16 ・ 真 紅
ごくごく普通の高校生だった俺は、ある日突然、遥か遠き異世界、イルデエアからやってきた黒い竜と出会いました。
彼女の求めているものは、卵。
あと六頭まで減ってしまった竜の未来を求めて、一族の宝と引き換えに、遠い遠いここ、日本へやってきた。
俺の中には、竜に卵を与える「竜精」という力があるから。
ここだけ抜粋すると、卵作りに協力しない俺がすごく非情な奴に感じられるから困るよな。
卵を作るには、俺と竜の間に「強い絆」が必要。友情ではなくて、愛情で結ばれなくちゃいけない。
そして、この世界の「男女の交わり」と同じ方法で卵ができる、と。
ここなんだよなあー!
ハードルの設定、高すぎるだろ……。
どっちかなんとかしてくれよ。卵を作る方法か、レイカちゃんのビジュアルか!
こんなことを考えてたら、眠れなくなってしまった。
暗闇の中、悶々としながら何回も何回も寝返りを打つ。
月のあかりなんてロマンティックなものはなくて、窓にかかったカーテンを照らしてるのは街灯の黄ばんだグレーっぽい光だけ。
頭の中を、ぐるぐるまわる。
レイカちゃんに対して出てくる、憤りみたいなモヤモヤと、申し訳ない気持ち。
ジャドーさんは可愛くて、真剣にみえて結構適当だったり、辛辣だったり。
ライトニング吉野へは、カッコいい姿への嫉妬と、実は変態のクセにっていう蔑み。
八坂仁美の、挑発的な目とふわんふわんの感触。
水無愛那の、冷たいトーンの声。
……それから、最近できるだけ視界に入れないようにしてる、麻子。
王子様に向ける瞳のあの、情熱的な色。
早く冷めて欲しい。
これが夢なら覚めて欲しい。
レイカちゃんたち異世界人がゾロゾロ俺のところにやってきて、刺激的だとは思う。面白いっていえば面白いんだけど。
「夕飛!」
カツンという小さな音と共に、かすかに聞こえる声。麻子のものだ。
カーテンをめくって窓の下を覗いてみると、暗がりの中に恋しい顔が浮かんでた。
時間はもう、真夜中。日付が変わるくらいの頃だと思う。どうした? って大声を出すわけにはいかないから、急いで外へ出た。
「どした、麻子」
子供っぽい黄色い花柄のパジャマの上に、パーカーを羽織っただけの姿。幼稚園の頃からあまり進化の見られないその姿に、ふっと笑いが漏れる。苦笑に近い感じだけど、でも、安心も感じている。
俺の顔を見て、麻子はなんとなく頼りない笑顔を作ってみせた。
「あのね、夕飛」
そう呟いて俯き、やがて顔を上げて、……また俯いて。
何回も何回も首を傾げながら、顔を上げたり下に向けたりを繰り返している。
「なんだよ、なにか、あったのか?」
びっくりするくらい、優しい声が出た。
いい男風の、穏やかな口調。自分でも初めて聞いた、こんな声。
「ゆうひ……」
麻子の体が、小さく震えだす。
――泣いてる?
「あのね、あのね」
「うん」
そっと近づいて、ちょっと躊躇ったけど、左の肩に手を伸ばして、置いた。
「吉野君、フランスに帰っちゃうんだって……」
へえ?
「心に決めた婚約者がいるって。その人を、すごく……愛してるんだって……」
失恋しちゃって、泣いてるのか。
思わぬところから入って来たライトニング情報について、俺は頭の中で色々と考えようとした。けど、できなかった。頭の表面でなんとなく、ああ、フランスっていうかイルデエアに帰るのか、諦めたんだな、みたいに考えたと思う。だけどそれは、心の奥底まで響くものじゃなかった。ふわーっとそんな思考が額の表面を走った挙句空へ飛んで行って、そのかわりに心を占めてるのは、目の前の可愛い幼馴染が流してる涙が、すごく綺麗だなっていう気持ち。
ぽろっと、一粒。また一粒。
頬を伝って落ちていくそれは、陳腐な表現だろうけどまるで、宝石みたいでさ。
俺の中にあるのはただただもう、可愛いなあっていう気持ちだけ。
「麻子」
声が聞こえているのかいないのか、麻子はただ、泣くばっかり。
ずっとずっと片思いをしてきて、いつもやきもきさせられてきたんだけど。
フラっと現れたイケメンを、一目で好きになったなんて、悔しい思いをさせられたんだけど。
今、この瞬間、俺の心の中は大洪水。
目の前の幼馴染に対する愛情で溢れかえっちゃってる。
肩に置いた手をそっと離して頬に触れ、親指で涙をなぞっていく。
ぽろぽろ落ちる真珠の粒を潰していくうちに、たまんなくなってきて、俺は。
麻子を、ぎゅっと、抱きしめてしまった。
「ゆうひ……」
ちょっと、驚いたような声。
胸の中に閉じ込めた体は細くて、だけど、柔らかい。
鼻のすぐ前にある髪からは、優しい花の香り。多分シャンプーしたての、さらさらがくすぐったい。
胸のすぐ下あたりにあるフワフワ感に、体が熱くなっていく。
ああ、これはチャンスだ。
ずっとずっと俺の中にあった思いを、全部、伝えたい。
可愛い。
いい香り。
好きだ。
柔らかい。
俺だけを見て欲しい。
俺のものに、なってほしい。
心に浮かんできた言葉を伝えるはずだったのに、唇がした仕事はまた別なこと。
夢にまで見た、麻子との……。
と、思った瞬間、いつの間にかONになってた股間のレバーをぐっと掴まれてしまった。
「おふっ!」
「ははっ、体は正直だな、アツタ!」
俺を見上げてるのは、八坂仁美。それだけしか身に着けていない下着と同じ色の、挑発的な赤い唇がニヤっと笑う。
「わああああああああああああ!」
頭に激しい衝撃が加わり、なにがなんだか、しばらくの間よくわからなかった。
「どうした、夕飛?」
ドアの向こうから聞こえた親父の声。
ああ、ここは自分の部屋だ。ベッドから落っこちて、頭を打った。
そうか。
夢だ!
「なんでもない!」
慌てて返事をして、立ち上がる。
右へ左へ意味もなくうろついて、汗びっしょりだとか、あと少しで目覚ましのなる時間だとか、諸々に気がついてようやく平静を取り戻した。
自分の部屋にいる。さっきまでのあれこれは夢。全部、夢。
麻子が泣いてたのも、八坂に掴まれたのも。
よかった、って盛大なため息をついて、しばらくぐったり椅子に座って。
そして急いで支度を済ませて、いつもより早く家を飛び出した。
だって、あんな夢みた後、麻子とも八坂とも顔、合わせられない。恥ずかしすぎる。
昨日の帰りにちょっとぽよよんぽよよんされただけで、よくよく思い返してみれば、セクシーなランジェリー姿で夢に登場させちゃってる俺ってどーなのよ! って。
あんな服装で学校来てる方が悪いと思うんだ。その辺のアイドルの中途半端なグラビアなんかより、ずっとエロいんだもん。俺以外の夢や妄想にもきっとお邪魔してると思うんだけどさ。
だけど、麻子が途中からヤツに変わっちゃったっていうのがね。ものすごく罪悪感。
ついでにそんな夢を見たって、ジャドーさんに感づかれたくないっていうのもあるし。
「夕飛、よう、おはよう! 待ってた待ってた!」
教室に入るなり、深山が笑顔で寄ってくる。
「よお」
「なあなあ、今日の放課後カラオケ行かない?」
「カラオケ?」
それもいいかもしれない。最近、なんだかんだ逃げたり質問したりで、友人たちとの交流の時間は減少、どころかゼロですし。
「夕飛、最近元気ない感じだからさ。ぱーっと楽しく盛り上がろうぜ?」
あれ、気が付いていてくれたのか。
もしかしてこれ、心の友ってやつ?
自分の周りに起きた色々を、俺は誰にも話せない。多分、話しても信じてもらえない。そういう苦悩の中にいると、気づいてくれる誰かがいる……。
世界って、友達って素晴らしいな!
「いいよ」
俺の返事に、深山と男どもは眩しいくらいの笑顔を浮かべた。
「良かった! でさ、夕飛、……彼女も誘ってくれよ」
男子軍団のそわそわした態度。なにかを期待しているのが丸出しの、瞳のキラキラ感。
「彼女って、誰?」
「八坂だよ、八坂仁美!」
うーわ。
テンションだだ下がり!
親友とか勘違いだったよ、お母さん!
「昨日、腕組まれてただろ? 隣に住んでるって言ってたし、仲がいいんだったら誘ってくれよ」
「別に、仲がいいわけじゃないから」
「なんだよ、独り占めか? 水無からもアプローチされてただろ!」
そんなんじゃねえんだよ。
そんないいものじゃねえんだ、飢えた獣たちよ!
と、思うが、異世界から来ただの、黒い竜を狙っているだのという説明をする訳にはいかない。
いや、したらかえって解決するのか。揃いも揃ってあぶねえ奴らだから近づかないようにしようとか。
あ、それは駄目か。俺の評判まで一緒になって地に落ちてしまう。
「なあ、夕飛、頼むよ。俺たちにもチャンスをくれ!」
正直言うと、わかるんだ。美人だし、あんな格好を堂々としてるだけあって、スタイルが抜群なんだ。胸はバーン、腰はキュッ、お尻はボン。しかも、めちゃめちゃ馴れ馴れしい。
ひょっとしたらひょっとするかも、って思って当然。ノリでキスしてくれそうとか、おっぱいくらい揉ませてくれそうとか、そんな妄想をさせる要素がぎゅっと詰まった夢みたいな存在だって、俺だってきっと外野にいたら思っていただろう。
心は麻子一筋ではあるが、それはそれ、これはこれだ。そんな想像、絶対する。
どうなんだろうなあ。あいつ、カラオケってわかるのかな。誘ったら来るんだろうか。
俺はこっそり抜けちゃって、他の連中とワイワイやってとか、そういう裏ワザは使えるだろうか。
全然わかんねえ。
普通に考えたら、しなさそう。
ジャドーさんに質問するのも気が引ける。
「なあなあ夕飛、いいだろ? 誘ってみるだけでもさあ」
「うーん」
「転校生に、この辺のプレイスポットを案内してあげようぜ!」
「カラオケじゃなくても、ボウリングとか、そういうんでもいいし」
「ボウリング? ボウリングしたら……いいんじゃない!?」
渋る俺に、全員が迫ってくる。ええい暑苦しい。寄るな寄るな!
「わかったよ、放課後どうか、聞いてみる」
「イエス!」
全員が拳を握りしめて叫ぶ。
ボウリングか。
あの服装でボウリングしてるとこ、後ろから眺めたら……。
ああ……。そりゃ、すごそうだ。




