっと」

「ちょっと、なんなんだよ」

 用事がありまして、と言いたい。が、正直、言っても無駄な気がする。とはいえ、言わないわけにはいかない。とにかく断らなきゃいけない。

 なんと言えばいいのだろう。この押しの強いドS女から逃れるために、どうすればいいのだろう。

 心臓が無駄にバクバクしてる。頭がカーッと熱くなっていて、考えようとしても空回りしてる感じでうまくいかない。


 うつむいている俺の視線の先に、絹ちゃんの落とした皿があった。

 かがんで大きな破片に手を伸ばして、全部拾い終わる前になんとか結論を出さなくては、と思うとまた更なる空回りが始まった。


 すごい勢いで回転し始める、俺の脳。


 しかし、成果はゼロだ! それどころか、動きまで覚束なくなってしまってる。


「いてっ」

 破片の先っちょで指を刺したらしい。手のひらを確認すると、人差し指の先には赤い珠ができていた。

「なんだオマエ。不器用なんだな」

 けけっと笑いながら俺の隣にしゃがんで、八坂が右手を掴んでくる。


 そして、人差し指をぱくっ。


 はわわわわわ


 もうすぐ切れてしまうであろう、弱い光を放つ街灯の下。

 男子高校生と女子高校生がしゃがみこんで、二人で、見つめ合っている。

 女子の方はキッツイ目をした美人で、男の右手人差し指を、ちゅっぱちゅっぱ音を立てて……舐めている……。


「うーのわぁあああ!」




 混乱の極みにいたんだ、あの時。

 だからだと思うんだけど、すんごいデカい声で叫んで逃げた。左手に割れた皿の破片を持ったまま家に逃げ込んで、ゴミ箱にそれをバリンバリンと放り込んで、ビックリした顔の母ちゃんの横を走り抜けて自分の部屋へ、電気消して布団の中にダイブイン。


 一時間後くらいにようやく気が付いたんだ。

 なーんにも解決してねえなって。


 だけど。


 ベロの生あったかい感覚が指の先に残ってて、それがなんていうか、体の一番奥の方をむずむずさせてきてさ……。


 情けないけど、

 忘れたいのに、

 それを思い出して。


 ダメだろって自分の頬を叩くっていうのを何度も何度も繰り返した。


 明日まともに誰かの顔、見られるかな。


 ため息の洪水の中で、俺は自己嫌悪の塊になっていた。

 

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